愛あるみなさま、こんにちは!
サトヒです。
仕事に復帰したばかりということもあり、まだはっきりと業務が割り当てられていない状況ということもあったので
失われた2年半を埋めようと、一生懸命e-learningをお受けまくって余裕ぶっこいてたつもりが
(独学のシステムが充実してるのが、今の会社のめっちゃうれしいところ)
意外と気を張っていたみたいで、突然力尽きました…。
大したこと何もしてないので、何の成果も出してないのに。苦笑
根が真面目なので、特にやることが無くても、気だけは張っちゃうんですよね~。
思い返せば、家事もいつも以上に気合い入れてやっていたような気もします。
(最近、絶賛断捨離中なのです。その話は別の機会に)
自覚以上にアドレナリンが出まくっていたのでしょうね。2週間経ったところで、パタッと気力と体力が尽きました。
何も始まってないのに、軽くデッドゾーンで笑えます。笑
ということで、気だけ張っててもしょうがないことが体感でわかったので
マイペースを取り戻して、のらりくらりと仕事をしているナウな6月です。
夏の股間問題
さて、かなり前の話になってしまいましたが、先日
「魔女のエロス」
と称して、セクシャリティをテーマにした魔女っ娘ライブを行いました!
3人娘中2人が厨二病をこじらせて、本気のエロスに激しい抵抗を感じているというのにも関わらず、このテーマ。
最初は、至って真面目に「セクシャリティ」について論じていましたし
チサ・ウォーターバイオレットから見たセクシャリティと人間力の関係性の見解は、非常にタメになる話だったのですが
予想通り(!?)、最後は
「夏は股間がかゆいのかが気になる」
問題に帰結し、みなさまと共にくだらさなさに爆笑して、幕を閉じた次第です(爆)
(”笑う”って、セクシャリティ解放にすごくいいと思うので、結果的に万々歳な締めくくりだとは思うのですが!)
ちなみに、「夏の股間問題」ネタ提供者のアグリモニー氏が、一人で真っ赤になっているのが一番の見どころでして
視聴者の方々からは「かわいい」と評判なのです…さすが、あざとい!!(笑)
▼アーカイブもありますので、よろしければ。くだらないけど。
セクシャリティとエロスの関係性
で、そんなYouTubeライブの中で
「セクシャリティとエロは、切り分けて考えた方がいい」
という話が出て、ほんまやな!と思ったのが、個人的には一番の収穫。
そこを一緒にすると、めっちゃわかりにくいんですよ!!!!(声を大にして言いたい)
努力が間違った方向に行きやすいと思うし。
そもそも、セクシャリティ解放に興味がある人って
「異性から見た女性としての魅力」
をアップしたいという期待がある人が多いのではないかと、個人的に邪推しているのだけど(偏見だったらゴメン)
広義のセクシャリティというのは、「生命力」とも説明される通り
もうまさに、その人のエネルギーそのものだと思うんですね。
その人のすべて。全部。丸ごと。
だからもちろん、その中には狭義のセクシャリティである「性的魅力」も含まれるわけで
エロスは、セクシャリティの一つの要素とも言えるわけです。
▼こんな感じ。エロス以外に何の要素があるか思いつかないので割愛
セクシャリティ全体が解放されれば、その要素の一つでもある「性的魅力」も解放されるわけなので
異性から見た魅力がアップするというのは、おそらく間違いない。
ただ、ライブの中でも話した通り、相手が自分のどこに魅力を感じるのかって、コントロール不能な領域なんですよね~。
自分の「らしさ」を解放したからといって、相手がそこに「性的魅力」を感じるかどうかは、相手次第なわけです。
つまり、相手が自分らしさに女性としての魅力を感じるかは別の話ってことね。
うーん、残念!!!!!
しかし、しかしよ。
自分らしさを隠そうとする時について回る、変な緊張感は無くなるので
より自然体な自分の魅力は伝わりやすいはずだから
もちろん、人としての魅力は多かれ少なかれ感じてもらえる可能性は高い。
でも、だからといって、そこに恋愛感情がくっついてくるかどうかは、保証されないと思うのですよね。
何度も言うように、自分が出すものを相手がどう捉えるかは、相手次第なのでね。
「蓼食う虫も好き好き」って言葉があるけれど、好みは本当に人によってそれぞれだし
一般的にイメージされる「女性らしさ」が好きかどうかも、相手の好みによる。
中にはボーイッシュな人が好きだって人もいるでしょう?
胸も小さいほうがいいって人もいるし、背が高い女子がいいって人もいる。
グラマラスでセクスィ~だったり、小柄でかわいらしかったりするのが絶対的に良いってわけではない。
なので、根本的にうまくいくかどうかっていうのは
需要と供給が一致するかどうか
だけにかかっていると思うのですよね、正直なところ。
なもんで、恋愛を成就させるための「セクシャリティ解放」は
努力の方向としては、いささか間違っているのかもしれないな、と思ったわけです。
でも、先ほども書いた通り
自分らしい魅力は伝わりやすくなるので、それを良いと思ってくれる人と出会える確率は高まるわけで、結果的に
自分に合う人を見つけやすくなる=パートナーシップや人間関係がうまく回りやすくなる
というのは、セクシャリティ解放の大きなメリットだと思います。
セクシャリティ解放とは「自己表現」のこと
私が思うに、セクシャリティ解放という言葉の真意は、単純に
「自己表現」
だと思ったんですね。
自分らしさを表現すること、つまり、ありのままの自分を世界にまっすぐに差し出すこと
恥ずかしいなら恥ずかしがったままでいいし
いじけてるならいじけたままでいいし
怒っててもいいし
ただ、それをそのまま
「これが自分なんです、てへぺろ」
とさらけ出すこと。
それだけで十分に、「自分」という存在を外側の世界に対して与えていることになるんだと思ったのです。
とはいえ私たちは、色々な理由で自分のことをダメだと思っていると
自分の何かを隠そうとしたり
かっこつけて大きく見せようとしたりするもんです。
ちっぽけで大したことなくてどうしようもない自分がバレないように
バレて恥ずかしい思いや、みじめな思いをしなくて済むように
無意識に、守りの態勢に入るものです。
そういう時って、人からどう思われるのかを気にしている状態なので
意識のベクトルが、自分側に向いているのですよね。
エネルギーが、内へ内へとこもっていくような感じ。
逆に、人からどう思われるかを気にせず、自分のことを素直に表現できている時って
自然と、自分から出るエネルギーが外側に向かっていくものだと思うのです。
つまり、何か特別に与えようとしなくても
自分から自然と発せられるものが相手に届く=結果的に与えている
ということになっているんじゃないかと。
ライブ中にもネタにしたのですが、自分がそれを感じたのが、会社員の仕事復帰直後に挨拶回りをした時の出来事だったのですね。
私は、久しぶりに昔なじみの同僚の方々に会えたことがうれしくて
テンション高めに、あーだこーだとみんなに絡んで来たんです。(気持ちウザめに…)
ただ、今までどうしてたの?って話をしたり、これまで大変だったね~って話をしたり。
それを、ただただワーワーやってたら、2か所で
「何もしなくていいから、うちの部署来てよ」的なことを言われたのですね。(笑)
何もしなくてもいいから、ただここにいて欲しい
って、私が喉から手が出るほど言われたかったやつなので(笑)
今まで、そんなこと言われたこともないのに、一日に2回も言われた!って一人でホクホクしてたんですよ。
もちろん、リップサービス的なものだろうし、実際に何もしないでいていいわけもなく。仕事だし。(笑)
でも、私がワーワーギャーギャーと一人で勝手に騒いで絡んでるのを、相手がなんとなく楽しんでくれているような感覚はあって
それで、なんか元気になったわ~と言ってもらえたりして
それって、自分としては何かを与えようと頑張っていないのに、相手が勝手に受け取ってくれている感覚だったんですよね^^
なんか、すごいラッキーだなぁと。
その時の私の状況を思い返せば、本当にただ素の自分を表現していただけだったのですよね。
みんなに会えてうれしい!って気持ち。
元気にしてた?無事だった?良かった!って気持ち。
それで相手を喜ばせようなんて思わなかったし
はたまた、元気づけようなんて気もサラサラなかった。
ただ私は、私の気持ちを表現しただけだったのですが
それでも十分に、自分を外側の世界に差し出す=与えることになるんだ、というのを体感したのです。
ただ「自分」であるだけで、十分に与えている
つまり、人は自己表現するだけで、意識せずとも十分に何かを誰かに与えていて
それを「影響力」って呼ぶのかもしれません。
影響力がある人は、影響を与えようとして何かをしているわけではないんじゃないかな。
ただ、自分の考えや思いを表現して、それから何かを受け取った人が、自然と影響を受ける。
例えば、アーティストなんかもそうですよね。
自分の感性を作品に乗せて表現することで、それに感銘を受けた人が影響を受けたり、ファンになったりする。
ただそれって、前述の「性的魅力」と同じ話で
自分から発せられるものを相手が好むかどうかは、発する側にはコントロールできないものなのですよね。
ただできることは、ありのままに自分を表現するだけなのです。
どう思われるかを気にしても、コントロール不能な領域ならば
私たちは、ただ自分が発するものに誠実に、真摯にあり続けることしかできない。
でも、自分を表現すればしただけ、それに共鳴する人との出会いのチャンスは増える。
自分を知ってもらわなきゃ、何も始まらないわけですからね^^
そういった「自己表現」こそが、セクシャリティの解放の本質なんじゃないかと思った次第です。
とはいえ、その「ありのままに自分を表現する」ってのが簡単にはいかないからこそ
セクシャリティの抑圧だの、ブロックだのって話になるわけですが
結局、自己表現の土台となるのは「自己肯定感」であって
自分はこれでOK
これが自分
と思えているかどうかが、その自分を素直に表現する勇気につながるんだと思います。
人から見られる自分が気になる時…
例えば、変に思われるんじゃないかとか
ダサいと思われるんじゃないかとか
ダメだと思われるんじゃないかとか
嫌われるんじゃないかとか
そんなことを感じるときって、自分で自分を疑っているのですよね。
なので、どんな自分に対しても
これも自分、あれも自分とコツコツと受け流していく、受け入れていくことで
自己受容からの自己信頼へとつながっていくのではないかなと思います^^
つまるところ、セクシャリティの解放にも自己肯定だね!っていう、いつものオチになりますが。
どんなに自分に自覚が無くても、私たちは私たちであるだけで、自然と外側に与えているものが実はあるんだよ!って話でした。
気負わず、頑張りすぎず、ただありのままの自分を表現して生きていけたら、こんなに素敵なことはないですよね^^
だけど、それがたくさんの人にとって難しいことだからこそ
それをするには勇気も度胸もいるわけで
だからこそ、私たちが自分の「ありのまま」を表現することが
それだけで、人に何かを与えることになるってことなんだな、とも思ったのでした^^
ではまた!
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