愛あるみなさま、こんにちは!
サトヒです。
今年が始まったと思ったら、あっという間に夏至ですね~(汗)
夏至の日は陰陽転換の日であり、一年で最もエネルギーが強くなるタイミングで、スピリチュアル・精神的な洞察が深まるチャンスとのことなので、今日はそんなお話を書いてみたいと思います。
以前からお伝えしている通り、今年に入って新たな学びを始めたのですが、その影響で私の頭の中は究極にドスピっております。なので、もう今後はそういうネタしか書けないかもしれない…(笑)
それでもよければ、ぜひ今後も末永くお付き合い頂けますと幸いです♡
私は不安が非常に強い人間だったので、常に恐ろしいことが起こらないように、最新の注意を払って自分の行動を選んでいる感じがずっとあったんですね。
だから、私にとって「安心感」は研究テーマだったし、長らく切望するものでもありました。
そんな私が、最近めっきり不安を感じにくくなったという話を、今日は書いてみたいと思います!
罪悪感と不安の関連性
先日のブログでも書きましたが、私たちには原罪意識とも呼べそうな「罪悪感」が根本的に組み込まれています。
その罪悪感の根本には、「神様からの分離意識」があると言われています。
自分は神様から離れた=神様を裏切ったことは非常に悪いことだから罰を受ける、というのが罪悪感の根源なわけですね。
で、「不安」というのは、「悪いことしたから罰を受けるだろう」という怖れから生じているものです。
つまり、罪悪感と不安は密接に関連しています。
罪悪感が強い人ほど、罰せられる怖れも強くなるわけですから、それだけ不安が強くなる。
私が何かと不安に感じやすかったのは、つまり罪悪感がそれくらい強烈だったから、とも言えそうですな。
そんな私が、ここ数カ月でだいぶ変わってきたと感じるのは、神様の存在を意識するようになったからなのです。
現在の新しい学びの大前提は「神様を考えに入れる」というものなのですが(だから、どうしても頭がドスピっちゃう)
「神様」というとどうしてもスピリチュアルに感じるかもしれませんが、対象は何でもよく、「私は守られている」という意識を作ることが重要なんだと思っています。
言うなれば
「神様と離れたせいで罪悪感を感じるのならば、逆に神様と繋がってみよう、ホトトギス」(超字余り)
大作戦の始まりです!
分離意識と親子関係
私たちは母の胎内から出てへその緒を切られた瞬間に、母体からの分離を感じると言われますが、それは神様からの分離意識の投影とも言えそうです。
この意識を私たちはさまざまな場面で無意識に投影しているのですが、特に親子関係では親を無意識に神格化してしまったりもするほど。
これは一種の「愛着障害」とも言えますが、怒れる神を親に投影することで、親は自分を愛し、守ってくれる存在ではなく、絶対的な権威として自分をコントロールし、悪いことをしたら罰する存在となってしまう。
結果、親から愛されていない、守られていない、許されていない、理解されないという感覚が、自己と世界を見る基盤となり
私は愛されていない、守られていない、許されていない、理解されていない現実を、様々な出来事を通して再体験し続けることになるのですね。
神様を意識に呼ぶ=神様を考えに入れることは、私たちは神様から分離していないことを思い出すことでもあります。
つまり、私たちはいつでも神様から愛され、守られているという感覚を自分の中に持つことができるのです。
その感覚が持てるようになると、不安が驚くほど消えやすくなることを、まさに今私は実験的に体感しているところなのです。
マジでびっくりよ…!!!
人によって「神様」というイメージが持ちにくければ、女神、宇宙、守護霊、ハイヤーセルフ、ご先祖様、亡くなった家族など、何でも良い。
目には見えないけれど確かに存在し、私を愛する何かがしっかりと自分を守ってくれているという認識を持つことが大事。
これは、この世界を平穏に生きる上で、非常に重要な感覚だと思っています。
心理学的・スピリチュアル的に、自分が外側の世界で体験するのは、自分の内側にある自分との関係性と言われているので
自分を愛しなさい
自分を大切にしなさい
自分を許しなさい
などなどよく言われる話ですが、実際のところ自分で自分を愛することは難しいものですよね
「自分大好きー!」とかやると、「そんなウソやろ…」などなど、自分との内的葛藤が巻き起こるじゃないですか
そういう時こそ、第三者的視点を持つことが大事なんですね。
私がそう思ってるんじゃなくて、「私じゃない誰かがそう思ってくれているらしいよ!」という、ダメ出しからの逃げ道を作る感じ(笑)
でも、これがめっちゃ重要。
そしてその第三者的視点を、より崇高で神聖なものと捉えることで、自分の中に取り入れやすくなると感じております。
世界を生きやすくする認識
日本人は特定の宗教を持っていない人が多いですが、本質的に信仰心が強い民族と言われています。
その信仰心こそが、日本人の精神力の強さにつながっているんですよね。
そもそも私たちが知覚できる部分は10%以下であり、90%以上は認識できない世界があるとされているわけで
その自分には見えていない世界に対する敬意や信頼は、とても重要なことだと思っています。
信仰心とは信頼の表現の一つであり、それが精神的な強さを作ってくれているのかもしれませんね。
「あなたは絶対!守られている」という本があるのですが、昔の私は「本当だったらいいよねー」と半信半疑で読んでいたのですが
今の私は胸を張って「うんうん、そうだよね!」と言える自信がありますもん。
それって別に、スピリチュアルな能力が開花したとか霊感が身に着いたということではなく、認識の世界、つまり自分の考えと決め事の世界なんですよね。
全力で信じられなくても、信じてみようと思う心意気、みたいなものでしょうか。
それが客観的に真実かどうかは重要ではなく、その考えを採用し、そうであることにする前提を自分の中に作ること、それが「神様を考えに入れる」ということの意味でもありそう(私もまだまだ学び中)
もちろんこれは、自分で自分を守り、自分で自分を愛する意識にもつながっていきます。
結局、神様との関係性は自分との関係性でもあるのでね^^
しかし、すべてを自力でやろうとするのではなく、外側に神様的な存在を生み出し、協力してもらう意識を持つのが、結構重要だと思う今日この頃なのです。
外側の存在を生み出す重要性
『奇跡講座』によれば、私たちはエゴと一体化しており、エゴの考えを完全に切り離すことはできないと言われています。
そのため、自力で自分の認識を変えることは非常に難しいことなのです。
だからこそ、自分の外側にそういう存在を作る、イメージすることが大切だと言っていて
その第三者的存在を『奇跡のコース』では「聖霊」と呼ぶのですが、常に私を見守ってくれている「私ではない」存在のことを指すんですね。
この第三者的視点は「メタ認知」とも呼ばれますが、その客観的な視点を自分を守り、絶対的に愛してくれている存在として想像することが、めっちゃ重要なんだと思っています。
その認識があるだけで、この世界は非常に生きやすくなるんです、マジ、絶対。
そもそも不安という感覚は、自分に「守り」がないと感じるからこそ生じるものなんですよね。
だとすれば、逆説的に「守り」がある=守られていると前提が変わるだけで、そこにはもう「安心」しかなくなっちゃうんです。
実はすごくシンプル。
「本当の自分」とは
よく「本当の自分」という言葉が出てきますし、私も長年それを追い求めてきた自覚がありますが
「本当の自分」というのは、「本当は明るい」とか「本当は素敵」とか「本当はパワフル」とか「本当は美しい」とかそういうことじゃなくて
単に、「神様と分離していない自分」のことだとなんだと理解しました。
スピリチュアル的に言えば、神の子として、今まで一度も神様から離れたことも、愛されなかったこともない、ただただ護られた存在であるのが「本当の自分」なのです。
個人としての細かい属性とかは全部どうでもよくて、ただ「神様の一部としての自分」が本当の自分ってこと。
だから、もっと自由に生きていいし、幸せになっていいし、楽しんでていい。
だって、全てを愛されてて、許されてて、守られてるんだもの。
その真実を思い出すことが、この世界を生きていく上での大きな目的であり
生きたまま天国を体験する…つまりどんな状況でも、どんな場面でも、幸せで豊かに生きるためのたった一つの方法なんじゃないかと。
この世界に生きながら天国を体験するために必要なことは何もなく、ただ自分が天国にいたということを思い出すことができるかどうかだけ、とも言えますね
それが私たちにとって深いところにある魂の目的だと、今の私は感じています。
今まで数々のスピリチュアル本を読んできましたが、共通する結論がそこにあるので、たぶん何かしらの真実がそこに含まれているのでしょう^^
(神との対話シリーズが大好きですが、個人的にはこちらの本がオススメです)
そんなスピリチュアルで現実的な話を、夏至の日にお届けいたしました!
ではまた。
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