愛あるみなさま、こんにちは!
サトヒです。
つい先日、産後8週が過ぎまして、制度上育児休暇期間に入りました!
産後8週間は「産褥期」といって、出産後の身体(主に子宮の大きさ)が妊娠前の状態に戻っていく大事な時期と言われています。
また、その期間は「産後休暇」と呼んで、法律上、原則的に就業が禁止されている期間なのですね。(いわゆる産休というのは、出産6週前~産後8週の期間のお休みのことを言います。)
それを過ぎたということはつまり、私の身体も妊娠前の状態に戻りつつあるということですね~。
確かに、子どもの生活リズムができてきたことから、自分の行動の計画を立てやすくなったり、体力が戻ってきたこともあって、近場ですが散歩したり買い物に出かけたりということもしやすくなってきました^^
体重はあと一歩というところですが、妊娠前のズボンが入るようにはなりました。(しかし、骨盤が開いてて、履くのがキッツイ)
とはいえ、毎日ねむーい!!のは変わらなく、調子に乗って、ろくに昼寝もせず動き回ったりすると、夕方頃からすこぶる不機嫌になって、家庭の精神衛生上よくありませんので、とにかくなるべく身体を休めるように、とは思っています。ほら、いいお年頃なんで。
やっぱり、家族関係の肝はお母さんの機嫌次第ってことが身に染みます…。機嫌悪くて優しくできない自分も嫌になっちゃうしね。
だからこそ、世の母たちには、何よりも自分のご機嫌取りに全力を尽くして欲しい!と切に願いますね。(家族への愛が強いが故、罪悪感との戦いにもなりがちなのが辛いところですけど。)
しかし、今でこそ育休なんて2年まで延長できるようになりましたけど、育休が無かった時代に仕事をしていた女性の皆様は、産後8週過ぎたら普通に現場復帰してたりするんですよね。
以前、育休制度が無かった頃から働いている大先輩の同僚女性から、授乳できないせいで仕事中に胸が張るので、トイレで搾乳してたなんて体験談を聞いたこともあります…!
そりゃ、結婚やら出産で仕事辞める女性が多かったのもうなづけますな…。社会の前提として、女性がバリバリ仕事するっていう考えが無かったんでしょうね。
そんな話を聞くと、今でも十分とは言えない部分も多々あれど、その当時に比べたら、きっとずっと女性が生きやすい、働きやすい世の中になってきたのではないかな?と感じますね。
それもこれも、先人たちが道を切り開いてくれたおかげです。ほんと、ありがたや。
お金さんと素敵なお付き合いがしたいの!
と前書きはここまでにして、今日は久しぶりにお金の話です!
というのも、カウンセラー仲間のヤタパイセンが書いていたブログが面白くて、自分のお金に対する価値観について、改めて考えさせられたからなのであります。
こちらのブログによれば、パイセンは「目に見えないもの」にお金を使うのは抵抗がないけど、「目に見える物」=つまり「物質」にお金を使う事に抵抗があることに気付いたらしく。
なもんで、それを乗り越えてみよう!と、高額な時計を購入するチャレンジを自分に課してみたのだそうです。
結果、とっても素敵で、パイセンらしい時計を無事購入できた、かつその後のお金・仕事関係の巡りが良くなってすごい!という話なんですが(ほんと、面白いので読んでみて)
私も自分自身を振り返ってみると、ヤタパイセンと同じく「物質」よりは「目に見えないもの」への支払いのハードルが低いんですよね。
だから、セミナーとか、資格とか、体験とか、そっちの方には結構すんなりお金を使っちゃう。
もともと、家に物が増えるのが好きじゃないということもあるから余計かもしれません。
とはいえ、私はきっとヤタパイセンよりは物欲が強いと思うので、なんだかんだ言いつつ、アレコレ買ってはいるのですが
物を購入する時にはかなり「お金軸」になってしまって、自分が「欲しい」という気持ち以上に、「金額」が気になってしまって
なるべくリーズナブルに、自分が本当に欲しいものにより近いもの
を選びがちなんですよね~。
この「より近いもの」っていう感覚が実は曲者で、結局自分が一番欲しいものなわけではなかったりするので(一番欲しいものは高すぎると思って遠慮してしまったりする)、どこか満たされない感覚が残って、また似たような違うものを買っちゃったりするんですよね~。
私は、アクセサリーが好きなのですが、本気で高いものはなかなか買えないので、ついちょっと頑張れば買えるみたいなものを選んで、すぐ飽きちゃって使わなくなったりとか。(とはいえ、高いものは高いもので、もったいなくて使えなくて、タンスの肥やしにしちゃったりもするから、どうなんだ。)
そもそもですけど、私は18歳で初めて一人暮らしをした頃から、自分の中に「お金に対する漠然とした不安」があることを感じてきたんですね。
不安が強いので、基本的には守りに入って節約に走るのですが、節約生活って、ある意味我慢の連続でもあるので(節約自体を楽しめる人は別ですが)、お金が貯まる以上にストレスが溜まっていくわけです。
ちなみに私は当時、親からの仕送りで生活していたのですが、光熱費をケチって節約しようとして、暖房とか水とかなるべく使わないようにしてたら、めっちゃ心がすさんで病んだので、光熱費の節約は全くオススメしません。(苦笑)
自分の快適さと引き換えに、わずかながらの節約をして、それでストレスが溜まって、むしろ散財に走る、みたいなことを繰り返していたように思います。
だから、不安だから貯金しようと思っているはずなのに、結局大した貯金もできず、ますます不安を募らせるという悪循環…!!!
まぁ、いくら貯金があっても不安はきっと無くならないっていう根本的な問題もありますけど。
その後も、自分のお金に対する不自由さや、不安感に振り回されている感じが嫌で仕方なかったので、「不安は無知が生み出すものである!」という持論を振りかざし、FPや簿記の試験勉強をしたり、自己啓発系・スピ系のお金の本を読みまくって、知識武装と試行錯誤を繰り返してきました。
▼当時の試行錯誤とその結果については、こちらに書きました。
涙ぐましい努力の結果(?)、現時点で「貯める・増やす」という面では、それなりに自分に合う方法を見つけたつもりなのですが、「使う」というのがまだまだ難しくてですね…。
これでも、随分お金を使うハードルを下げることはできていて、とにかくなんでもかんでも「お金軸」で金額優先っていうのは減ってはきている実感もあるのですが。
余談ですけど、未だに後悔しているのは、新婚旅行なんですよね~。
新婚旅行は、ドイツと南イタリアに行ってきたのですが、当時とにかく節約第一だった私は、プランを決めて、宿も電車も手配してっていうことを全部自力でやったんですね。(外注する手数料がもったいないみたいな理由)
その結果、この日程でこの行程でこの価格!?みたいな結果は打ち出すことができたのですが
全然、新婚旅行っぽい優雅さが無い!!!!
学生の貧乏旅行か!っていう(笑)
でも、その当時の自分は満足してたんですよね。これだけの経験をしたのに、お金をこれしか使ってない私、すごい!みたいな。
一体どんだけ、お金軸なんでしょう。
その後、友人が新婚旅行でウィーンに行ったのですが、オペラ鑑賞や豪華なディナー、五つ星ホテルの滞在などなど…これぞ新婚旅行!みたいなことをやりまくってた話を聞いて、「あれ?私のって?」と振り返って驚愕しましたよ…。
今でこそ、奮発して高級ホテルに泊まるなんてことも(恐る恐るですが)できるようになってきましたが、それもここ数年の話ですし。(笑)
アクセサリーとかファッション雑貨とか、ちょっと良いものを自分に買い与えられるようになってきたのも、本当に最近の話。
手に入れたものの価値をすっかり忘れて、貯金残高の目減り具合ばかり気になってしまう私は、まだまだお金軸を手放せそうにありませぬ。(涙)
自己肯定感とお金の価値観
そもそも自己肯定感が低いと、自分を大切にするということが難しいので、無意識に自分に我慢させるし、自分の欲求を素直に満たしてあげようっていう発想にならないんですよね。
結局、お金軸っていうのは、自分よりお金の方が大事って意識のことだと思うので。
以前、TVの買い替え話で、夫とのお金の価値観の違いについて書いたのですが
夫は自己肯定感がめっちゃ高い人なので、金額以上に自分が感じる価値を優先できるんですよね。
最近では、車の買い替えの話で揉めに揉めているのですが(笑)、私にとっては車はただの移動手段の一つであり、消耗品なのですが、車が趣味の彼にとっては全くそうではなく。
車を選ぶ時に重視するものが、私にとっては「価格」なところ、彼は「安全性」だったり、もちろん「見た目」だったり、それ以外にも自分にとっての「乗り心地」とか「操作性」なんかも見てる。
あと、驚いたのは「資産価値」。数年後売ることを考えて、値落ち率?なんかも見てたりする。
車に興味のない私にとっては、全くもってどーーーーーーーーーーでもいいことですし、基本的に、何事もこだわりが強い方が決めた方が平和だと思う節があるので、できれば全部夫に丸投げしたいところなのですが
私もたまには乗らなければいけないし、そもそも出資元は家計になるので、なんでもかんでも「あなたの好きなようにして!」とは言えない事情もあるんですよねえ。そこが結構葛藤していて。
とにかく「価格」が気になる私は、夫にいくらくらいなんだと聞いたのですが、まだハッキリしないと言いつつ提示してきた金額が、口に出すのも憚られるほどに恐ろしい金額で…!!!
おのれは家計を崩壊させるつもりか!!!!老後と教育資金はどうするつもりだ!!のたれ死んだらどうしてくれる!!
と、元々持っているお金の不安が煽られたのもあり、車の話をするたびに超絶ブチ切れモードになる私。
夫は夫で、自分は好きな車に乗らせてもらえないと不満を募らせ、私の素朴な?(悪意のある?)質問を「反対意見」と捉えて、猛反撃してくる始末。10倍返しかよ!!
とまぁ、久々に揉めに揉めましたよ…。私号泣、娘ドン引き。しかも、産後のメンタル不安定な時期にやめてくれよっていう。
▼思わず、Twitterでつぶやいた
とはいえ、とはいえですよ。
夫の唯一と言ってもいい趣味が「車」であることを知っている、根が超絶良妻賢母な私は、なるべくだったら夫が満足できるものを選ばせてあげたいって気持ちがあるんです、これでも。
なんだけど、いくらなんでも…っていう金額に対して、不安を感じざるを得なく。
あぁ、また私はお金の不安に振り回されている…と思って、泣きながら夫にその不安を伝えたんです。
「これまで少しずつ少しずつ貯めてきたお金が、一気に無くなることが怖い」
「老後や教育に、いくらお金が必要なのかわからないからこそ、とにかくお金を貯めなくちゃと思ってしまう」
「貯めたお金をどんな風に使っていいかわからない」
などなど。
それを聞いた夫のセリフを、どうぞご唱和ください。
「死に金をずっと持っててどうするつもり?」
SHI・NI・GA・NE!!!!!!!
私の辞書に無かったワードが突然出てきて、びっくらこいたわ~。
たしかに、「いつか」のためのお金は、いつどうやって使っていいかわからないのは事実…。
不安だから貯めてるけど、いつ何のために使うつもりなのかが、自分でもよくわかってないで貯めてる。
(せかいじゅのしずくとか、ラストエリクサーとか、集めるだけ集めて、全然使えないのと似てる気がする。→わかる人だけわかればよろしい。)
そして、お金は流れだから(どちらもcurrency)、循環させることが大事だというスピ的な話もよく知っている。
思えば、夫の両親は仕入れ販売的な商売をしていた人なので、「損して得取れ」じゃないですけど、先行投資的な意識が高い気がするんですね。
やはり、夫もそういう感覚を受け継いでいる気がするのです。それが、私には全く無かった感覚。
長年お金の不安と向き合ってきて、ちまちまと使えるお金の金額を増やしてきて、どうにか二桁のお金を出せるようになってきたけれど(ほら、弟子講座とか)
ここに来て、三桁の壁がやってきたーーーーって感じ。
あぁ、これがヤタパイセンの言うチャレンジなのかしら…。
よく考えてみると、自分の中で「これには○○円くらい」という、漠然としたリミットがあることに気がついたんですよね。車だったら、いくらくらいまで、みたいな。皆さんもあります??
それって、ある種の安心領域なんでしょうね。自分でコントロールできると感じられる領域。コンフォートゾーンってやつ。
人生を変えるためには、自分の安心領域を超えていくことが必要なのだとしたら、今回のこれは私にとって、人生を大きく変えるチャレンジになるやもしれぬ…。
大きなお金を出すことはもちろん、夫を信頼して身を任せるっていうのもチャレンジなのかもしれない…。
なぜ夫にはお金に対する不安が無い(少ない)のか、ということについては、TV問題勃発時に分析した通り、育ってきた環境というのが大きいと思っているけど
根本的な自己信頼感、使ったお金以上を稼げる自信みたいなものもあるような気がしたんですよねぇ。
ここで、そのくらいのお金を出しても問題ないと、自分の未来を信用する力というか。それをちゃんと回収できる自分の稼ぐ力への信頼というか。
それこそが、自己肯定感によって支えられている自信みたいなものなんだと思うのです。
同じ船に乗っている身としては、手放しで身を任せきれない部分もあるけれど、そういった自己肯定感だったり、お金の価値観については、学ぶことが多い夫なのですよね。
とはいえ、次の車検まで2年あるので(こないだ車検を通したばかり)、お金の不安を乗り越えて、夫に丸投げチャレンジへの腹を括れる時がくれば良いなぁと思います。
さて、車を買い替えたら、我が家の金巡りは良くなるのでしょうか…!?(結果はあくまで結果なので、先にそれに期待すると本末転倒になるから注意が必要。笑)
次回の報告に、乞うご期待。(!?)
と、そんな私みたいにお金を使うことに抵抗がありまくりーぬな皆様にオススメの、シショーのお金講座があるらしいですよ。
告知を読めば読むほど、私のことかと思わざるを得ない…。シンクロ率の高さに、シショーの手のひらで転がされているようで悔しい。(笑)
全く意図せずのステマになってしまいましたが(弟子の鑑!!)、お金って色々な思いを投影する分、問題が根深いわよね…と思う私でありました。
講座受けようかな…リアルタイムで見れなくても後で見れそうだし。迷っちゃう~。
ではまた!
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