「我慢は美徳」は嘘?人生をハードモードにする我慢強さの罠に気を付けろ!

自分らしさ

愛あるみなさま、こんにちは!

サトヒです。

あっという間に冬休みが過ぎ去り、いつもの日常が、まるで昔から変わらずそこに存在していたかのように居座っています。やれやれ。(最後だけ村上節)

先日、amebloで書いた通り、外資系という黒船に乗っ取られた勤務先ですが

年が明け、その勢いはとどまることを知らない時の中で、加速度的にTomorrow never know感を増しております・・・。やべー。マジでやべー。

どんどん乗員が乗り込んできて、めっきり海外色豊かな雰囲気になりつつある、我らが勤務先よ…。

とにかくね、匂いが違う。

空港の免税店・・・もしくは、百貨店の化粧品コーナーのかほりとでも言いましょうか。

ま、一言で言えば、海外の香水の匂いってことですけど。(笑)

ただ、海外の人が来ると、日本の常識が崩れるのがいいですよね~。思い込みの枠が外れるというか。当たり前が自然と覆されるというか。

親会社がフランス企業なので、割合的にはフランス人が多いのですが、一人すごくおしゃれなおばさまがいて。

ランチタイムに、その人を観察するのが趣味だったのですが(年始は見かけてない)、白髪のショートボブで、フレーム太めのメガネをして、ギンガムチェックのストンとしたワンピースに、えんじ色のタイツを履いてたりするんですよ。

フランスパンは持っていない。

それが私好みかつ、すごくかわいらしくて、そのおばさまに似合っているんですよね~。

もう、目が釘付け。自分好みの女性を見るのが趣味です。

おしゃれに年齢は関係ない!と感じさせてくれる雰囲気にも、安心するのかもしれないなぁ。よく、フランス人女性は、年齢に縛られないって言うけど、本当にそんな感じ。

楽しみながら、年を重ねている感じ。(超勝手なイメージ)

あぁ、好きなもの着てていいんだなって思わせてくれる自由さも、とても安心する。つまり私は、そんなポップな格好で仕事していいなんて、思ってもいなかったのだ。(一応、ドレスコードはオフィスカジュアル)

ちなみに、いつかそのおばさまと話してみたい!思っていたら、つい先日チャンスが巡ってきて、エレベーターでご一緒することに。

「見かけるたび、とてもファッショナブルで素敵だなと思ってました!」

と、たどたどしい英語で緊張しまくって話しかけたら、とても嬉しそうにしてくれて、心がほっこりしました。

そんでもって、不思議なことに、フランス人は社内でマフラーをしている(全員じゃないけど)人が多い。なぜか。

私の場合、会社がどんなに寒くても、マフラーをしようと思ったことがなかったので、目から鱗で。

今日のタイトルにもつながりますが、日本人って、いまだにどこか「我慢は美徳」って価値観がありますよね??

私も、その価値観に毒されて、忍耐強く成長した方だと思います。…え?そんな風に見えない?

そうなんですよね、寒かったら、別に寒いことを我慢しなくていいんですよね。寒けりゃマフラーでもコートでも着てしまえばいい。屋内だろうと、屋外だろうと。オフィスだろうと、家だろうと。

無意識に我慢が癖になっていると、自分が寒さを我慢していることにすら、なかなか気付けなかったりする。

手と足が氷みたいに冷たくなって初めて、「あ、私寒かったんだ」と気付いたりします。ドリカムもびっくり。

我慢は美徳?本当に?

先日、「沖縄戦」での生存者の方のインタビューを読んだのですが、当時の軍国教育によって、いかに日本人が国家的に洗脳されていたかを改めて知りました。(もちろん、諸説あるんでしょうけど)

小学生の夢が「軍人になること」って、今の価値観から見たら、どうかしてると思います。でも、当時はそれが「普通」だった。

そういう教育を受けていたら、誰だって、それを夢にしていた可能性があるってことですよね。

私たちは、自分たちが自覚するよりもずっと、自分じゃない価値観によって、たくさんのことを思い込まされているのだと感じます。

自分が描く夢すら、国家レベルの思想の影響を受けている可能性がある。

それは、外側から自分を見る目がなければ、気付けないことかもしれない。

「我慢が美徳」の価値観が、いつから日本にはびこっているのか、調べてみたけどよくわかりませんでした。

戦時中の、「欲しがりません勝つまでは精神」が、「我慢は美徳」の価値観を生み出したのか、元々あったものを強化し、うまく利用しただけなのかも、よくわかりませんでした。

「和を以って尊し」の精神を大切にすることが、我慢を強いることに繋がったのかどうかも、よくわかりませんでした。

もちろん、物事には裏表があるので、その協調性の高さが、日本を平和な国せしめているという事実もあります。

それは、我慢強い国民性だからこそ達成しうる、モラルの高さでもあるのかもしれません。(災害時の日本人の民度の高さも、良くも悪くも他人を気にする国民性ゆえとも言われます。)

だけど、個人レベルの幸せに対して、本当に「我慢が美徳」かといえば、それはNOなんじゃないかなぁ?

もっと、個人の幸せを追求してもいい時代。

そんな風に時代は変わってきている。

そもそも、「我慢が美徳」なのは、我慢させる側の論理でもあるんじゃないかと思うのです。

我慢させる側が、国なのか、親なのか、先生なのかはわかりません。

ただ、支配する側にとっては、支配される側が我慢していた方が都合がいいんですよね。

そう、つまるところ、我慢強い人は都合がいい人になりがちなのです。「いい人」は都合のいい人とイコールであるように。

もし、誰かにとって都合よい人になるために、「我慢は美徳」精神を無意識に叩きこまれてたんだったら、そんなに腹立たしい話はありません。そもそも、協調性と我慢は別物だと思うし…。

むやみやたらに我慢するのではなく、コミュニケーションの中でお互いの落としどころを探すのが、本質的な協調の意図ではないのか!?

と、話が大げさになっちゃったけど、寒いから会社でマフラーしてて、何が悪い!っていう話でした。(え、結論そこ!?)

もちろん、TPOという考え方はあって、そのまま公の席でプレゼンでもしてたら、ちょっと問題かもしれないけど。(いや、彼らは普通にしてそうだけど)

日常業務を行う上で、自分の快適さを保つことができるのなら、むしろそっちの方がより効率的かもしれない。だって、手が温かい方がタイピングもスムーズだしね?(笑)

視点を変えれば、いくらでも選択肢はあるのに、「これはこういうもの」という誰かの作った常識や当たり前に縛られて、自分の頭で考えられなくなるのが、思い込みの恐ろしさでもあります。

そこを外せば外すほど、自由になるよってことなんですけどね^^

我慢強ければ我慢強いほど、人生ハードモードになるのがお約束だと思ってますので(ドMの法則・・・勝手に名づけた)

「我慢は悪」!!

くらいの気概で、我慢体質を吹き飛ばしていきましょう!

つまるところ…もっと自由に、もっと好きに生きようよ!ってことで^^

ではまた。

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