愛あるみなさま、こんにちは!
サトヒです~。
恐ろしいほどに、ブログが更新できておりませんでした…。ヤヴァイね。(笑)
毎週末出かけていたのと、仕事で産休前の引継ぎが入ってきたこともあって、とにかく公私共々バタバタしてた!!という印象で、この3週間ばかりがあっという間に過ぎ去っていきました。
忙しいは「心を亡くす」というけれど、本当に自分を振り返る暇がない!
立ち止まって、自分の心と対話する時間がない!
そんな印象です。
忙しいと、どうしても目の前のことを「こなす」ことで精いっぱいになりますよね。
せっかく、心が満たされる経験がたくさんあった時期でもあったのに、おちおち振り返ってる余裕がないのが非常に残念です。。。
ちなみに、先週末に親愛なる弟子仲間の一人が叶えたライフワークの世界にお邪魔しに行ったというのに、夢のような時間を反芻して、味わう時間がじっくり持てずにいるのがとても残念~!
▼伺ったのはここ
家族と共に、大好きな仲間たちとただただ楽しい時間を過ごせたことが、幸せすぎましたよ~。
落ち着いたら、書く書く詐欺になっている「子連れ宿泊記」の一つとして、記事にしたいと思っています。産休入ったら、絶対まとめて書く!!(これぞ、コミットメント)
ということで、今回はこの忙しい日々の中での「愚痴」です。(笑)
もうねー、仕事がクソなんですYO!!!!
タイトルにある通り、私は仕事中に号泣したんですよ。まぁ、私は仕事でよく泣く方だと思うんですが。(笑)
出社してる時は、よくトイレにこもって泣いてましたけど、今は在宅なんで泣き放題ですね。
噂によると、歳を取ると涙ぐみやすいというのは、感性が豊かになるからとかそういう話以前に、涙腺の筋力が落ちるからだとかなんとか…。つまり、老化現象?(笑)
最近、身体に謎の赤い点みたいなものが増えたので、気になって調べて見たら
「老人性血管腫」
という名の、加齢によって生まれる赤いほくろみたいなものだという検索結果に辿り着きました。
「老人性」
ですってよ、奥さん。(笑)
と話が脱線しまくってますけど、なぜ泣いたかというと、自分の中で限界を超えたからに他なりません。
わかってもらえない、助けてもらえないという絶望と憤り
私は、とある活動の担当をしているのですが、どうもその活動がうまく進んでおらず。先日、本社との会議の中で活動の進まなさを指摘されたことを、上司がつついて来たんですね。
そもそも、私がこの活動の担当になったのは約1年前で、その頃から会社が本格的に外資という名の黒船に乗っ取られ始め、その中で私はより本社機能に近い部門に異動することになりました。
本社機能に近いということは、やり取りはほとんど海外のメンバーだし、仕事の依頼もほとんど海外の本部から落ちてきます。
元々、海外生活をしたこともないし、英語は仕事のために独学したけど、海外文化に詳しいわけでも、慣れてるわけでもありません。
その中で、仕事のやり方も、コミュニケーションの取り方も日本とは全く違うということを目の当たりにして、それでも持ち前の(?)柔軟性を発揮して、それなりにこなしてきたつもりでした。
だけど、やっぱりしんどかったんですよね。右も左も、背景も何もわからない状態なのに、「とりあえずこれ進めといて」と、無情にもどんどん落ちてくる業務。
言語の壁もあって、指示や依頼がすぐ理解できないこともストレスで。
かといって、周りも私と同じ状況で困っているわけだし、そもそもその活動を担当しているのは私だけなので、身近で不安や不満を共有したり、頼れる人がいない。
わからないものをどう進めていいかもわからないので、依頼主に詳細を聞こうとしても、「ここに資料あるから見といて」くらいしか教えてくれないし、時差のせいでやり取りもスムーズに行かないことばかり。
そして、会社のシステムが整っていないのもあって、ここはできるけど、あっちはできないみたいなことが、国によって異なる。にも拘らず、グローバルに同じ活動を促進せよと言われる。
外出自粛で、在宅勤務が増えて、もちろん通勤が無いとか良い面もたくさんあったのだけど、業務内容はどんどん加速していき、なんとなく孤立感が強まっていたこともあるのかもしれません。
とにかく、自分なりに試行錯誤してきた半年間だったのですが、自分ではわからないことも多く、思うように進まないことばかりだったところで、上司の理解のない(ように感じる)発言で、私の心の堤防が決壊してしまったのでした。
上司は私が何をやっているかなんて、全く興味も示さず、とりあえず投げっぱなし、任せっぱなし。
そのくせ、何か上から言われると、ただただ「ちゃんとやれ」と無慈悲なコメントをぶつけてくる。
あんたなんて、何も助けてくれないくせに。
私が何をやってきたか、どんな苦労をしてきたかなんて、何も理解しようとしないくせに。
結局上の顔色ばかり見て、部下のサポートなんて何もしてくれないじゃないか。
うまくいかないことばかり私に押し付けて、じゃあどうすればいいのか?どうしたらうまく回るのかなんて考えてくれないじゃないか。
このクソ上司ーーーーー!!!!〇ね!!!!
と、そんな気持ちが溢れて、ブチ切れて打合せ中に号泣ですよ。(ミュートして、画面の向こうで嗚咽)
久々に、強烈な憤りを感じましたわ…。許せん。
打合せ後、とりあえず一番話がしやすい上司に思いの丈を聞いてもらい、少し気持ちが落ち着いたところで、とりあえず今の私にできることをやったら、上の人をたくさん巻き込んだせいか、少しずつ活動が動き出したのですが、心はどうも晴れないまま。
次の日も、別の会議で同じような発言をされて、またすぐ涙腺がぶっ壊れたので、「これはどげんかせんといかん」と思い、件の上司に直接対決を申し込むことにしたのでした。
これはもう、自分が思ってることをはっきり言わないとダメだ、と思ったんですね。
夫とかもそうなんですけど(笑)、やっぱり男って察するのが苦手です。もちろん、自然とそういうことができちゃう感動的な男子もいますけど、基本的にはデリカシーない奴には、思いを直接ぶつけないと通じないということを、長年の経験から私は学びました…。(苦笑)
自分自身が「察すること」が得意な分、相手にも「察しろよ!」と思いがちだし、察せない相手にイライラするし、そもそも自分の思いをはっきりと言葉にして伝えることが苦手な私なのですが
察せない相手の発言で傷つくことがあるなら、自分の思いをきっぱりハッキリと伝えることで自分を守るしかないし、それがお互いのためになる。
ということを学んだので、前よりはできるようになってきました。
以前の私だったら、我慢して我慢して、自分の思いを何も伝えずに関係を断つ方法を考えるということを繰り返してたので。
ということで、上司との直接対決も、開始5分もしないうちに号泣。(笑)
こういう時に泣くと、すごい負けた気がして悔しいのですが、溢れる涙を止める術がありませんでした。
とはいえ、デリカシーはないけど、それなりに優しさはある上司だったので、私の思いの丈を聞いて
「あなたがやってきたことはちゃんと見てきたし、うまくいかないのはあなただけの責任ではないし、そもそも責めてない。よくやってきてくれたと思っているし、言い方が悪かったことは申し訳なかった。これからは、困ったことがあったら何でも言ってくれていいから。」
的なことを言われ、謝られました。
私は私で
・これまで自分なりに考えながらやってきたけど、思うように進まないことばかりでもどかしい思いを抱えてきたこと
・どうしていいかわからないことが多く、誰にどう頼ればいいかわからずに抱えこんできたこと
・任されたはずのことがうまく進められないことに、責任を感じていること
・期待されていることや、周りが求めていることはわかるのに、その期待に応えられないことが心苦しく、申し訳ないと思っていること
を伝えました。
すると上司から
「全部できるわけないよ、スーパーマンじゃないんだから」
と言われて、苦笑。
あぁ、そうか。私、スーパーマンになりたかったのか。
上司との直接対決で、自分の口から出てくる言葉の数々を客観的に聞きながら、自分がこれまで抱えてきた思いに改めて気付いたんですよね。
仕事に対しての責任感とか、誰かの期待に応えたい気持ちとか、もっとできる自分でありたい自分への期待とか、なんでもうまくこなしたいという完璧主義さとか。
そういうあれやこれやが混ざりに混ざり合って、「なんとなくしんどい」という状況を生み出していたのだと思うのです。
「白旗を上げる」=サレンダー
今回の号泣事件は、私なりには「白旗を上げた」ということになったんだと思うんです。
つまり、負けを認めて、できない自分に正直になった。
でも、そこまでの道のりは長かった…。気付かない間に最低でも6か月は孤軍奮闘してきたわけですから。
自分の気持ちを騙し騙し、それなりに目の前のことをこなすことで、どうにか「できない自分」をごまかしながらここまで来たんですが
「もうこれ以上できない」
というところで、上司の発言が「もっとちゃんとやれ」という意味に聞こえて、爆弾を落とされたような感じがしたんですよね。
「こんなにやってきて、全然思うようにできなかったのに、これ以上どうしたらいいの?私には、もうできない!」
って、私の中で何かが崩壊したんです。
逆に言えば、そのくらいまでいかないと、私には白旗を上げることが難しかったのでしょう。
セッションとかでも「白旗を上げましょう」なんて提案をすることがあるけど、いかにそれが難しいかがよくわかるエピソードでした。(人には言えるけどね…苦笑)
私にとって「白旗をあげる」というのは
・誰かの期待に応えられなくなること
・もっとできる自分でありたいという期待を捨てること
・自分の限界を認めること
・責任を果たせないこと
とイコールなので、それはそれは苦しいものでした。
罪悪感やら無力感やら自分の弱さやらを、痛いほど思い知らされるからです。自分のプライドみたいなものも、思いっきりへし折られる感じもしますし。
でもね。
白旗上げてから、周りが優しくなったんです。
そして、物事がうまく回り始めたんです。
できないことをできないと言ったら、協力してくれる人は必ず現れるし、苦しいことを苦しいと言ったら、ちゃんとその気持ちを理解しようと、労わろうとしてくれる人は必ず現れる。
自分が思うよりも、ずっと優しい人ばかりだった。
そして、1人で抱えて込んできた時よりも、よっぽど協力的に、自立的に周りが動いてくれるようになるのです。
そして、何より自分の気持ちが楽になるし、「こんなもんでいいか」と無駄な肩の力を抜いて、仕事と向き合えるようになるのが一番の変化かもしれません。
「できないもんはできないんだから、しゃーない」
そんな風に、過剰な責任感を手放すことができるようになりました。
そもそも、「白旗上げる」って「サレンダー」ってことなんですよね。
自分でどうにかしようというコントロール欲求を手放す、流れに身を任せる、まな板の鯉になる。
できないことをできないと認めるのは、逆に言えば「周りを信頼する」ことでもある。
だからこそ、打つ手を打ち切った先の打開策は、それしかないのかもしれません。
結局、宇宙の流れが「うまくいく」方向にしか進まないようにできているのなら、コントロールを手放した瞬間に、物事はあるべき場所へと収まっていくものなのかもしれませんね。
それでも「白旗」上げるのは難しい…!
とはいえ、どんなに頭でわかっていたとしても、それでもなかなか白旗を上げるのは難しいことだと思います。
本当は、限界突破する前に助けを求められたらいいのだけど、「まだまだ」って思いたい自分もいるからこそ頑張っちゃうし、なんとか頑張れちゃうものなんですよね。
そもそも自立して生きてこざるを得なかった人は、人に頼ったり甘えたりすることが苦手だし、自分の弱さを認めるのが怖いと感じるものだし。
でも、いつか「やっぱり無理だ」ってなってしまう時が来たなら、そんな自分を、まずは自分で受け入れてあげて欲しいなぁと思います。
「結果が出なかったとしても、これまでちゃんとやってきたことは、誰よりも自分が見ているよ」
と、自分のこれまでのプロセスを、認めて受け入れてあげて欲しいなぁ、と。
男性性優位で頑張ってくると、どうしても結果主義になりがちなので、結果が出ない事を「悪」に捉えがちですよね。
でも、人生を味わうためには、プロセスの方を見てあげることが大事なんだと思うんですよ。
しんどくて投げ出すことになったとしても、そこまで進めてきた中で学んだこと、成長したこと、関わってきた人たちは、自分の人生経験の中で、大きな財産になっているはずです。
人生に、無駄なことは何もなーーーーい!!!!
自分なりに与えてきたこと、得られたことを見てあげることは、自己肯定感のためにもとっても重要なことです^^
白旗を上げた直後は、挫折感や無力感でいっぱいかもしれません。でも、そういった「自分なりの価値」に目を向けてあげたら、「やれることはやったんだし」って潔く思えるような気がしてます。
あ、ここまでの話は全部自分に言ってますけど。(笑)
爆発して号泣して、一人で大騒ぎしたけれど、今となってみれば、必要なガス抜きだったのだなと思っています。
周りも、私の涙をそこまで気にしてないしね。(笑)
もし誰か、孤立無援で頑張っていて、なかなか「白旗」を上げられない人がいたとしたら、とりあえずそこまで頑張り続けてきた自分に「よくやったね!」と言ってあげてくださいね^^
「白旗」を上げるのは、めちゃくちゃ大変だけど、上げたら上げたなりに自分も周りも変わるよ~という経験談でした。
誰かの何かの勇気や行動のきっかけになれば、これ幸い。
ではまた!
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