精神的自立に必要不可欠な「怒り」のエネルギー:ネガティブな感情を消化した先に残るのは、純粋な愛だけ【ココロノマルシェ】

オカン問題

【ガッツリ毒親だと気付いてショック】

今回の回答のポイントは…

・これまで抱えてきたお母さんへの不満が爆発しそうになりながらも、どこか「怒り」を感じないようにしていませんか?

・「怒り」って、精神的な自立のために、実はめちゃくちゃ大事なエネルギー源なんですよ。

・いずれにせよ、悩みの大元にあるのはお母さんを大切に思う気持ちでしかないので、まずはネガティブな気持ちを自分の中で消化していきましょう!

詳細は本文にて!相も変わらず長文なので、お時間ある時にお読み頂けると幸いでございます。

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ココロノマルシェにご相談頂いた内容に回答しています!

ココロノマルシェ
心理カウンセラー根本裕幸のお弟子さんがあなたのお悩みにオンラインで答えます。

40歳女性、長女です。

子供の頃から実家での生活に息苦しさを感じ、このままでは自分らしく生きられないと思って大学から一人暮らしをし、30歳で結婚し今に至ります。

最近になって、ものの考え方や対人関係のよくないクセを直して生きやすくしようと思うようになり、その中で生育歴を振り返るようなことをしました。

同居していた祖母、父、母、いずれもの影響を受けている、こういうところが嫌だった、という点が出てきたものの、明らかに攻撃を受けていたということはなく基本的には大切にされていたので、母についてもソフトな毒親という感じの認識でした。

しかし最近になって自分の精神的な部分が自立に向かい落ち着いてくると、母のおかしさが余計に気になるようになりました。

調べていくうちに、母はアダルトチルドレンなのだということに気付きました。

もちろん、私自身もそういうところがあると認識しているので、ああこの人も同じなのかと思いました。でも自分のことはわかりにくいからかもしれませんが、余計に母のACはひどく見えます。

愛されていない、他人より損をしているという警戒心が強く、愛を求めるために過剰に人に尽くしたり良い顔をするのですが内心はストレスを溜め込んでおり、本人には面と向かって言えないので陰で文句を言うことになり、愚痴や嫉妬、不満を聞かされることがほとんどですし、私の事も同様に他の人に言っているのだろうと感じます。

恐れと不安が強い人です。

そしてどうやら私はそのフォローをしながらずっと過ごしてきたみたいで、その面では親と子の立場が逆転していると言われたら、そんなような気がしてきました。
私が母に悩みを打ち明けたりする事はほとんどありません。

この事を意識し始めてから気持ちがどんどん落ちてきました。あと少しでメンタルブロックを払拭して幸せになれると思っていたところに、ラスボスの登場です。

気持ちが奪われてしまい、日常生活に集中できなくて、ずっと頭の中がドンヨリしたままです。

理由を自分なりに考えてみましたが、整理しきれないしスッキリする方法も浮かびません。
どうしたらいいのかわからなくなり相談させていただきました。

整理できないながらも、モヤモヤしている点を出すと一つは、一気に他責モードになってしまったことです。

今まで自分が考えて選択したと思っていたことも、ただの母親の影響だったと感じ、被害者感と無力感がすごいです。

大きな話は、私が子どもを持ちたいと思えないこと。

この考えは自分の個性なのか問題点なのかずっと悩んでいて、自分の個性だというところに落ち着こうとしていましたが、ここへきて「母のせいだったのか」という気がしてきました。

家の中で誰かに責任を持ち続けるのが嫌、という気持ちがなんとなくあったのですが、その正体がこれだったんだと。

こんな事で夫まで子どものいない人生にしてしまい申し訳ないですし、私は他の人が当たり前に思う事を当たり前に思えないんだという虚しさが母に向かっています。

また、今までの人生で「付き合いづらさを感じた女性」はみんな母に似ていると気付きました。

進んで悩みを聞いたりしていたのも母に似ている友達。
こんなところでも影響を受けていたのかと。

二つ目は、母のこのクセは治らないんだということへのガッカリ感です。

性格が変わると期待していたわけでもないですが、毒親は治りませんという記事を他で読んで改めてショックでした。

これから私が何をやっても良い方には受け取ってもらえないんだろうというガッカリ感、そして少しでも悪く思われないように私は気を遣い続けるのだろう、というめんどくささ、などがあると思います。子どもの幸せを願う気持ちよりACの部分が勝ってしまい、妬まれそうな気がします。

また、母を幸せにする事はできないんだという無力感もありそうです。

三つ目は自分の言動が母の影響を受けたものだったり、母に似ているものだと思うと、自分のことも批判的に見てしまいます。

「そういう人の顔色を伺うところ、キモい」などと自分に思ってしまいます。

精神的な境界線を引く、が基本方針だということはわかっているのですが、頭と心がバラバラな感じがするのは何なのでしょうか。

不安・恐れなのか、悲しみなのか、何なのだろう。。。

特別な出来事があったわけではなく、私の考え方が変わったから感じた事だとは思います。

連絡を断つなど極端な事をすると会わない間に妄想で嫌悪感を強めてしまいそうでそれは勿体無いですし、日々鬼のように連絡が来る、などはないので、うまく付き合っていきたいというのが希望です。

何かヒントになる事があれば教えていただければ幸いです。

(まーさん)

愛と理屈であなたの心を解きほぐす、ライフワーク研究家サトヒです!

ご相談頂いてから大分日にちが経っているのですが、私なりの回答を書かせて頂きますね^^

ご相談を読んで一番に感じたことは、「うーん、いい調子ですね!」ということだったのです。

苦しみの最中にいるとすれば、なかなか簡単にそう思うことはできないかもしれませんが、まーさんがここまで色々なことを考えて、たくさんのことに気付いたからこそ出てきた感情なのではないかなぁ?と思うんですね。

きっと、ここまで自分を深く掘り下げてこなければ、自分の無意識の行動パターンや思考パターンに気付くこともなかったでしょうし。

とにもかくにも、自分一人でそこまで気づけたのはめちゃくちゃ優秀!だと思うんです^^

人間誰しも、自分自身を客観視するのはとても難しいことです。それにも関わらず、ここまで深くご自分を内観し、自分の生き辛さの原因まで辿り着いたのは、本当にすごいことなのです。

そして、「気付き」というのは「癒し」のための大きなステップなんですね。

人の行動って、大体が無意識で自動的です。それを変えるには、まず自分の行動に対する気付きが必要不可欠なのです。

まーさんのお話であれば、子どもを持ちたいと思えないことだったり、対人関係の中で苦しい思いをしてきたことだったり。

改めて立ち止まってみて、「どうして私はこう考えるんだろう?」「こうなってしまうんだろう?」というところに意識を向けなければ、その原因を探ることもできませんし、ましてやそれを変えることなんてできません。

だから、まーさんは「癒し」の順調な過程の中にいるし、自分らしい幸せにつながる道をちゃんと進んでいるので、「いい調子ですね!」と感じてしまうわけです。

で、まーさんのご相談内容を読んでみて、私が文面から一番感じたのは「怒り」なんですね。

まーさんもご自身で書いていらっしゃいますが

>整理できないながらも、モヤモヤしている点を出すと一つは、一気に他責モードになってしまったことです。

>今まで自分が考えて選択したと思っていたことも、ただの母親の影響だったと感じ、被害者感と無力感がすごいです。

今までのお母さんとの関係性の中で、自分がしてきたこと、されてきたこと。

その影響が、これまでのまーさんの生き方に影を落としてきたこと。

自分が本当に望むように生きてこられなかったような気がすること。

そんな状況に対し、やり場のない怒りを感じて、その矛先をお母さんに向けようとしている。

…だけど、向けきれない。

そんな複雑な心境を感じたのでした。

まーさんが、その気持ちを「怒り」として感じていらっしゃるかはわからないのですが、ある意味それは、これまでずっと「神」だと思っていた人が、実はただの「おばちゃん」だったことに気付いてしまい、ガッカリしたやら、腹立たしいやら、どこか信じていたものが裏切られたような感覚でもしれないなぁと想像しました。

大好きで、幸せにしたくて、そしてただ愛されたくて、一生懸命に尽くしてきた存在が、実は不完全な一人の人間だったことに気付いてしまったことへの落胆。

そして、その不完全さに意図せず翻弄されてきたことへの苛立ち。

そんな気持ちに対して、自分のせいで大切な人を傷つけたくないという思いやりがストッパーになっているのかもしれません。

だけど、自分と向き合えば向き合うほどに、お母さんに対する違和感や不満から目を反らすことができなくなってしまった。

そんな、どっちつかずな気持ちが、モヤモヤしてしまう要因の一つなのかもしれません。

だけど、今の気持ちも、今までの気持ちも、まーさんがお母さんを大切に思うからこその気持ちということには変わらないように思います。

これまでは、お母さんを悪者にしないために、生き辛さの要因を自分の中だけに探して、自分を責めてきた。

そして今は、「他責モード」でお母さんに怒りが向き始めてもなお、手放しで責めることができずに悶々としてしまう。

それって結局、どちらにしても「お母さん大好き」の表現でしかないんですよね^^

「怒り」って、エネルギーが強いので、誰かを傷つけるような気がするし、ネガティブであまり感じたくない気持ちですよね。

だけど、「自立」には「怒り」が必要なんです。

「怒り」というのは、一種の自己主張でもあると私は思いますし、自立するために怒りの感情を使うのが、いわゆる「反抗期」ってやつですね。

「反抗期」って、どこか無意識に神様のように感じていた親という存在に対して、「私とあなたは別の人間です」と宣言し、決別する儀式のようなものだと思うのですが

相手に対して思い入れが深ければ深いほど、そのつながりを断つには強い力が必要になります。

大好きな物を断ち切るって、すごいパワーがいるんです。

その時に使うのが、「怒り」のエネルギーなのではないかと思うのです。

ちなみに、まーさんは反抗期ってありましたでしょうか?もしかしたら、ハッキリとした反抗期って経験されてこなかったかもしれません。

だから、今感じている複雑な気持ちというのは、遅れてきた反抗期みたいなものでもあると思うのです。

自分の人生を自分の手に取り戻す…今まーさんが感じている気持ちは、そのために必要な感情なのではないでしょうか?

だとしたら、ほら、やっぱり順調ですよね!

ずっと大変だったんだもん、しょうがないよね

>そしてどうやら私はそのフォローをしながらずっと過ごしてきたみたいで、その面では親と子の立場が逆転していると言われたら、そんなような気がしてきました。

精神的に未熟な親の元で育つと、どうしても自分がしっかりしなくちゃと親の役割を子どもが担ってしまうことが多々あります。

それは、親を助けたいという子どもの純粋な愛情表現でもあるのですが、現実問題、子どもには荷が重すぎることの方が多いです。

だから、子どもらしい子ども時代を過ごせないまま大人になって、無力感や依存心を抱え続けてしまうのですね。

きっとまーさんはずっと甘えられずに育ってきたのだろうし、常に自分が誰かの面倒を見てきたのであれば、子どもを産み育てることに積極的になれないのも頷けます。

だって、ある意味既に散々子育てしてきて、めちゃくちゃ大変だったんだと思いますもん。

一人で色んなことを抱えて、誰かに頼ることもできず、助けを求めることもできず、自分で全部解決して。

本当はもっと甘えたかっただろうし、話を聞いて欲しかっただろうし、わかって欲しい気持ちがたくさんあったと思うのです。

それを抑えて、必死に一人で頑張ってきたのだとしたら、これ以上責任を持って守らなければいけないものを増やしたくないと思ってしまうのも、至極当然なのではないかなぁと思うんです。

だけど、どこかまーさんはそんな自分の「子どもを持ちたくない気持ち」を責めていらっしゃるのかもしれません。

それは旦那さんへの申し訳なさということもあるかもしれませんし、一般常識的な無言の圧力もあるのかもしれません。

自分が素直に子どもを望めていたら、もっと普通の幸せを旦那さんに与えることができたのに。

そんな風に自分を責めていらっしゃるのかもしれません。(まーさんは、どこまで与えたい人なんでしょう!)

そして、それができない原因をお母さんとの関係に見つけて、矛先を向けるしかなかったのかもしれませんね。

もしくは、本当は子どもを望みたい気持ちもどこかにあるのかもしれません。

だけど、望みたいものを素直に望めないもどかしさが、自分を一番苦しめているのかもしれません。

だとしたら、これまで自分が一生懸命家族のために与えてきたものに目を向けて、子どもを持ちたくないと感じている自分を、これ以上責めないであげて欲しいんです。

今まで散々頑張ってきたんだもん、嫌になってもしょうがないよねって^^

感じないようにしてきた気持ちはなんだろう?

>精神的な境界線を引く、が基本方針だということはわかっているのですが、頭と心がバラバラな感じがするのは何なのでしょうか。

私が思うに、頭と心がバラバラな感じがする時って、自分が感じている気持ちを無視して、思考で自分を納得させようとしている時な気がするんです。

前述の通り、まーさんは自分が本当に感じている気持ちを、どこか感じないようにしているように見えます。

それはなぜかと言うと、その気持ちを感じてしまったら、お母さんを否定してしまうような気がするのかもしれません。

今、どんなに「他責モード」でお母さんへの不満が噴出していても、それと同じかそれ以上に、お母さんから与えられた愛を、まーさんは体験として知っているのだと思います。

だから、手放しで責められない。

それに、ずっと助けたくて、幸せになって欲しくて、守りたくて頑張ってきた相手に対して、手の平を返すように冷たくしたり、怒りをぶつけるなんてできないという気持ちもあるでしょう。

だから、どうにか自分の中だけで思考的に理解して、頭で処理してしまいたいと思うからこそ悩んでしまうのではないかな?と感じました。

繰り返しになりますが、やっぱり自分の人生の主導権を取り戻すために、「怒り」は大事なパワーなのです。

>あと少しでメンタルブロックを払拭して幸せになれると思っていたところに、ラスボスの登場です。

ラスボスが出ていたという事は、物語は終盤に差し掛かっているという事。

まーさんの精神的な自立のストーリーは、クライマックスに突入しているわけです!

だったら、もう腹を括って対峙しましょうか。

自分がこれまでずっと我慢してきたこと、犠牲にしてきたこと、目をつぶってきたこと。

助けたい思いや無力感から、お母さんの幸せの責任を感じたり、お母さんの痛みを背負って生きてきたけど、もうそろそろそこから卒業したいと思い始めたからこそ、今「怒り」を感じられるようになったんだと思います。

「これが私!」という自分軸が見えてきたからこそ、怒りを感じられるようになったんです。

その怒りを、しっかりと自分が受け止めてあげましょう。

怒っていいよって、自分に言ってあげてください。

嫌なことを嫌だと言わせてあげましょう。

私は悲しかった!

もっと甘えたかった!

大変だった!

もう疲れた!

それがどんなにネガティブな気持ちだったとしても、腹を括って認めてあげましょう。

恨みつらみを記した、呪いの手紙でも書いてみるのもいいかもしれません。

持ちうる語彙の限りを尽くして、全力で罵詈雑言をしたためてみましょうか。

さすがに本人に見られると申し訳なくなっちゃうと思うので(苦笑)、書いたらビリビリに破いて、踏みつけてぐちゃぐちゃにするまでをセットにするといいかもしれませんね。

ちなみに、感情を感じることと、感情をぶつけることは全く違います。気持ちはぶつけなくても、自分の中で感じ切るだけで、十分消化可能なんですね^^

怒りや憎しみなど、ネガティブな気持ちを感じるのは辛い事ですが、きっとその気持ちが消化された先に残るのは、純粋な愛だけだと思うのです。

>自分の言動が母の影響を受けたものだったり、母に似ているものだと思うと、自分のことも批判的に見てしまいます。

と書かれていますが、私たちが誰かの影響を受けるのは、その人の事が大好きだからってご存知ですか?

私たちは、大好きな人を真似したいと思うものなんです。

その人の生き様を真似ることで、その人の感じてきた思いを、体験的に知りたいという願いすら隠されていたりします。

だから、お母さんの影響を受けた言動は、お母さんへの想いの証なんです。

きっと、そういう気持ちも怒りの先に見えてくるはずだと思います^^

怒りは、大好きなものと適切に距離を置くために必要なパワー。

だからその感情を、ただただ感じてあげてください

怒りも憎しみも悲しみも欲求も不満も、全部愛の深さ故の感情です。

それほどまでに深く思う相手を精神的に断ち切るのは、ほんとーーーーに大変なことなんです。

だけど、それをしてでも、自分の人生を生きようと願った自分の勇気を称えちゃっていいんです。そんな偉業を成し遂げようとしている自分を褒めちゃっていいんです。

自分の立ち位置、視点が変わるだけで、人との付き合い方ってすごく変わるはずなので、まずは自分の中のネガティブな気持ちと向き合ってみてくださいね。

一人で難しい時は、カウンセリングもオススメですよん!

まーさんが、自分の中に生まれるどんな感情も受け止め、消化して、その奥にある純粋な愛に触れられることを祈っています!

サトヒより、愛を込めて。

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