エゴとは何か②【エゴの幻と投影編】

罪悪感と無価値感

愛あるみなさま、こんにちは!

サトヒです。

エゴの話、シリーズで書こうと思ってたのに、筆が2カ月も止まっている…!! 

エゴの抵抗か!!(笑) 

ということで、カメの歩みで、コツコツ書いていきたいと思います。

エゴの世界観:分離という幻想

前回のブログで

エゴの本質とは「罪悪感」と「怖れ」であるという話を書いたのですが

私たちは、その本質を心の奥底に持ったまま、ほぼ無意識にこの現実を生きています。

そして、その根底にある「罪悪感」と「怖れ」を、様々なものに投影しています。

エゴで見た世界の根底にあるのは、このような感覚です。

  • 私とあなたは別々の存在であるという分離感
  • 神様という偉大な存在を攻撃してしまったという罪悪感
  • 神様から復讐されるという怖れ

この「エゴ」的思考と同一化すると、目の前に現れる現象世界から、罪悪感と怖れを強く感じるようになります。

例えば

  • してはいけないことをしてしまった
  • するべきことをしていない
  • そのせいで罰を受ける、攻撃される

といった思いです。

また、神様から離れてしまったという意識は、自分の中に大きな「欠乏感」も生み出します。

エゴは、その足りない自分を延々と責め続け、自らの罪悪感と怖れを強化していくのです。

そこから、「何かが足りない」「満たされない」「欠けている」「劣っている」「価値がない」という感覚が生まれ

さらには、もっと何かを手に入れる必要がある、周りの人よりも優れていなければならない、特別であらねばならないというニーズが生まれます。

頑張り屋さんが頑張り続ける理由は、この欠乏感に由来するものかもしれません。

例えば…

仕事で燃え尽きるほど頑張りすぎたり

自分を犠牲にしてまで相手に尽くすような恋愛をしたり

自分の意見の正しさに固執して争ったり

学歴やポジションを誇示したくなったり。

それって、本当は自分が無価値で欠けてることがバレることを怖れ、外側から攻撃されないように鎧を強化して防衛するようなもの

「罪悪感」と「怖れ」というエゴが、無意識に自分を操作してたりもするのですよね。(注:単純にそうすることが好きという場合を除く)

しかも、その欠乏感はどんなに頑張っても満たされないものでもあります。

なぜなら、失った(と感じている)神様の存在の代用品を無意識に探し続けているからです。

本質的には、失ったと思っていること自体が幻想であり、勘違いなのですが、エゴにはわからんのが厄介なところ。

世界に投影される、神様との関係性

このエゴ的視点は、目の前に現れるすべての事象や相手に向けられる可能性があります。

その最もたるものは、一番身近な両親ですよね。

小さな子供にとって、両親はあたかも神のように見えています。

全知全能で、自分の世界の全てをコントロールする力があり、教えに背いたら罰を与えることができる偉大な存在。

エゴから見た神の存在を、まんま両親に投影しているかのようです。

となると、子供が両親に対して感じる恐れや罪悪感は、エゴが神様に対して感じている思いの投影とも言えるわけです。

例えば、両親に叱られることを恐れたり、期待に応えられなかったことに罪悪感を感じていた人って多いと思うのですが

これらの感情は、神様に対する罪悪感と怖れが影響していると言っても過言ではありません。

私が長年抱えてきた「オカン問題」も、今となってはエゴの投影だったのだと思うようになりました。

オカンに対して感じていた痛みや、オトンに対して抱えていた遠慮には、神様に対する罪悪感と怖れが影響していたのです。

深い、深すぎる…!!(十万石まんじゅう風に)

カウンセリングでは、両親との関係性から、あなたがどのように人生や世界を見ているかを探ることがありますが

それって実は、あなたと神の関係性を測る指標とも言えるのですよ

自分が神様から愛されている、受け入れられている、赦されていると感じられる分だけ、あなたは世界に対して安心感を感じることができますし

自分が望むものを得る許可を、自分自身に与えることができるようになります。

神様の愛を存分に受け取り、自分の願いを叶えて生きられる状態。

逆に、エゴの罪悪感と怖れと一体化している時は、世界の全てが敵のように見えて、防衛せずにはいられなくなります。

つまり、神様という名の愛とつながることを妨げ、受け取り拒否を起こしてしまう。

実は、この構造に気づくことが、癒しの大きな一歩となるのです。

聖霊の視点で世界を見るということ

奇跡のコースでは、そのエゴ的視点と対をなすものとして、聖霊の視点というものがあると言われています。

聖霊の視点というのは、キリスト意識とも言い、神様と分離していない、神様とつながったままの視点です。イコール、神の視点そのものとも言える。

私たちが神様から分離したと思い込んでいるのは、ただのエゴの幻想であり

本当は私たちは一度も神様と分離していないし、攻撃してもいない

つまり、元々罪もないし、復讐されることもない、というのが事実なのですよ。

罪悪感を感じるようなことをそもそもしていないし、だからこそ罰を受ける怖れを感じる必要も無い。

その視点を思い出していくことが、エゴの幻想から目を覚ましていくプロセスなのです。

心理学的には、感情は「愛」か「怖れ」の2種類しかないと言われています。

怖れがエゴだとすれば、愛とは神様(のエネルギー)とも言えます。

前述の通り、その存在につながった視点を聖霊の視点と呼ぶわけですが

聖霊の視点=愛の視点

とも言えるでしょう。

怖れではなく、愛から出来事や物事を見れるようになった時、それはエゴではなく、聖霊の視点で世界を見ることができているということになります。

エゴの視点で出来事を見てしまうと、罪悪感と怖れから、自分を不安がらせたり、自分を責めたりする思考に苛まれてしまうものですが

逆に、聖霊の視点というのは、自己受容的で慈愛に満ちた、自分に優しい視点とも言えそうですよね^^

(まさに、鬼畜生コンビが長年追い求めてきたことでもあります…!)

それは、私たちが本当はずっと神様から愛され、守られ、赦されていたのだということを思いださせてくれる視点でもあります。

私的には、カウンセリングというのは、その視点に自分をつなげるための一つの方法だと思っているのです。

エゴを悪者にしない

こんな風にエゴの話をすると、エゴは悪者!それを無くすために頑張らなきゃ!と思いがちだと思うのですが

実はそれもまた、二元的で分離的なエゴの世界観なのです。

正しいか、間違っているか、良いか、悪いか。

物事を二極に分けて判断する視点は、まさにエゴの視点です。

神様が素晴らしいからといって、エゴが悪いわけではないのです。

そういう視点を無意識に持っているのが人間、ってだけ。

私たちがこの三次元世界を生きているということは、エゴの存在を切り離すことはできないということです。

生きている中で「自分が自分で、他の人とは違う存在である」という認識が自然とある以上、エゴの視点をゼロにすることはできないのです。

エゴ的な視点は確かに自分を苦しめるものですが、エゴがあるから幸せになれないわけではなく、エゴがあるまま幸せになれるし、なっていい。

つまり大事なのは、エゴとどう付き合うかだけ。

スピ的に言う「悟りを開く」とか「覚醒する」とか「目覚め」というのは

自分の中にエゴがある(エゴ的視点がある)ということを受け入れつつも

その自分を客観的に認識した上で、エゴと自分を同一化させずに、愛の視点(神様とつながった意識)を取り戻すことなんじゃないかと思っています。

エゴはエゴとして認識しつつも、その考えに飲み込まれない高い視点を持つことが大事なんですね^^

まぁ、言うは易し…ですけど。

高い視点で自分を観る意識

エックハルト・トールの著書に、「ニューアース」という本があります。

最初から最後までエゴについて書いてある、だいぶマニアックな本なのですが(笑)、そこには

「エゴを自分個人の問題だと考えるならば、それもまたエゴなのだ」

と書かれています。

私たちは気づかない間に色々なところからの影響を受けていて、自分のものだと思っている思考が、実は自分のものではなかったということが多々あるものです。

それは、集合無意識的なところから来る他人の思考だったり、先祖代々から引き継がれた思考パターンだったりします。

なので、エゴを自分の中で認識する上では、ネガティブなエゴ的視点を自分個人の問題として問題視しすぎないことが重要なんだと思うのです。

なぜなら、エゴを問題視することがさらなる罪悪感や怖れを生み出し、聖霊の視点から遠ざかるということも多々あるからです。

そんな時はまず、自分の中で浮かんだ考えを「そう考えている私がいるんだ」と認識することが、自分の無意識を意識化する術でもあり

メタ認知的にエゴの考えにまみれている自分を、外側から見る視点を持つ訓練になっていくのだと思っています。

これもまた言うは易し…の典型で、一朝一夕ではいかない話なのですが(苦笑)

エゴから自由になればなるほど、望む幸せを受け取りやすくなりますし、何より幸せの感度が上がっていくと自分の経験からも感じているところです!

まずはエゴという概念を理解することが第一歩ということで…

さて、あなたの内なるエゴは、あなたの世界にどのようなパターンを表現していると感じますか?

ちょっとだけ、思いを巡らせてみてくださいね^^

次回も引き続き、エゴの学びを深めていきたいと思います。(もはや、肩書をエゴ研究家に変えようか…)

ではまた!

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罪悪感と無価値感
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