内なる安らぎへの道:自己受容と安心感

自己肯定感と自己受容

愛あるみなさま、こんにちは。

サトヒです。

最近、鉱石好きな一面が大爆発しておりまして、やたらと石づいているのですが

先日ミネラルフェアなるものに行きまして、最高にかわいいアメトリンちゃんをゲットしてホクホクです♡

アメトリンとは、アメジスト(紫水晶)とシトリン(黄水晶)が混ざった、まさにグラデーションがかった淡い紫と黄色が美しい水晶なのですが

その名もレインボーアメトリンとして売られていた、虹入りまくりのかわいこちゃんに出会ってしまったのです~!

虹が入ってる石なら何でも好きというくらい虹入りの石が大好きなんですけど、角度を変えると虹の見え方が変わって、永遠に見ていられるんですよね…

いつもは1000円くらいの石しか買わないのですが、勢いづいて限界を突破してしまったよ(笑)

でも、見てるだけで心がウキウキして、元気になる気がするので、お金で買えない価値がある…!(いや、金で買ってるけども)

▼かわいい~大好き~

先日は、ひそかにアポフィライトという石もゲットしてるのだけど、それもまた虹が最高にキレイなんよね…

▼かわいい~大好き~

キラキラ大好きなので、見てるだけでテンション上がるんよ~♡

守りが手薄だと反応に飲み込まれやすい

さてさて、こちらのイベントが今週末に迫って参りましたが、お申込みお忘れの方はいらっしゃいませんかー??

まだお席ありますので、ピンときた方のお申込みを心よりお待ち申し上げておりまする!

鬼畜生になりきれない私たちが、なぜこんなにも「自己受容」を推したいかというと、やはりそれが心の土台として大切な役割を果たすから、だと思っているんです。

私の中で「自己受容」って、守りの要みたいな感じがしてるのですよね。バリアみたいな。

つい、私たちって周りの人間や出来事に翻弄されて、外側にばかり意識を向けて、あーだこーだと頑張っちゃいがちなんですけど

そういう時ほど、自分の守りが薄くなっちゃう感じがしてる。

本来ならば、外側の出来事・現象に対して自分が何を感じているのかを見てあげて、その感じていることをマルっと受け入れてあげることで

外側の出来事と向き合うための心の下地ができる、もしくはエネルギーが湧くと思っているのですが

外側の出来事の影響力がでかすぎると、自分が何を感じるかを丁寧に見てあげる前に、”反応”に飲み込まれちゃうんですよね。

ここで言う”反応”っていうのは、過去のパターンを避けようとして無意識に出てくる考えに対する防衛反応って感じかな。

守りが手薄になっている状態で反応に飲み込まれてしまうと、色んなものが自分の中に一気に流れ込んでくるみたいな感覚で

わけもわからず怖がったり、苛立ったり、焦ったりしてしまうし

その感覚自体が怖すぎて、今すぐ何かをどうにかしなきゃと思考がMAXで優位になって、自分の中で必死に右往左往してしまう。

そんな風に頭がごちゃごちゃしてくると、自分がどうしたいのかも見えにくくなってしまうから、次の一手として何をしたらいいのかも全然思いつかなくなって

ただただ不安と思考の葛藤にハマって身動き取れなくなってしまう、ということがありません?

私はあります(笑)

他力を使ってプロセスを進めるのも大事

自己受容のプロセスとしては、何かの出来事に対しての反応が来た時に、一度立ち止まってその感覚を受け入れるというのが大事だと思っていて。

思考に突っ走らないというか。

元々女性性(感覚)優位なタイプなのに、思考優位になりがちな人は、感覚を感じないための防御として思考を使っている場合が多いと思っていて

思考で感覚を回避しようとする逃げの姿勢を、グッと踏みとどまる必要があるので、感受性が強い人ほどめちゃくちゃ怖いことでもあったりするんだけど。

でも、よく言われているように「感情は感じ切ると消える」ものなので、そこでぐっと感覚に留まった分だけ、感じているネガティブは軽くなっていくと思っているのですよね。

ただ、これを一人だけでやろうとするとどうにもしんどくて、なかなかのハードモードになりやすいので

仲の良い友達なり、信頼できる仲間なり、カウンセリングなり、何かしらの客観的な力を借りて、自分の感情を受け止める手助けをしてもらうってのも大事。

自分だけで考えているとネガティブのドン底みたいに見えても、客観的な視点を取り入れると、悪い面ばかりじゃなく良い面が見えてきたりもするし

一人では到底見えなかった出口が見えてきたりすることもある。

全部一人でやろうとすると、単純に時間もかかるしね(タイパ悪し)

人間、過去のパターンから抜け出そうとすることって、すごく怖いことだと思うんです。

だって、過去のパターンってそれですごく自分が深く傷ついたことだったりするから、またその痛みを味わうかもしれないって思っただけでも、心は震えあがるわけですよ。

もうあんな思いをしたくない!と思うからこそ学習して避けるように生きてきたのに、その学習したことを自分で否定して、あえて飛び込もうとするんですもん。

学習した側の自分としては、全くもってクレイジーな行いですわ。何をやっとるん?って感じ。

飛び降りた先がマグマで大やけどした人が、また飛び込もうとするなんて狂気の沙汰じゃん。(わかりにくい例え)

でも、今回飛び降りようとする先がマグマかどうかはわからんのですよ。

それに加えて、そもそも大やけどしたという記憶ですら、実は記憶違いだったかもしれないのですよ。

大やけどしたと思っている出来事にどんな意味があったのか、なぜ自分がそうしたのかという視点は、自分の解釈次第でいくらでも見え方が変わる類のものだったりします。

解釈が変わると世界が変わる

よく自己受容とか自己肯定って、何を受容するのか、何を肯定するのかって話があったりしますが

基本的には自分の感情・感覚、つまり感じたことをありのままに受容・肯定することが大事と言われています。

それがなぜかというと、感じたことをありのままに受け止めていくことで、出来事に付随した不必要な感情を解放するためであり

出来事に対する「解釈」を、自分にとってポジティブなものに変えていくということが、自己受容の本質的な目的なんだと思うのです。

自分を責めるのではなく、自分を否定するのではなく、自分がしたこと・しなかったことを、全部必要なことだったと解釈できるようにする。

そのために、出来事を通じて感じてきたものを、全て受容して解放することが大事なのではないかと。

それはつまり、あれもこれもしゃーなかったんだって思ってあげること。

プロセスが完璧なのだとすれば、しゃーないどころか、むしろ最善だったと思ってあげること。

それが、自分を赦すということであり、自分を愛するということであり、自分を受容するということなんじゃないかなと思っております。

自分自身に対する解釈が外側に投影され続けているのが自分の体験する現実世界なのであれば

解釈自体をゆるふわ甘々にしちゃったら、生きるのはもっとずっと楽ちんになるはずよね。

だから、自己受容すればするほど、外側が安心安全な世界になるんですよ。

私が自分を攻撃(否定)しなければ、私を攻撃できる人は誰もいなくなるんだもの。

って、言うほど簡単じゃないけどね!(笑)

簡単じゃないからこそ、誰かに助けを求めていいはずだし、同じ方向に向かう仲間を見つけて、共に歩むことが必要なわけで。

自分には見えないものを、自分には受け入れきれないものを、第三者だから見て、受け入れることができたりもする。

そういった他力を使うのも、ゆるふわ甘々な生き方の肝でもありますな♡

とは言え、こうして「自己受容」を推してる我々鬼畜生コンビもまた、自己受容のプロセスの真っただ中。

日常のあれやこれやに心動かされながらも、どうしたら受容的な目線で、自分に起こったことを解釈していくかを身をもって学んでいるところなんですね。

だからこそ、そんな私たちだからこそ、同じ境遇の人たちに寄り添い、共に考えることができると思っております^^

ってことで、目の前に悩みがある人もない人も、お気軽に遊びにいらしてくださいませ♡(っていうステマよ!)

ではまた。

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自己肯定感と自己受容
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