愛あるみなさま、こんにちは。
サトヒです!
せっかく久しぶりにセッション募集中なので、ついでにブログも書いてみようかなと思いつきました♡
実のところ、ここ1年ほぼブログが書けずにいて、音沙汰無しな感じだったのですが
とあるヒーラーさんの元で修行をしていました(笑)
(そっちの方でアウトプットすることが多くて、ブログにまでエネルギーが向かなかったというのも事実…)
いや、修行っていうか、ただただ「自分を観る」練習をし続けてただけで
ヒーラーになりたいとか、ヒーリングを勉強したというわけではありませんが。
でも、私なりにヒーラーとかヒーリングってなんだろうな?ということに思いを馳せた一年でもありました。
だって、ヒーラーとかヒーリングって言葉が、なんか怪しく感じるやん!(笑)
スピ好きなので概念そのものは嫌いじゃないけど、世間的に使われるその言葉にくっついてくるイメージが、あまり好きじゃないというか、胡散臭さを感じちゃうというか。
でも、それが何なのか?がわからないから、そのわかりにくさが自分の中で気持ち悪くて、それをヒーリングという言葉のせいにしているのかもしれないとも思ったので
私なりにヒーリングというものをどう捉えたら、そのうさん臭さを感じずに済むのか、その落としどころを探していたような1年でした。長いな。
ヒーリングの本質とは
で、私なりに落ち着いたのは
ヒーリング=視点を変えること
だという解釈です。
私が今学んでいる所の教えは、「奇跡講座(A Course in Miracles)」という本に書かれている概念に通じるところがあると私は感じているので
今回の学びをきっかけに、奇跡のコース(ここでは奇跡講座)について学ぶことも始めていました。
講座との相乗効果で、本当に意味が捉えやすくなったのが私的うれしいポイント!
前にもブログに書いたけど、奇跡講座は私にとってちょっと特別な本で
長年、近づきたいけど近づけない、読みたいけど読めない、そんな感覚がある本。
いわば、私にとってはスピリチュアル的・心理的学びの集大成ってイメージがあったんですよね
そのくらい、超上級編って感じがしてた。スピリチュアル検定1級目指すみたいな(笑)
だから、いまだに本編は読んでいなくて、周辺の解説本ばかり読んでいるのだけど
▼個人的にはこの2冊が最高にオススメ
それでも、やはり編集に携わった人の解説は本質が理解しやすいように思っていて
まだ読んでないにも関わらず、つまりどういうことが言いたい本なのかというコアな部分だけは、なんとなくわかるような気がしてきたところです。
私にとって、奇跡講座って西洋版般若心経みたいなイメージなんですよね~
そのコアとなる概念は、「目に見えている(私たちが体験する)すべては幻想である」ということ
それがまさに「空即是色、色即是空」っぽいわけですよ。
で、私は仏教的教えに、厭世感というかこの世が幻想であることへの虚しさのようなものを感じるのですけど(あゝ無常感というか…)
奇跡講座の方は、どうして幻想を幻想と見抜けないのか?という認知の歪みとどう付き合うかの指南書っていうイメージがあります。
その辺が西洋っぽいのかな?わからんけど。
と、話がズレちゃったのですが、その最近の私のバイブル「奇跡講座」における「奇跡」って何を示すのかというと
奇跡=知覚の訂正だと言われています
知覚の訂正ってなんやねーん!ってなると思うんだけど
シンプルに言うと、「事実に対する解釈を変える」っていうイメージかな?
私たちは出来事を体験した時に、感情や感覚を感じるわけだけども
それをきっかけに出てくる考えを、自分を幸せにしない考えから、自分に優しい、自分にとって都合の良い考えに変えるって感じとも言えるでしょうか。
え、それが奇跡なの!?って感じがするけども
(奇跡っていうと、なんかすごいもの想像するじゃない?海が割れて道ができたとかさ…)
そのくらい、奇跡はシンプルで日常に溢れているものだったりする感じが、すごく好きだなと私は思っています。
で、その奇跡は「癒し」とも呼ばれていて、それがまさにヒーリングやん!っていうのが、最近の私的ヒーリングの解釈としてしっくり来るものだったのでした。
自分を癒す視点の転換
自分を幸せにしない考えをやめて、新しい考えに変える
ただ、今の自分の気分を(良い方に)変える
それが、ヒーリングの本質なんだとしたら、それもまた奇跡同様、イメージするほど仰々しいものではなく、私たちが自然に、無意識にやっていることだったりもすると思えるんですよね
例えば、落ち込んでいる友達がいて、お茶して話してたら
あれ?なんかちょっと元気になったわー!
っていうのもヒーリング
すごく悶々と一人で考え込んで、にっちもさっちもいかないー!と思っていた時に、ふと目に入ったおもしろ動画を見て笑ったら
とりあえず、悩んでいたことがどうでもよくなったわー!
ってなるのもヒーリング
そのくらい、ヒーリングってささやかで、でも力があって、誰でもどこでも起こりうるものって考えたら
なんか、個人的ヒーリングへのうさんくささが減った気がしてるのです
そう考えると、ヒーラーとかヒーリングという言葉に隠された、「特別性」に違和感を感じていたのかもしれないと思いました
だから、もちろんカウンセリングがヒーリングになることもあるし
何かを学ぶことがヒーリングになることもあるし
誰かと会話することがヒーリングになることもあるし
もう、なんでもかんでもヒーリングにつながる可能性はある
それをヒーラーとして施す側も、はい!今からヒーリングしますよ!と公言してやることばかりではなく(そうしたっていいけども)
なんかわかんないけど、気づいたら気分が変わってたってなったら
もうヒーリングしてたってことになるんでしょうっていう結果論の方が好き。
つまり、本人の自覚があろうとなかろうと、相手が勝手に癒されてたら、何かしらヒーリングをしたんだなってことでいいんちゃう?
と思っている私
人を自然に癒せる人って、やっぱり自分にも人にも優しい人だと思っていて
その優しい視点を、誰かに届けることが最もヒーリング効果抜群っていうか
だから、あえて人を癒そう!ヒーリングしよう!って思う必要すらないんだろうなとも思う
徹底的に自分を観て、寄り添って、フラットにいることができたなら
その人のそばにいるだけで、勝手に波動みたいなものが調整されて、自分に優しい考えを取り入れて気が変わるってことが起こるんですよね
最近、そんな雰囲気の人と話すことで感じていたことでもあります。
そんなこんなで、カウンセリングはまだ空いておりますYO♡(WOW!壮大なステマ感!!)
ではまた。
コメント