【お悩み相談室】ネガティブな気持ちや欲求に、ただ寄り添うことの大切さ

お悩み相談室

愛あるみなさま、こんにちは!

3月下旬から約1ヶ月半続いた「サトヒのカウンセリング体験会」と、人生お初のオンラインセミナー「理論理屈の女性性講座」が終わって、非常に燃え尽きた感覚のあるサトヒです。(笑)

ついついやると決めると詰め込んじゃうのがパターンDA・YO・NE!!

そんでもって、全力で走り切った時の達成感(燃え尽き)を感じて、「私…やり切った」と感じるのが好きなドSであり、ドMなのでしょう。(通称一人SM)

しばらくまた英気を養って、新たな企画に向けて始動いたします!

と、その前に、お久しぶりに「お悩み相談室」の方にご相談を頂いたので、意気揚々と回答させて頂きたいと思います!

先日、ココロノマルシェへのご相談に、私が回答させて頂いた相談者の方から返信兼追加のご相談でした。ありがとうございます^^

サトヒ先生こんにちは

ココロノマルシェで回答いただきありがとうございます。

その後友達には「私が関わることであなたが苦しむことになるんじゃないかと思う」と言われ、ただいま絶賛連絡途絶え中です笑

愛なのか見放しなのか・・・

さて、私なりにこの止めどない寂しさについて考えてみました。

私の母親は昔からアルコール依存症一歩手前状態で、朝以外は話しかけても大抵呂律が回っていない状態でした。

特に強く覚えているのが小学生の頃、授業参観をほったらかされたこと。そんな環境だったのがまず一つ。

次に母は私のネガティブな感情が苦手らしく、私が悩んだり悲しくて泣くと、非常に面倒臭そうにため息をついてどこかへ行ってしまうのが常でした。(これは今も割と続いてます)

悲しみとか怒りの感情を受け止めてもらった経験がありません。弱い部分を出したら嫌われるんだ、と、ここらへんの経験で学びました。

ゆえに成仏できないでいるこの時代のミニ私が、ずっと母さんお母さんと泣き喚いているが為に、今回の友人に母親を投影しちゃっているのかな?と推理しました。どうでしょう?笑

確かに子供の頃からの友人関係も、○○ちゃんさえいればいい!といった、べったりとまではいかないけれど、狭く深くな人間関係しか築いてきませんでした。
でも節目節目で人間関係も変わり、今やリアルの友達は誰もいません。少ないのでは無く、ゼロ、です。(上で出てきた友達はネット上の関係です)

で、何か思い悩むとまた母の元へ戻り(傷つくと分かっていても母しか話せる人がいないのです)、モヤモヤして帰ってくる、、、といった繰り返しでなかなか地獄です。

今、母とは物理的に距離を置いたことでうまくやれていると思います。だけど過去の寂しい私をなだめるのにもう疲れてきました。

生きていても一人ぼっちで楽しくない、早く死にたいなって思います。
不謹慎で本当にごめんなさい。

でももう自分の考え方を変えようとするのは疲れてしまって。

(Nikkiさん)

>ゆえに成仏できないでいるこの時代のミニ私が、ずっと母さんお母さんと泣き喚いているが為に、今回の友人に母親を投影しちゃっているのかな?と推理しました。どうでしょう?笑

そうですね~、私もご推察の通りと思います。

おそらく、ご友人に対して投影しているのは、理想の母親像に対する期待であり、ご自身が実際の母親に対して感じてきた絶望や怒りでもあるのかもしれません。

今回のご相談を読んで、そのどちらもが同時に投影されて、執着や依存という、心理的にとても苦しい状況を生みだしているのではないかな?と思いました。

子どもにとってのお母さんって、世界そのものみたいなところがあります。あるいは、神様のような。

実際に生死の鍵を握っているし(小さいうちはお世話をしてもらわなければいけない)、「逆らったら生きていけなくなるかもしれない」という、畏怖の念のようなものを無意識に持っていたりもします。

子どもが親を愛するようにできているのは、自分の命をつないでいくための本能的な行動だと言う話も聞いたことがあります。私の愛するロマンもクソもないですが。(苦笑)

でも、そのくらい「見捨てられる怖れ」は私たちの根底にあって、人類という種として存続するように何かしらうまくプログラミングされているものなのだと思うのです。

そんな、子ども心には偉大な「母」なので、母から受け入れられる=世界から受け入れられることとイコールなのです。

なので、お母さんから無条件に受け入れられた感覚を持てない子どもは(事実は別として)、どうしても世界の中で居場所が無いような感覚を持ってしまうのだと思うのです。

そして、誰にも受け入れてもらえないような、誰からも認めてもらえないような、誰からも愛されないような、そんな感覚を自分の深い深いところに、抱え込んだまま大人になってしまうのだと思います。

だから私は、Nikkiさんがそれほどまでに”止めどない寂しさ”を抱えてしまうことは、仕方のないことだよなぁって思うんですね。

前回の回答で、「お相手の気持ちがうまく信頼できないのは、Nikkiさんが自分自身の価値を信じられないことと同じ」なんて風に書きましたが

そりゃー、神様であり、世界であるお母さんから受け入れられた感覚を持てずに来たのなら、自分が存在する意味や価値を、素直に感じられるはずがないよなぁって思うんですよ。

だから、無価値感を抱いてしまうのはしょうがないことです。それはNikkiさんのせいではありません。(だからといってお母さんのせいでもありません。)

きっとね、Nikkiさんはとても頑張り屋だし、自分の人生を真剣に生きたいと願っている方なのだと思うのです。

だからこそ、自分の他人を信頼できない気持ちや、依存や執着に対してどうにかしなきゃいけないと、真剣に悩んでいらっしゃるのだと思うのです。

人間誰しも、何かをどうにかしたいと思わなければ、それは悩みになんてならないものですから^^

Nikkiさんの持つ悩みの影には

「もっと人を信じたい」
「もっと人を愛したい」
「もっと自分の価値を認めたい」
「もっと自由に生きたい」

などの強い願いが隠れているのだと思うのです。

だから、そうできない自分がもどかしくて、苦しいんじゃないかなって、私は思うのです。

死にたい気持ちは生きたい気持ちの強さとイコール

>生きていても一人ぼっちで楽しくない、早く死にたいなって思います。
不謹慎で本当にごめんなさい。

不謹慎なんかじゃ、全然無いですよ。

そんなに大きな寂しさと無価値感を感じ続けてきたら、心が疲弊するのも当然だし、その自分が抱えている大きな痛みをどうにかしなくちゃと頑張れば頑張るほど、余計しんどくなっちゃうものです。

そりゃ、死にたいって思うと思います。

こんなに寂しくて辛いんだったら、死んだ方がマシだよなって思うのは当然です。

死んで無になったら、こんな気持ち感じなくて済むのにって思っちゃいますよね。

死にたいと思うくらい、辛い気持ちをずーっと抱えてきたんですもん。

しんどかったですね。よくここまで生きてきました。

私は、死にたいという気持ちは、生きたいと思う気持ちと同義なんじゃないかと思うんです。

必死に、よりよく生きようと頑張ってきた分だけ、それが上手くいかない時に死にたいと思いは強くなるものだからです。

だから、ほんと、Nikkiさんはよく頑張って生きてきたんです。

死にたいと思うくらいの絶望と、苦しみと、寂しさを抱えながらも、それでもここまでよく頑張って生きてきたんですよ。

一人で孤独に走り続けてきたんです。

それは、本当に誇りに思っていいことなんですよ^^

>悲しみとか怒りの感情を受け止めてもらった経験がありません。弱い部分を出したら嫌われるんだ、と、ここらへんの経験で学びました。

お母さんがアルコール依存気味だった理由は、ここではわかりません。

でもきっと、お母さんもまた何かしらの苦しみや寂しさを抱えて生きてきたのかもしれませんね。

Nikkiさんは、そんなお母さんを助けたいと思って生まれてきた魂なのかもしれません。

お母さんの抱える苦しみや寂しさを、自分が一手に引き受ける覚悟でこの世にやってきたのかもしれません。

だから、お母さんが聞きたくないネガティブな話はしないようにしたし、本当はいっぱいいっぱい甘えたい気持ちもあったはずなのに、それを押し殺して、お母さんに気を使って生きてきたんじゃないでしょうか。

でも、まだまだ小さい子どもだった自分が、本当は心の中で感じていた「甘えたい気持ち、わかって欲しい気持ち、受け入れて欲しい気持ち、愛して欲しい気持ち」を、「感じてはいけないもの」として、自分の中で堅く封印してしまったのかもしれません。

でも、感じてしまった感情は無かったことにはできないものです。

その気持ちをちゃんと感じてあげるまで、その感情は消えることはないのです。

>ゆえに成仏できないでいるこの時代のミニ私

だからきっと、この”成仏できないミニ私ちゃん”というのは、「甘えたい、わかって欲しい、受け入れて欲しい、愛して欲しい」っていう、ただ純粋な子ども心の自然な欲求なのではないかなって思うんです。

そんな自然な欲求を、もうそんなに悪者にしないでいいんじゃないかな?って。

きっと、お友達に対して感じていたのも、同じだったんだと思うのです。

でも、それを感じてはいけないと自分自身で決めてしまったが故に、その感情が出てくることにすごく抵抗や怖れを感じてしまう。

こんな気持ちを感じる自分は、嫌われるんじゃないか?いつか見捨てられるんじゃないか?

ただそれは、自分がそういう自分を嫌っていて、見捨てようとしているからこそ感じる怖れなんですよね。

それは、お母さんを大事に思うからこそ、すさまじいエネルギーで抑圧せざるを得なかった、幼心でもあったのです。

ただ、自分の感情に気付いてあげるという癒し

>今、母とは物理的に距離を置いたことでうまくやれていると思います。だけど過去の寂しい私をなだめるのにもう疲れてきました。

物理的に距離を置けているのはとても良いことだと思いますよ^^

あとは、心理的なつながりを、もう少し切ってみることも大切かもしれませんね。

「私は私、母は母。私は私で幸せになれるし、母は母で幸せになれる。」

そんなアファメーションを、淡々とつぶやき続けることも効果があると思います。(感情をこめたり、一生懸命やらなくて大丈夫)

お師匠様のこんな記事もありますよ~!

無理に、過去の寂しい私をなだめる必要もないですよ^^やらなきゃ!と思っちゃうと、うまくできない自分を攻撃しちゃったりすることもありますから。

ただ、自分の感情に気付いてあげる。

それだけで十分です。

自分が過去の経験から感じてきた痛み、満たされなかった欲求、本当の思い。

それを、「そうだったんだなぁ」って思ってあげるだけで、ちゃんと成仏できるようにできていますから^^

ここまで、こんなに頑張って生きてきたNikkiさんですもん。

めちゃくちゃ強いパワーを持った魂に間違いありません。

「死にたい」と思う気持ちすら、「今の私は、そう思ってるんだな~」と否定しないであげていれば、自然と本来のエネルギーが湧いてくる時期が来ますから。

しんどい時は無理をせず、身体を温めて、ゆったりと過ごしてあげてください。

今、仲間たちでリレーブログをやっています。

誰かの何かの言葉が、Nikkiさんの心にもフィットするかもしれません^^

良かったら、読んでみてくださいね!(画像をクリックするとリンクが飛びます)

Nikkiさんが、「頑張って生きてきた私」にそっと寄り添い、疲れた心と身体をただただ休めることができることを祈っています。

ご相談頂き、ありがとうございました^^

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