【他人は他人、自分は自分と割り切って区別する必要があるとは思っているのですが、どうも癖になっているのか引きずられてしまいがちです。】
共感性の高いタイプの人たちは、他人の気持ちを感じ取りすぎてしまうが故、自他の境界線が引きにくいのは事実だし、他人軸になりやすいのはしょうがないと思うんです。
だけど、他人の気持ちに寄り添えるという才能は大切にしつつ、なによりもまず自分の幸せを実現するという生き方こそが、実は他人を幸せにできるのだということを信じて欲しいのです。
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ココロノマルシェにご相談頂いた内容に回答しています!
はじめて相談させていただきます。みかんと申します。
私は世の中の虐待のニュースを見るとなかなか気持ちを切り替えられず、しばらくの間何度もその事件を思い出して気持ちが滅入る時があります。
特に親からの性的虐待などのニュースを見ると本当に気が滅入るしトラウマのような感覚を覚えます。
私自身は親からそういう虐待を受けたことはないのですが、かなり幼少期に他人からそのようなことをされた記憶があります。
虐待の加害者に対しては毎回殺意と憎悪が湧くと同時に、今の自分は苦しんでいる人達に何も出来ない、何が出来るんだろうという無力感やもどかしい気持ちになります。
また、虐待に限らずではありますが、自分が楽しい時間を過ごしている時でも、ふと「世の中には今この瞬間に苦しんでいる人達もいるのに、自分はこんなに楽しい思いをしていていいんだろうか?」と無理矢理辛い事件やニュースを思い出してしまい、再び気持ちが滅入るという時があります。
他人は他人、自分は自分と割り切って区別する必要があるとは思っているのですが、どうも癖になっているのか引きずられてしまいがちです。
こんな私にぜひ何かアドバイスをいただけますと幸いです。
(みかんさん)
みかんさん、ご相談ありがとうございます!
弟子29号、サトヒと申します。
私も、昨今の虐待のニュースで心痛めており、とても共感するお悩みでした!
残酷なニュースを見るたびに、どうしてそんなひどい事ができるのか?それが同じ人間の所業なのかと、理解も納得もできない行動に、胸が苦しくなり、涙が出ることも多々です。
私も同じような経験があるわけではないのに、トラウマのような感覚を覚えることがあるので、みかんさんの気持ちがよくわかるな~と思いながら、うんうん頷きながらご相談を読みました。
みかんさんは、HSP(Highly Sensitiv Person)とか、エンパスという言葉をご存知でしょうか?
人一倍敏感な人とか、共感能力がずば抜けて高い人という意味合いの言葉なのですが、日本人では5人に1人くらいの割合で見られる先天的な気質と言われています。(厳密に言えば、2つは違うものですが、ざっくりと”感受性の高いタイプ”ということで、まとめて書いています。)
頂いた内容を読む限り、もしかしたらみかんさんはそういった気質をお持ちの方なのかもしれませんね。
これらは生まれ持った気質なので、それ自体を変えることは難しいのですが、うまく付き合っていくことで長所として活かすことができるものだと思っています。
みかんさんは、そんな持ち前の共感能力に加えて、思いやりが豊かで、他人を大切にできる深い愛をお持ちの方なんですよね。
だからこそ、自分にできることが何かないのかと考えることもできるし、逆に、思ったように誰かの力になれないことに、無力感を感じてしまいやすいものなんだと思うのです。
みかんさんが当たり前のようにできることは、誰にでもできることではないと思うのです。それは、みかんさんのスペシャルな能力なんですよ^ ^
まずは、自分のその感受性豊かな気質だったり、誰かを思いやる愛情深さだったりを、自分の素晴らしい素質として捉えてもらえたらいいなぁと思いました!
ただ、そんな素晴らしい素質も行き過ぎれば諸刃の剣。
その豊かな感受性ゆえ、他人に共感しすぎてしまい、他人軸に振れやすい側面もあるのではないでしょうか?
もしかしたら、自分の感情を見失いやすい、というようなこともあるかもしれませんね。
>また、虐待に限らずではありますが、自分が楽しい時間を過ごしている時でも、ふと「世の中には今この瞬間に苦しんでいる人達もいるのに、自分はこんなに楽しい思いをしていていいんだろうか?」と無理矢理辛い事件やニュースを思い出してしまい、再び気持ちが滅入るという時があります。
共感性が高いがために、他人の状況に感情移入しすぎて、その感情を引きずってしまう気持ちは、ほんとによくわかります。
でも、せっかく楽しい時間を過ごせていたはずなのに、辛い事に捉われてしまい、目の前の「今」を楽しめなくなってしまうのは、ちょっともったいないですよね・・・
もちろん、みかんさんがご自身でおっしゃるように
>他人は他人、自分は自分と割り切って区別する必要があるとは思っているのですが
自分と他人の境界線を意識して引く、というのは自分の心を守るという意味でも大事な心がけだとは思います。
でも、なかなかそうも割り切れないからこそ悩んでいると思うので、思ったようにできなかったとしても、そんな自分も許してあげてくださいね。
もしかしたら、他人は他人と割り切ることが、なんだか冷たいような、突き放してしまうような、そんな思いも感じて、自分を責めてしまったりすることもあるでしょう。
また、心優しいみかんさんは、自分だけが楽しむ、幸せでいるということに対して、罪悪感も感じてしまっている部分もあるのかもしれません。
だから、幸せと感じることを避けようとして、あえて辛いことを考えて、自分の気持ちを落ち込ませようとしているのかもしれません(この思考パターンが無意識の癖になっている可能性もありそうですね)
この「自分だけが幸せになってはいけない」という思いは、幼少期の経験によって持ちやすいものだったりもするので
もしみかんさんにそんな思いがあるのだとすれば、小さい頃のご両親との関係について、ちょっと掘り下げて聞いてみたいなぁとは思います。
…とはいえ、とはいえですよ!
弟子講座の最後にお師匠様も言っていたし、ブログでも何度か書いていらっしゃいましたが、やっぱりまずは「自分の幸せ」なんだと思うんです。
もちろん、世の中にはたくさんの人がいて、紛争地域などでは凄惨な状況の中で、想像を絶する苦しみを抱えている人たちが大勢います。
でも、自分が今幸せを感じないことが、本当に彼らの救済になるのでしょうか?
もちろん、悲しみを感じたことに対して、今の自分でできることを考えるのは良い心がけだと思います。
だけど、そこで考えた行動を具体的に取るということと、今自分が幸せを感じることを避けるということは、全く別の話だと思うんですね。
結局、私たちには「できること」と「できないこと」があるのです。
だから、私たちは今の自分でできることを積み重ねていくしかないのだと思うし、できないことがあっても、それはやっぱりしゃーないんです。
だって、それが今の自分だから。
「世界平和を実現するために、私たちにできることは何でしょうか?」
という問いに、マザーテレサはこう答えたそうです。
「家に帰って、家族を大切にしてあげてください」
社会とか世界を変えるって、対象がすごく大きなことなので、どうしたって無力感を感じやすいものなんですね。
「バタフライエフェクト」という言葉もありますが、最初は些細なことに思えても、その行動が後にどんな大きな結果につながるかは未知数です。
だから、まずは自分が幸せになること。
そして、身の回り半径3メートル以内を幸せにするために、今の自分でできることをすること。
みかんさんが笑顔でいることで、救われる人はたくさんいるはずなんですよ~。
スピリチュアル的には、私たちはみんな大元はつながっているし、他人と自分は同義だし、自分の見えている世界は、自分の内面の反映でしかないとも言われています。
だからこそ、どんなに微力に思えても、自分自身を幸せにすることこそが、結果的には遠い誰かの幸せを実現するための近道なんじゃないかとも思っています。
とまぁ、いつものように長々と書いてしまいましたが(苦笑)、結論としては
みかんさんはとっても心優しくて、共感性の高さという素晴らしい能力を持っているのだということ。
また、誰かの助けになりたいという深い愛情を持っているのだということを知り、自信を持つこと。
そして、自分自身が幸せであることが、結果的に遠い空の人たちの幸せにもつながっているのだということを信じて、まず自分が幸せである選択をすること。自分の感情に責任を持つこと。
それが、みかんさんが自分の素質、才能とうまく付き合いながら、自分らしい幸せを実現していくためのヒントになるのではないかな?と思いました。
まずは自分の幸せタンクをいっぱいにして、半径3メートルの大切な人たちにその幸せをおすそ分けしてあげてくださいね。
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