罪悪感で生きるのはもうやめると決めた

罪悪感と無価値感

愛あるみなさま、こんにちは!

サトヒです。

相変わらず、更新頻度が激低ですけど…元気に暮らしておりますよー!

遅ればせながら、先日はオニチクお茶会も無事に終了しました♡

ご参加いただいた3名のみなさまと、ざっくばらんに最近の出来事や感じたことなどをおしゃべりしました。

ついつい一人で考えていると、自信が無くなっちゃったり、不安になっちゃったり、ネガティブな方向に思考が傾きがちですけど

みんな大丈夫だし、プロセスは完璧だし、最終的には自分にとってベストな方向でうまくいくよー!

本当に、世界はそういう風にできているから!

ということを声を大にしてお伝えしたい!という思いが、私の全ての活動の根底にあるなと気づかされたお茶会でした^^

もちろん、私自身もそういう考えをすっかり忘れて、日常生活の中であーだこーだ恐れの渦に巻き込まれたりもしますが(苦笑)

周りの人に話を聞いてもらったり、色んな情報に触れながら、その軸に自分を戻すようにしてます。

私の個人活動も、オニチク活動も、誰かのそんなきっかけのひとつになれたらいいなぁ。

内観がライフワーク

前のブログにも書きましたが、今年の1月から新たな学びを始めていましてね。

元々そこで学んでいるお友達に誘われたのがきっかけだったんだけど。

最初は話をいぶかしげに聞いていたし(すまん)、全然入る気なかったんだけど、ある瞬間に「私に必要かも?」と思って、勢いで飛び込んでみたんですわ。

そしたら今では、自分の今までの学びの集大成みたいな感覚がしてて、めっちゃハマってる(爆)

特に何をするというわけでもなく、ただただひたすら内観を続けるみたいな感じだなと(私は)思っているんだけど

ストレングスファインダーでも「内省」が2位の私なので、元々内観は私のライフワークみたいなもんなので、やってることが気質にフィットしてるのかも。

ただただ、自分の内側を観続ける。

自分の感覚と、その裏にある思考に気づく。

不要なものを手放し、必要な考えに変えていく。

それをやり続けて、自分の幸せを追求していく。

それ自体が、学び。

ほんと、心理学とかスピリチュアルってマニアックな世界よね。

「奇跡のコース」に対する長年の葛藤

で、その教えの根底にあるものが、「奇跡のコース」という本に通じるものがあってね。

「奇跡のコース」(奇跡講座)というのは、私の中で究極のスピリチュアル本っていうイメージがあって、すごい本質的なんだけど超難解なのよね。

個人的には、般若心経に通じる教えって感じがしてる。

▼ご興味あれば(邦訳版が2種類あるけど、公式版のこちらの方が読みやすいそうな)

奇跡講座(上巻)

奇跡講座(下巻)

私がこの本を知ったのは15年以上前なんだけど、当時はまだ日本語に訳されてなくて、そろそろ和訳版が出るかもってタイミングだった。

たまたま通っていたアロママッサージの先生が、その本の存在を教えてくれたのがきっかけで興味を持つようになって

公式サイトにあったワークブックの内容をこそこそ仕事中に見たり、英語版の原書?を手に入れたりして、どうにか読もうと頑張ってたんだけど

当時は今以上に英語自体がよくわかってないのに、そもそも超難解な内容を読むことなど全くできず(笑)

「奇跡のコース」って難しすぎる…

と、本自体への抵抗感が強くなりすぎて、ある種のトラウマになって、お蔵入りしてたんです。

でも、いつかは読みたいなってずっと思ってた。

読めるようになりたいっていう表現が正しいかもしれない。

で、今の学びを始めてみて、その教えの根底に「奇跡のコース」があると知って、改めて読んでみたい!という意欲が湧いたの。自然に。

まず、その自分にびっくりだし、相変わらず言葉の意味はよくわからないけど、感覚的なもので前読んだ時より、ずっと入ってくるものがあるんだ。

ただ、何事も基礎からコツコツ入りたい私なので(英語勉強してた時も、英文法の基礎みたいなところから勉強し直したりしてた)

今は、奇跡のコースに深く関わった人が書いた「入門編」や「解説版」を読み漁って、本編を読むための基礎体力作りに励んでいるような状況です。

そんでもって、それがめちゃくちゃわかりやすいのーーーーー!!!!

本編は、まさに聖書みたいな感じで表現が難解なんだけど、それが一体何を意味しているかを口語的に説明してくれるみたいな本なの。

ワプニック博士のファンになったわー!!!

▼興味ある人はぜひどうぞ

奇跡講座入門 講話とQ&A[新装版]

奇跡の原理 ― 奇跡講座「50の奇跡の原理」解説

罪悪感で生きるのをやめる

奇跡のコースの根幹に流れる思想というのは、ただただ「罪悪感はエゴで、本当の私ではないただの幻想」であるということ(めちゃくちゃざっくり)

そして、その罪悪感という幻想から目を覚まして、この世界を平穏に生きていけるようになることが、人類共通の利益になるとのこと。

私たちの深いところにある、罪悪感の根源というのは、「神から分離してしまった」というものだから、感覚的にはとてもわかりにくいのだけど

私たちは、その根底にある罪悪感を目の前の出来事に投影して、自分を責めることをし続けている。

したこと、しなかったこと、全てを自分を責める材料に使っている。

「私は愛じゃない」って自分を責めている。

自分を責めている間は、とても嫌な感覚がする。

なんか悶々としたり、モヤっとしたり、ザワっとしたりするような時は、必ずその裏に自分を責める思考がある。

どんなに誰かや何かが悪いと思っていても、それと同じくらい自分自身を責めている。

それを「やめる」というのがいかに大切かつ必要かというのが、奇跡のコースのテーマでもある。

私事ですが、最近仕事でめちゃくちゃ嫌な事があってね。

その出来事をきっかけに、私の中の大きな罪悪感に直面したんだけど。

それは、「役に立たない私は存在してはいけない」というもの。

役に立ってないと感じる状況に対して、めちゃくちゃ罪悪感を感じるんよ。

そして、それが「やっぱりそうなんだ」と感じる出来事があると、めちゃくちゃ心を乱されて、怒りと悲しみが爆発するの。

今回の仕事の件でも、そのエゴが刺激されて、それを刺激する発言をしてきた相手をめちゃくちゃ責めてたし、相手を悪者にして自分を正当化しようとしてたんだけど

私の根っこに「役に立たない私はダメだ」っていうのがあるから、正当化しきれないんだよね。

「どうせやっぱり私が悪いんでしょ?使えない私は、いない方がいいでしょ?」

っていう思考になってる。(多分)

だから、だったらやめてやる!とも思うし、そんなこと言う相手は最低だ!って思うし、とにかく心の中に暴風雨が吹き荒れて、いてもたってもいられない感覚になっちゃうのよね。

なにより、怖いし。

そんな体験をして、自分がいかに「役に立たない自分である」ことを責めているかをリアルに体感して、悲しくて悲しくて仕方がなくなったら

「私、こんな風に自分を責めて生き続けるのはもう嫌だ」

って心の底から湧き上がってきたの。

もう嫌だ、私はこれ以上自分を責めたくない。

役に立たないとか、迷惑かけてるとか、自分を罵って苦しめるのはもう嫌だ。

もう、罪悪感で生きるのをやめたい!!!!

そんな風に、立ち上がる自分を感じたの。

罪悪感は人類共通のエゴの考えだから、それがゼロになることは無いと思うけど、出てくるたびに修正して、手放していくことはできる。

私は、そうやって生きていきたいと心底思ったんだ。

仕事でムカついた相手のことは、今でも嫌いだし、嫌だけど(しかも、そういう時に限って偶然社内で鉢合わせしたりして最悪。笑)

でも、私が長年抱えてきた、自分を責める思考をここまで明確に、自分にわかるように出させてくれたという部分については感謝してるわ。(上から目線)

腹立つし、嫌いだから、全然優しくしたくないけどな!!!!!(笑)

読んでる方にはなんのこっちゃって感じかもしれないけど、もう本当に私は心に決めたから、ここに宣言する!

「罪悪感で生きるのはもうやめる」

もし賛同してくださる方がいらっしゃいましたら、ぜひ一緒にチャレンジしていきましょー♡

▼そんな話は全く関係なく久々のあの3人のYouTubeがありますYO!

ではまた。

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