愛あるみなさま、こんにちは!
サトヒです。
本日、2月2日はワタクシのバースデーでして。
めでたく!!!!40歳になりました。
満40年。無事に40年生きてこられたことに、感謝感謝の日ですね。
Facebookやtwitterなどでお祝いのメッセージをくださった方には、順次お返事をさせて頂きます!それぞれに温かいお言葉、ありがとう!
2020年2月2日に40歳とは、なんとめでたいと思っていたら、今年は令和2年という要素まで追加されて、「2」三昧の大フィーバーです。
(ちなみに、2002年に22歳になった以来の、「2」フィーバーです。てへぺろ♡)
今年の誕生日は、日曜日だったので、土日でお泊りに行ってきました。
40周年記念ということで、超絶奮発して、シャングリラホテルのクラブフロアにしてみました!!
恐るべき豪華さの割に(?)、子連れに優しい、居心地の良い素晴らしいホテルだったので、宿泊記については、また別記事にしようと思ってまーす。
ちなみに、慣れない豪勢さに疲れたせいか、家に帰って食べたインスタントラーメン(うまかっちゃん)が沁みた(笑)
誕生日ということで、夫が作ってくれました。(麺が見えない)
私が生まれたのは、7時6分だったそうですが、今日、朝起きたら7:30を過ぎていました。(笑)
生まれてから40年目の瞬間は寝過ごしてしまいましたが、朝起きて、ベッドの中で自分をハグして
「40年、よく生きてきたね」
と伝えてみたら、なんだかジーンとしました。
色々辛いこともあったし、しんどくてどうしようもないこともあったり、自分なんていない方がいいと、死んだ方がいいんじゃないかと思うようなことも多々ありましたが
でも、こうやって、当時の私では想像できないような自分になって、たくさんの憧れを経験しまくっている今。
「本当に、よく生きてきたね。どうもありがとう、私。」
と、頭を自分でポンポンしてあげました。
私は、随分と強くなりました。
それは、自分をずっと見ていた自分の”意識”の存在に気付いたのが大きくて。
私の意識は、いつでも側にいて、私のことをただ見ていてくれたという気付き。
私が、自分自身をどう定義するのか、つまり、どんな自分を「私」として、この世で表現するのかを、ただただ見守り続けてくれた何か。
それは、否定も非難もすることなく、ただ傍でずっと見守ってくれていたのです。
私が何を選んでも、何をどう考えても、それでいいのだと、ただ温かく微笑んでいるだけで。
それを神と呼ぶのか、魂と呼ぶのか、未だにやっぱりよくわからないのだけれど、そこからもたらされる安心感が、私を前より自由にしてくれた気がしています。
自分の世界は自分で創っていると言われているけれど、それはつまり、自分が何者であるかを定義することによって、その自分にとってふさわしい体験を選び、その積み重ねで自ら世界を創っているということなのだと思うんですね。
自分が何者であるかという定義によって、視点が変わる。
私が、世界をどう見るのか、という視点。
そして、最も重要なことは、「自分が何者であるか」は自分で自由に決められるのだということ。
誰がなんと言おうと、誰がなんと思おうと、他人の評価がどうあっても、本質的な自分の評価を決められるのは自分だけなのです。
だから、自分が自分を信じていられれば、それで十分なのです。
自分が自分をどう思うかで、体験する世界を選ぶことができるのだし、実際、自分の見ている世界は、「空」という名の、心が生み出す実体のない幻想でしかないのだから。
思考だけでは、なかなかそう思えないものだけど、やっぱりそうなんだと思うのです。
そういえば、先日書いた記事のネタを
お師匠様がより高度に、詳細に、論理的かつわかりやすく、ボリュームたっぷりに書いてくれていてくれたのですが
その中で、とても好きなセリフがあって。
「時間はある。お金もある。人もいる。仕事もある。何でもある。」
そう、本当はなんでもあったのです。
全ては、見ようとした時に、初めてその姿を見せてくれるものばかりなのです。
「ない」と思えば、何も見えない。
だけど、「ある」と思えば、必ず見えてくるものがある。
だから、なんでも「ある」前提で探したらいいのです。
そうやって、「ある」世界は自分で創り上げていくものなのです。
それが腑に落ちた時、自然と感謝の気持ちが湧いてくるのかもしれませんね^^
思い出してごらん。人生の目的は、いままで思い浮かべたなかで最も偉大なビジョンの、最も壮大なバージョンの自分を新たに再創造することだよ。
(神との友情)
さて、私はどんな40歳にしましょうか。
あなたは、どんな1年にしましょうか。
私も皆様も、全て「ある」前提で、最高の「自分らしさ」を体現し、より多くの「ある」を経験できる、豊かな1年になりますように!
ではまた。
コメント