愛あるみなさま、こんにちは!
サトヒです。
少し余裕が出てきたので、久しぶりに自分事について書いてみたいと思います。(トゥウィッターでは自分事のつぶやきばかりだけども)
無意識に他人軸になっていて、自分が何者かを見失いがちな「いい子」なあなたには、何かの気付きになるかもしれないし、ならないかもしれない…。(どっちやねん!)
自分がどうしたいのかわからない問題
時は、私が「無我の修行」と呼んでいる子の夏休みまでさかのぼり。
ストーリーの関係で時系列が前後しますが、細かいところは置いといて。
8月末、我らがおシショーさまによる弟子向けの「合宿的な集い」なるイベントが開催されました。
これは2日間にわたって、今後のカウンセラー活動について必要なことを、参加者一人一人について細かく見ていくというもの。
直前まで出るか出まいかと迷いに迷っていたのですが(いつものこと)
とにもかくにも、当時「無我の修行」が辛すぎて(笑)、まとまった時間家を出られるいいチャンスやないか!!!と勢いで申し込んだのでした。
(突然の申し出に快諾?してくれた夫よ、本当にありがとう…)
「集い」では、それぞれの問題をシェアしつつ、それに対しておシショーさまからのありがたいアドバイスをもらったり、必要があればセラピー的なものを施してもらったり、参加者同士でワイのワイの突っ込んだりしながら楽しく時間が過ぎていったのですが…
こういうグループの集まりの面白いところって、自分の話じゃない時ほど壮大な気づきがあったり、何気ない言葉がぶっ刺さったりするところだと思うのよね。
逆に、自分の相談の時って、話すことやアドバイスを理解しようとするために思考が全力で優位になってしまうので
頭ばかりがグルグルして、わけわかんなくなっちゃいがちだったりするのよね、私。
今回も、私の相談事に対しておシショーさまから
「で、自分はどうしたいの?」
的な質問をされて、その答えを必死になって探すのだけど、何を言っても
「それって思考でしょ?」
と返される始末。(爆)
「だって頭で考えてるんだもん、しょうがないじゃん!!!!!!」
と声を大にして言いたいところでしたが
いや、根が無礼なので、知らないうちにシショーに向けて口からほとばしっていたかもしれませんが
元々、「自分がどうしたいか?」がわかりにくい私なので、自分の本心というものがすぐにわからんのですよ。
でも、意外とその場では答えが出ないことも、後でふとした瞬間にヒントや答えが降りてきたりするので、こういうやり取りは大事なのは理解しているつもりですがね。
で、逆になぜ他の人の話の方が気付きを得やすかったり、言葉が刺さったりするのかと言えば
「油断してるから」
らしいです(笑)
自分の話じゃないと思って聞いてるから、気が緩んでいる…というか、思考が緩んでいる。
良くも悪くも「思考」という防波堤が機能してないので、言葉がスッと心に入っていくんでしょうね。
自分事じゃない感覚だからこそ、素直に聞けるというか。(自分のことだと抵抗が出ません?)
なので、最近の私は個人セッションで癒したいというより、グループセッションで他の人から気づきを得たい欲求が強かったりしてます。
…と、安定的に話が脱線しましたが。
「考えすぎで、癒着体質の変態」の再来
そんなわけで、例によって例のごとく、今回も自分の相談ターンではなく、他人の相談ターンで壮大な気づきが降ってくるという顛末でして。
誰かの何かの話で、「お母さんの立場を理解するのが大事だよね」って話が出たのですが
癒されていない依存心を手放すには、大人の自分として当時のオカンの心境を想像し、当時のオカンを理解することが必要とのことで。
つまり「満たされない依存心」がうずく時というのは、マインドが子供のポジションに入っちゃってる状態なんですね。
だから、精神的に自立するための一つの方法として、今の大人の自分に意識を戻し、当時のオカンの心境を想像してみるという方法があると解釈したのですが。
その話を聞いた時、私は「ん?」と思ったのですよ。
私に限らず、「オカンの立場を想像しすぎて、うまく甘えられずに自立をこじらせたタイプ」って実は多いと思うのですよ。
オカンがいっぱいいっぱいに見えたから、迷惑をかけないようにした。
オカンがしんどそうだから、助けようとした。
オカンが不満そうだから、笑顔にしようとした。
と、オカンのことを考えすぎた結果、「自立をこじらせた今の自分」があると感じているのにも関わらず
むしろ積極的に相手の立場を想像するようなことをしたら
期待に応えなくちゃ躍起になったり、できないことまでしようとして犠牲的になったり、結局思うようにできなくて罪悪感を感じたり、そんな自分を責めたりしないのか?と。
ますます自立がこじれないのか?と。
オカンだけでなく、例えば自分のチームの上司の立場を想像してみた時に
上司はきっとこういうことを求めているだろうなと想像したら、それに対して自分は何をしたらいいかを考えるし、できてないことを申し訳なくなっちゃうなぁと思ったので、そこはどうしたもんかと質問してみたのですね。
そしたら
「なんで、自分の話に戻ってるの?」
と突っ込まれて、頭の周りに大量のクエスチョンマークが。
ん??どういうこと??
相手の立場について考えてるけど??
「なんで、上司の視点について考えていたのに、自分に視点が戻っているの?」
と。
つまり、相手の立場を考えているのではなく、自分がどうするかを考えているのだと。
えー---!!!!
全く自覚がない!!!!!
あまりにも突っ込まれたことが意味不明すぎて、他のメンバーに説明してもらって、ようやく理解したのですが
上司やオカンの気持ちを考える=相手はこんなことを考えているんじゃないかなあと想像する
で、以上終了なんだそうです。
そこから、相手から見た自分に意識を戻して、相手のために自分が何ができるかまで考える必要はないんだと。
えー-----!!!!!!
そうなのー-----!!??????
だって、そもそも
「相手はこんな気持ちなんじゃないかな?」
というのも、あくまで自分が勝手に想像した結果でしかなく、それが「正解」かどうかは本人にしかわからないわけで。
本人に確認していないなら、想像の域を超えない。
だから、自分が想像した相手の感じていることや求めていることが、絶対にそうだとは限らないのにも関わらず
自分が想像した相手の気持ちに寄り添って、そのために何かをしようとしても
それが本当に相手が求めているものかどうかって、実際にはわかんないよねと。
もし全くそんなの求めてなかったら、余計なお世話かありがた迷惑じゃん!!!
ってことやんけ。ひいいいい。(怖)
でも、それを無意識にやってしまうのが、いわゆる「癒着体質」なんだそう。
そう、今回のタイトルに「続」と書いたのは、3年前にも別件で指摘されたことと同じだったからなのです!!!!
▼3年前のブログ
当時の私は、「隣の同僚の悩みを聞いてたら、自分のこと以上に自分が悩み始め、週末も考えすぎて疲れてしまっていた」のだけど(笑)
その時に、「考えすぎで癒着体質の変態」という称号を得たんだった。忘れてた。
人間の考えていることの95%は昨日と同じって説があるけど、3年前から本質が変わっていないし
3年前の気付きを忘れて、「そんな自分に初めて気づいた!」気分でいることにオラびっくりしただよ…
「癒着」というのは、究極の他人軸とも言えるような気がします。
相手に共感しすぎることで相手の状況を自分事のように感じすぎてしまって、相手の感情と自分の感情が切り離せなくなって、マインド的に相手とべったり一体化してしまうわけですからね。
べったりくっついてるから、その名の通り「癒着」なのですね。
ゆちゃく【癒着】
皮膚・膜などが、炎症(えんしょう)などのためにくっついてしまうこと。比喩的に、立場が違うのに利害を共通にする両者が、ぴったり結びつき合うこと。
Google先生の教え Oxford languagesの定義
(そういえば、帝王切開で子宮の傷が治るときに、周りの臓器と癒着することがあるって聞いたなぁ…。開腹手術では9割以上で発生するという説もあるらしい。)
▼「あれ?私も癒着体質かも…」と思い当たる節がある人にオススメの講座
自分の軸=自分がどうしたいか
で、その「癒着体質」の一番の問題点は
「アイデンティティ喪失」
だという。
アイデンティティ喪失というのはつまり、「自分が何者かがわからない」という状態。
ある意味、癒着した相手と一体化して「軸」を共有してるんだから、そりゃ「自分軸」がどれかなんてわかるわけないだろう、と。
出たーーーーーーー!!!
これも長年の私のテーマやん!
「じゃあ、そのアイデンティティを取り戻すにはどうしたらいいのか?」
という質問への答えは
「自分の軸を持て!」
だそうで…。
じゃあ、その「自分の軸」ってどういうことかというと
「自分がどうしたいか?」
だというから、ここに来て壮大な「振り出しに戻る」感を感じざるを得ない…。
しかもそれが、「集い」での最後の質問の回答だったものだから、私は絶望して帰宅の途につく羽目になったのであった。
「私の問題は、まだそこにあるのか…」
と。
地下鉄で泣いたわ!!マスクがあってよかったわ!!
そして半泣きで家にたどり着いてからも、ご飯を食べながら夫に話しながら、追い泣きしたわ!!
「私は、自分がどうしたいのかが全然わからないんだよおおおおおお」
「なんで私は、こんなにも自分のことがわからないんだよおおおおお」
と、2日くらい涙で枕を濡らしながら、絶望の淵をうろうろしていたのですが
周りのカウンセラー仲間に支えられ(最高!)、割とあっさりと
「まぁ、これが私だからしゃーない」
の境地に達しました。(笑)
というのも、その境地に至る土台となる感動的な気づきが、既に私の中にあったからなのでした。
次回、鬼滅の刃「刀鍛冶の里編」に続く…
というのは半分嘘で。
私の最近の超絶推しメン「時任無一郎」くんから得た(私にとって)壮大な気づきを、次回書こうと思います!
▼其の二はこちら
ではまた。
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