愛あるみなさま、こんにちは!
サトヒです。
天気が良い日が2日続いて、身体が随分軽いように感じているところですが、週末の、美しくて実力もある、前途有望な俳優さんの訃報を聞いてから、なんとなく気持ちが落ち込んでいます。。。
出先に、誰かがシェアしていたネットニュースを目にして、「嘘でしょ?」とにわかには信じられず、Twitterの検索ランキングで事実と知り、それ以降は「なんで?」と腑に落ちない気持ちに流されて、あれやこれや検索しまくってしまっています。
(亡くなった方の身辺をあれこれ検索するなんて悪趣味だ、と思う方もいらっしゃるかと思いますが、物事の理由や本質を知りたい気持ちと情報収集欲は、私の性癖とも言える生き様なため、お許し頂ければと思います…。)
私は、彼が子役をしていたことは全く知らず、初めて彼を知ったのは「14歳の母」でした。
あのドラマでは散々泣かされましたけど、そのサントラを使ったイメージワークで未だに散々泣かされていますが…。
めちゃくちゃファンではなかったけど、見るたびに「かっこいいなぁ、ステキだなぁ」と感じ、出演していたドラマにハマれば、役柄としての彼にもハマるという至ってミーハーな距離感でしたが
なんとなく最近見ないなぁと思っていたところで、とあるバラエティ番組で「日本の伝統技術」を紹介するコーナーを受け持っているのを見て、「こんな素敵な趣味がある人だったんだな」と微笑ましく思っていたところでした。
ほんとに、数週間前にTVで見かけたところだったので、あまりにも青天の霹靂で。
(私だけじゃなく、日本全国で青天の霹靂だったに違いありませんが…。)
私は、別に「自死」自体に否定的な考えは持っていません。スピリチュアル的に考えれば、全ての「死」はその人にとっての寿命(魂が決めてきた期限のようなもの)であるとも思うので。
ただ、その考えと「寂しい」「悲しい」という感情は、全く別の話なんですよね。
彼の背景を調べている中で、憶測含め、色んな情報がありました。
完璧主義の頑張り屋さんで仕事のことで自信を失っていたとか、本当は俳優の仕事を辞めて農業をやりたいと言っていたとか、SNSで誹謗中傷を受けていたとか、コロナで舞台活動が思うようにできなかったとか、家庭環境が複雑だったとか、恋人との別れで落ち込んでいたとか、ここ数年お酒の量が増えていたとか、うつっぽくなっていたとか…。
どれもこれも信ぴょう性は定かではなく、基本的に、真実は本人と共にしかないと思っているので、これらの要素の全てが、本当か嘘かなんて本人にしかわからないことだと思うのですが
そりゃ、私も一人の人間で、自分のフィルターを通して世界を見てますので、どうしても自分の中にあるものを投影して、自分の思いを重ね見て彼のことを想像してしまうわけです。それが、芸能人であろうと。
仕事で見せていた、彼の爽やかであったり、かっこよさであったり、誠実さであったり、優しさであったりは、もちろん彼の本質の一部でもあったのだと思うけど、彼が頑張って「そう見せていた」自分の一部でもあったのかもしれないなぁ、と。
その陰に、どんな辛い思いを抱えて、どんな闇を抱えていたかなんて、微塵も出さないようにして長い間頑張ってきたんだろうな、と。
それが、どこかでポッキリ折れてしまった瞬間があったのかもしれない。
表向き、明るくて元気に見える人が、常に明るくて元気なわけじゃないわけで。
人は自分に見えている表面だけを切り取って、あたかもその目に見えるもの全てがその人の全属性みたいに判断しがちだけど、絶対にそうじゃないと私は思うんですね。
その笑顔の裏に、どんな背景があって、どんな営みがあって、どんな歴史があって、どんな思いを抱えているかなんて、外野には知る由もない。
一説によると、子役から活躍してきた人というのは、精神を病みやすい傾向にあるそうです。
なぜなら、小さい頃から子どもらしさを封印して、大人の世界でやっていかなければいけないから。
子ども時代に、ちゃんと子どもをやるって、精神の成長のためにすごく大事なことなんですよね。
抑圧された子ども心は、大人になってもなお、どこか満たされない思いとして、心の中にくすぶり続けてしまいやすいものだから。
これは、全部私のフィルターを通した、私の勝手な想像だけど…
完璧主義で、ストイックに目標に向かって頑張れる人だからこそ、弱音を吐けずに抱え込みすぎてしまったのかもしれないなぁ。
複雑な家庭環境だったが故に、自分らしい生き方を素直に望めずに、ここまで誰かのために生きてきたのかもしれないなぁ。
根が真面目でイイ子だからこそ、誰かの期待に応えることばかりに一生懸命になりすぎて、罪悪感や無価値観をしこたま溜め込んできてしまったのかもしれないなぁ。
誰かのためにずっとずっと頑張り続けてきたなら、どこかで素の自分を出したり、受け入れてもらえる場所が欲しかったんじゃないかなぁ。
でも、自分への期待や理想を捨ててしまうにはまだ若すぎて、自分の限界を認めて、白旗を上げるのはきっと難しかったんだろうなぁ。
もしそうなら、きっとそれは、相当にしんどい生き方だっただろうなぁ。
芸能人という、不特定多数のたくさんの人の期待を一身に受け止めるような立場ならなおさら。
Twitterで誰かが、「本当は死にたいんじゃなくて、消えてなくなりたかっただけなんだよね」とつぶやいているのを見て
あぁ、そういう気持ちになることってあるよなって思ったんだった。
小心者でビビりの私には、本当に死ぬ勇気なんて全くないんだけど、目の前の現実が辛すぎて、自分を責める声が辛すぎて、「ここから消えてしまいたい」と思うようなことが過去何度もありました。
ただ消えたい、無になりたい。辛い現実から、楽になりたい。
そういう気持ち。
そんな時は大体、こうすべき、こうあるべきってことはわかっているのに、それがうまくできない自分が自分で辛い時。
本当は、もう全部嫌になって投げ出したいんだけど、周りの人のこと、家族のこと、色んなことを考えたら、八方塞がりでどこにも行けないみたいな気分になる時。
だったら、もっと頑張るしかないって頭ではわかっているのに、もうこれ以上心が頑張れない時。
そんな時に
「もう消えてしまいたい」
そう思ってしまうことは、誰にでもあるのではないでしょうか。
もちろん、そう思うことと、実際に死を選ぶこととは相当な隔たりがあると思うけど、もしかしたらそれは大きな隔たりに見えて、実は紙一重の差でしかないのかもしれない。
何かのタイミングで、何かの勢いで、本当に「死」への扉を開いてしまうようなことは、誰にでも起こり得るのかもしれない。
だから、今「死にたい」と思うほど頑張りすぎて、逃げ場も誰の助けもないような気がしてる人がいるのなら、「もう無理な自分」を許してあげて欲しいし、これ以上頑張れない自分を、受け入れてあげて欲しい。
辛さのどん底では、光も何も見えなくて、絶望しか感じられないかもしれないけど
「これも、いつかは過ぎていく」
時は流れ、全ては変化していく。永遠に同じものはない。
だったら、自分の状況だって変わるし、人間関係も変わっていく。
自分を追い詰めて苦しめる考えではなくて、少しでも自分の助けになる方、自分が楽になれる方を選んで、自分の生きる力を支えてあげて欲しい。
できなかったことや、足りない部分ばかり見るのではなくて、自分が与えてきたこと、頑張ってきたこと、達成できようができまいが、その陰にあるはずの努力や、自分の思いを見てあげて欲しい。
そうやって自分を支えながら、無意識に植え付けられた誰かの理想なんてかなぐり捨てて、本当にしたいことを選んで、自分を追い詰めるものは全部捨てて、白旗上げて逃げてしまおう。
白旗は「敗北」じゃなくて、自分らしい未来を生きるための「意志表明」なんだ、きっと。
どんなに無理しても、どんなに頑張っても、それは「死にたくなる」ほどであってはいけない。
「死にたい」と思っちゃう時点で、相当頑張ってるってことに気づかないと。自分ではまだまだだと思っていたとしても、その努力は既に限界点を超えて、行き過ぎているんだ。
だから、そこで一度立ち止まって、深呼吸しよう。
「こんなに頑張ってたんだ、私」って、言葉に出してみよう。
あとはいっぱい泣いて、自分をいっぱい甘やかして、生きる力を取り戻さなくちゃ。
誰かに甘えたっていいじゃない。話を聞いてもらうだけでも、きっと楽になるよ。
今辛いのは、ずっとずっと頑張ってきた証拠なんだもん。
そんな人を、誰が責められる?
もう、それ以上、自分を責めなくても良かったんだよ。
色んな後悔や罪悪感を、孤独に抱え込む必要はなかったんだよ。
だって、私たちは最初から許されているのだから。
世の中の頑張っている人たちが、完璧でない自分を許し、与えてきたはずのものを認められますように。
世の中の頑張ってる人たちが、絡まった心をほどいて、自分の人生を堂々と選んで生きていけるようになりますように。
よく頑張ったね。お疲れ様。
ではまた。
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