【他人への恐れをなんとかしたい】
子どもにとって、大人の怒りというのは強大で恐ろしく感じてしまうものです。
そんな恐怖を感じながらも、誰よりも親の気持ちを優先して生きてきたのなら、常に自分を後回しで、自分のことを気にかけることもできずに来てしまったのだと思います。
それ程までに、自分の気持ちを抑え込んでも、ご両親を守りたかったという気持ちに気付いていますか?そのくらい人を愛せるあなたが、”人間の出来損ない”なわけないじゃないですか。
******************
ココロノマルシェにご相談頂いた内容に回答しています!
こんにちは。
突然ですが、私の両親はいつも怒っていました。両親の仲は私が生まれる前から最悪で、家の中は怒声が飛び交い、いつも怒りで満ちていました。
そんな私はいつも怒っている両親の顔色を窺い、親の言い分(もっぱら相手への怒り)に賛同し、仲を持とうと失敗して泣いたり、怖くて部屋の隅で耳をふさいだりしていました。
なのでいつも親が怒っているときはこれ以上怒らせないようにいつも細心の注意を払っていました。
そんな両親も私が中学生の時に離婚し、心に平穏が訪れた……と思ったのですが、今度は他で会う人々が怒っているんじゃないか、ということを恐れ始めたのです。
今でこそ大分マシになりましたが、相手の顔色を窺って、意見を飲み込んで、相手のイエスマンになろうとするのです。
そして、少しでも機嫌が悪いように見えると、私が何かした?怒らせた?ととても恐ろしくなってしまいます。
自分のした発言を家に帰ってから思い出し、悪く思われたんじゃないか?軽蔑されたんじゃないか?と自分への好感度が下がることも怖がっています。
そして、両親のようにいつも他人に怒っています。
何もされていなくても先の展開を勝手に脳内で作って怒ったり、何か言われた言葉の理由を頭で考えて憤ったり。
とても疲れます。怒られるのが怖いから、先に怒っているのでしょうか。
以前望んで生んだのかと聞いた時にはぐらかされ、「望まれなかったんだ」と思ってショックでした。
私がいなければ両親はこんなに苦労はしなかっただろうとも思うと、自分が存在しなければ良かったんだと思ってしまいます(両親なりに愛されていることもわかっているのですが)。
社会的に見てあまり良い学歴や職でもないので(やりたいことをやっているので、私はそれなりに満足なのですが)、他人が目の前にいるだけで自分という存在に劣等感を感じます。
誰かを人間としては好きでも、恋愛のような心を持ったことがないし、他人が持っている感性も持っていない、きっと人間の出来損ないなんだと思ってしまいます。
人が怖い分、向き合うのも怖いです。でも人並みに幸せになりたいと思います。恋愛だってしてみたいし、他人や自分に堂々と胸を張って生きていきたいです。
どうしたら、この相手への恐怖を軽減できるでしょうか?
長くなってしまいました。読んで下さってありがとうございました。
(むんさん)
弟子29号、サトヒと申します!
私がココロノマルシェのサイトから、回答するご相談を選ぶときは「なんとなく」ということが多いのですが、ここ数件「怒り」がテーマのご相談を無意識に選んでおります・・・
これ、私の専門分野になりそう?
この際、「怒り」カウンセラーって命名しようかしら?
私自身、長い間自分の「怒り」とうまく付き合えずに悩んできたということもあり、つい気になってしまうんでしょうね。
ということで、むんさん、どうぞよろしくお願いします!
*
むんさんは、小さい頃から中学生になるまで、ずっとご両親の間で、仲裁役をしてきたんですね。
子どもにとって、大人の怒りはとても強大で恐ろしいものだと思うので、自分の意思に反して吹き荒れる大嵐に、心を痛めたり、不安を感じたりしてきたことでしょう。
常に怒っているご両親を見て、とても肩身の狭い思いもされてきたのではないかな、と思うのです。
それでも、子どもは、いつだって親が幸せであることを望む健気な存在です。
むんさんも、ご両親に笑ってもらえるように、気分良くいてもらえるように、どうにか2人が仲良くなれるように、気を揉み、手を尽くして、頑張ってきたんですよね。
まずは、そんな自分に「よくがんばってきたね」って言ってあげてくださいね。
辛いときもたくさんあったはずです。
それでも、どうにかここまで生きてきたことを、まずは自分でしっかりと認めてあげてください。
むんさんは、この本(漫画ですが)をご存知でしょうか?
気性の激しいお母さんに育てられた女の人が、実体験を漫画にしたものなのですが、著者の方も、ある時から「怒り」が止まらなくなったんだそうです。
幼少期からずっと、母の顔色を覗い、母を優先して生きるのが当たり前になっていたために、「自分が何を感じるのか」「自分が何を好きなのか」「自分が何を嫌なのか」がわからなくなってしまったんですね。
つまり、究極の他人軸の状態です。
その後、結婚した相手が色々なことを受け止めてくれる相手だとわかった途端、これまで我慢してきた怒りが止められなくなってしまい、旦那さんに対して暴力的な行動をし続けてしまったそうです。
それを問題視した著者が、セラピーを通して、自分の怒りの原因を探っていくというストーリーなのですが
むんさんも、親の顔色を窺いながら、自分の気持ちをたくさん我慢してきたんじゃないかな?って思ったんです。
誰よりも親の気持ちを優先して、誰よりも親の意見を真っ先に聞いて、自分がどう感じるかよりも、親がどう感じているのか、親がどう思うのかを気にしてきたんだと思うんです。
それって、常に自分を後回しで、自分のことを気にしすらしなかったということですよね。
でも、人間ですから、本当はたくさん感じることがあったはずです。
「なんで私ばかりが、こんな思いをしなければいけないんだろう」
「怒ってばかりいるのを見るのは、もういやだ」
「怒る声を聞くのが怖い・・・誰か助けて」
もしかしたら、そんなことを感じながらも、目の前の状況をどうにかするために、必死に自分の気持ちを押し殺して、対応してきたんじゃないかなって思うんです。
また、結果的にご両親が離婚することになり、もう怒っている姿を見なくても良いと安心する反面、自分には何もできなかったという無力感を感じることもあったのではないでしょうか。
先ほども書いたように、子どもは親の幸せを一番に願っているものです。
だから、両親の不仲などがあると、それを自分のせいだと受け止めてしまうことが多いのです。
それが、むんさんの感じる
>私がいなければ両親はこんなに苦労はしなかっただろうとも思うと、自分が存在しなければ良かったんだと思ってしまいます(両親なりに愛されていることもわかっているのですが)。
という言葉に表れていると感じたんですね。
「私がいなければ」「自分が存在しなければ」というのは、究極の自己否定なのです。
自分の存在そのものに罪悪感を感じているような状態です。
それじゃ、自分の価値など、感じられるわけもありませんよね。
その上、「望んで生んだのか」という質問に明確な回答をもらえなかったとすれば、ますます自分の存在意義に疑問を感じてしまいますよね。
ご両親が、どうしてはぐらかしたのかはわかりません。
あまりに唐突な質問で、どう答えていいかわからなかっただけなのかもしれません。
でも、むんさんは「もちろんだよ」って言って欲しかったんだと思うんです。
自分の存在に対して不安を感じながら、少しでも安心したくて聞いたその質問に、望んでいたような回答がもらえなくて、「やっぱり自分はいない方が良かったんだ…」と、深く深く傷ついてしまったのだと思います。
むんさんは、親を助けられなかったという無力感や、自分がいなければという罪悪感で、ずっとずっと自分を責めてきたのではないでしょうか?
そして、親の怒りを見て苦しんできたが故、自分の怒りをうまく表現することができず、抑圧してきたということもあるのかもしれません。
言いたくても言えない、たくさんの言葉を、むんさんは自分の心の奥に溜め込んできたのではないでしょうか?
もし、むんさんの中に、うまく出せていない怒りがあるのだとしたら、まずはそれを出してみるのもひとつです。
だけど、むんさんが怒っているのは、他の誰よりも自分自身に対してなのかもしれません。
両親の怒りの原因を、全部自分自身のせいにして、自分に攻撃の刃を向け続けてきたのかもしれません。
その癖が、未だに他者との人間関係で再現されてしまい
>少しでも機嫌が悪いように見えると、私が何かした?怒らせた?ととても恐ろしくなってしまいます。
と、相手の感情の責任を全部自分のせいにしてしまうということをして、その不安を怒りに変換しているということもあるのかもしれません。
*
むんさんは、誰よりも家族を思い、家族の幸せを願い、できる限りのことをしてきました。
だけど、子どもの力ではどうしようもないこともたくさんあって、むんさんは自分の望むような結果を出せず、悔しい思いもしてきたでしょう。
だとしても、お母さんもお父さんも、むんさんの存在に救われてきたことがあるはずなんです。
今のむんさんには実感できないかもしれませんが、絶対にそこには救いがあったはずなんです。
それを、自分で信じられるでしょうか?
そんな風に健気に頑張ってきた、家族思いで愛情深い自分の存在を許すことができるでしょうか?
思ったような結果が出せなかったとしても、そこまでのむんさんの頑張りの根っこにあったのは、家族への愛以外の何物でもなかったはずです。
>誰かを人間としては好きでも、恋愛のような心を持ったことがないし、他人が持っている感性も持っていない、きっと人間の出来損ないなんだと思ってしまいます。
それくらい誰かの幸せを願い、行動できる自分が、どうして”他人が持っている感性も持っていない、人間の出来損ない”だなんて言えるでしょうか?
もうそろそろ、自分を許してあげませんか?
自分を許すことで、他人の目から自分を解放してあげることも、きっとできるはずです。
根深い罪悪感を手放すには、師匠のこちらの本もオススメですよ!
強い感情と向き合うのは、ひとりではなかなか難しいこともあるので、そのよう場合は、カウンセラーの力も頼ってくださいね。
むんさんが、これまで我慢してきたたくさんの感情を解放し、他人を目を気にすることなく、堂々と胸を張って生きていけることを祈っています!
コメント