「自立」とは、自分のニーズを自分で満たせるようになることから【ココロノマルシェ】

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 【癒しマニア(依存)からの抜け出した方のアドバイスを下さりませんか…?】
 

人は自分のニーズ(欲求)を自分で満たすことができない時に、外側に救いを求めてしまうものです。

なので、「自立」の一歩としては、自分の要求に、自分で応えてあげられるようになることが大切だと思うのです。

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ココロノマルシェにご相談頂いた内容に回答しています!

癒しマニア(依存)からの抜け出した方のアドバイスを下さりませんか…?
アドバイスお願い申し上げます。 私は20年前くらいに情緒不安定で悩まされた時に心理学やカウンセリングを知り、それ以来それ...

アドバイスお願い申し上げます。

私は20年前くらいに情緒不安定で悩まされた時に心理学やカウンセリングを知り、それ以来それを活かすというより依存的に寄りかかる、現実逃避の逃げ場にする、という状態になっています。

決意して、カウンセリングをやめ少しずつ自立心や自分を振り返ることを出来るようになってきました。

ですがここにきてまたカウンセリングやセラピーに頼りたいという気持ちが止まらくなり、そうなるともう習慣になってた自分で自分を満たすあれやこれ(散歩、趣味、自分との対話)など手につかなくなって受けてみたいと思ってるセラピストさんたちのブログばかり読んでしまっています。

過去何度かカウンセリングやセラピーを何人か別の方で時間をあけて慎重に今度こそ建設的に(依存ぜずに)利用しようと試しました。
でも上手くいったがありません。

わたしは子供の頃から人の顔色を伺ったり相手の望むような言葉しか言わない癖があります。

またこれがやりたいとかこれがすきという感覚がなく、基準は、これなら疲れない、これなら逃げ出さないで続けられるかも、という判断で生きてきました。
またそれも周りの強い大人がこっちがいいんじゃないか?

と言ってはじめて安心して選べるという感じです。

こういう普通は十代で経験する自立を経験せずに生きてきた人間が、カウンセリングを建設的に丸投げせずに自立のスタートラインに立つ手段として利用するにはどうしたら良いのでしょうか?

またそういう段階では対面セッションは適切ではないのでしょうか?

例えば、自分に合うセラピーワーク本を一冊何度も繰り返し実感が湧くまで、自己完結的にやる方がいいとか…

御指南いただけたら幸いです。

(西成さん)

「自分らしさ」をとことん追求する、ライフワーク研究家サトヒです!

癒しマニア、セミナージプシー歴の長い私ですが、どうしても辛い気持ちが強い間は、藁にもすがる思いで、自分のしんどさを「どうにかする方法」を探し続けてしまうものですよね~。

私も長い間、手当たり次第あれこれやってきましたわ・・・。(遠い目)

苦しくて仕方がない時に誰かや何かに救いを求めたくなるのは、しょうがないことだと思うのです。

「ち、地球のみんな!たのむ!たのむから元気をわけてくれ!みんなの助けが必要なんだ!空に手を上げてくれ!はやく!…」

と、すぐさま元気玉を集めたいくらいの、焦燥感と不安感。

そんなネガティブな気持ちが自分では処理しきれず、かといって元気玉が集まる気配もなく、孤独の中で、どうしていいか途方にくれたような状態。

まずは、そのくらい自分が辛いってことを、自分で受け入れてあげるのは大事だと思うんですね。

カウンセリングやセラピーに頼りたい気持ちを悪者にするのではなく、そのくらい、誰かに助けて欲しい、気持ちをわかって欲しい、癒して欲しいと望む自分がいるのだということを、自分で受け止めてあげる。

まずは、それが一歩かな、と。

そもそも、カウンセリングやセラピーに依存してしまうのは、そこで得たいと思っているものを、自分で自分に与えられていないから、だと思うのです。

西成さんが、カウンセリングやセラピーに求めるものってなんでしょう?

じっくり話を聞いて欲しい?

ただただ、自分の話に共感して欲しい?

静かに寄り添って欲しい?

あなたは悪くないって言って欲しい?

自分の価値に気付かせて欲しい?

大丈夫って言って欲しい?

そのままでいいよって許して欲しい?

人は自分のニーズ(欲求)を自分で満たすことができない時に、外側に救いを求めてしまうものです。

生まれたばかりの赤ちゃんは、自分では何もできませんよね。

でも、お腹はすくし、眠くもなるし、遊びたくもなるし、甘えたくもなる。

その欲求を自分では満たすことができないので、保護者に依存するしかありません。

依存は、生き延びるために必要なことでもあったのです。

ただ、幼少期の親子関係の中で安心して依存する経験を得られないと、自分の中の依存心が十分に満たされないまま大人になり、他者との人間関係の中で、自分の依存心に振り回されてしまったり

逆に、親が過干渉・過保護で、子どもの自立を妨げるような行動が多かったりすると、精神的に自立できないまま大人になり、共依存状態が続いてしまったり、ということがあります。

西成さんが

>わたしは子供の頃から人の顔色を伺ったり相手の望むような言葉しか言わない癖があります。

>こういう普通は十代で経験する自立を経験せずに生きてきた人間

と書いていらっしゃるのを見ると、もしかしたら過干渉気味の保護者に、自分の意見を発する前にアレコレ決められてしまった、という経験があるのかもしれません。

もしくは、家庭内のバランスを取るために、自分の意見よりも家族の意見を優先し続けなければいけないような環境があったのかもしれません。

いずれにせよ、自分の本当の気持ちや、自分らしい行動や選択を、安心感を持って受け入れられる機会が少なかったのだと思います。

だからまず、「自分の依存心や欲求は仕方のないものだったんだ」と理解してあげるのは大切だと思います。

苦しくて依存したいのに、そんな気持ちすら自己否定してしまったら、心は行き場を失ってしまいますから。

ちなみに、普段から人の顔色を伺って、他人軸で振り回されやすいタイプは、それだけで日々疲弊してしまうので、「私は私、人は人」のアファメーションも効果的ですよ^^

自分のニーズを自分で満たす

人は自分のニーズ(欲求)を自分で満たすことができない時に、外側に救いを求めてしまうものです。

と書きましたが、逆に言えば、自分のニーズを自分で満たすことができれば、外側に救いを求める必要はなくなるわけです。

なので、「自立」の一歩としては、自分の要求に、自分で応えてあげられるようになることが大切なんですね。

先ほど、「西成さんがカウンセリングやセラピーに求めるものって何?」と伺いましたが、そこで出てきたことを、まずは自分に与えてあげて欲しいのです。

共感なのか、信頼なのか、寄り添いなのか、賞賛なのか、安心感なのかわかりませんが、外側に求めてやまないものを、自分で自分に与えるんです。

もしかしたら、その根本にあるのは「愛されたい」という欲求なのかもしれません。

「こんな自分でも愛される」という感覚が得たくて、カウンセリングやセラピーを求めているのかもしれません。

ただ、

>そうなるともう習慣になってた自分で自分を満たすあれやこれ(散歩、趣味、自分との対話)など手につかなくなって

と書いていらっしゃるので、きっと日ごろから、自分を満たすことを意識して努力しているのだと思います。

だとしたら、その習慣をもう少し拡大して、より「自分が安心して、愛されていると感じられる、心が満たされること」を自分に与えるようにしてみてはいかがでしょうか?

「自立」って、言うなれば「自分で自分の面倒を見ることができること」でもあると思うのです。

自分が何をしたら喜ぶのか?

何をしたら幸せなのか?

何が好きで、何が嫌いなのか?

どんな時に落ち込むのか?

落ち込んだ時は、どうして欲しいのか?

根本師匠の弟子講座中の課外授業で、先輩カウンセラーのヤタさんが「自分の取り扱い説明書」を作る方法を教えてくれたのですが、せっかく自分との対話を習慣にされているのなら、一度、自分の「傾向と対策」のようなものをまとめてみるのも良いと思いますよ^^

「私、こうされると嫌なんだ、こうされると嬉しいんだ」

「こんな部分に、愛情(安心感)を感じるんだ」

そんな風に、自分の感じている部分に目を向けて、何をすれば自分がどう感じるのか、ということを客観的に観察してみてくださいね。

ちなみに、「私軸」を提唱するヤタカウンセラーのブログはこちら↓

本来の目的に立ち返ってみる

>カウンセリングを建設的に丸投げせずに自立のスタートラインに立つ手段として利用するにはどうしたら良いのでしょうか?

>またそういう段階では対面セッションは適切ではないのでしょうか?

と書かれていますが、依存心が強いからといって、対面セッションがダメということはないと思うんですが

世の中にはその「満たされない依存心」を悪用しようとする人もいるので、信者から金銭を搾取することだけを目的にした、宗教的な依存ビジネスには気をつけた方が良いかな、とは思います。

(もちろん、それで本当に心が救われて生き易くなるならば、その人にとって必要なものだと思うので、どんな信仰心も否定はしませんが。)

ちなみに、セミナージプシーとして長らく生きてきて思うのは、カウンセリングもセラピーもセミナーも

「何のために、それを受けるのか?」

という目的だけは見失わないようにした方がいいと感じてます。

癒しも学びも、本来は幸せになるためだったり、もっと生き易くなるためだったりするはずなのに、いつしか目的のための手段だったはずのものが、目的そのものにすり替わってしまうことがあるのです。

癒されること、学ぶことが、目的になってしまう。

別に、それが好きで好きでしょうがないっていうのならいいんですけど、お金も時間もかかることですし、目的を忘れてがむしゃらにやり続けるうちに「あれ、私、何のためにこれをやってたんだっけ?」と我に返ることになりかねません。(汗)

なので、

「癒された自分は、どんな自分で、どんな生活をして、どんな気持ちを感じながら、人生を過ごしているのか?」

というビジョンは、意識して思い描くようにした方が良いと思っています^^

まぁ私自身、手段が目的になりがちなタイプなので、全く説得力ないんですけどねぇ。(笑)

「自立」とは、自分の幸せに責任を持つこと

カウンセリングやセラピーは、本質的にクライアントを救ったり、変えたり、幸せにしたりすることはできません。

あくまで、クライアントが自分で自分を幸せにする力を引き出すためのサポートをしているだけなんです。

だから、どんなに依存して、カウンセラーやセラピストにおんぶに抱っこ状態だったとしても、最後の最後で自分を変えて、自分を幸せに導けるのは自分しかいないのです。

どうしても、依存が強いと他人軸になって、自分の幸も不幸も他人次第になってしまいます。

逆に「自立」は、しっかりと自分軸を整え、自分の選択を信じて、自分の幸せに責任を持つ、ということでもあるのかもしれません。

その意識さえ土台にあれば、自分ひとりで苦しい時に、誰かの力を借りるのは全く問題ないことだと思いますし、むしろ一人で抱えこまずに、遠慮なく相談して欲しいなぁと思います。

西成さんが、「この人に相談したい」と思える人に出会えることもまた、素晴らしいご縁だと思いますので!

西成さんの才能や価値を見続け、心から西成さんの成功を信じ、自然な自立を促してくれる、素敵なカウンセラーに出会えることを祈っています!

そして、西成さんが自分軸で、自分らしい幸せな人生を叶えていけますように。

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