”普通”とは、便利な比較対象のことである:それよりも「自分らしい生き方」を【ココロノマルシェ】

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【「普通」に憧れています】

「普通」というのは、実に便利な言葉でして、今の自分を否定し、「こうあるべき姿」の総称として、人を惑わせる力があるものです。

だけど、「普通」に生きることよりも重要なのは、「自分に合っているか、居心地が良いか、幸せを感じられるか」ということだと思うのです。

これまで、たくさんの困難を乗り越えてきたおかげで、身についた特技や武器がたくさんあるはずです。

それらを活かしながら、「普通」よりも幸せな、自分らしい生き方を見つけてみるのはいかがでしょうか?

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ココロノマルシェにご相談頂いた内容に回答しています!

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心理カウンセラー根本裕幸のお弟子さんがあなたのお悩みにオンラインで答えます。

初めまして。現在無職のアラサー女です。

幼い頃から家庭に色々と問題があり、一時的にシェルターに入ったり、父の浮気相手から嫌がらせをされたり、体の悪い母の代わりに家の事をやったりしていました。

学校でも小中といじめられたりと散々でした。(自己主張できなかったり、みんなより行動がワンテンポ遅かったからだと思います)

上記のことがあり、私の家より上手くいってる(ように見える)他の家の子が羨ましくて、うちはおかしい、他の家が普通なんだ、普通の生活が欲しい!と思うようになりました。

しかし憧れてた普通の生活と実際の生活は真逆で、

・ひとつの会社に長く勤めたいのに、体調を崩して退職。その後転職するも人間関係が原因でまた退職。

・30歳くらいで結婚したいのに、彼氏いない歴=年齢な上、男性に苦手意識があるという状況…

何もしていない今の状態に焦りを感じていますが、どこから手を付けたら良いのか分かりません。アドバイス等、お願いします。

ここまで読んで頂きありがとうございました。

(麻子さん)

「自分らしさ」をとことん追求する、ライフワーク研究家サトヒです!

幼少期から、複雑な家庭環境の中で育った上、学校ではいじめにあったり、大人になってからも人間関係で数々の困難な経験を乗り越えて、ここまできたということですよね・・・

RPG(ロールプレイングゲーム)で言えば、ここまででかなりの経験値を稼いで、相当なレベルアップを果たしてきたのではないでしょうか?

いきなり丸腰で虎の穴にぶち込まれ、ろくな武器も持たないまま、どう自分の身を守るか、仲間(家族)を守るかを真剣に考えつつ、どうにかここまで生き延びてきたようなものです。

「身の守り」「忍耐力」「自己犠牲的精神」「空気読み力」などのステータスは、かなりの高ポイントになっているはずです。

そろそろエンディングテーマのファンファーレが高らかに聞こえてきてもおかしくないほどの、壮大な冒険の旅だったと思うのですが、現在レベル30(30歳前後)ということで、まだまだ伸びしろが豊富です。

これからは、今まで培ったサバイバル経験を活かし、麻子さんが伸びやかに楽しく人生を過ごせる方法を、一緒に考えていきましょうね!

生きるために身に付けた思考パターンは、自分のせいではない

自分が育ってきた環境というのは、自我の形成に大きく関わっていて、そこでの経験により学んだことは、成長してもなお、考え方や感じ方の基礎となり、良くも悪くも自分の言動に与えるものなんですね。

ですので、麻子さんの育った環境…一言でいえば、「安心感を十分に感じられず、子どもが子どもらしくいられない環境」で自我形成されると

麻子さんも、ご自身に対して感じている

・自己主張できない

・男性に苦手意識がある

だったり、それ以外にも

・他人の目が気になる、他人が怖い

・人間関係がうまくいかない

・他人との距離感がつかめない

・将来に漠然とした不安を感じる

・自己肯定感が低く、自己否定が強い

・自己犠牲的に他人に尽くして、振り回される

・自分が何をしたいのかわからない

・自分の好きなこと、嫌いなことがよくわからない

といった思考パターンを、無意識の癖として身に付けてしまう可能性が高いと考えています。

逆に言えば、そのくらい自分を抑えていなければ、自分が本当に感じている気持ちを隠さなければ、生きてこれなかったということでもあると思うのです。

ですので、麻子さんが自分の期待するように動けなかったり、それによってうまくいかないことがあったとしても、それは自分自身の性格の問題ではないんだ、ということを知っていて欲しいな、と思うんですね。

つまり、自分の事を責めないであげてね、今の自分を否定しないであげてね、自分をいじめないでね、ということです。

ハードな家庭環境で育つと、どうしても自己肯定感をうまく高められずにきてしまうものなので、「自分の生き辛さの原因を、自分のせいにして責めない」ということが、自分を守るためにとても重要なことだということを、頭の片隅に置いておいてもらえるといいなぁと思います。

”普通”ってなんだろう?

>うちはおかしい、他の家が普通なんだ、普通の生活が欲しい!と思うようになりました

とのことですが、この「普通」という言葉・・・

おそらく、これを読んだ数々の修羅場を潜り抜けてきた肉食系カウンセラー仲間から、「普通ってなんやねん!」と激しいツッコミが入りそうな格好の餌食ワードなのですが(笑)

もちろん、麻子さんはご自身の事を「なにかおかしい、普通じゃない」と感じてきたからこそ、自分の外側に見える「普通」の家庭、「普通」の生活に憧れを感じているわけですよね。

これは、完全に私の個人的見解ですが、「普通」ってマッチ売りの少女が寒空の下、凍えながらマッチを擦った時に見た、温かな幻想みたいなもんだと思っているのです。

どういう事かと言うと、自分が経験できなかった何か、自分じゃない誰か、自分の持っていない何かの総称のようなものを、理想の姿として見ているものが、「普通」という言葉の意味じゃないかと。

他にも、同じようなワードに、「一般的」とか、「常識的」とか、「世間」とか、「人並み」とかがあると思うんですが、どれもこれも、無意識に今の自分を否定し、比較するための材料として使われやすいものなんですね。

ただ「普通」って言葉は、何を基準にするかで、いくらでも姿かたちを変えてしまう実態のない「おばけ」のようなもので、「勝手なイメージで作り上げられた”当たり前”と呼ばれる何か」でしかないんだと思うんです。

ですので、ローランド風に言うところの「普通か、普通以外か」というのは、それほど重要なことではなくて

私はそれよりも、「自分に合っているか、居心地が良いか、幸せを感じられるか」ということの方が、よっぽど重要だと思うわけです。

…とまぁ、「普通」談義はこれくらいにして、私が麻子さんに聞いてみたいことは、ただ1つ。

「麻子さんは、どうなりたいですか?」

ここにきて、元も子もないような、ぶしつけで極論な質問になっちゃって申し訳ないのですが(汗)、やっぱりこれが一番大切なことだと思うし、実は、これまで一番目を向けてこなかったことなんじゃないかなぁ?と思うんですね。

つまるところ、自分のありたい姿や経験したいことを、自分の中でイメージできますか?ということなのですが

辛い経験を生き抜いてきたサバイバーたちは、その厳しい環境を生き抜くのがやっとで、自分がどうしたいのか、自分にとって何が幸せなのかということを振り返る余裕もなく、必死に生きてきたはずです。

そうすると、「本当は自分がどうしたいか」を考える癖が全くつかないまま大人になってしまい、他人の気持ちを優先したり、自己犠牲的に尽くしてしまったりして、他人軸に振り回される人生になりがちなんですよね。

そうすると、自己肯定感は駄々下がり、「自分はダメな人間」と否定的に自分を捉えるのが当たり前になって、「自分じゃない誰か」を無意識に目指してしまうものだと思うんです。

それが、麻子さんのおっしゃる「普通の生活」という言葉で表現されていると思うのですが

>・ひとつの会社に長く勤めたいのに、体調を崩して退職。その後転職するも人間関係が原因でまた退職。

・30歳くらいで結婚したいのに、彼氏いない歴=年齢な上、男性に苦手意識があるという状況…

というのも、きっと麻子さんのイメージの中で、「普通の人は、ひとつの会社で長く勤めるものだ」とか、「30歳くらいで結婚するのが普通だ」という基準が無意識に作り上げられていて

それ通りに人生を歩めない自分を、「普通じゃないダメな自分」として、無意識に責めているのではないでしょうか?

ただそれは、”普通かどうか”という基準で判断されているだけで、”本当に自分がそうしたいかどうか”とは、全く別の話なのだと思うのです。

だから、自分の胸に聞いてみて欲しいのです。

「それって、本当にしたいこと?」って。

ひとつの会社に長く勤めたいと思うのは、どうして?

30歳くらいで結婚したいと思うのは、どうして?

「周りがそうしているから」って、自分を動かすための強いモチベーションにはなりにくいんですよね。

それよりも、「~だから、私はこうしたい」と思えるような強い理由を、自分の中に見つけることが大事だと思うんです。

>何もしていない今の状態に焦りを感じていますが、どこから手を付けたら良いのか分かりません。アドバイス等、お願いします。

今の自分に対して焦りを感じてしまうのも、「何もしていない自分はダメな人間だ」と否定し、自分の事を「早く動かなくちゃ」と急かしているせいだと思うのです。

これまで、ずっと家族のために頑張ってきたんですもの。

少しくらい、自分のために時間をとったって良いのではないでしょうか?

今までの努力を労わり、しっかりと自分自身を見つめ、自己肯定感を高め、自分軸を立て直す時間を取ってみてはいかがですか?

お師匠様のセミナーに、こんなのもありますよ!

(満席)東京:2/9,3/8,4/12 自己肯定感をあげる3daysプログラム – 根本裕幸

もちろん、こちらの本もオススメです!

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と、師匠に媚を売るのはこのくらいにして(笑)、今の麻子さんに何かアドバイスをするならば。

「これまで頑張ってきたことを自分でしっかりと認めてあげて、できなかったことや、足りないことに目を向けるのではなく、普通じゃないと思って否定してきた自分らしさの価値を、改めて探してみてくださいね!」

ということをお伝えしたいと思います。

忘れてきた宝物を探しに行きませんか?

人は、愛が無いと生きられないと言います。

家庭でどんなに辛いことがあっても、学生時代にいじめを受けたとしても、人間関係が問題ばかりでも

今、麻子さんがここに生きているということが、麻子さんが誰かから愛されてきた証なのです。

だったらその愛を、探してみませんか?というのが、私からの提案です^^

自分には何も無いと思っていたはずの過去の中から、「本当はあったはずの素晴らしいもの」を見つけ出してみませんか?

そうやって、自分の過去を、今を、未来を、「肯定的な視点」で見つめ直すことが、自己肯定感を育て、これからの人生を、自分らしく生きていくための力になってくれると思います。

冒頭にも書いたとおり、麻子さんは厳しい環境の中でも、その時々で自分のできる限りのことを必死にやりながら、ここまでどうにか生きてきたんだと思うんです。

それが普通だろうが、普通じゃなかろうが、きっとそんなの大したことない話なんです。

麻子さんが、麻子さんとして存在している。
麻子さんが、麻子さんの人生を体験している。

それだけが、ただただ素晴らしい奇跡なのだと思うのです。

そんな自分に自信を持って、自分自身として堂々と人生を生きること。

自分は、どんな仕事がしたいのか?
自分は、どんな男性とどんな恋愛がしたいのか?

自分にとって幸せなパートナーシップの形は?
どんな生活をして、どんな人に囲まれて、何をして生きていたい?

それらは、”普通”を目指すよりもずっと、麻子さんの人生にとって意味も価値もあることだと思うのです。

普通に憧れたって良いんです。でも、麻子さんには麻子さんらしい、”普通に生きる”よりもずっと幸せな、自分らしい生き方があるはずなんです。

私はぜひ、それを麻子さんに見つけて欲しいと思うのです。

麻子さんが、自分のこれまでの経験をしっかりと労って、自分らしさの価値を認め、他の誰でもない自分として、「どのように生きていきたいのか?」をしっかりと見つめて、自分らしく生きていけることを祈っていますね!

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