いい子の闇を人体実験的に解説する話【シャドウとの対峙編】

心理分析

自己探求大好きなみなさま、こんにちは!

サトヒです。

最近、自分の中で結構大きな気付きがありまして。

会う人会う人に、「聞いてくれ!」とばかりに自分の感じていることを話しまくっていたのですが、ようやく気付きを自分の中で咀嚼できてきたので、ブログにしたためることにいたしました。

いい子ぶってて、自分の闇がわからない私

私は自称「いい子」なのですが、「いい子」を捨てることを推奨するカウンセラーでもあります。

そんな私ですが、最近周りからやたらと「いい人をやめるのが永遠のテーマ」とか「ブラックサトヒを出せ」とか「自分の闇を認めろ」的な話をされまくって(辟易して)おりました。

でもね、わからんのですよ。

何をどうしたら、みんなの期待する「ブラック」な私が出せるのか。(ここでも期待に応えようとするいい子な私)

いい子の面の皮が厚すぎて、自分がその面の裏側に何を隠しているのかが自分でわからんとです。

先日のブログで、自分の怒りを出してみた話を書いたのですが

たしかに、怒りをぶちまけたり、自分の思っていることを歯に衣着せぬ感じで誰かに話してみたりするのですが(いわゆる陰口)、それだけではどうもスッキリしない部分がある。

そのスッキリしなさというのは、やはり罪悪感で、相手の立場を想像すると色々感じてしまって、手放しに責めきれない部分が出てきちゃうんですよね。

しかも、下手に心理学的知識があったりすると、「投影」とか「シャドウ」なんて言葉が出てきて、結局吐いた雑言全てが、西城秀樹もびっくりのブーメラン剛速球で返ってくる気がするのが、なんかもう痛すぎるわけで…。(泣)

結局のところ、いい子であることの問題は、頭で先回りしてアレコレ考えすぎて、自分の感じてることがわからなくなっちゃうことなんだということが、よくわかります。

電光石火の速さで頭がそろばんをはじいて、色んな言い訳を瞬時に考え出して、自分の感じていることをごまかしてしまう。

「モヤっ」とか「イラっ」とか「ザワっ」とかを感じたその瞬間に、自分のネガティブな感覚を封印する理由をでっちあげるのですよ。

そして、自分自身に嘘をつくんです。

「私、そんなこと全く感じてましぇーーーーーん!」

って。

それが、いい子の実体だと私は思っています。

そんな私なのですが、あまりにも周りから「ブラックな自分を出せ」と言われるので、真剣に自分の闇と向き合ってみました。

そうしたら、私は自分がひた隠しにしてきたらしい(自覚なし)

「承認欲求」

を掘り当ててしまったのです…!

オーマイガ!!!!!!

心のざわつきが教えてくれる自分

私は、自己アピール強めな人が苦手です。

苦手というか、自己アピール臭強めなSNSの投稿を見ると、めちゃくちゃ心がざわつくので見たくないんですね。

そのざわつきが一体何なのかを、ここのところしばらく考えていました。

逆に言えば、私は自己アピールが苦手なんですね。

自撮りを晒すとか、どこに行ったとか、何をやったとか、「これ見て~!」という素直な気持ちで投稿できないことが多い。(できることもあれば、できないこともある、というのが正しい表現だけど)

だからまずは、単純にそういうアピールをしている人がうらやましいとか嫉妬心なのかな?と思いました。

もちろん、素直に自分らしさを表現していることはうらやましいし、素敵なところに行ってたり、すごい結果を出していたり、すごいものを持っていたりすることにいいな~と思う気持ちはあります。

それを自分はできないし、できないからこそうらやましいというのは自然の摂理ですものね。

だけど、嫉妬という言葉だけでは語り尽くせない何かがあるのを感じておりました。

私が自己アピールが苦手なのは、「恥ずかしさ」なんですよ。

自分を「見て見て~!」ってやるのが、めっちゃ恥ずかしい。

自分で自分のそれを恥ずかしいと思っているから、人のを見て「恥ずかしい」という気持ちが出るんだと思います。

その恥ずかしさを私はざわつきとして感じているのです。

でもね、その恥ずかしさの正体が私にはよくわからなかったのです。

もしかしたら、そこには攻撃される怖れみたいなものもあるのかもしれないと思ったりもしました。

昔、友達に「調子に乗っている」という理由で無視されたことがあって、未だにそれを覚えているので、結構傷ついたんだなと思ったりもしてて。

だから、また何か調子に乗ると無視されたり、嫌われるんじゃないかという怖れもあるんだと思います。

でも、怖れよりもやっぱり恥ずかしさなんです。

だから、私は一体何を恥ずかしがっているんだろうと考えていたら、冒頭の通り、私は自分の隠された「承認欲求」にぶち当たってしまったのでした。

オーマイガ!!!!!!(2回目)

己の闇またの名を隠された自分

人に対して無関心でいられない部分は、やっぱり自分の中に何かがあるんです。

自分の中にないことは外側には見えないなんて言われますが、逆に言えば見えることは自分の中にもあるってことなのです。

なので、私のように外側でざわつく人とか苦手な人とかがいるってことは、自分の中には認めたくない自分とか否定している自分がいるということを教えてくれるわけです。

だからといって、嫌いな人や苦手な人を受け入れなきゃいけないとか好きになれとか、隣人を愛せとか、人類皆兄弟!なんて言う気は毛頭なくて(いい子モード全開だとそう思いたくもなるけれど)

嫌いなもんは嫌いでええんじゃー!!!!!!!

と東尋坊の端っこで、日本海に向けて声を大にして言いたい今日この頃なのですが

私みたいに自己探求をこよなく愛する人は、ざわつきをヒントに自分を掘り下げてみるのもなかなか楽しくて痺れますよ!っていうドMの所業へのお誘いもしたいところ。(笑)

そもそも、別に相手を許す必要はないんですよ。

だって、嫌なものは嫌だし、苦手なものは苦手だし。

ただ、自分の中にそういう自分がいるのかもしれないってことを認めるだけで良いんだけど、それが何より難しい。

だからせめて、なかったことにするんじゃなくて、もしかしたらあるかもしれないけどしょうがないよね、くらいには思ってあげて欲しい。

もしくは、その苦手だったり嫌いだったりする部分から、自分が大事にしたい価値観やこだわりやポリシーのようなものが見えてくることだってあるのなら、それはそれで「自分らしさ」として大事にして欲しい。

今回、自分を知ることさえできたら、結果的に嫌いだったり苦手だったりざわつく相手への関心が薄れるのを身をもって体験しちゃったんです。

私は、こういうことをダメだと思ってて、こういう自分でありたいと思ってるんだ。

だけど、こういう自分(理想の自分)になろうとして、その反対の自分を無理やり出さないようにしていたり、拒絶したりしてるってことが、どうやらあるんだな。

そんな風に、自分を理解してあげたら、それだけでいいんです。

「こんな自分を恥ずかしいと思ってて、出さないようにしてるんだね。そうなんだね。」

逆に、理想の自分を無理に正当化しようとしたり、そうありたい自分を必死に弁護しようとしたり、そうじゃない自分の一部を否定したり隠そうとしたりするから

目の前に現れた見たくない相手を攻撃して自分の心を慰めたくなるのですよ。

私は、「ざわつき=恥ずかしさ」を相手のせいにして処理しようとしていました。

私のざわつきというのは、平たく言えば

「恥ずかしいもの見せてくれるな、コノヤロー!!」

ってことなんです。

いやー、文字にするとめっちゃ怖い。さすが心の闇。(笑)

あまりにざわつくから、あたかも相手のことを嫌いなのかとも思ったけれど、実は相手の事を好きとか嫌いとかあまり関係なかったこともわかりました。

▼恥ずかしさを乗り越えて、キメ顔&加工済の自撮りを晒す修行中(with Kちゃん)

長くなったので、次回に続く。

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