愛されフィルターが創る、愛されることが当たり前の世界【ココロノマルシェ】

ココロノマルシェ

【根拠のない愛され自信がグラついてから怖くなりアドバイスをお願いします】

基本的に、世の中は洗脳と思い込みの産物のようなものでして、自分がそう思えれば、自分の世界ではそれが真実になってしまうものなのです。

逆に言えば、自分がそう思っているからこそ、自分には世界がそうであるように見えるようにできているとも言えます。

根拠なく感じていると思っているその自信が、これまでずっと愛されてきたことの証なのだとしたら、そんな大切なものを、他人の意見によって見失ってしまうのはとてももったいないことだと思うのです。

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ココロノマルシェにご相談頂いた内容に回答しています!

根拠のない愛され自信がグラついてから怖くなりアドバイスをお願いします。
根拠のない愛され自信がグラついてから怖くなりアドバイスをお願いします。 いつからかは分からないのですが、ですがほんの子供...

根拠のない愛され自信がグラついてから怖くなりアドバイスをお願いします。

いつからかは分からないのですが、ですがほんの子供の頃は違ったと思います。

私は異性に愛されるという根拠のない自信があります。
いや、ありました。。。

ですが、少し前に自分がここのとこ好かれてると信じ込んでた男性達が実は私を嫌っているということを、人伝てに聞きました。

本人達に直接言われたわけでもないのに、バカバカしいことなのですが、それから彼らの行動の中に自分を嫌っている要素を見つけるようになってしまいました。

「あっ、今めちゃうざがってたかも」とか「わたしに前ほど興味なさそう」とか。

そう思うと神経過敏というか、私の言動がヘンテコになってきてしまい、それをまた自意識過剰に気にしだす。
といった感じです。

対人関係やメンタルの不調が時間とともに悪化しつつあり、カウンセリングを考えているのですが、色々検索してて発見したこちらにまずご相談してみたいと思い失礼しました。

どうぞよろしくおねがいします。

(高尾山さん)

「自分らしさ」をとことん追求する、ライフワーク研究家サトヒです!

高尾山さんが感じていらっしゃったように、本来「自信」なんて根拠がなくて良いものだと思うのです。

むしろ、根拠なんてのは、自信を持つための言い訳みたいなもんだとも思います。

「~だから、大丈夫」「~があるから、価値がある」なんていうのも、大丈夫、価値があると思うために、自分を信じさせるための理屈にすぎません。

基本的に、世の中は洗脳と思い込みの産物のようなものでして、値段とかもそうですけど、実物の価値はさておき

「これだけ高いお金を出したんだから、きっと良いものである。(と信じたい)」

みたいなことも、多々あるわけですよね。

実際、支払ったものにどれだけの価値を見出すかは、その人次第なのがほんとのところなんですけど…。

というわけで、自分がそう思えれば、自分の世界ではそれが真実になってしまうものなのです。

逆に言えば、自分がそう思っているから、自分には世界がそうであるように見えるようにできているのです。

人間誰しも、そういった”思い込み”というフィルターで世界を見ているんですね^^

ですので、高尾山さんが

>私は異性に愛されるという根拠のない自信があります。

と思えるならば、高尾山さんの世界は「異性から愛されることが当たり前」な世界として見えて当然なのです。

それが、これまでの高尾山さんにとって、疑いようのない事実だったのですから。

自分の思い込みが世界を創る

最近、私は脳科学的なコーチングの勉強をしているのですが、人間の脳というのは勝手なもので

「自分にとって重要なことしか見えない」

ようにできているそうなんですね。ここで言う「重要なこと」というのが、自分の思い込んでいることでもあるわけです。

ちなみに心理学的には、「認知的不協和理論」なんてのがありまして、高尾山さんにとって「異性から愛されることが当たり前」だとすれば、それが正しいと思えるような証拠を、無意識に集めるようになります。

人間は、そうやって自分の考えていることの正しさを、無意識に強化するように動いているわけですね~!

ただ、今は高尾山さんが元々持っていた心のフィルターが真逆に入れ替わってしまったような状態だと思うのですが

そのきっかけが

>少し前に自分がここのとこ好かれてると信じ込んでた男性達が実は私を嫌っているということを、人伝てに聞きました。

という出来事であり、言うなれば、高尾山さんは人伝に聞いた誰かの発言を、そのまま自分のフィルターとして採用してしまったということだと思うのです。

「異性は私を嫌っている」

今の高尾山さんのフィルターは、そう変わってしまったということですよね。

そうするとどうでしょう。

そのフィルターを通ってくるのは、「異性は私を嫌っている」という考えが正しいと思えるような証拠ばかりになります。

これなんか、まさにそう。

>「あっ、今めちゃうざがってたかも」とか「わたしに前ほど興味なさそう」とか。

実際に相手の言動の意図がどうであれ、目に見えるあれこれを、全部「異性は私を嫌っている」という証拠のように感じるようになるんです。

しかも、その思い込みは無意識に自分の行動に影響を与え、元々は異性に嫌われるような要素がなかったにも関わらず、あえて自ら嫌われるような言動を取っていくようになっちゃったりするのが、思い込みの持つ、良くも悪くもすごい力なんですね。

それは例えば、「どうせ私のこと嫌いなんでしょ」と卑屈になってみたり、相手が怖くて素直に近づけなくなったり。

高尾山さんがおっしゃる

>そう思うと神経過敏というか、私の言動がヘンテコになってきてしまい、それをまた自意識過剰に気にしだす。

というのも、その一つかもしれません。

そんな風に、自分自身にどんどん自己暗示をかけて、自分の思ったことを現実にしてしまうような言動をしてしまう心の働きを、「予言の自己成就」なんて風に言ったりもします。

でも、そもそも高尾山さんにわざわざ「男性達が実はあなたを嫌っているよ」なんて言う人がいるのか・・・

そんなん言わなくて良くない!?

ってか、ほんとかよ!知るかよ!うぜーな!

・・・おーっと、つい口が滑ってしまい、大変失礼しました。笑

その話をしてきた人が、高尾山さんとどのような関係の方なのか、詳しくはわかりませんが、そういうネガティブキャンペーンをしちゃう人って、本人は無意識かもしれませんが、おそらく自分と他人をいつも比べて、自己否定が強いタイプの人の可能性が高いと思うんですよね~。

自己肯定感が低いから、相手の価値を認めることができない。

他人と自分を比べるから、比較競争の罠にはまって、嫉妬深くもなる。

以前は、高尾山さんに「異性に愛されるという根拠のない自信」があったということなので、それもまた先ほどの”予言の自己成就”によって、実際に異性からちやほやされるような環境を作り出していたのだと思います。

それを傍目に見ていた人の中に、うらやましいとか、そんな風になりたいと思うと同時に、「そうなれない私はダメだ」と勝手に自己否定しちゃった人がいたのかもしれません。

その人にとっては、高尾山さんの庭の芝生が青すぎて、まぶしくて、それがうらやましくてどうしようもなく、高尾山さんを引きずり落とそうと、勝手に庭に浸入して、除草剤を撒きに来たみたいな感じなのかもしれません。

「うちのが枯れてるんだから、そっちのも枯れて当然だ!」

うーん、ひどいとばっちりというか、はた迷惑もいいところなんですけど…

高尾山さんからしてみれば、カンベンしてよ~って話だと思うのですが、悲しいかな、そういう人って、どこでもある程度いるもんです。

ただ、それはその人の問題であって、高尾山さんには関係ないことなので、勝手に自己否定と戦っている人の意見を積極採用して、自分の持つ青々しくステキに育った芝生を、わざわざ枯らすような除草剤を、両手を広げて受け入れる必要なんてさらさらないはずですよね~!!!

愛される自信=愛されてきた証

これまで高尾山さんが感じてきた「愛されることへの根拠のない自信」って、きっと高尾山さんが十分に愛されてきたということの証拠だと思うのです。

それが「異性」ということならば、もしかしたら身近な男性、お父さんだったり、おじいちゃんだったり、兄弟がいるならばお兄ちゃんや弟が、高尾山さんを大切にしてきた証拠だと思うんです^^

幼少期から、男性が自分を大切にしてくれると思える環境にいたからこそ、それを疑いようのない信念として、自分の心で大切に育ててこれたんだと思うんですね。

自分では根拠がないと思っていても、実は根拠を忘れてしまっているだけなのかもしれません。

自分が愛されると思うに値するだけの、たくさんの愛情を一身に引き受けてきたからこそ、今自信を持つことができている。

それを忘れてしまうのは、高尾山さんの人生にとって、すごくすごくもったいないことだと思いませんか??

誰かの嫉妬という一時的な気の迷いで発された言葉を、高尾山さんが採用する必要など全くありませぬ!!!!!

これまでたくさんの愛を注いでくれた、高尾山さんの大切な人たちのためにも、「私は愛される」という自信を、今一度取り戻してあげませんか?

無意識にでも、自己保身のために相手を傷つけるようなネガティブキャンペーンをしちゃう人と、自分を信頼し、たくさんの愛情を注いできてくれた人たちと、高尾山さんにとって、どちらが人生にとって大切な人でしょうか?

高尾山さんが感じてきた自信は、これまで受け取ってきた愛の証です。

そんな大切なものを、自分をうらやみ陥れようとする何者かに、明け渡す必要はありません。

誰がなんといおうと、高尾山さんは愛されてきたし、愛されているんです。

それを、高尾山さんにとっての世界の真実にしていていいんです。

自分が幸せを感じられるフィルターは、自分で選んでいいんです。むしろ、自分にしか選べないのです。

それもまた、自分を大切にする生き方であり、自分を信じて生きる、つまり自分軸の生き方なんだと思うんですよね。

そして、自分にとって都合のよい思い込みを採用することが、実は幸せの秘訣だったりするのかもしれないと、私はこっそり思っています^^

高尾山さんが、本来の自信を取り戻し、愛されて当たり前な現実を楽しめることを祈っていますね!

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