自分を大切にするために必要なこと: 最初に感じた気持ちを大事に扱う【ココロノマルシェ】

ココロノマルシェ

【私っておかしい?】

自分の気持ちより相手の気持ちを優先しやすい、いわゆる「他人軸」になりやすい人は、「こうあるべき」に縛られて、つい自分の素直な感覚を無視したり、否定したりしてしまいがちです。

だけど、自分の中に自然に湧き上がる快や不快は、思考でコントロールすることはできないし、他の誰かと比べることもできない、自分だけの大切な感覚です。

「自分を大切にする」ということは、そんな瞬間的に心に湧き上がる気持ちを、否定することなく受け入れ、寄り添ってあげることなのではないかな?と思うのです。

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ココロノマルシェにご相談頂いた内容に回答しています!

私っておかしい?
いつも勉強させていただいています。 ありがとうございます。 日常のとりとめもない事なのですが、私おかしいのかなと思い、心理学的に何か問題があるのか?受け取り方がおかしいのか?気になったのでご相談させていただきました。 ド


いつも勉強させていただいています。
ありがとうございます。

日常のとりとめもない事なのですが、私おかしいのかなと思い、心理学的に何か問題があるのか?受け取り方がおかしいのか?気になったのでご相談させていただきました。

ド田舎に住んでいます。
郵便局の方が頼んでもいないのに、私の自宅宛てのレターパックを職場に届けてくれます。
いつも同じ配達員、私はその方を存じません。
でもその方は私がここに勤めていることを知っていて届けます。

これで3回目。
私は通信講座を受講しており、その資材が毎回届くわけです。

毎回職場のお姉さんが、1階から私がいる2階まで来てくれたり、呼んでくれたりします。
でもそのお姉さんは、気にしていません。
主人も気にしていません。
主人は僕ならかえって、ありがとうって言うかもとの事でした。

私っておかしいかな?と思いながらしばらく様子を見ていたのですが、もうすぐ次回分の資材が届くと思うと、いたたまれなくなり、指定場所配達に関する通知書というものを郵便局に提出しました。(今までも車庫に入れてほしい旨の張り紙をしていましたが)

同様の事は、ヤマト運輸でもありました。
しかし、ヤマトの配達員は私の職場を前任者から聞いた事、クール便だったので車庫には入れられなかった事、職場まで申し訳ないと言って下ったので、こちらも恐縮し気持ちよく受け取れました。

郵便局で書類を提出しながら、職場には届けてほしくない旨を伝えました。怪訝そうな顔をされましたが、私はすっきりしました。自分を大切にできたかなと思ったからです。

こんな取りとめもない事を気にする私っておかしいのでは?
これって、私はこういう人だから仕方ないよねでいいのか?
親切心を悪くとりすぎる、性格悪すぎ?
有難迷惑を指摘する上から目線?
心理学的に何か説明がつけば教えてください。

よろしくお願いします。

(けろりんさん)

愛と理屈であなたの心を解きほぐす、ライフワーク研究家サトヒです!

私もそこそこの田舎出身者なのですが、指定場所以外に郵便物や宅配便が届くようなことはなかったので、けろりんさんの言うところの「ド田舎」というのは、おそらくかなり小さなコミュニティで、人との距離が近い場所なのかもしれません。

人との距離感が近い上に、おそらく絶対数として人の数も少ないのだとすれば、隣近所の誰々さんはあそこで働いているとか、どんな人と結婚したとか、誰々さん家には何人子どもがいて、それぞれどこの学校に通っているとか、一般的に個人情報と呼ばれるプライベートな情報は、地域の共通認識になってしまっている可能性もありそうです。

地元で知名度の高い職場だったりすると、どこの誰が働いてるかとかもバレてしまいやすいのかもしれません。

しかも、そういった情報共有は悪気なく行われているため、今回の配達も、本質的には善意以外の何物でもないのでしょうね。

しかしですね…私の座右の銘(!?)に

「悪気がないほど、悪いものはない」

というのがありまして(笑)

ついつい、自分の気持ちよりも他人の気持ちを優先しがちな人…つまり、相手の気持ちに気付いたり、配慮できてしまう、根が繊細で平和主義なタイプの人にとっては、その「相手の悪気の無さ」が余計自分を苦しめることになるのです。

なぜなら、自分では相手の行動に傷ついたり、嫌な思いをしているにも関わらず、その自分の不快感よりも相手の悪気のなさを重要視してしまい、相手からの善意や好意を無理やり受け取らなければと思ってしまうからです。

手放しで相手の行動を責められなくなるし、逆に相手の「善意や好意」を受け取れない自分が悪いのではないかと、不快感の矛先が自分に向いて、自己否定を強めてしまったりもします。

だったらむしろ「明確な悪意を持って」やってもらった方が、自分の嫌だと感じる気持ちを正当化しやすくて、楽だったりするんですがね~。

いや、悪意を向けられるのも、それはそれでしんどいのでやめて欲しいですね…。泣いちゃうから、ほんとやめて。(切実)

ということで、おそらくけろりんさんは、相手の行動に対して「あれ?」という違和感や、「嫌だな」という不快感があったにも関わらず、相手の考えや気持ちに意識を向けすぎてしまったために、自分のそのちょっとした感覚を見過ごしてしまったことが、今のモヤモヤの原因なのかなぁと感じました。

そして、自分だけでは正当化しきれない違和感や不快感が、そもそも感じてもいいものなのか、普通のことなのか、許されることなのかを、他の人の考え方や捉え方を参考にして決めようとしていたのかもしれません。

そんな自分の感覚への疑いの気持ちが、以下の言葉で示されていると思うのです。

こんな取りとめもない事を気にする私っておかしいのでは?
これって、私はこういう人だから仕方ないよねでいいのか?
親切心を悪くとりすぎる、性格悪すぎ?
有難迷惑を指摘する上から目線?

だけど、職場のお姉さんも、ご主人も、どうやら自分のようには感じていないらしい。

むしろ、その善意や好意の方を素直に受け取って、「ありがとう」とまで思うらしい。

ってことは、やはり相手の良かれと思う行動を、嬉しいともありがたいとも思えない私って、どこかおかしいんじゃ!?

と感じてしまったのかもしれませんね。

(けろりんさんは、元々この地域出身の方なのでしょうか?もしそうでなければ、他の人の反応は、その地域の習慣への慣れのようなものもありそうですよね。)

だけど、これだけ個人情報保護が叫ばれている中で、私的な郵便物を、自分が頼んでもいない場所、しかも職場に勝手に届けられるというのは、良い気がしない人もいて当然では?と思います。

もしそれが、絶対に人に知られたくないようなものだったとしたら、迷惑以外の何者でもないし、個人情報保護法的に訴えてもいいくらいだと思っちゃいます。

私なら、

「はーーーーー!?なに勝手なことしてくれちゃってんの!?めちゃくちゃ迷惑なんですけどーーーーーー!!!!」

と、心の中で叫び散らかしますね。超絶ビビりなので、あくまで心の中で、ですが。(笑)

もちろん、その配達員さんに悪気がないのもわかるし、もしかしたら別な人からは感謝されたとか、何かしらの成功体験があって、同じように喜ばれると思って良かれと思ってやってくれたんでしょうよ。

そんな配達員さんの気持ちを考えると、つい自分が「え?」とか「ちょっといやだな」とか、「むしろ迷惑なんですけどー!!」なんて思ってしまう事が、なんだか悪いことのような気がして、罪悪感が出てきちゃったりしまうのが辛いところなのかな、と感じています。

自分の素直な感覚=自分らしさを肯定してあげよう

自分の気持ちより相手の気持ちに意識を向けがちな状態を、いわゆる「他人軸」と呼ぶわけですが、そもそも他人軸になりやすいということは、それだけ相手の立場になって、相手の気持ちをちゃんと考えてあげられるってことなので、とても素晴らしいことなのですよ。

そんな風に思いやりが強く、人の気持ちに焦点当てやすい他人軸タイプにとっては、自分の思いを優先するのがとーーーっても難しいので、どうしても生き辛さを感じやすいのですが、本来持っている素質自体はとてもとても素晴らしいものなのです。

だから、今回勇気を出して自分なりに「NO」を言えたのは素晴らしいことだし、それこそが、まさに自分を大切にするってことなんですよね^^

ブラボー!!

ということで、別に悪いことをしているわけでも、おかしなことをしているわけでもないから大丈夫なのです。

まずは、その勇気ある自分の行動に祝杯をあげてしまいましょうね^^

そして自分が何を感じても、それが他の人と違っても、「私はこういう人だから仕方ないよね」と受け入れてあげて欲しいのです。

それが自己肯定であり、自分軸で生きるための大きな指針になるからです。

そもそも、けろりんさんが「自分っておかしいのでは?」と思ってしまうのは、おそらく自分の中の理想像というか、自分にとってのある意味「常識的なあるべき姿」というのがあって

それ通りに動けない=おかしいのでは!?

と思ってしまいやすいのかな、と感じました。

それは例えば

人の好意は良心的に受け取るべし!

とか

小さいことは気にすんな、ワカチコ!ワカチコ!!マミコカウンセラー風)

とか

上から目線は悪である!

とか。

色々と、自分の中でこうあるべき姿の理想像であったり、守るべきルールのようなものがあって

そういった自分なりの「普通」という基準軸からズレるたびに、「あれ?わたしっておかしい?ダメな人?」と思ってしまうのかもしれません。

だけど、本来みんな個性的ですから^^

どんなに普通に見えても、それはその人の表面的な極一部分でしかありません。

外面でめちゃくちゃ優等生な人ほど、裏では人には言えない秘密を抱えている場合だって、多々あります。(それを心理学的には、アンダーグラウンドと呼びます。)

▼アンダーグラウンドの説明はシショーに譲ります。(いつもの人任せ)

そう考えると、こうあるべきの理想を生き切ってる人なんて、この世にいないんじゃないかな?って思うんですね。

だとしたら、今の自分として感じること・考えることこそが、自分の人生を生きる上で大切な「自分らしさ」なんですよね。

自然に湧き上がる快や不快は、思考でコントロールすることはできないし、他の誰かと比べることもできない、自分だけの大切な感覚です。

いわゆる「自分を大切にする」ということは、そんな瞬間的に心に湧き上がる気持ちを、否定することなく受け入れ、寄り添ってあげることなのではないかな?と思うのです。

▼こんな話も書きました

嫌なら嫌でいいし、できないことはできなくて仕方ない。

その反面、好きなことや、得意なこともあるわけです。

その凸凹の集合体が、「自分らしさ」という個性なんですよね^^

なので今回、自分にとっての「NO」を世界に向けて表明できたということは、他人軸になりやすい優しいけろりんさんが自分の気持ちを優先するという、勇気ある行いだったわけなのです。

それこそが、まさに自分を大切にするということなのだと思います。(大事なことは2回言う)

自分の心の声は、とても小さいからこそ…

何かがあった時や誰かに何かを言われた時などに、小さく心が動く瞬間があると思うのです。

それはとても小さく、ついうっかりすると気付かずに通り過ごしてしまうくらいのささやかな感覚です。

なんだか怖い…

とか

おもしろそう!

とか

ちょっと嫌だな

とか

イラッとする

とか

やってみたい!

とか

なんとなく悲しい

とか。

良い気持ちも悪い気持ちも含めて、瞬間的に、直感的に感じる何かが心に生まれているはずで、その”小さな感覚の芽”こそが、自分の本当の気持ちと呼ばれるものだと、私は考えています。

だけど、私たちは自分が無意識に持つルールで、その小さな感覚の芽を摘んだり、もしくは踏みつけて潰してしまったりもするんですね。

こんなことを感じるべきではないとか、こんな対応をするべきだとか、他の人はこうしているからとか、そうするのが当たり前だとか、なんだかんだ、あれやこれやと理由をつけて。

他人軸になりやすい人たちというのは無意識にそんなことを繰り返しているうちに、「自分の本当の気持ち」を伝える心の声がどんどん小さくなっていって、段々と自分の気持ちが自分でわからなくなってしまうのだと思います。

だからその小さな自分の声を大切に掬いあげて、自分の本当の思いに寄り添い、「じゃあ、どうしたい?」「どうしようか?」と聞いてあげて、その気持ちに沿う行動を取ってあげることが、いわゆる「自分を大切にする」ことの、大きな一歩だと思っています。

つまり、楽しそうなことはやらせてあげて、嫌なことは避けてあげるということですね^^

私の研究テーマでもある男性性・女性性の話で言うと、自分の女性性(感覚、感性)を自分の男性性(思考、行動力)で守ってあげるということでもあります。

(それができるようになると、どんどん願いが叶いやすくなるし、パートナーシップもうまくいくようになります。あくまでオマケですが。)

自分を、見えない理想の誰かや何かと比べてジャッジし、否定するのではなくて、ただただ、自分の感じることにマルをつけてあげる。

結局、みんな何かしらおかしい部分は持ってるのが

にんげんだもの by みつを

の世界の醍醐味なのです!

自分にしか感じられない「快・不快」という感覚を大切にしながら生きていくことが、自分の人生を「自分らしく」彩ってくれるはずです。

けろりんさんが自分にしか感じることのできない世界を、自分らしく楽しめることを心から祈っております!

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