「親密感の怖れ」を乗り越える:まだ見ぬ未来への「怖れ」を手放す方法

安心感

愛あるみなさま、こんにちは!

サトヒです。

いつもブログに書くのが遅くて、すっかり熱も冷めきったころですが(笑)

先日、魔女フェスを無事に開催しました~!!!!

リアルイベント、めっちゃ楽しくてビビる!!

魔女っ子YouTubeライブを見てくださる方がご参加くださるということで

お茶の間でお菓子をつまみつつ、YouTubeライブを見てるような雰囲気でお届けしたのですが

リアルなご質問というのは、コメントよりも圧倒的な情報量なので

色々ディープな回答をお届けできたのではないかな?と思っています。

実際、公共の電波には乗せられないような類のディープな話もたくさんありましたし…(笑)

これぞ、リアルの真髄!って感じ。

本当は詳しく思い出話を書きたいところなのですが

どうも私にはその能力が無いようで、ついつい後回しになって忘れてしまうので…

(新潟話すら、まだ書けていない)

イベントの雰囲気が知りたい方は、マミコ先生とチサ先生の秀逸なレポートブログをどうぞ!!!(ザ・他力本願)

怖れているのは「親密感」ではなく…

でね、魔女っ子フェスのトークテーマの8割を占めたのが

「親密感の怖れ」

だったのですが

一応、”親密感の怖れ”って何よ?って話からすると

誰か仲良くなりたい人がいたり

誰かと仲良くしようとしたり

誰かと仲良くなって距離が近づきそうになったりすると

意識的・無意識的に関わらず

その関係を疑ったり、不安に感じたりしてしまい

関係性をぶち壊したり、身を隠したり(逃亡含む)することで

安心できる距離感を保とうとするもの

と解釈しております。

いわゆる

「野良猫の気持ち」

だと思うのですが

心の内側に痛手を負っていて

相手がその傷に触れそうな距離に近づくと

シャー!!って発動しちゃうやつ。

別名:ヤマアラシのジレンマ

とも言えますね。

己は、碇シンジか!!!っていう。

本当は近づきたいのに、近づけない。

そんなもどかしさを

「親密感の怖れ」

と呼ぶのだと、私は解釈しております。

でも、これって一体何を怖れているのか?って話ですよ。

私が思うに、怖れているのは「親密感」そのものじゃないと思うんですよね。

親密になった事で起こる変化を怖れてるんだと思うんです。

言うなれば、親密になった先に起こりうることを怖れているのだと思います。

例えば、恋愛だったら。

好きな人と親密になってしまったら、自分の隠していた依存心が爆発して

彼にグダグダでみっともない自分がバレてしまうのが怖い。

自分の弱さが露呈するのが怖い。

それが相手にバレて、嫌われたり、捨てられるのが怖い。

相手が豹変して、関係性がめんどくさいことになるのが怖い。

相手に遠慮して自分が出せなくて、不自由な思いをするのが怖い。

例えば、友人だったら。

突然うまくいかなくなって、仲違いしてしまうのが怖い。

理由もわからず、突然嫌われるのが怖い。

本当の私がバレて、幻滅されるのが怖い。

つまり、人間関係がうまくいかなくなることで、孤独になるのを怖がっていたりするのですよね。

(実際に一人ぼっちになるわけじゃないんだけども)

一人には慣れていたはずなのに

共に生きられることを期待できる誰かに出会ってから、また一人になる方がキツかったりするじゃないですか。

頑張って心を開いたのに、結局また一人かよっていう絶望感。

上げて落とされることによる、ダメージ2倍感。

それを見越すから、だったら最初から近づかない方が安全だよねっていう結論になる。

だって、今までどうにか自分だけでやってこれたんだもん。

ここでわざわざ新しい世界に飛び込んで痛い目見るくらいなら、このままの方がマシじゃん。

だから、近づきたい気持ちに蓋をしようとして葛藤するんですよね。

わ~か~る~~~~。

過去の経験で方程式を作る私たち

で、その怖れの元にあるものが何かというと

「過去の経験から予測される未来」

だと思うのですよね。

前こんなことがあったから、もう同じ経験をしたくない

という、そんな思い。

傷ついて、苦しんで、めちゃくちゃ痛い思いをしたからこそ

もう二度と、同じ過ちは犯したくないと思う。

だから慎重になる。

一気に距離を縮めて、相手と親密になってしまうことを怖れる。

親密になった先に起こるであろう未来予測は、過去の経験によって導き出された

「最も起こりそうな出来事」

なのです。

それを、無意識に

「どうせそうなる」

と決めちゃってたり(諦めてたり)するんですよね。

それがブロックであったり、ブレーキになったりして、前に進めなくさせるわけです。

碇シンジの場合で言えば…

▼これがやりたかっただけ

母が、ある日突然消えてしまったこと

父から拒絶され、見捨てられたこと

を前提に、未来を想定するので

「結局、親密になったとしても、相手は自分を残して消えてしまう」

という可能性を怖れ、人に近づけなくなってしまったわけですね。(知らんけど)

でも前述の通り、怖れを感じる根本には

「本当は近づきたい」

という思いがあるから、葛藤するわけで。

だって、近づきたくもない相手で、いちいち悩みませんもんね。(笑)

相手に対して、真剣な思いを感じるからこそ悩み、迷い、葛藤する。

そして、その葛藤を「親密感の怖れ」と呼ぶのだと思います。

過去と未来を意図的に切り離す方法

じゃあ、それをどう乗り越えるか?というと

親密感の怖れに限らず、「怖れ」全般に言える話だと思うのですが

私が最近強く感じているのは

「未来は過去の延長じゃないよ」

ってことなんですよね。

私は元々すごく不安が強くて、先の見えないことが嫌いだったんです。

めっちゃ怖がりなんですよ。

だから、すぐ漫画とか小説のネタバレとか読んじゃうし。(関係ないか?)

以前のブログでも書いたように、占いも私にとっては未来予測で安心するためのツールだったのです。

少しでも知っていた方が、覚悟もできるし、準備もできるし、安心できると思って。

でも、これは魔女フェスでもお話ししたのですが

そもそも人というのは損や失敗を強く記憶に残すものだから、どうしたってネガティブな記憶に引っ張られやすい。

だけど、そのネガティブな記憶の陰には、ちゃんとポジティブな事実もあるんですよね。

私が恋愛に憶病になったのは、一番最初の恋愛で自分を出しすぎて振られたと思い込んだからだったのですが

元々は、その自分らしさを相手が好きになってくれたから始まったんですよね。

別れに至ったのは、色んな理由が複合的に重なって、結果そうなったのだけど

私はその原因を、全部自分のせいにしちゃってたんです。

私がワガママ炸裂したからだ。

いつも相手が思い通りにならないと怒ってばかりいたからだ。

私が依存心丸出しでめんどくさい女なのがバレたからだ。

だから、私は「本当の自分=重い女」の部分を出したら嫌われると思い込んでいたのです。

でも、その「重さ」というのは、相手への情熱と紙一重なんですね。

同じエネルギーが、ポジティブかネガティブか、どちらのベクトルで放出されるかだけの違い。

だから、それがあるからこその私を良いと思ってくれた人だっていたわけだし

そもそも最初の最初は、相手だってそんな私を良いと思ったから付き合えたわけです。

でも当時の私は、たった一度の失恋を「失敗」と捉えて

これから起こるであろう未来の恋愛に、全部当てはめて考えちゃってたんです。

前、これでうまくいかなかったから、次は絶対にそうしないようにしよう、みたいな。

私たちには「学習能力」というのが備わっているので

何か痛い目にあったら、もう二度とその痛い目に合わないように、似たような場面で慎重になるというのは、本能的にも自然なことなんだと思います。

ただ、それがいわゆる「ブロック」になって、本当は進みたい方向に自分を進めなくさせてしまうのならば

時には本能に逆らって、記憶の上書きをする必要があると思うのですよね。

人間関係で傷つく経験があると、私たちはその原因を過剰に誰かのせいにして責めたりします。

時には自分のせいにしたり

時には相手のせいにしたり。

それは、そうしないといられないほどの痛みを感じているからかもしれません。

だとすれば、まずは自分の過去の痛みをケアすることが大事。

傷が治れば、冷静に物事が見られるようになります。

悪いこともあったけど、良いこともあったのが見えるようになるし

自分だけが悪いわけでも、相手だけが悪いわけでもないということがわかったりする。

色々と絡み合った「しょーがない」理由が見えてきたりする。

過去の出来事に対して、自分なりの意味を見つけ、消化できるようになると

未来を描くときの前提に、その過去が影響してこなくなると思うのです。

なので、「親密感の怖れ」だけではなく、何かしらの「怖れ」を感じるときというのは

もしかしたら、自分の中にそれに関わる”過去の痛み”があるのかもしれません。

それが今、目の前の出来事をきっかけに浮かび上がっているのであれば

まずは、その痛みや怖れにしっかりと寄り添うことが大事なんですね。

それは、過去を過去として、しっかりと完了させるということでもあります。

「あー、それは怖いねぇ」

「こうなったら嫌だねぇ」

「こうなるのが不安だねぇ」

「しょうがないよ、だってすごく悲しかったんだもん」

そんな風に飽きるまで寄り添っていたら、自然と怖れは消えていくものだし

怖れが消えたら、自分が本当はどうしたいのかが自然と見えてくると思うのです。

どうしても自ら近づきたいのか。

別にそれほど近づきたいわけでもなかったのか。

自然な成り行きに任せればいいやと思えるのか。

頑張り屋さんだったり、向上心が強い人だと

「怖れ」を感じると、逆にそれを乗り越えなければと思い込みすぎて

怖れの克服自体が目的になってしまうこともあるので、要注意だったりしますが。(あるある)

▼不安との付き合い方

結局、「あるもの」を見るのが大事って話

とにもかくにも、過去にそうだったからと言って、未来も同じになると決まっているわけではないのですが

やはり私たちは、痛い経験を避けようとして、慎重になってしまうことがあるものです。

でも、怖れを感じるということは、そちらに向かいたい気持ちもあるからこその葛藤だと思うので

まずは、怖れ自体の幻想を打ち破るべく

過去を冷静に捉え直すという作業をオススメしたいのですね^^

▼カウンセリングも一つの手段です!

私もよく書いている気がしますが

やっぱり私たちは、どうしたって「欠けている」ものが目に入りやすくできているもの。

だからこそ、「欠けていないもの=あるもの」は、自動思考に逆らって意識的に目を向けなければ見えてこないものなのです。

過去の出来事も同じで、傷ついた経験のインパクトで見えなくなっている

本当はあったもの

つまり、確かに存在していたポジティブな側面を、意識的に探してあげることが

過去の呪いから目を覚ますために、すごく重要なアクションなんだと思うのですね^^

2度あることは3度あるかもしれないけど、4度目は無いかもしれない。

何度でも立ち上がり呼んでいたら、101回目は何か変わるかもしれないと某ドリカムも言っていますし。

だけど、自ら4度目があると決めてしまっていたら

やっぱりその証拠ばかりを集めてしまうので

「DA.YO.NE~」

な現実を体験するようにできているのだと思います。

なので、自分の未来はうまくいくに決まってる!と思えるような「証拠集め」を楽しめるといいですよね!!

ではまた。

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