感情を感じるには許可がいる:弱い自分を受け入れたら、逆に強くなった気がした「怒りの日」

自分らしさ

愛あるみなさま、こんにちは!

サトヒです。

本日2022年2月2日は、ワタクシ42回目の誕生日でございますーーー!!!!

おめでとう私、ありがとう私。(8888888⇒拍手喝采音)

2002年2月2日に22歳になった私なのですが、今回も割と2多めな日になっております。(だからなんだ)

Twitterでは呟いたのですが、なぜか夫氏が誕生日に手紙を書いてくれるみたいな話をしていて

「おお、それじゃ書いてもらおうか…!」

とワクワクしていたのも束の間、年始に済ませた配偶者控除の還付金が戻ってきた話をしたら、

「じゃ、誕生日プレゼントはそれで…」

と言われてしまい、手紙にするか、還付金にするか真剣に迷っていたのですが

(夫氏は、私が金の亡者だということを知っているので、とりあえず金を与えておけばいいだろと思っている節がある)

その呟きへの返信に、「どっちももらうのはいかがでしょう」「両取りでお願いします」「むしろもう一声!」等々、温かい激励の言葉を頂き

「私の中には、どちらもという選択肢が無かった…!!」

という目から鱗な体験をしました。

っていうか、これメルカリで買い物する時にもアドバイスでもらったっけ。(どっちも買っちゃえばいいじゃん的な)

これって、完全に私の思考癖ですね~。

なぜ、どちらかを選ばなければいけない!?

新しい一年は、「欲しいものは全部手に入れる!」精神で行きたいと思います!!

感情を感じ切るにはどうしたらいいのか

さて、最近私は猛烈に「怒り」を感じて、発散するという経験をしたのですが。

発散と言っても、相手にぶつけるとかではなく、共感してくれるであろう信頼できるお友達に聞いてもらって、一緒に怒ったり怒ってもらったりしただけなんですがね。

(そんなタイミングで、周りの人も怒りを感じる状況が頻発していたのが、何か大きな流れのよう)

もともと、私は「怒り」を感じるのが苦手で、「ん?」と思うようなことがあっても一瞬で思考で蓋をして、物わかりの良いフリをしがちなんです。

「やっぱり私が悪いことしたのかも…」

とか

「こんなことで怒る私はちっさい人間なのかも…」

とか

「そうは言っても、相手の気持ちもわからんでもないし…」

とか

「よく考えてみれば自分も似たようなことやってたりするし、怒る権利なんてないよね…」

とか、瞬時に考えが浮かんでしまい、「怒り」が不完全燃焼しがちなのです。

そもそも、私には「怒りは人を傷つける」という思い込みもあるので、「自分が我慢すれば波風立てずに済むよね」と、自分の感情を抑え込む傾向にあります。(いわゆる平和主義)

なので、怒ったら怒ったで、誰かを傷つける罪悪感を感じて悶々とするし

怒らなかったら怒らないで、感じきれなかった「怒り」が沸々として悶々とするし

どっちを選んでも地獄にハマるのです。

だから、「怒り」を感じなければいけないような出来事にぶつかると、結局どちらを選んでも悶々とするので、ほんっとーーーーーーに苦手だったんです。

そもそも、嫌なことを嫌だと感じる自分も嫌。

そうすると思考の袋小路に追い詰められて、最初に感じていたはずの感情は、すみっこぐらしで腐敗臭を放つ始末。

よく、「感情は感じ切らないと消えない」なんてお話をするのですが、これって本当にそうで、感じてしまえば大したことないし、自分が想像しているよりあっさりと消化できるのに

一度感じたら歯止めが利かなくなるのでは?と思ったり、自分が負の感情に飲み込まれてしまうのが怖くて蓋をしてしまうと

逆に、その見ないようにしていた感情がなぜかとても恐ろしいもののように感じて、余計出せなくなっちゃうものなんですよね。

「怖れ」って壁に映った影のようなものと言ったりしますが、実体から目を反らせば反らすほど、自分の中で強大になっていくものなのです。

だから、むしろ「怖れ」を感じるものほど「さっさとガン見」した方が良くて。

セルフセラピーカードの絵柄でもあるけれど、めちゃくちゃ恐ろしい化け物みたいな影の実体は、ただの子猫ちゃ~~~~んだったりするのです。

子猫ってわかったら、全然怖れる必要もないし、さっさと「よーしよしよし」とムツゴロウさんばかりに愛してあげることもできますよね。

それを化け物だと思い込んで怖がるから、余計に自分の感情を直視できなくなるのです。

「怒り」を許可したら起こったこと

…と頭ではわかっていても、やっぱりネガティブな感情って感じたくないものだよな~と私も思っていたのですが

前述の通り、周りの人の力を借りて自分の怒りを素直に感じて、吐き出してみたら

なんということでしょう~!!!!(ビフォーアフター風)

むしろエネルギーがちゃんと自分の中をめぐる感じがして、清々しいほどではありませんか~。

「怒り」はセクシャリティなんて話もありますが、私は自分が感じている感情こそが「本当の自分らしさ」だと思うのです。

そりゃ、自分の感情を押さえ付けたら、自分らしさなんて出せないよね~っていう話に繋がりますわな。

だから、ちゃんと「怒る」って大事なこと。

それは、自分の尊厳を守ることにもなるし、自分が本当に大切にしたいものを自覚し、選び取っていくことにもつながるから。

ただ、そのためにはすごく覚悟がいるんですよね。

それは、「自分が見たくない自分」を受け入れる覚悟だと思っています。

きっと、「怒り」を感じたくない人にはいろんな理想があって

・常に穏やかな人でいたい

・他人に優しい自分でありたい

・人を傷つけない自分でいたい

・いつでもご機嫌を保っていたい

・人に迷惑をかけたくない

・人と争ったり揉めたりしたくない

・上品な人でありたい(笑)

なんてことを、自分に無意識に課していたりするんですが

そういう、言わば「キレイゴト」を取っ払わないと、本当の気持ちなんて出てこないんですよ。

気持ちは、わかってもらえると信頼した相手にしか話せないものだし、それは自分自身に対しても同じです。

もし、相手が聞く耳を持たなくて、ありのままの自分にダメ出ししかしてこないって思ってたら、本当の気持ちなんて話す気になれませんもんね。

それなのに、自分の思考は無意識にそういうことをしちゃうから、なかなか本当の感情が出せないわけです。

(思考と感情がケンカしちゃうし、思考に言い負かされた感情はどんどん本音を言わなくなるんです。あら、男女あるある話みたい。)

だから、どんな自分でもOK!って思ってあげる自己肯定感は、土台としてとっても重要だと思うのですね^^

誰かや何かに怒りを感じる自分。

悲しいとか、寂しいとか、辛いとか、弱音を吐く自分。

他人と比べて見下してみたり、優越感を感じようとする自分。

そんな自分に対して

あなたの感じていることは、そのままでいいんだよ。

そんな風に自分に対して思ってあげることも大事だし、そう思ってくれる相手がいる安心安全な場所を見つけるのが大事だと思うのです^^

感情って、自分で「感じてもいい」と思えないと、なかなか感じられないものです。

逆に、自分に許可さえできれば、どんな感情だって感じられるようになるし

もしそれがネガティブなものなら、押さえ付けて我慢する何十倍も早く解消して、むしろポジティブな方向にそのエネルギーを使っていけるようになる。

そう考えると、「怒り」って悪いもんじゃないな~って思ったんです。

だって、すごくエネルギーが湧いたもの。謎のやる気・元気・勇気。

自分が、なんだか強くなった気さえするから不思議です。

ということで、「怒り」や「ネガティブな感情」はちゃんと感じ切ってあげるのが大事だよ~というお話だったわけですが

やっぱり一人では難しいという方はカウンセリングがオススメです、という壮大なステマ感。

▼手前味噌ですが、生誕祭キャンペーン中でございます。

ではまた!

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