女性らしさを褒められても嬉しくない理由…女性としての自分は好きですか?【お悩み相談室】

お悩み相談室

愛あるみなさま、こんにちは!

梅雨入りしたし、突然暑くなったし、季節の変わり目いかがお過ごしでしょうか?

すっかり開店休業状態なカウンセラーサトヒですが、めちゃくちゃ久しぶりに「サトヒのお悩み相談室」へのご相談を頂きました!!

どうもありがとうございます!!水を得た魚のように、張り切って参りたいと思います。

初めて相談させていただきます。サトヒさんの言葉はするすると心に入ってきて、周波数が近いのかな〜。なんて勝手に嬉しく思いながらブログ拝見しております。

私は3人妹弟の長女で幼少期から大抵のことは要領よくこなせる優等生タイプです。両親共に愛情溢れていますが、母は私に母親を求め、父は過保護の過干渉で完璧主義で支配的な人です。

長く良い子で居続けた結果幽体離脱状態で大人になりました。罪悪感と無価値感満載ですが、自分の人生を生きようと絶賛もがき中です。

昨年人生最大の心の危機に直面し根本師匠の本やサトヒさんのブログで自分と向き合いどうにか乗り越え、少しずつ本当の私を取り戻せてきました。

現在は販売の仕事をしており半年前入った職場は、器用貧乏を発揮して入ってすぐ上司からは”奇跡の新人”と絶賛されました。笑

同僚は女性ばかりで(噂話や嫉妬だらけ)価値観の全く異なる人たちで入った当初は宇宙人気分でした。

そんな中、最近よく感じる感情とどう向き合えば良いのかわからず相談させていただきたいのです。

重要なお客様のご案内で上手くいき、やりがいを感じていた時に「美人でスタイルが良い人に弱い」等とお客様から言われ、更に上司も調子を合わせて乗っかられた時にものすごく屈辱的な気分になりました。似たような事が多々あります。

悪意のない社交辞令的だとわかっていても、すごく悔しいです。職場以外でも「美人だから◯◯」のようなことを言われることが増えた気がして、毎回屈辱感が込み上げます。

女性性が私の抱える問題に関係ある気はしますが、ブログを拝見していても女性性がテーマ記事や課題だけは無意識のうちにスルーしています。

女性性のワークにある憧れの女性を見つけられたことがありません。憧れを抱くのは男性の偉人ばかりです。強いて言えば生身の人間ではないですが峰不二子でしょうか…

小さな時から男の子と遊ぶ方がわくわくしてました。女の子としてではなく対等に男の子の輪に入りたいという思いが強かったです。実際はそんな事は難しく、大学生頃は恋愛対象にされることが多くずっと悔しかったです。

感受性が強く喜怒哀楽は激しいですが、理論脳で情報交換や議論が好きで男性との会話の方が楽しいです。恋愛は情熱的な恋愛ばかりで恋人といる時だけ唯一女の子になれます。長く続いた事はありませんが…

女性の共感トークが苦手で、女友達はできにくいです。話が噛み合わず私が相手に苦手意識を持っちゃうことも多いです。それでも大切な同性の友人はもったいないほどいます。

関係あるかわかりませんが、思春期の頃に性的暴行を受けたり、様々な嫌な出来事があり男性恐怖症で外を出歩けなかった時期があります。

以上長々と散らかった文章になってしまいましたが、この屈辱感とはどう向き合えば良いでしょうか。女の子を楽しみ、本来の私を生きたいです。どうぞお力添えをいただけないでしょうか。

サトヒさんが健やかな日々を送れますよう、祈っております。

(Mさん)

Mさん、勇気を出してサトヒのお悩み相談室のわかりにくい門戸を叩いて頂き、ありがとうございます^^(上部バナーに、こっそり入り口がございます。)

>サトヒさんの言葉はするすると心に入ってきて、周波数が近いのかな〜。なんて勝手に嬉しく思いながらブログ拝見しております。

いやはや、類は友を呼ぶと言いますか、私の文章をスムーズに読んで頂けるということは、やはりタイプが似てるとか、周波数が近いとか、フィーリングが合うとかいうことがあるのだと思います^^文章から感じる空気感ってありますものね。

Mさんが私に対して、何か親近感のようなものを感じてくださったのなら、とても嬉しいです^^

さてさて、長年「イイ子ちゃん」をやってきて、実際に軽々と仕事をこなす優等生。その上、美人でスタイルも良く、かつ性格も良いなんて、天は一体Mさんに何物与えたら気が済むのでしょうね…。(軽い嫉妬!?嘘です。)

「奇跡の新人」なんて、そんじょそこらの人が受け取れる称号じゃございません。

とはいえ

>罪悪感と無価値感満載ですが、自分の人生を生きようと絶賛もがき中です。

と書かれているので、その価値をまだ受け取れてなさそうだなぁというのが正直な感想です。

できる人で完璧主義傾向が強いと、自分にとってあまりにも当たり前の価値って、ものすごく軽視されて、かつ自分のハードルを上げすぎて、まだまだって思っちゃうものです。

なので、普段から頑張ることがデフォルトの方には、時折ご自身の成長分を振り返ってみるのをオススメしています。

今の自分というのは、過去の努力の積み重ねの結果としての自分なのです。

今頑張っているということは、これまでもずっと頑張ってきたという事。その成長曲線はちゃんと上昇カーブを描いているはずなんですよ^^

私たちの脳は、欠けたものほど無意識に目に入りやすいようにできているみたいです。もしかしたらそれは、人類の進化にとって必要な生命の仕組みなのかもしれません。(欠けたものを修正していくことで、より強い種になれるからです。)

でも「幸せを感じる力」って、欠けたものではなく、既にあるもの、既に満たされている部分を意識的に見つけ出す能力でもあると思うんですね^^

なので、今までの自分の頑張りとか、努力の結果とか、過去の積み重ねによる恩恵をしっかり受け取って、「自分ですごいじゃん」って思ってあげるって、幸せを感じて生きるためにはとても重要な部分だと思うんです。

ということで、まずは「今までずっとよくやってきた自分」に大きな花丸を上げて欲しいなと思いました!!

女性らしさを認められることへの抵抗感

さて、ここまでは長い前置きで、ここからが本題なのですが…

Mさんは、ご自身の女性的な長所を褒められることで、なぜか屈辱感を感じてしまうというようなことがあるわけですよね。そして、その感情との向き合い方に戸惑っている。

ご相談文を読んでみると、ご自身でも感じられているように、Mさんの心理的に「女性性への抵抗」があるように感じられました。

「女性性への抵抗」というのはつまり、自分が女性であることへの嫌悪感にも近い感覚なのかな?と感じます。

普段から、異性との付き合いの方が楽だったり、論理的・思考的な部分を発揮する方が楽しかったり、バリバリ仕事ができちゃうあたり、元々男性性も強くお持ちのタイプなのだと思います。

ただ、私の個人的な考えですが、男性性と女性性ってバランスを取るようにできていて、男性性を強く発揮できるということは、その裏には強い女性性があるということでもあると思うんですね。

実際に

>感受性が強く喜怒哀楽は激しいですが

と書かれていますが、感受性や感情の強度って、女性性の強度そのものでもあると思うのです。

ただ、Mさんはご自分の「女性的な側面」に抵抗感があるために、それを出さないように、見せないように、ある種の”隠れ蓑”として男性性の力を使っている部分が大きいんじゃないかと思うんですね。

それは例えば、「アナと雪の女王」でエルサが自分の魔法の力を隠すために、常に手袋をはめているのと同じような感じです。

その手袋が、Mさんにとっての男性性の力なのかもしれません。強い女性性の力を隠すために身に付けるもの。

>昨年人生最大の心の危機に直面し根本師匠の本やサトヒさんのブログで自分と向き合いどうにか乗り越え、少しずつ本当の私を取り戻せてきました。

おそらく、これまでご自分と向き合い、本当の自分を取り戻しつつある過程で、これまで隠してきたご自分の「女性である部分」と向き合う段階が来たという事なのだと思います。

つまり、「めっちゃ順調やん!!」ってことなんですが。

でも、今まで重く蓋をしてきた部分と向き合うのってしんどいですよね~。。。

どんなに順調だと言われようと、怖れも抵抗も多分に詰まっているその箱の蓋を開けるのは、違和感やら心苦しさ満載で、本当にしんどいことだと思います。

私にとっても、「女性性」はまさにパンドラの箱でしたよ…。

でもMさんが、今回こうしてご相談くださったということは、無意識レベルでは向き合う覚悟が決まったということなのかもしれませんね^^

それって、めちゃくちゃすごい一歩だと思いませんか??

女性らしさを表現する=危険なこと?

>関係あるかわかりませんが、思春期の頃に性的暴行を受けたり、様々な嫌な出来事があり男性恐怖症で外を出歩けなかった時期があります。

めちゃくちゃ関係あると思いますよ。男性に対して不信感があったら、自分の女性的な部分を出すことが怖いと感じるに決まってます。

Mさんの根本に、異性に対する不信感、恐怖心、怒りがあるならば、自分が「女性」として見られることはとても危険なことに感じますし、とても不快なことでもあると思うのです。

それが、「女性としての長所」を褒められることに、屈辱感を感じてしまう理由なのではないかな?と思いました。

自分が女性であることを表現すればするほど、異性の注目を集めてしまう。

異性の注目を集めることは、Mさんにとってはとても不安で怖いことなので、なるべく自分が女性であることを、周りに意識させたくないと無意識に思っているのではないでしょうか?

だから、自分の男性性を隠れ蓑にして、自分が女性であることを隠そうとしている。

私には、そのように感じました。

最近の私は、自分らしい男性性・女性性のバランスを取り戻すことこそが、自分らしく生きるということの本質でもあるんじゃないかと思っています。

それに、女性にとっての自己肯定感って、「自分が女性であること」が一番根底にある気がするのです。

違和感=自分を現状の外に連れ出すきっかけ

じゃぁ、どうしたらいいのよ?というと、私は、自分を本気で変えたいと思う時こそ、違和感があることをやってみるのが大事だと思っています。

私たちには、良くも悪くも慣れ親しんだものを好み、そこに留まろうとする脳と心の仕組みがあります。

違和感があるということは、普段の自分の外側にあるもの、つまり自分を変えてくれるものそのものなんです。

>女性性が私の抱える問題に関係ある気はしますが、ブログを拝見していても女性性がテーマ記事や課題だけは無意識のうちにスルーしています。

とのことなので、意識的に女性性がテーマの記事や課題に向き合ってみるのも良いかもしれません。吐きそうなものほど、実はすごいお宝が眠っていたりしますから。(笑)

でも、女性性への抵抗の原点に、過去の心の痛みがあるのならば、私はそこをしっかり手放してからの方が良いんじゃないかとも思っています。

過去の性的な辛い経験の数々で、異性に対して感じてきた怒りや憎しみ。自分が女だったせいで受けた屈辱や悲しみ。

まずはそんな気持ちを、少しずつ手放していけると良いのではないかなと思います。

じゃないと、どうしても「自分が女性であること」を”損”なことのように思えてしまうような気がするからです。

女性であることのネガティブな側面に捉われるほど、女性であることのポジティブな側面、つまり女性であることの恩恵を受け取れなくなってしまうんですね。

性的暴行は、魂の殺人とも言われます。

「自分が女だったせいで、こんな思いをしたんだ」と、自分が受けた暴行の理由を、無意識に「自分が女性であること」のせいにしてきたのかもしれません。

周りの人の心ない言葉に、傷ついた気持ちもあるのかもしれません。

そんな悲しみや痛みを、今一度自分の中で抱きしめて、それでもここまで生き延びてきた自分に、愛と称賛をたくさん注いであげてくださいね^^

そしてもちろん、そんな下種の極みな行いをしてきた野郎には、何かしらの天罰が下っていることを腹の底から祈るわけですが(クソヤロー!!!!!)

同じ男性でも、Mさんを大切に思い、温かく接してくれるステキな殿方もいっぱいいるわけなので、そういった方たちと接することで、異性への不信感というものが少しずつ癒していけばいいなぁ、と思うのです。

その上で、少しずつご自分の女性性と向き合う課題などに取り組んでみると良いかもしれません。でも、無理は禁物ですぜ!

また、いつでもご相談くださいね。

Mさんが本来のご自分の女性性の輝きを取り戻し、「自分が女性であること」を温かく受け入れ、楽しめるようになることを、心から祈っております!!

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