愛あるみなさま、こんにちは!
サトヒです。
今日も今日とて、「奇跡講座」にまつわる話…ハマりすぎやないかい!
しかもまだ、ちゃんと読んでないっていうのにね(笑)
でも、アウトプットは最大のインプット!ということで、学びながら知識をまき散らすのがサトヒスターーーーーーイル!
エゴとは?フロイトとユングの視点
さてさて、奇跡講座(ACIM、奇跡のコース)の根本的な考えの一つに
「エゴ」
というものがあります。
心理学でもよく出てくる単語ですが、この「エゴ」、イマイチ感覚がつかみにくくないですか?
「その声はエゴだよね」
「エゴの声に惑わされるな」
とか言うし、ロールプレイ的なもので
「エゴロード」
っていうセッションもあったりする。
とても表面的な感覚をお伝えすれば、エゴとは「自分を幸せにしない考え」とも言えると思っているのですが
なんでもかんでも、定義や本質を知りたくなる私。
まずは、「エゴ」という概念を提唱したフロイトとユング大先生の定義を、小学生でもわかるようにAIにまとめてもらったのが以下です。
フロイトは、エゴを「現実的な自分」と考えました。
エゴは、欲しいもの(イド)と、正しいこと(スーパーエゴ)の間でバランスを取る役割をします。
例えば、お菓子を食べたいけど、今は食べる時間じゃないと考えるのがエゴです。
(エゴは、欲しいもの(お菓子)と正しいこと(食べない)との間でバランスを取ろうとします。だから、エゴは「少しだけ食べる」とか「後で食べる」といった妥協案を考えることが多いです。)
ユングは、エゴを「自分が自分だと感じる部分」と考えました。
エゴは、意識している自分の一部で、無意識の部分とも関係があります。
例えば、自分が好きなことや得意なことを考えるとき、それがエゴです。
つまり、フロイトはエゴを「現実的な自分」として、ユングはエゴを「自分が自分だと感じる部分」として考えました。
えーと…わかりました?私は、よくわかりません。
でも、「自分が自分であると思っている意識」は自分の中にあるのを感じるし、その意識ってなんだろな?というのは、私にとっての長年の謎でした。
(なんで自分は自分なんだろう?とか、意味わからなすぎて、逆に考えちゃう)
エゴとスピリチュアル的視点:分離と幻想の世界
奇跡講座で言うところの「エゴ」は、ユング説の方が近いのかもしれません。
「自分が自分だと感じている部分」
それをもっとスピ的な視点で見た時に、「この現実世界(三次元世界)を生きているのが自分だと思っている自分」という感じです。
奇跡講座の根本にあるのは、自分が体験している(と感じている)現実世界は全て幻想というのがあるので
その幻想の世界を、本気のリアルだと思い込んでいるのがエゴとしての自分というわけですね。
他の人とは違っていて、個としての自分が存在していると信じていて、身体を持った私を自分だと思い込んでいるのがエゴっちゅーわけです。
え、そんなの当たり前じゃん?って?
だって、私は○○という名前で、どこどこに住んでて、何とか何が好きで、何人兄弟で、こんな仕事をしてるのが私に決まってるじゃん!なんなん!?
そうなのです、私たちはそのくらい、この現実世界を真実だと思い込んでいて、個としての自分のアイデンティティこそが自分だと信じて疑わないくらいに、エゴと一体化して生きているのですね。
でも、このエゴには絶対的に信じている物語があって…(ここからどんどんスピってくるよ!)
私たちは、元々神様と一体でした、同じものでした。
神様というのは一元的なもので、言葉で表現できる概念を超えたものと言われています。
相対の世界ではなく、絶対の世界。
すべてが一つに統合されているため、それを表す言葉が無いと言われます。
逆に、私たちが知覚・体験している(と思っている)世界は、二元性の世界です。
全てに対極のものが存在し、その程度はグラデーションになっています。
何かを表現するということは、その対極ではないという表現になります。
明るいということは、暗くない、ということ。そんな感じ。
でも、神様という存在の一元的な世界観では、全部が一つですべてが含まれているので説明不可能なのですね。
神様じゃないものが存在しない世界だから、神様を表現できない。
本来は、私たちの本質というのは神様と呼ばれる一元的な世界につながっているそうです。
神様に抵抗あるなら、創造主でも(似たようなもん)宇宙でも見えない世界でもなんでもいいんですけど
よく言われる「ワンネス」っていう概念も、ここにつながるわけですね。
全てが一つ、それ以外のものは何もない世界。
「あなたがいるから、私がいる」世界ではない。
あなたが私で、私があなた。
本来はそんな区別すらない、すべてが包含された世界。
ああ、人類補完計画。(?)
しかし、私たちが今この現実世界を生きているということは
なぜかは知らんけど、エゴがその神様の世界から「分離」したと思い込んで見ている世界です。
アダムとイブが楽園から追放されたかのように、私たちは一元性の世界から突き放され、私とあなたは別物であるという分離の世界を生きることになりました。
つまり「分離」とは、神様から離れてしまった!という意識。
しかも、神様から離れるだけじゃなくて、神様を攻撃してしまった!とまで思い込んでいる意識。
私は神様を裏切って、しかも攻撃まで食らわして、神様の世界から逃げ出してしまった悪い奴!!!!
というのが、エゴの根っこにある思想です。
注)ちなみに、エゴがどこから来たのか?というのは、考えても仕方ないことらしいので、とにかく私たちが現実世界を生きている!と思ってて、今ここに存在していることがエゴそのものの仕業であると捉えて、あまり深く考えないようにしましょう。
エゴの本質:罪悪感と恐れの根源
でね、そんな風に神様を痛めつけて裏切った悪い奴!っていうのがエゴの自己認識なので
そこから、エゴは罪悪感をめちゃくちゃ持っているということがわかります。
その上、神様を痛めつけた!と思い込んでいるので、いつか神様に復讐されるに違いない!という怖れをしこたま持ってもいます。
つまり、エゴの本質は「罪悪感」と「怖れ」です。
深いところでは、神様に対して感じている「罪悪感」と「怖れ」が、今自分が体験している日常の中に投影されたものが
エゴ的思考の全ての原因であり、本質ということなのです。
ぎゃー、壮大!!!
長くなったので続く。
ではまた。
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