愛あるみなさま、こんにちは。
サトヒです。
いやはや、ブログ開くのがめっちゃ久しぶりです…。
みなさま、お元気でしたか。
私は、講座後の燃え尽きに身を任せて、日常を一生懸命過ごしておりました。(笑)
そんな日々の中で、いつしか1つ歳を重ねたりもしておりました。
そうです、お誕生日おめでとう!私!!(笑)
本当は、誕生日付近の週末はどこかお泊まりに行きたい私なのですが、最近我が家のおキャット様の体調が芳しくなく、家を空けることが難しいので
夫とランチデートをして、肉の盛り合わせ(言い方)をもりもり食べてきました!!(肉よりポテトが多そうに見えるが)

そして、毎年誕生月に満期になるように「友の会」の積み立てをしていて、ちょっといいものを自分にプレゼントするのが恒例なのですが(こういうコツコツしたのが好きです)
ここ数年使わずにいたので、結構溜まっていることに気づき、何に変えようかとニヤニヤしております。
しかし、この「友の会」って使わないとどんどん年利が下がって、お得感がなくなっちゃうのよね。
利率を考えたら、ちゃんと毎年使い切るのが一番みたいです。(1年で使えば、年利8%~15%とも言われてる)
貯金するよりお得だなと思って、かれこれ7年前から始めた恒例行事なのですが
金利とか関係なくとも、毎年自分に誕生日プレゼントを買うお金が溜まるので、ちょっとした楽しみになって良いですよ~^^
うまくいかないこと=自分のせい?
前書きはこの辺にして、ここからが本題。
先日、とあるコンサルを受けまして、その中で私がカウンセリングを通じて、「どんな人に、どうなって欲しいのか」を考えてみるよう言われまして。
その際、コンサルさんと話しながら、ざっくばらんと自分の思いを話しながら整理していったのですが
やたらと出てきたのが
「自分が悪いわけじゃないと思って欲しい」
という言葉だったのですね。
自分では無意識に言っていたので、コンサルさんに突っ込まれるまで、そんなに何度も言っていると気付いていなかったのですが
私自身、すごく自己否定が強く、自分責めしまくって生きてきた過去があるので
同じように自分を責めている人を見ると胸が痛くなるのです。
だから、そういう人を見ると
「あなただけの問題じゃないし、あなたが悪いわけじゃないんだよ!」
ということを、声高に伝えたくなるのですね。
多分それは、過去の自分自身が言って欲しかった言葉なのかもしれませんが。
自分を責めている時って、全部自分のせいにしているんです。
仕事がうまくいかないことも
人間関係がうまくいかないことも
恋愛がうまくいかないことも
親との関係がうまくいかないことも
学校に行きたくないことも
目の前の人が不機嫌そうなことも
時には、楽しみにしていたお出かけの日に雨が降ってしまうことですら
「全部、私が悪いんだ」
って、全部自分の責任だと思い込んでいるんです。
私に何かが足りないから
私に何かができないから
私が何かをしたから
私が何かをしなかったから
だから、本来うまくいくべきことが、うまくいかなかったんだと思い込んでいる。
でも、実際はそうじゃないんですよね。
仕事には向き不向きがあるし
人間関係には相性がある。
人生には、どんなに努力しても手が届かないものもあるし
どんなに頑張っても変えられないこともある。
天気は、お天道様の気分次第だし。
努力だけじゃどうしようもないこともあれば、仕方のないこともあれば、本来自分の人生にとって必要じゃないこともあるのです。
自分をダメ扱いすることの方が問題
私は、ある時から「人生全ては必然説」を採用しているので
自分にとって起こる出来事は、それが自分の思い通りであろうと思い通りでなかろうと、自分に必要なことであると思うようにしています。
だから今では、何か思うように事が進まなかったときには
自分のせいでうまくいかないわけではなくて、うまくいかないことが自分にとって最善だったのだろうと、どうにか思えるようになったのですが
昔の私は、全部自分のせいにして、ひたすらに自分を責めていました。
だから、うまくいかないことがあるたびに、自分の何かをどうにかするために、一生懸命改善努力をしていたのですよね。
でも、何をどう頑張ってもうまくいかないこと、思い通りにいかないことは起こり続け。
自分の何をどう変えたら、自分の期待通りに事が運ぶのか、全くわからず意気消沈して。
結局、問題はそこじゃなかったということに気づくまでに、20年近くの時間がかかりました。
問題は、”ただ自分を知らなかった”ということだけだったのです。
自分に何かが欠けているわけでも、努力が足りてないわけでもなかった。
ただ、自分がどういう人間かを知らなかっただけ。
自分の凸凹を知らなかったから、それに合う生き方がわからなかっただけ。
何が得意で、何が苦手で、何が好きで、何が嫌いなのか。
そういうのを全部無視して、漠然とした「こうあるべき姿」と自分を比較して、「自分だからダメ」というレッテルを貼り付けていただけ。
自分がダメなんじゃなくて、自分をダメ扱いしていることの方がよっぽど自分をすり減らし、本来うまくいくはずのものをうまくいかせない力があるのですよね。
何か落ち込むことがあった時
「自分だけのせいじゃない」
とか
「自分が悪いわけじゃない」
と思えるだけで、ちょっと安心感があるじゃないですか。
同じように悩んでいたりする人の話を聞いたりすると、少しホッとしたりするじゃないですか。
「あぁ、自分だけじゃないんだな」
って。
その安心感があれば、「じゃあ、これからどうしていこうか」をちょっと前向きに考えられたりすると思うんですよね^^
自己否定が強い時って、それができなくなっちゃってるから、負のループに陥りやすいと思うのです。
自分を知り、自分に合わせて生きる
なので、私は自己肯定の大前提は
「自分を知ること」
にあると思っているのです。
自分はどんな人間なのか。
自分はどんな凸凹があるのか。
自分はどんなことで快や不快を感じるのか。
自分は何に心が動くのか。
そういうことをただ知って、その自分に合ったもの、無理のないものを選択していく。
自分を環境に合わせるのではなくて、自分に合った環境を選んでいく。
ただ、それだけで随分と楽に生きられるようになると思うのです。
そのためには、「これが自分」ということを理解し、受容し、肯定していくことが大切。
だから、自分を否定しなくていいのです。
「自分だからダメなんだ」
って自分を責めなくていいのです。
自分だからダメなんじゃなくて、自分だからうまくいくこともいっぱいある。
そういうものに、どれくらい目を向けられるようになるか。
そういうものを、どれくらい大切に扱えるようになるか。
それだけで結構、自分の人生悪くないって思えると思うんです。
私は、生きづらい自分をどうにかしようとして、心理学とかスピリチュアルを熱心に学んできましたが
心理学もスピリチュアルも、結局は”自分を許すためのツール”なんじゃないかなぁと思っています。
自己否定で狭くなってしまった視野をぐいっと広げて、人間とか宇宙とかの大きな視点から自分を見てみると
「仕方ないよね、にんげんだもの」
「これがこうなってるんだから、こうなるのも当然だね」
「こんな経験をしてきたんだから、こう感じちゃうのもしょうがないね。」
「これが自然の摂理なんだから、どうしようもないよね」
って、実はどうしようもないことがいっぱいある。
それを、自分のせいとして責め続けるのは辛いだけ。
それよりも、「しょうがないこと」をしょうがないと受け止めた上で、だったらどうしていこうかと考えていく方が、きっと建設的。
自己否定している間は、変化するための行動をしなくて済むから、どんなに苦しくてもそこに留まりたくなるのも、ある意味
にんげんだもの by みつを
の世界なのだけど、それじゃ苦しいから一生懸命どうにかしたいともがいているならば。
まずは
「大丈夫、自分が悪いわけじゃないよ」
って、自分に言ってあげるのが良いのかなと思いました^^
何かがうまくいかない自分も
変わらなきゃと思うのに変われない自分も
やるべきことができない自分も
本来、それでオールオッケーなのですよ。
▼すっかり止まっているシリーズでも、同じようなこと書いてましたわ(笑)
うまくいかないのは、今の自分に必要じゃないから。
変わらない自分のままでうまくいくことも、ちゃんとあるから。
やるべきことは、本当はやらなくてもいいことだから。
それよりも、自分でもできること、自分だからできることを、目いっぱい楽しんだ方がいいはず。
それが、自分が自分として生まれてきた人生の意味を、しっかりと味わうということになるんじゃないかと思うのですよね^^
▼ということで、私のカウンセリングでは「自分を知る」ためのお手伝いをしております!(突然のステマ臭)
以上、とある漫画を読んでいて、ふと思ったことをまとめてみました^^
ではまた。
【お知らせ】
2月25日(土)10:00~
「集まれ*ベツレヘムの民よ!(*いい子ちゃんで他人に気を使ってばかりの人)
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近日中に、ブログで告知させて頂きます^^
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