思考と感情の葛藤。板挟みになっちゃうのはなぜ?【前編】

自分軸と他人軸

愛あるみなさま、こんにちは!

サトヒです。

私事ですが、「板挟みパターン」というのがあるということを、年末に参加したビジネス合宿で根本師匠から指摘されておりまして…(汗)

その時は、「現職とやりたいこと」「アメブロとワードプレス」「妊活とカウンセラー活動」の板挟みで悩んでいたのですが、よくよく考えてみれば、今の仕事でも「新部署」と「旧部署」の仕事を行ったり来たりしています。

ここでも板挟みのどっちつかずやんけ!と、自分でツッコミを入れて爆笑しました。

「板挟みパターン」というのは、つまるところ、どっち付かず・優柔不断・どちらか一方に決められない心の癖のようなもの。

「ザ・他人軸」の象徴とも言えるかもしれません。軸がぶれるから、迷うのであります。

みなさまは、そんなことありません?

どっちかに決めかねて、悶々と迷い続けてしまうような時。

頭ではわかるけど、なんだかモヤモヤする、みたいな時。

理論理屈的に正しいと思える物事を優先しようとしちゃう時。

「人生は自作自演である」という観点で言えば、私はどうも、自ら板挟み状況を作り出しているらしいということになるのですが

なぜこんなにも自分は自らを板挟みな状況に留まろうとしてしまうのかということを、友人と話をしながらアレコレ自己分析してみました。

そこで出てきた推定要因が・・・

① 重たく考えすぎ

② 自分の感覚に自信が持てない

③ 実は、ガチでどっちでもいい

④ どちらも美味しいとこどりしたい(失敗したくない)

⑤ とりあえず迷い悩むのが好き

という5つの理由でした。

考えてたら、どれもなんだかソレっぽい感じがしたので、それぞれ見ていこうと思います。

例えば、あなたが晩御飯を「オムライスにするか、ハンバーグにするか・・・それが問題だ」と悩んでいると仮定しましょう。

つまり、オムライスとハンバーグの板挟みです。その時の心境を掘り下げて考えてみます。

原因①・・・重たく考えすぎ。

たかが晩御飯、されど晩御飯。

目の前の晩御飯を何にするかを決めようとしているだけなのに、感覚的には、今後一生食べていくメニューを決めるかの如し、命を懸けた真剣さで向き合っている。

もし、ここでオムライスを選ぶとしたら、金輪際ハンバーグはおろか、その他のメニューを選ぶことができないほどの覚悟である!!

「ここで決めたら、一生ご飯はそれだからな!!」

そんな思考の声が頭の中に響き渡るものだから、そう易々とは決められない。

「その時の気分」なんてワードは、御法度・タブー・禁止項目である。

もしかしたらこれは、仕事を辞めるとか、結婚するとか、そういう時のマインドと同じかもしれない…。だとしたらやりすぎであるが、やめられない。

とりあえず、いちいちクソ真面目に重たく考えすぎなのである。

原因②…自分の感覚に自信が持てない

実は、ファーストインプレッションで心は決まっていたのかもしれない。

一目会った時から、ふんわりと柔らかそうな卵の輝きに、一瞬で心奪われていたのかもしれない。

だけど…だけど!!

自分の気持ちに自信が持てない。

ねぇ、本当に、あなたに決めちゃっていいの?

ハンバーグにだって、いいところあるよね?

ほら、カロリーだって、塩分だって低いわ。

それに、おとといもオムライス食べたじゃない。

栄養バランス的にどうなのよ?偏ってない?

心で響く、そんな悪魔の声(?)との押し問答の果てに、直感的なオムライスへの恋心は力を失って消えていく…。

「あれ、私、本当は何が好きだったんだっけ?」

そうやって路頭に迷う、私の感性よ…。

とりあえず、何かと自分の感性に自信が持てないことが多いのである。

原因③…実は、ガチでどっちでもいい

もし、オムライスが奥田民生だったなら。

私は、迷うことなくオムライスを選ぶに違いない。

なりふり構わず、オムライスに一直線であろう。

でも、ハンバーグがアジカン(ASIAN KUGN-FU GENERATION)のゴッチだったらどうしよう。もしくは松坂桃李、いや、横浜流星だったら…?

うーん…やっぱり、ちょっと迷うかもしれない。

つまり、人は自分の中に絶対的な基準がある分野であれば、迷うことはないのだ。

ということは、迷っている時点で、その両方に絶対的な情熱がないことの現れとも言えるのである。

ってことは、オムライスだろうが、ハンバーグだろうが、本当はどうでもいいのだ。逆に、どっちでも良すぎて、決められないのだ。

「腹が減った、オラに今すぐ飯をくれ!!!」

結局のところ、本音はそこにある。

しかし、次に挙げる煩悩により、無駄に迷っているだけなのかもしれない。

原因④…どちらも美味しいとこどりしたい(失敗したくない)

人間、なるべく損はしたくないものだ。

何が本当の損なのか?という真理的命題は置いといて、「やっぱり、あっちにしとけば良かったわ~」なんて感じて、後で後悔したくないのが、人の性であろう。

どっちでもいいなら余計だ。

なるべく、自分にとって損のない方を選びたくもなる。失敗しない方を選ぼうとする。

そうだ、私が本当に求めていたのは…

「オムバーーーーーーーーーーーーーーーーーグ!!!」

(ハンバーグ師匠のテンションでお読みください)

できることならば、どっちも美味しいとこどりしたいのだ。

オムライスの卵のトロトロ感も、ハンバーグのがっつりミート感も、どっちでもいいけど、どっちも捨てがたいのだ。

だったら、どちらも手に入れたい。おいしいとこだけ、手に入れたい。

そんな煩悩と欲にまみれた時、人は冷静な決断力を失うのかもしれない…。

原因⑤…とりあえず迷い悩むのが好き

とはいえ。とはいえだ。

どっちつかずになることなんて、人間誰にでもあるはず。

かの有名なシェイクスピアも、ハムレットにこんなセリフを言わせているそうだ。

「Life is a series of choices.(人生は選択の連続である)」

人間は、日常の小さなことから、人生に関わることまで、ありとあらゆる選択と決断をしながら生きている。

つまり、迷うなんて普通のことだ。当たり前のことなのである。

じゃぁ、何が一体問題なのか?といえば、迷っている自分に悩んでいることだ!

悩みたきゃ悩めばいいのだ、思う存分考えたらいい。

それは、人生を真剣に生きている証でもある。

どっちつかずな状態で、どっちかに決めなきゃいけない、決められない私はダメだと思うから苦しいのだ。

どっちつかずの状態なんて、あえて苦しまなければ、至極普通のことなのである。

問題解決しなければと焦ることが思い違いだ。

足りないのは、「自己の、肯定の、カーン!!」なのだ。(presented by とら子カウンセラー

だとしたら、認めてしまえ、ホトトギス。

「私は、とりあえずアレコレ考えて悩むのが大大大好きなんです!!」

と。

次回は、これらの結果を踏まえて、「板挟み問題」に対するサトヒ的総合的見解をまとめたいと思います!

続きはこちら。

ではまた。

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