「無力感」という名のゴーマニズム宣言: 無力感を感じられるのは、本当は自分に力があることを知っているから

心理分析

愛あるみなさま、こんにちは!

サトヒです。

息子氏が抱っこしないと泣くことが多く、両手抱っこだと何もできずに困り果てた私は、新たな技を習得しました…!!

その技とは…抱っこ紐で抱っこしたまま「立ったままブログを書く」です。うほほいうほほい♪

▼高さ的にちょうどよいのがキッチンカウンターだった(笑)

他にも、昼寝中に側を離れると泣いて起きてしまうことが多いので、ベッドで横になったままとか、バランスボールで身体を揺らしながらとか、あれやこれや試行錯誤の毎日ではありますが。

書きたいことは色々と頭に思い浮かぶのですが、なかなかPCを開いて作業…というハードルが高くて、どうしたもんかと思った末の悪戦苦闘でございます。

しかし、息子氏3ヶ月になりまして、既に6kgを優に超えているので、常に6kgの重りを前に抱えたまま長時間立ちっぱなしで書き続けるのもキツイ…。肩と腰がしねる…。

なもんで、細切れで書かざるを得なく、一本書くのに数日かかることもあります。(ココロノマルシェの回答なんか特に…)

途中、話がつながらないこともある場合もございますので、なにとぞご容赦くださいませ。

先日、相方おまみーぬがブログに書いていた「ルー語」の話…。皆さん、ご覧頂いておりますでしょうか?

藪からスティックで生きよう ~マミコ with ルー大柴さん~
「日本全国・鬼畜生になりたいのになり切れない私たちチーム」の皆さん、こんばんわ。 盗んだバイクで走りだして、校舎の窓を割りたいという夢を持ちながらも、マジメに学校に通ってしまう「ギ…

え?あまりにくだらなすぎて、途中で読むのをやめた…ですと?(笑)

いやいや、割といい話なんで、読んでくださいよ。私もブログに書こうと思っていたけど、書けなかったので…(笑)

それはさておき、このおまみーぬのブログにもありますが、最近ひょんなことから生まれたメッセンジャーグループがありまして。

参加しているのは

テツコハナヤマカウンセラー
やまだようこカウンセラー
マミコカウンセラー

という錚々たる顔ぶれなのですがね。

みんな、お告げ系というか、直感系というか、とにかく感性が鋭い面々でして(この3人に混ぜてもらえるのが、私としてはありがたくてしょーがないのですが)

起点は割とまじめーぬな話にも関わらず、どんどん思い付きで会話が進んでいくので、最終的には一見くだらないような、おかしな話で爆笑して終わるということが多いんです。

だから、前回はルー語の話で平和に完結しちゃったわけなのですが。そもそも、何の話だった?っていう。(笑)

で、そのグループで、先日私は弱音を吐きまして。

周りの眩しさに当てられたというか、うらやましさが溢れ出たというか。

そうです、みんな大好き「比較競争」…略してヒカキョウ(命名:やまだようこ)トラップにドはまりしたんですわ。

そもそも、比較して落ち込むとか、嫉妬して悶々するとか、そういうのってその気持ち自体よりも、それを感じている自分への自己否定が問題だと思うんですけどね。

「こんな気持ちを感じてしまっている自分はダメな人間だ」

っていう自己攻撃が何より苦しい。

それに加えて、うらやましいと思っちゃってる自分への恥ずかしさとか、対象への罪悪感とか、そこから湧き上がる無力感とか。

ただ「うらやましいぜ!」と思うだけなら、平和なんだと思うのです。

だから私は、よく「うらやましい~」ということを口に出して言いまくって、闇落ちを防いできたんです。(笑)

その本音を軽く言えなくなった時は、深刻になりすぎているっていう目安にもなる。

なんだけど、そのうらやましさは吐き出しても吐き出しても、心の底に澱のように溜まっていっていたようで、うらやましさを感じる度に、「私ってなんもできないなー」とわが身を振り返って感じていたのですよね。

だけど、自分ではそれを開き直って受け入れているつもりでいたのです。

「今は仕方ない」とか「あるものを見よう」とか、色々心に言い聞かせて。

…なんだけど、とあるきっかけで「やっぱり私って何もできない!」と、元々隠し持っていた無力感の導線に自ら着火してしまい、マジで爆発する5秒前(マジ爆)になってしまったワタクシ。

先日のブログで、「何もしていない罪悪感」は慣れの問題だぜ!今は「あー!今日も何もしなかったわー!!あははー!」と清々しく、幸せに過ごせているんだぜ!」と豪語していたのですが

小さなきっかけで、突然自己否定の深い闇のどん底に突き落とされて

「だめだだめだだめだだめだ。やっぱり私って何もできない、できない、できないんだよおおおおおおおお!!!!!この何もできないクソ野郎が!!」

となっちゃうのは、ジェットコースター並みと言われる産後のホルモンバランスのアップダウンのせいなのか??

もう、私のキャッチコピーは

「朝礼暮改は当たり前!(キラッ)産後のホルモンバランスに翻弄される、精神不安定カウンセラーサトヒ♡」

もしくは

「首尾一貫っておいしいの?二転三転大好物!ホルモンの風に吹かれる、風見鶏カウンセラーサトヒ♡」

にしようかとも思うわ…。

と話がずれかけましたが、そんな私の「なんもできない、そもそもやる気も出ない、それなのにみんながうらやましくなる自分が嫌だ」と、懺悔のような弱音を聞いてもらったのでした。

私もみんなみたいにやりたい、だけどできない。思うように動けないことがもどかしくて、悔しい。

そんな気持ちを泣く泣く吐露して、怒涛のフォローで愛をたっぷり注いでもらったらスッキリして、「こんな自分もしょうがねぇか…しょうがねぇな…」と思えるようになったんです。

みんなの癒しパワー、すげえ…。

その後、お風呂に入っている時にぼーっと考えてたら、降りてきたことがあって。

あれ?「無力感」って、そもそも傲慢じゃね?

と。

だって、無力感を感じるっていうことは、その裏には「自分には力がある」って思ってる(もしくは思いたい)自分がいるってことだと思ったんですよね。

このくらいできて然るべきという義務感とか、やれるはずという期待とか、まぁ色々あるとは思うのだけど、その根底にあるのは、実は「私にはできる」という自分の力に対する確信めいた気持ちなのではないかと。

無力感っていうのは、自分に力があるって思ってなかったら、感じることないはずなんだもの。

元々無力なことを受け入れていれば、何もできない自分を見たって

「DA・YO・NE!!」

とあっけらかんと流せるはずだもの。

それを、「なんもできねぇ自分はクソ野郎だ」と思えちゃう辺り、本当は自分ができる奴だと思ってる、もしくはそうあって欲しいと期待している、はたまたそう信じてる自分がいるってことなのではないか?と。

つまり、無力感というのは、「私は、本当はYDK(やればできる子)なのに!」という世界の中心で空に向かって放つ雄叫びみたいなものなんじゃないか、と。

それって、つまりゴーマニズム宣言(傲慢を元にした小林よしのり氏による造語)じゃん。(爆)

そう思ったら、このネガティブな感情自体が自作自演に思えて笑えてきて、ふっと肩の力が抜けたんですよね。

なんだ、このサトヒ劇場は。(笑)

なんだかんだ言っても、私は私に期待してるし、私のことを諦めてないんだわなぁ、と。そして、どこかで「力があるはずの自分」を信じていたんだなぁ、と。

だから、「無力感」を感じられるのか、と。

そもそも「無力感」というのは、誰かを助けられなかったとか、役に立てなかったとか、そういう時に感じやすい気持ちだけれども、そもそも、助けるべき人なんて存在するのか?という命題もあるわけです。

カウンセリングだって、本当の意味で誰かを救うことなんてできないし。

だって、本当の意味で自分を救えるのは、自分しかいないはずなのだから。

それを自分が救えるとか、役に立てる力があるって思ってるなんて、めちゃくちゃゴーマンってやつじゃないか。(あ、もちろんサポートはできると思ってますがね。)

だったらなんで、わざわざ「無力感」なんて嫌な気持ちを感じたいのか?自分には力があって、やればできることを知っているのに?

そんなことをぐるぐる考えていたら…

誰かを助けたいとか、何かの役に立ちたいなんてことは建前でしかなくて、結局はその力がある自分を誇示することで、自分の価値を証明したいだけなんじゃん?…と思ってきたのですわ。

ああ、エゴくんよ…それほどまでに存在意義を他者から承認してもらいたいのだね…。

で、どうしてそんな風に自分の価値を証明したいと思ってしまうのかと言えば、この世に生まれ落ちたことの意味を、自分ですっかり忘れてしまっているからなんだと思うのです。(ここからスピリチュアル)

私たちは、自分の価値というものを幼少期の経験から無意識に学び取っていくものだけど、何かのきっかけで、親(もしくは養育者)から愛されていないと思うような出来事があると、すぐに自分の価値を疑うようにできているようで。

居場所がないと生きのびることが難しい弱い存在である子どもにとっては、生存本能として、親にとって価値のある存在であらなければ、と無意識に思ってしまうものなのでしょう。

だから、親から愛されたと素直に感じられずに大人になると、うまく自分の価値を信じられずに、延々と自分の価値を外側に証明するために生きることになってしまう。

だけど、どんなに親から愛されなかったと感じていたとしても、親にとって価値のない子どもはいないと思うし、逆も然り。

なぜなら、自分では忘れているだけで、お互いに必要な経験を与え合うために、その関係を選んで生まれてきていると思うから。

経験したいことを経験するために、お互いが必要不可欠な存在なら、それはもうその存在自体に意味も価値もあるということなんじゃないかと思うんですよね。

自分が自分として存在すること自体が、誰かにとっての救いであり学びになっているという、存在そのものの価値。

だから、自分に価値がないなんて思わなくていいし、それを証明するために自分の力を誇示する必要もないわけです。

無力感を感じるなんてゴーマンだと豪語したけど、別にそのゴーマンさだって悪いものなわけじゃない。それはそれで、人間くさくていいじゃない、とも思うのです。

結局、どんな感情も感じたいから感じているものなのだから^^

罪悪感も、無価値感も、無力感も、全部この世界を味わい尽くすためのスパイスみたいなものなんですよね。

ネガティブな感情はどれもこれも苦しいから、さっさと手放したいのは山々だけど、感じちゃうのは仕方ないもんな~。

そのネガティブな感情の裏では、実は許されている自分を知っていたり、愛されるべき価値があることを知っていたり、力があると信じている自分がいるのだったら

あえて声高らかに、罪悪感やら無価値感やら無力感という名のゴーマニズム宣言をして、人間くさく、泥臭く生きるのも、人生の醍醐味だったりするんじゃない?と思った私。

あぁ…我ながら相変わらず理屈っぽいな。(笑)

グループチャットでは、「理屈なんてクソくらえ」と悪態をついていたけれども、やっぱり私は理屈が好きだし、理屈に救われる人間だったことを思い出したところで、今日はこの辺で。

これからも、どんどんゴーマンかましていきたいと思います!(なんのこっちゃ)

ではまた!

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