【自分らしさにどうしても抵抗がある】
子供は無条件に親が大好きなので、無意識に親の期待通りに生きようとしてしまうものです。ただ、そんなご両親への愛情こそが、自分自身を縛る鎖にもなり得るのです。
その鎖を、自らの手で解くことを、私は親からの”精神的自立”と呼ぶのだと思っています。
親がどう思おうが、何を言おうが、「これが私だし、この私がいい!」と言える自分になること。親の期待する人生ではなく、自分が生きたい人生を生きること。
それが、自分らしさを取り戻すことであり、自分軸を立て直すことだと思うのです。
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ココロノマルシェにご相談頂いた内容に回答しています!
こんにちは。
こちらで自己肯定感などを学ばせて頂いてます。私はありのままの自分に価値を感じないのと、反比例するくらい強く多分個性というか、自分らしさが強い方だと思います。
というのは、人に会う時はしないけど、一番しっくりする格好はこれだ、とか、人とは共有しないけど、一番興味がある分野はこれだ、というのがあります。
客観的に見たら、別にそれほどその自分がしっくりする感覚は反社会的でも後指刺されるようなものでもなく、むしろどちらかと言えば好感持たれるような部類かもしれないのですが
どうして、抵抗があるかと言えば一言で言えば「ダサい」「面白みがない」「古臭い」と感じるからです。
また、自分がしっくりする感覚とは違う、もっと現代的なものにワクワクしたりかっこいいなぁ、刺激されるなぁと思います。
ですので、それは精神的に親から自立出来てないから同年代が自然に好きなるものより、クラシックで保守的なものに惹かれるのかな、、とか。
好き、というより、なんというか、しっくりくるんだよなぁ〜という感覚なんです。
私にとって「好き」は私の「外」にあるものなのでだから、私の外にある「好きなもの・ワクワクする憧れるもの」と、「自分のしっくり」の間に橋をかけようとするのですが、うまく行きません。
自己肯定感と、親からの精神的な自立の問題で頭がぐちゃぐちゃで、ご相談させて頂きました。
御指南頂けたら幸いです。
(ミトンさん)
「自分らしさ」をとことん追求する、ライフワーク研究家サトヒです!
>私はありのままの自分に価値を感じないのと、反比例するくらい強く多分個性というか、自分らしさが強い方だと思います。
ミトンさんは自分の価値に自信はないけれど、自分らしさをちゃんと感じることができているということですよね。
きっと、本来のミトンさんはとても独創的な感性を持っていて、自分の好きなことを心の底から楽しめる、豊かな才能がある人なんじゃないかなぁと想像しました^^
そもそも論ですが、好きとか、楽しいとか、ワクワクみたいな感覚って、頭で思考的に考えようとすると、ワケワカメになっちゃうものだと思うんです。
恋人の好きな理由とか好きな所をアレコレ頭で考えているうちに、好きかどうかがよくわからなくなっちゃうみたいなことってありません?(笑)
そのくらい感覚とか感性って繊細なものなんですよね。
それに、言葉ってとても限定的なものですし、人によって言葉の定義も違うものです。
つまり、「好き」をどう感じるかは、人それぞれなんじゃないかと思うんです。
ある人にとっては、「好き」ってじわーっと心が温かくなるような気がするものかもしれないし
ある人にとっては、「好き」はすごく自分をドキドキさせてくれるものかもしれません。
はたまた、面白くて笑えるような感覚を「好き」と呼ぶ人もいるかもしれません。
>私にとって「好き」は私の「外」にあるものなので。だから、私の外にある「好きなもの・ワクワクする憧れるもの」と、「自分のしっくり」の間に橋をかけようとするのですが、うまく行きません。
と書かれていますが、そもそも「憧れ」と「しっくり」は根本的に違うような気もしますし、そこは無理につなげなくてもいいんじゃないかな?とも思います。
もちろん、自分にとっての「憧れ」を少しずつ自分の世界に取り入れていくことで、いつしか自分の「しっくり」に変わっていくことだって、十分にあり得るんですけどね^^
ですので、まずは「好き」という言葉にあまりとらわれず、自分にとって心地よい感覚を、大事にしてみたら良いのではないかな?と思いました。
>好き、というより、なんというか、しっくりくるんだよなぁ〜という感覚なんです。
と書かれているので、きっと自分に”しっくりくる感覚”を、ミトンさんは「好ましい」とか「好き」と感じるのかもしれませんね^^
まずは、その自分らしい感覚を大切に育てていって欲しいなぁと思うのです。
>私はありのままの自分に価値を感じないのと、反比例するくらい強く多分個性というか、自分らしさが強い方だと思います。
と書かれているので、ミトンさんは、きっとその自分らしい感性や個性を、自分自身で受け入れきれずに持て余してしまっているように見えるんですね。
本当は自分が好きなものも、しっくりくるものも、自分でちゃんとわかっているのだけど、周りの目が気になってしまって、それを堂々と表現できないことに、息苦しさや不自由さを感じているんじゃないでしょうか?
自分が本当に好きなものを、なんとなくダメなもの、恥ずかしいものだと感じ、なんとなく隠したくなってしまったり。
周りの同年代の人たちが一般的に好むであろう物を心から好きだとは感じられない自分に違和感を覚えてしまったり、自分には手の届かないもののように感じて、眩しく見えてしまったり。
どこか、そういう感覚があるのではないかと思うんですね。
自分にとってしっくりくるクラシックで保守的なものを、自分で「ダサい」「面白みがない」「古臭い」と感じてしまうのはどうしてなんでしょう?
自分の好きなものを、無意識にダメ出ししてしまうような心の癖があるのだとしたら、それはいつ、どんなきっかけで身に着けてしまったのでしょう?
もしかしたら、ミトンさんが絶賛向き合い中の「自己肯定感と、親からの精神的な自立の問題」のヒントが、そこに隠されているのかもしれません。
誰かの目が気になったり、誰かの意見に合わせてしまうことを、「他人軸」なんて風に言いますが、心理的に「他人軸」の根本にあるのは、親子関係だったりします。
幼少期に身に着けた親の顔色を窺う癖が、大人になってから周囲の人間関係で再現されてしまうことが多いのです。
もしかしたら、ミトンさんが無意識に自分の素直な感覚を否定してしまうのは、ご両親から感じていた期待と、自分の本心にズレがあったからなのかもしれません。
親子関係の中で、ありのままの自分は否定されるとか、本当の気持ちは受け入れられないとか、素直な感覚は恥ずかしいものだといった気持ちになるような経験が、何かしらあったのかもしれません。
子供は無条件に親が大好きなので、無意識に親の期待通りに生きようとしてしまうものです。そうすると親が喜ぶということを、成長過程の中で、感覚的に学習しているんですよね。
ただ、そんなご両親への愛情こそが、自分自身を縛る鎖にもなり得るのです。
その鎖を、自らの手で解くことを、私は親からの”精神的自立”と呼ぶのだと思っています。
親がどう思おうが、何を言おうが、「これが私だし、この私がいい!」と言える自分になること。
親の期待する人生ではなく、自分が生きたい人生を生きること。
それが、自分らしさを取り戻すことであり、自分軸を立て直すことなんです^^
そのためには、まずはミトンさんが「しっくりする」と感じるものを、自分自身で受け入れてあげることが第一歩になるのではないでしょうか?
ダサくてもいいじゃない。
面白味がなくてもいいじゃない。
古臭くてもいいじゃない。
だって、私はこれが好きなんだし、これがしっくりくるのが自分なんだから!
みんなと同じでなくてもいい。
憧れるような人になれなくてもいい。
私は私、他人は他人。
親の期待に応えられなくてもいい。
親の求める子どもでなくていい。
私は私、親は親。
そんな風に、自分と他人を切り離し、自分の一番の味方になってあげること。
そうすることで、少しずつ自分らしさを外側に表現することへの怖れが減っていくと思います。
自己攻撃こそが、誰よりも自分の心を傷つけ、臆病にさせるものだからです。
ですので、誰かの目が気になるような時は
「私は私、他人は他人」
を、呪文のようにぶつぶつ唱えてみてくださいね^^
ミトンさんが、隠し持っている自分らしい魅力を、誰の目も気にせず伸び伸びと表現できる自分になれることを、心から祈っています!
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