【親の笑顔が怖い】
「母に対して、恐ろしさや肝が縮こまるような気持ちを感じたとしても、あなたは何も悪くない」
怒りだろうが、不快感だろうが、憎しみだろうが、怖れだろうが、不安だろうが、不満だろうが、感じてしまったものは、自分の中で無かったことにはなりません。
なので、まずはそう感じてしまった気持ちを無いものにしようとしたり、否定的な気持ちになって責める必要なく、ありのままに受け止めるのが大切だと思うのです。
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ココロノマルシェにご相談頂いた内容に回答しています!
私は母と二人暮らしです。
休みが被らず、あまり一緒にいることはありませんが、離婚した父をむかし共に恐れてきたからか、依存的な親子だと思います。
先日珍しく休みが被り会話をしていたのですが、本当に珍しく、母がとても楽しそうに笑ったのです。
大した話ではなく、ただの雑談だったと思います。
それを見た瞬間、心がぞわっとし、とても怖かったのです。
笑わないわけではなく、普通に笑うことはあるのですが、あんなに楽しそうに笑うのを見たのは、きっと幼い頃以来だと思います。でも恐ろしくて、しばらく経った今も忘れられなくて、思い出す度に肝が縮こまるような思いがしています。
その瞬間、家を逃げ出したくなりました。
父と同居していた頃、母は滅多に笑いませんでした。
私と二人の時は笑っていたのかもしれませんが、嫌な記憶だからか、同居以前のことはほとんど覚えていません。
父は暴言の多い子どものような人でしたが、母は信じたものに盲信的すぎるきらいはありましたが、ヒステリックだったくらいで、あんなに不気味に思うようなことはありませんでした。
子どもの頃は、よく家を逃げ出したいと思っていましたが、結局家出する勇気もなく、計画を立てるだけに終わっていました。
親として右も左もわからず、苦労して育ててくれた両親には感謝していますが、特に私を甘やかしてくれるような母にああいった感情を抱いたのが申し訳なくもあり、どうしていいのかわからず投稿させて頂きました。
どうすればいいなんて曖昧な質問で申し訳ありませんが、どうしたらこのもやもやが解消されるでしょうか。
(むんさん)
「自分らしさ」をとことん追求する、ライフワーク研究家サトヒです!
お母さんが笑ったことに、何かしら不気味な感覚を覚えて、恐ろしくなってしまったということですね~。
そしてむんさんは、そんな自分に罪悪感を感じているご様子…。
ご相談の内容からだけでは、実際のお母さんがどのような様子だったのか、その不快感や嫌悪感のようなものが、どこから来ているのかというところまで想像することは難しいのですが、まずひとつ言いたいのは
「母に対して、恐ろしさや肝が縮こまるような気持ちを感じたとしても、あなたは何も悪くない」
ということは言えると思います^^
しょうがないですよね、感じちゃったものは。
感情は、天気のようなものだと言われます。
誰が何を言おうと、雨は降るし、風も吹く。
人間も、大きな自然の一部だとすれば、自分の中に意図しない感情が生まれてしまうのもまた、自然の流れの一つなのかもしれません。
なので、まずはそう感じてしまった気持ちを無いものにしようとしたり、否定的な気持ちになって責める必要はありませんよ、ということをお伝えしたいのです。
優しい人ほど、自分にとって嫌な感情が出てきた時、どうにかその気持ちを感じずに済むように、思考的に考えるものだと思うのです。
どうして、こんな気持ちが出てきてしまったのか?
こんな気持ちを感じる自分は、最低なんじゃないのか?
どうしたら、この気持ちを感じずに済むんだろう?
過去にあった、アレとかコレが原因で、今こうなってるんじゃないんだろうか?
相手への罪悪感もあるからこそ、そんな風に考えることで、感じていることから逃げようとしてしまうのです。
でも、しょうがないんです。
怒りだろうが、不快感だろうが、憎しみだろうが、怖れだろうが、不安だろうが、不満だろうが、感じてしまったものは、自分の中で無かったことにはなりません。
まずは、自分の感じている気持ちに、「そんな風に感じているんだね」と向き合ってあげるのが、実は感情を手放すための大きなプロセスだったりします^^
その上で今一度考えてみたいのですが、むんさんがお母さんの様子を見て、一番怖かったことってなんだったのでしょう?
その笑い方が、いつもとは違っていて、気が狂ったように見えたとか?
いつもはそんなに笑わない人がそこまで大笑いすることに、何か彼女の内側の変化を感じて怖くなったとか?
普段そこまで感情を出さない人が、突然感情を出す様子を見て、単純にびっくりしたとか?
基本的には、自分との雑談で笑ってくれた=心がほぐれたということでもあると思うので、そんなに恐れる必要はないようにも思えますが
きっと、その場でその様子を見たむんさんにしかわからない、心の機微だったり、微妙な変化を感じたからこその気持ちなのだと思うのです。
これは私の勝手な想像なのですが、もしかしたら、お父さんとの複雑な関係性があった中で、むんさんの中に、色々と押し込めてきた気持ちがたくさんあるのではないでしょうか?
>私と二人の時は笑っていたのかもしれませんが、嫌な記憶だからか、同居以前のことはほとんど覚えていません。
辛い記憶は、自分の心を守るために、心のずっと奥深くに封印されるものです。
今、こうして過去のことをほとんど思い出せないのも、それを思い出してしまったら、自分の心がボロボロに傷ついて、普通の日常を送れなくなってしまうほどの経験だったからなのかもしれません。
だとしたら、お母さんの様子を見て、そんな過去の忘れていた何かが、心の底から湧き上がってきたことに、恐怖を感じたということもあるのかもしれません。
だって
>子どもの頃は、よく家を逃げ出したいと思っていましたが、結局家出する勇気もなく、計画を立てるだけに終わっていました。
なんて、子供心に家から飛び出して、逃げ出したくなるような気持ちを感じるくらいの経験って、本当に辛い記憶だと思うのです。
ずっと孤独の中で、哀しみと時には絶望すら感じながら、一人じっと苦しみに耐えて、日々を過ごしてきたのではないでしょうか?
逃げ出したくても、まだ子どもだからどこに行く当てもなく、自分で働くわけにもいかず、どんなに怖くて怖くて仕方なくても、その場から逃げ出す術のない状況に、いたたまれない思いをずっと感じてきたのではないでしょうか?
そんな時に感じていた気持ちを、もう感じたくない。
そんな風に、どうにかして思い出さないようにしてきたものが、お母さんの笑い声をきっかけに、もしかしたらほんの少し、蓋を開けて見え隠れしてしまったのかもしれません。
もちろん、実際のところはわかりません。
だけど、むんさんが感じてきた、辛く悲しいその痛みは、今もまだ文さんの心でくすぶり続けているように感じるのです。
>離婚した父をむかし共に恐れてきたからか、依存的な親子だと思います。
と書かれていますが、きっと「父」という共通の敵を持つことで、より強固に結束を固めてきた部分はあるのだと思います。
それでも、むんさんの人生は、むんさんのものなんです^^
お母さんがどうあろうと、むんさんはもう大人になって、いつだってその場から自由に行先を決めることができます。
戦いを共に生き抜いてきた同志のようなお母さんに対して、いつでも優しい気持ちを感じていられるわけじゃない。
時には、腹を立てる時もあるし、意見が合わない事だってあるでしょう。
だって、むんさんとお母さんは、全く別の人間なんですもの。
だから、自分を責めないでくださいね。
どんな気持ちを感じても、それはむんさんにとって必要な、大切な気持ちなんですよ。
お母さんのことを考えて、苦しくなってしまう時のおまじないの言葉は
「私は私、母は母」
です。
今のむんさんは、お母さんとの心理的距離が近い状態なので、どうしてもお母さんの状態に影響をうけやすくなってしまうし、お母さんに対して素直に感じるネガティブな感覚を、そのまま受け入れることが難しいのだと思います。
でも、もしその「不快」な気持ちが、何かをむんさんに伝えてくれているとしたら、それはどんなことなのでしょう?
少し、その質問に思いを馳せてみてくださいね。
どんな問題も、自分が思い出す必要のある、大切な何かに目を向けるために起こるものだと、私は思っています。
漠然とした回答で申し訳ありませんが、もしかしたら、今回感じた不快感は、むんさんがお母さんと一緒の人生から自立していくきっかけになるのかもしれないなぁと、個人的には感じました。
まずは、ご自分の感情のありのままを受け止め、自分が感じた気持ちの奥にあるものに、目を向けてみてくださいね^^
むんさんが、自分のことを責めることなく、しっかりと自分の味方をして、自分らしい人生を歩み始めることを、心から祈っております!
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