意外と複雑な投影問題…「投影」の本質は「人間関係の再現」である【ココロノマルシェ】

オカン問題

【大きな怒りを感じた時、いつもそばには女性が居た】

心の世界には「投影」という仕組みがあり、私たちは、自分自身の思い込みや、近しい人間関係で学んだ距離感などを、目の前にいる他者に映し出すということを無意識にします。

ただそれは単純なものではなく、本質的には「自分の(良くも悪くも)慣れ親しんだ関係性を、他者との間で再現する」ことなのではないかな、と思うのです。

再現された関係性の中で、不要な思い込みや役割を手放すことが、「投影」のもたらしてくれる大きなギフトなのかもしれません^^

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ココロノマルシェにご相談頂いた内容に回答しています!

大きな怒りを感じた時、いつもそばには女性が居た
私は現在、彼女と同居生活しているのですが、彼女の母親といる時に、どうしてもイライラしてしまい、怒りを抑えられない時があり...

私は現在、彼女と同居生活しているのですが、彼女の母親といる時に、どうしてもイライラしてしまい、怒りを抑えられない時があります。

特に、彼女の母親が「その考え方は間違っている、それは正しくない」と言う様な正論を振りかざされた時に、否定された様な気持ちなり、癇癪を起こしそうなります。せっかく今まで気付いてきた関係性を壊したくない事もあり、いつも自分は我慢しています。

そういったイライラした感情、納得行かない感情に苛まされた後は、下痢だったり、鼻詰まりや頭痛といった身体の不調がよく起こります。いつも左側に起こります。

身体の左側に問題が多くある事から、女性性や母親との関係に何かヒントがあると思い、過去の事を振り返ってみると、今まで自分が怒りを抑え切れずに爆発させてしまった時は、いつも女性が近くにいた事に気が付きました。

私の両親は離婚しており、父は家を出て、私は母、妹との3人で暮らして来ました。

女手一つで、私を育ててくれた母には、感謝していると同時に、以前母親が隠れて他の男性と会っていた事や、新しい男性を紹介したらしたで、母がその男性に依存している事、母親の考えが、その男性の考えになってしまっている事、そういう所を見て、裏切られたような、蔑ろにされたような感覚、また怒りを感じます。

まさに、母親から自分を切り離せていない様な感覚があります。

何故彼女の母親といると、彼女の話す言葉一つ一つがどれも批判、否定の様に聞こえてしまうのか、自分で考えているのですが、この怒りの原因が何なのかは、未だにハッキリしていません。

私の母親は彼女の母親と似ているわけでもないです。
何かアドバイスを頂けると、幸いです。

25歳 男性

(ソウタさん)

「自分らしさ」をとことん追求する、ライフワーク研究家サトヒです!

まず25歳、しかも男性で、ここまでご自分の気持ちに向き合い、分析できていることがすごい!と思ってしまいました。

もちろん、精神的な成長に年齢はあまり関係がないとは思うのですが(人それぞれに必要な学びのステージ、タイミングが違いますゆえ)、一般的に男性は自分の感情を感じて言語化することは苦手と言われているので、ここまでご自分を理解しているソウタさんに感激してしまいました。

未来のスーパーカウンセラーの才能をお持ちかもしれません…!!

身体の不調が左側ばかりに出る=女性に関連する問題!?

ちなみに

>身体の左側に問題が多くある事から、女性性や母親との関係に何かヒントがあると思い

という部分に、「???」となったので調べてみたところ、こんな記事を見つけました。

身体の不調とスピリチュアル的解釈の不思議な関係性〜身体の左側と右側の症状について - 癒し・健康情報のトリニティ | 女性に向けた癒し・健康情報を配信
雨が続いたりなど天候不順になると、決まって偏頭痛に悩まされたり、関節が痛んだりと、慢性的な疾患にお悩みの方も多くおられる...

この記事によれば

右側は男性的象徴であり、左側は女性的象徴と考えます。

とのことで、まさにソウタさんがおっしゃっていることと同じ。

そうなんだ~、と勉強になりました。

となると、ソウタさんがおっしゃるように、「身体の不調が左側ばかりに出る=女性に関連する問題」であるというのも頷けます^^

元々、お母さんと妹さんとの3人暮らしだったこと、また現在は彼女と彼女のお母さんと同居しているとのことなので(お父さんの同居有無はわからないのですが)、普段から女性が周りに多い環境であったことは間違いありません。

男性から見た女性、また女性から見た男性は、同じ星の住人とは思えないほど謎めいた存在(つまり宇宙人)ですので、もしかしたら色々と振り回されてしまうこともあるのかもしれませんね。

逆に言えば、ソウタさんがここまでご自分の気持ちや感情を理解できるのも、普段から「感情優位」な女性と接してきたからこそなのかもしれません。

よく「怒りは二次感情」なんて言われ方をしますが、「怒り」というのは本当の感情ではないことが多いんですね。

本来求めていることが満たされない場合に、外側に自分の思いを表現する自己防衛手段として、「怒り」が使われることが多いように思います。

となると、ソウタさんが怒りを爆発させてしまいそうな時に、本当に満たしたい思いってなんだろうということを考えてみると

>彼女の母親が「その考え方は間違っている、それは正しくない」と言う様な正論を振りかざされた時に、否定された様な気持ちなり、癇癪を起こしそうなります。

>母がその男性に依存している事、母親の考えが、その男性の考えになってしまっている事、そういう所を見て、裏切られたような、蔑ろにされたような感覚、また怒りを感じます。

と書かれていることから、ソウタさんの心の根底には、「自分の考えを認めて欲しい」「受け入れて欲しい」「大切にして欲しい」といった気持ちがあるのではないかな?と思いました。

つまり裏を返せば、「自分は認められていない」「受け入れてもらえない」「大切にしてもらえない」という心の痛みがあるということでもあります。

「投影」の本質は「人間関係の再現」である

心の世界には「投影」という仕組みがあり、私たちは、自分自身の思い込みや、近しい人間関係で学んだ距離感などを、目の前にいる他者に映し出すということを無意識にします。

>私の母親は彼女の母親と似ているわけでもないです。

と書いていらっしゃるので、もしかしたらソウタさんはご自分のお母さんを、彼女のお母さんに投影しているのでは?と思ったのかもしれません。

これは、私の個人的な感覚ですが、ソウタさんが彼女のお母さんに投影しているのは、「お母さんの過去の彼氏たち」なのではないかな?と感じました。

「投影」って、実は結構複雑な仕組みでして、自分の何を誰に投影しているのかがわかりにくいものだったりします。

オカンを投影していると思ったら、実はオネエ(!?)だったり。

オカンを投影していると思ったら、実はオトンだったり。

なので、「投影」というのは単純に誰に誰をというよりは、基本的に「自分の(良くも悪くも)慣れ親しんだ関係性を、他者との間で再現する」ことなのではないかな、と思うのです。

その目的は、過去の経験で受けた心の痛みを癒すこと、不要な思い込みを手放すこと。

そこに「癒されたい感情」があるからこそ、私たちは敢えて似たような人間関係を再現し、その中で再度自分の心と向き合おうとするのだと思うのです。

ちなみに心理学で、「エディプスコンプレックス」という言葉があるのですが、詳しい話はWiki先生に譲るとして

エディプスコンプレックス - Wikipedia

一言で言えば、「母親への愛情から来る、父親に対する心理的葛藤」なんですね。(男女逆バージョンは、エレクトラコンプレックスと呼びます)

子どもって、みんな「お母さん大好き!」ですから、ある意味最大のライバルって「お父さん」になるんですね。(女子の場合は、「お父さん大好き!」で、ライバルは「お母さん」になります)

その反面、幼少期の男の子にとって「お父さん」は絶対的な存在なので、「かっこいい憧れ」でもあり「自分の命を握る恐ろしい神」でもあり「お母さんを奪い合う邪魔者」でもある。

その葛藤を乗り越えていくことが、自分の道を切り開いていくということであり、精神的・身体的な自立であるというストーリーみたいです。(ざっくり)

ソウタさんのご両親は離婚されているとのことなので、その心理的葛藤はお父さんではなく、お母さんの彼氏に向かった可能性もありますね。

実際に子どもにとってみれば、「お母さんの彼氏」=「大好きなお母さんを奪っていく人」でもあると思うので。

しかも、大好きなお母さんが自分よりも彼氏を大切にしているように見えたり、自分の話よりも彼氏の話を聞いている様子を見たら、「裏切られた」とか「蔑ろにされた」という気持ちが生まれるのは自然なことだと思います。

子どもはいつだって、お母さんの一番になりたいと願うものです。

だからこそ、「一番になれなかった」と感じることが、敗北感や無力感、無価値感を生むんですよね。

そこから、前述の「自分は認められていない」「受け入れてもらえない」「大切にしてもらえない」という思い込みにつながっているのかもしれません。

では、現状の「彼女」と「彼女のお母さん」という図式に当てはめてみるとどうでしょう?

おそらく「彼女」は、ソウタさんにとって愛し愛されたい存在であるはずです。

そして、「彼女のお母さん」というのは、いわば「彼女」の背後にそびえ立ち、彼女の意志を操作する「絶対神」のようなものにも感じられるのかもしれません。

そんな「彼女」にとって絶大な影響力を持つであろう「彼女のお母さん」から

>「その考え方は間違っている、それは正しくない」

なんてことを言われたら?

もう、自分の存在を全否定されたみたいな気がして、悲しみと寂しさで頭がどうにかなりそうになってもおかしくはないですし、それが「怒り」として浮かび上がることもあるでしょう。

元々「自分は大切にされない」とか「自分は認められない」いう思い込みがあるなら、なおさらです。図星を指されるわけですから、痛くてしょうがない。傷口に塩みたいなもんですから。

ここでは彼女自身のことが詳しく書かれていないので、なんとも言えませんが、もしかしたら彼女はお母さんには逆らえないタイプなのかもしれません。

かといって、相手は彼女の大切な人であることは頭で十分わかっているので、無下にすることもできず、言いたいことがあっても我慢して、自分の感情を抑圧しようと踏ん張ってしまうわけですから、それはそれはしんどいと思います。

その彼女と彼女のお母さんとの関係性に、どこかお母さんと彼氏という図式を投影しているような気がしたのでした。

でも、一つ忘れないでいただきたいのは、その「我慢」は、ソウタさんが大切な人を大切にしたいと思う愛情そのものなんですよね。

それは、大好きな彼女であり、本を正せば「お母さんへの深い愛情」から来ていることでもあると思います。

きっと、ソウタさんは女手ひとつで子育てをしてきたお母さんを間近で見てきて、色々なことを感じきたと思うのです。

大変そうなお母さんを見て、うまく助けになれない無力感を感じてきたかもしれませんし、申し訳なさを感じてきたかもしれないし、純粋に感謝の気持ちもあるでしょう。

だからこそ、お母さんが誰か彼氏を見つける度に依存的になっている様子を見て、不快な思いを感じると同時に、その反面「苦労をかけたお母さんには幸せになってもらいたい」という気持ちから、その不快な気持ちを感じないように我慢してきたんじゃないでしょうか?

つまり、「我慢する」ことは、ソウタさんにとっての一つの愛し方でもあるわけですね^^

親離れ…精神的な自立

>まさに、母親から自分を切り離せていない様な感覚があります。

と書かれていらっしゃいますが、親離れというのは、精神的な自立の要素が大きいものだと思います。

生まれたばかりの子どもは、親と自分を同一視して、区別がつかないものだと言われています。

それを、段々と自分の思い通りに親が動かないという事実を体感することで、「親と自分は別の人間である」ということを学習していくわけです。

精神的な自立というのはそれと同じで、「親と自分は考え方も生き方も違う、別の人間である」ということを自覚して、自分の生き方を自分で選択すると共に、親の生き方を尊重できるようになる、ということではないかな?と思うんですよね^^

それはある意味、期待通りでない、完璧でない親を許すことでもあります。

女手ひとつで子どもを育てるって、本当に本当に大変なことだと思います。

母としての役割と共に、父としての役割も一手に引き受けなければいけないからです。

でも、子どもからどんなに「お母さん」が神様のように見えていたとしても、母もまた、同じ一人の人間として、この世で一生懸命試行錯誤しながら生きている存在なのです。

だから、時には母を休んで、一人の女性として男性から大切にされたい時もあるでしょう。

弱音を吐いて、受け止めてもらいたい時もあるだろうし、完璧じゃない自分でも愛されたいと望む時もあるでしょう。

だけど、それは何よりも”自分の幸せ”のためであり、その幸せには、大切な子どもたちの幸せも絶対に含まれているものです。

お母さんが幸せに、笑顔でいられることは、十分に子どもに愛情を注げる自分でいられるということであり、それは子どもたちにとっての幸せでもあるからです。

ソウタさんは、お母さんに彼氏ができることで、自分が一番じゃなくなったような、大切にされていないような感覚を抱いたのかもしれませんが、それはきっと大きな勘違いであり、誤解だと思うのです。

お母さんにとっての、絶対的一位は、間違いなく「子どもたち」ですよ。

それは、どんなにイケメンで最高に優しい彼氏ができたって、揺るぎない不動の絶対的一位なんです。

彼氏とは比べられない場所にいる、永久不滅の殿堂入りなんです。

お母さんは、守るべき大切なものがあるからこそ頑張れるし、頑張れてしまうからこそ、その延長で無理をしすぎて疲れてしまったり、誰かに寄りかかったりしたくなることがあるのだと思います。

だけど、そのお母さんの生き様の根底には、いつだって大切な子どもたちの存在があるということです。

そんな母心をわかってあげられたら、お母さんの弱さや人間らしさもまた、愛すべきものと心で理解できる時がくるのかもしれませんし、その時が精神的な自立を迎える瞬間なのかもしれません^^

愛を受け取ることが、自分を強くする

冒頭に、「左側は女性性の象徴」というお話がありましたが、「女性性」の本質には「受け取る」という側面があります。(紹介したサイトにも、そのようなことが書いてありますのでご参考まで)

つまり、左側に不調が出るということは、「何かをうまく受け取れていない」という心と身体からのメッセージなのかもしれません。

ソウタさんは、お母さんや彼女が注いでくれているはずの愛情を、しっかりと受け取れていますか?

そして、ソウタさんはそんなお母さんや彼女を大切にしたいと強く願えるほどの、愛情深い自分の価値を受け取れていますか?

自分の期待するような形で愛されていないことがあったとしても、お母さんはお母さんなりに、彼女は彼女なりに、ソウタさんをとても大切に思っているのではないでしょうか?

誰かがどんなに自分を否定するような発言をしたとしても、自分自身が自分を否定していなければ、そんな言葉は自分の中に入らないようにできています。

だとしたら、ソウタさんは自分の何を、どのように否定しているのでしょう?

もしソウタさんが、お母さんとの関係の中で「一番になれなかった」と思ったり、苦労しているお母さんを見て「申し訳ない」と思ったりして、敗北感や無力感、無価値感や罪悪感を感じているのなら、先ほども書いた通り、それは大きな誤解なのです。

だとしたら、その敗北感も無力感も無価値感も罪悪感も、全部いらないものになりますよね?

そしたら、自分で自分を責める必要なんて何もないことに気付きませんか?

むしろ、それほどまでに愛したい人がいるということの素晴らしさや、愛そうと思える自分の価値を受け取らざるを得ないのではないでしょうか^^

人は、愛されるべき自分の価値を受け取れば受け取るほど、堂々と人を愛していけるようになるようにできています。

ソウタさんが「正しさ」の争いの中で疲弊することなく、自分らしさを大切にして、「我慢」以外の自分らしい愛し方を模索していけることを祈っています!

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