愛あるみなさま、こんにちは!
サトヒです。
個人セッションを受けてくださったお客様からのご感想を、ありがたく紹介させて頂きます!
① サトヒのセッションを選んだ理由を教えてください。
1、カウンセラー名「サトヒ」と名づけるセンスがどこかオタクを感じたこと。(今ではそのルーツ納得しました)
2、サトヒさんのブログのお悩み相談の回答を読んだとき、相談者もわかっていないモヤモヤを的確にキャッチして、相手にとって腑に落ちやすい表現を選んで代弁している印象を強く受けました。私も自分の根っこの問題が解りたい!と思い選びました。
3、小さい子持ちという共通点があること。
② カウンセリングを受ける前と受けた後で変わったこと、セッションで気付いたことや得た事、カウンセラーの印象など、ありましたら教えてください。
1、zoomを切った後は一気にほっとしました。かなりすっきりしていつもなら腰が重いこともやれちゃう気分になりました。
2、思考的になっている自分にも納得しやすい表現で諸々伝えていただけました。
例えば「何もしてない自分にも価値がある」というのを「自分の頑張ってきたことに価値を置くと無価値感が癒されやすい」と表現するなど、聞いたことあるけどそういうふうに思えばいいのか!とやっと腑に落ちた感じでした。
3、たいして子供好きでもないのに子を持ってしまった、というとんでもないタブーを犯している感を抱えていましたが、「正直好みの問題」と言われ、それって野球とか動物とか車とかファッションとかと一緒かな(少し違う気もしますね)、
そういうことなら自分のやれる範囲で関わるかな、必要以上に頑張らないかも、と自分なりに解釈して、ちょっと開き直るというか、子供に次々あれこれ求められてもそんなにできないと思う時はここらでブレーキをかけようという意識を働かせてみるようになりました。
4、サトヒさんは気さくに話しやすい方で安心してお話しできました!
5、ブログを読んだ時の印象通りもやもやを的確に言い表してくれました。
③ カウンセラーにご意見・ご要望・メッセージなどありましたらご自由にお書きください。
相談してよかったです。私にはとても合っていました!
また相談したい時もサトヒさんをご指名させていただきます!
(書道さま)
まさか、カウンセラーネームからオタクであることがバレるとは思いもよらなかったサトヒでございます。(書道さまの感覚がすばらしすぎます!)
最近はめっきり鬼滅の時任無一郎くんにぞっこんですし…。
と話が逸れて収拾がつかなくなりそうなので、この辺でやめておきますが(笑)
お互い子育て中ということで、色々と共感ポイントの多かったセッションになりました。
お母さんは罪悪感の塊と言われたりもしますが、やっぱり愛が深いほど罪悪感を感じやすいのが世の常でして
子どもへの思いの強さ分、愛は罪悪感に変わりやすいものなのだと思います。
でも、罪悪感を感じる時ほど、その根本にある愛に、意識的に立ち返る必要があって
私はなんでこんなにも罪悪感を感じているのか?
を掘り下げてみると、実はそこにはお子さんにしてあげたいことだったり、お子さんに対してこうありたい自分だったりというのが、色々出てくるものなのですよね。
その根っこの思いに目を向けることさえできれば、罪悪感は簡単に愛に昇華して、自分を責める理由にはならなくなるのだと思っています。
私のセッションに来てくださる方の大半は、根がマジメで、思いやりがあって、超絶頑張り屋さんです。
その原動力は、もしかしたら無価値感だったり、罪悪感だったりもするのかもしれませんが
その感覚のさらに奥には、誰かを幸せにしたかったり、誰かの役に立ちたかったり、誰かのために全力を出したいと思う気持ちがあるからこそなんだと私は思うんですよね^^
>例えば「何もしてない自分にも価値がある」というのを「自分の頑張ってきたことに価値を置くと無価値感が癒されやすい」
と、私はなにやらセッションでのたまったらしいのですが(笑)
もしかしたら、頑張る過程で思うような結果が出なかったり、自分の理想には届かないことが多かったりして、自分には価値がないように感じたり、申し訳なさを感じることもあるかもしれないけれど
その根っこにある愛に価値を見れるようになったら、自分の無価値感や罪悪感を吹っ飛ばせるようになると思っています。
自分が何のために、誰のために、どういう気持ちでその行動を選んだのか。
それを認め、受け入れることで、結果的に至らないと感じている自分を許していく。
それがいわゆる自己受容であり、自己肯定であると思うのですが
なかなか自分の意識の枠内だけでは、自分を客観視するのが難しいので、そこはカウンセリングという手段を通じて、「客観的視点」を身に着けてもらうお手伝いができればいいなと思っております。
そもそもですが、「子育て」って楽しいことばかりじゃないのが普通だと思います。(経験的に)
そして「愛している」って、好きな気持ちも煩わしさも全部込みの感覚だと思うんです。
清濁併せ吞むほど大きなものが「愛」なんじゃないかと。
っていうか、煩わしさを感じられることって、すごく贅沢なことだと思うんですよ。
だって、その子がいなかったら感じることができない感覚なんですもん。
生活の中で、めんどくさいことも、大変なことも、嫌だなと思うこともあって当然で
それでも、その子と一緒にいたい、その子に存在していて欲しいと感じる瞬間があるならば、それは紛れもなく「愛」だと思います^^
つまり、その子がいてくれるから感じさせてもらえる気持ちは、全部「愛」という括りでいいんじゃないかと思います。
そして愛情が強いからこそ、罪悪感を強く感じているのならば
申し訳なさを感じるたびに、私はそのくらい相手を大切に思っているんだなぁと解釈したら、簡単に「愛」に戻れそうですね^^
>そういうことなら自分のやれる範囲で関わるかな、必要以上に頑張らないかも、と自分なりに解釈して、ちょっと開き直るというか、子供に次々あれこれ求められてもそんなにできないと思う時はここらでブレーキをかけようという意識を働かせてみるようになりました。
その意識づけ、めちゃくちゃ大事だと思います!!
自分のできる範囲で、やれないことはなるべく手放して、誰かに助けてもらって(子育て中は、半強制的に人に頼る練習ができるチャンスです!笑)
お母さんの笑顔が何よりも子どもにとってのご褒美になりますから、書道さんがご自分のご機嫌を最優先にして、子育てや生活を楽しめるといいなぁと思っています^^
ぜひ、またモヤモヤが溜まった時はお話を聞かせてくださいね~。
書道さんが、ご自分の愛に自信を持って、自分のペースで楽しく子育てできることを心から祈っております!
この度は、サトヒの個人セッションを受けて頂き、ありがとうございました^^
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