わたしがわたしで良かったと思える生き方をしよう

自己肯定感と自己受容

愛あるみなさま、こんにちは。

サトヒです。

新潟話をブログにまとめたいと思っているのに、なかなか書き終わらずに他の事ばかり書いてます。

旬が過ぎたころに、備忘録的にまとめるのを目標にしております(笑)

今日は、私の中で核になりそうな思いを見つけた話。

自分が自分で良かったと思える生き方がしたい

私には子どもが二人いるのですが

夜な夜な、子どもの寝顔を見ながら物思いにふけるというのが至福の時間なのです。

日中はイライラしたり、優しくできなかったり、小言を言っちゃったり

時にはドン引きするほどブチ切れたりして

「もっとこうしてあげればよかった」

とか

「なんでこんな風にしちゃうんだろう」

と、反省することがたくさんあるのだけど

私にとって、かけがえのない唯一無二の大切な存在であることをかみしめる時間でもあります。

先日、すやすやと寝入っている二人の顔を見ながら

「私は、この子たちにどんなことを望むのだろうか」

ということを、ぼんやり考えていました。

私の個人的な意見では、親が子どもの将来に対して何かを期待するなんて、子どもからするとひたすら迷惑でしかないと思っているので(笑)

こんな風になって欲しいとか、こんなことをして欲しいとか、具体的に思い浮かぶようなことはなかったのですが

たった一つ、私が彼らに期待することは

長い人生を終えて、この世界から旅立つ時に

「自分が自分で良かったなぁ」

と思えるような生き方をしてくれたらいいな、ということだと思ったのです。

自分の人生楽しかったな

私が私として生きられて良かったな

人生の幕引きの場面で、そんな風にしみじみと感じられるような生き方をしてくれたらいいな、と。

しかし、私の持論では

「親が子どもに期待することがあるなら、まずそれは親が体現すべし」

というのがあるので、それってつまり、まずは自分がやるべきことだよなと思い直しまして(笑)

私の人生にとって大切なことというのは

「自分が自分で良かったと思えるような生き方をすること」

なんだと気付いたのでした。

自分がやりたいことをちゃんとやる

とはいえ、それってすごく抽象的なので

「自分が自分で良かったと思える生き方」をするためには、一体何が必要なんだろうと考えてみたのですが

真っ先に思い浮かんだのが

「自分がやりたいと思うことを、ちゃんと自分にやらせてあげる」

ということだったんですよね。

思い通りにいかなかったとしても、失敗したとしても

その時々で自分がやってみたいと思うことを、自分にチャレンジさせてあげる。

「何かをやってみたい」っていう情動や情熱は、自分の内側から自然と湧きあがるものだと思っています。

それで大成するとか、何か大きいことを成し遂げる必要は全然なくて

日常の些細な出来事だとしても、「これをやってみたい」と思うことこそが

私が私としてこの世界を生きることの、大きな理由なんじゃないかと思うのです。

私だから、これをやってみたいと思った。

私だから、これを楽しそうだと感じた。

だったら、それを叶えてあげなきゃアカンでしょって。

もちろん、やってみて違うってことも多々あるかもしれないけれど

その時感じた、「違う」という感覚すら、私だからこそ感じられたことなんですよね。

他の人がどう感じるかは知らんけど

私がいるこの世界を、私の感覚で実際に体験してみるということが何より大事。

私だから、これに惹かれた。

私だから、それに興味を持った。

だから、それを体験してみる。

それはつまり、”私だから感じること”を大切にすることでもあります。

それって、「私が私として生きている」ことに、自ら意味を見出すことになるんじゃないかと思うのです。

自分の味方でいてあげる

「自分が自分で良かったと思えるような生き方をすること」

として、もう一つ思いついたのは

「自分の味方をしてあげられる自分であること」

でした。

一言で言えば、”自己肯定感”って話になっちゃうのですが(笑)

人生生きていれば、楽しいことだけじゃなくて、しんどいと感じることもありますよね。

しんどい時期に、自分で自分の味方でいてあげられるかって、すごく重要だなって思うんです。

私は元々、自己否定と自分責めの猛者として生きてきたので

長年「謎の孤立無援感」にさいなまれてきたのですが

今、ありのままの自分を受け入れられるようになってきて思うのは

「自分責めがこの世の地獄を生み出す」

ってことなんですよね。

文字にするとこわ~。(苦笑)

そんな地獄を、子どもたちには味わって欲しくはないなぁ、と心から思うのです。

「レジリエンス」という言葉がありますが

大事なのは折れない強さではなくて、折れそうになってもしなやかに立ち直れる強さだと思います。

それを助けてくれるのが、自分からの応援の声なんだと思います。

しんどいことがあったときや、何かに失敗したときに、そんな自分を責めるんじゃなくて

まぁ、そういう時もあるよね~。

とか

でも、ここは頑張ってたじゃん!

とか

次はきっとうまくいくよ。

とか

自分を追い込む言葉ではなく

自分に寄り添う言葉、自分の背中を押してあげる言葉を選べる自分であれたなら

この世はもっと生きやすく、ずっと楽しいものになるのではないかと。

私が子どもたちのためにできることは、積極的にそういう言葉がけをして洗脳することでもあるし(笑)

なにより、自分が自分に対してそう接することで、親の背中を見せるってのが大事なんだろうなとも思います。

▼某有名スーパーカウンセラーの方も、こんな本を書いていらっしゃいますし!

”本当の自分として生きる”とは

自分が自分の味方であれたなら、自分らしさはもっと表現しやすくなります。

色んな自分の側面を、素直に表現して生きることが

”本当の自分として生きる”ということなのかもしれません。

自分の中のいろんな要素を、「これは良いもの、これは悪いもの」とジャッジして

「悪い」と判断されたものを否定しているのは、他ならぬ自分自身なわけで。

その思いを外側に投影するから、同じように他人からも否定されるような気がしてしまう。

その怖れが自分自身をがんじがらめにして

本来生まれ持ったはずの”自分らしさ”というものを

自分の奥の方に、窮屈に押し込めてしまっているのですよね。

その怖れを解くためには、自分が自分の味方をしてあげる必要がある。

大丈夫だよ

それは、全然ダメじゃないよ

もっと自由にふるまってもいいんだよ

私が私を守るから安心して!

自分に対してそんな風に思ってあげられた時にようやく

恐る恐るでも、正直な自分を少しずつ出せるようになっていくのだと思います。

自分の持つ色んな側面を、自由に解放して

その時々の自分の感じることに正直に生きられたなら

きっと、最期に笑って

「自分が自分で良かったなぁ」

と、しみじみ思える人生になるのではないかと思っています^^

ということで、少しずつでもその境地に近づけたらいいなと思いながら、日々を大切に過ごしていこうと心に決めたのでした。

ではまた!

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