信頼するとは何か:出来事の裏にある大いなる意図に気づく視点

イベント

愛あるみなさま、こんにちは。

サトヒです。

今日も今日とて、ブログのリハビリ中です…(8日目)

いや(8日目)とか書いてるけど、前回から随分日が経ってるからな?

毎日続けてる風に書くなよな?(きびちい…)

…って、気づいたら既に2週間くらい経っとるやないかーい!!

その間何をしていたのか、振り返ってみると…

・子どもの運動会振り替え休日でディズニーシー行った

・結婚記念日だったので恒例(?)のメズムステイ

・おシショー様のランチ付グループセッション参戦で、久々におシショー様に献金

・魔女フェス!!!!

あいやー、忙しやー!!こりゃ、ブログ書いてる暇がねーな!!!

それぞれ色々感じたことあり、書きたいことも山々なんだけど、詳細は省略します(雑)

10月に入ってからというもの、気候的にも動きやすい時期だからか、予定がどんどこ詰め込まれております。

8月が暑すぎて全く動けなかった分を取り戻すかのように、一気に遊びたくなっちゃってるのかも。

反動って恐ろしいですわね…奥様。

魔女フェス、無事終了す

ということで、上記にある通り、無事に「魔女フェス1021」開催できましたー!!!

今回の魔女フェス、開催直前にドタバタが巻き起こりまして(笑)、開催が危ぶまれる事態だったんですけど

どうにか、無事に終わってホッとしております。

今回、結構広いお部屋を取ったのと(前回比)、当日いらっしゃれなかった方もいたので、スペースに大分余裕がありました(笑)

ので、参加された方がリラックスして過ごせてたらいいな^^

▼お楽しみ会的なお菓子の詰め合わせ(笑)

先行申し込み特典の「ラッキーアイテム」も、然るべき人に然るべきものが届いたようで、そういうのも自然とご縁で決まるものだなと感じております。

魔女フェスの中では、絶賛向き合いナウのホットなご相談ありーの

前回からの進捗報告ありーの

幸せ報告ありーので、盛りだくさんな2時間半を過ごさせて頂きましたとさ♡

大体、こういう場って共通のテーマがあるものだけど、私が受け取ったメッセージは

「今の自分に抵抗せずに過ごしてみましょう」

ということでした。

ついね、変化を感じられない停滞期のような感覚に入ってしまうと、「このままでいいの!?」と焦りや不安が出てきやすいものだと思うのですが

その焦りや不安にまかせて、下手にジタバタしてしまうと、「今そうであること」の意味を取りこぼすような気がするのですよね。

今は今として、必要だからそうなっているということを受け入れて、その場でできることをチマチマ楽しむのも大事なんじゃないかなぁと思った次第でした^^

原因探しは悪者探し

で、当日のご相談の中で、チサちゃんが言ってたことが「ほんそれ!」と思ったので、シェアしたいのだけど

何かが起こった時に、それがなぜ起こったかの原因探しをするのではなくて、何のために起こったかという目的を考えた方がいいよって話。

つい、人は何か自分にとって良くないことが起こった時に、自分の何が悪かったのか、(相手がいれば)相手の何が悪かったのか、はたまた何をどうしたら、この問題が起こらなかったのかを考えがちですよね。

つまり、原因探しという名の「悪者探し」です。

その間、思考はずっと過去をさまよいつつ、見えない未来の不安と行ったりきたりしながら、答えの出ない問いを延々と頭の中で繰り返し続けるわけです。

あの時、本当はどうしたら良かったの?

こうすべきだったの?

こうすべきでなかったの?

そして、その問いは自分責めにもつながって、自分の何かを変えなければいけないんだと結論付けて、解決のための方法論を探し始めたりもする。

でも、何かの原因なんて、一つには絞れないものなのですね。

「AがBの原因である」と考えることを、「直接的因果律」と呼ぶそうですが

実は物事はそう単純なものではなく、色んな物事がお互いに影響し合った結果、表面的な事象としての結果になっているだけという場合が多いのですよね。

そういった状況を、直接的因果律に対して「円環的因果律」と呼ぶらしいのですが、人間関係の中で起こる問題って、大体がこっちに当てはまるのではないかと思われ。

「喧嘩両成敗」って言うけど、大抵の場合、どちらかが一方的に正しい・悪いってことはなくて

お互いがお互いに影響を与え合って、少しずつ積み重ねた歪みのようなものが、結果として表出してるだけだったりしますよね。

だから、そういう場合に特定の原因を探すのは困難である、という話なのですね。

色んなことが絡み合って、結果としてこうなっているんだな、と捉える以上のことができないというか。

まぁ、モヤモヤしてる時ほど、白黒はっきりさせたくなりますけどね。

原因が一つに決められたら、それをどうにかすればいいだけだから楽な気がするし。

でも、多分それを探そうとするのは大変なので(というか、そもそも一つには絞れないものなので)、無駄にエネルギーを消耗することになりかねない。

そして、大前提として過去には戻れないので、何か原因が思いついたからと言って、その時に戻ってやり直すことはできないのです。

その出来事は、私に何を伝えようとしているのか

なので、原因探しをするのではなくて、出来事の意味を自分なりに見つけることの方が大事になってくるわけですが

その際、自分に聞くべきことというのが

「この問題が私に教えてくれることは何?」

「この問題で私が気づくべきことは何?」

「この問題が私に伝えようとしているメッセージは何?」

といった質問なのですな。

先ほども書いた通り、過去の原因探しをしても、何かが見つかったとて今の私にはどうすることもできない。

でも、今の私が気づくべきこと・学ぶべきことは、今の私が受け取って、今実践できる事なのです。

と考えると、これらの質問は、視点を”今の私”に戻すという役割もあるのかもしれないですね^^

そもそも論ですが、私たちに起こる問題(のように見える出来事)は、私たちが成長・拡大するために必要だから起こるのだと思っています。

私たちが成長・拡大するために必要な事を、出来事を通して伝えてくれているわけです。

で、その出来事を起こしているのは誰なのか、というと、自分で自覚できている私以上の存在である「私自身」なんですよね。

よく人生は自作自演って言うけれど、自分の意識できる範囲以上のところでの自作自演。(わかりにくいと思いますが)

私が、私自身のために必要な出来事を起こしている、体験させている。

そしてそれは、ただただ”私”という存在の成長と拡大…つまり、喜びと幸せのためだけなのです。

私を苦しめるためでも、傷つけるためでも、地獄に落とすためでもないのです。

▼なんとなく思いついたから貼っといた

そこに、私がもっと幸せになるために必要な気づきや、学びや、成長があるからこそ、私に体験させているのですね。

逆に言えば、必要なことに気づきさえすれば、そのプロセスは終了するのですな。

だって、出来事の役割が終わるから。

出来事の意図を信頼する

よく「信頼する」という言葉がありますが、一体何を信頼すればいいのかというと、その出来事の背後にある大いなる意図のようなものなんじゃないかと思うのです。

それを神様と呼んでもいいけれど、決してそれは私を不幸にしようとしているのではなく、何か良い方向へ導こうとしているのだと。

より幸せな自分になるために、必要な経験を与えているだけなのだと。

そういうポジティブな意図の方を信じることが、「信頼する」ということだと思うのです。

魔女フェスでの”開運話”でも、とにかく「前提」が大事だって話があったけれど

自分がどう世界を見るか、捉えるかってのは、自分が体験すること自体を変えるほどの力があるのですよね。

だから大前提として、自分にとって悪いことは決して起こらない、自分にとって必要なことだから起こっているという視点は重要なのですな。

それでも、もし経験の中で苦しんでいるのだとすれば、それは自分か誰かを責め続けているからなのかもしれません。

でも、本当は何も悪くない。

出来事は、ただ私が幸せになるために必要な経験として起こっているのだ。

だとしたら、私はそこで何に気づき、学ぶべきなのか?

そういうプロセスで、自分にとっての物事・出来事の意味を見つけるようにしていくと

ただ苦しいだけだったはずの出来事が、自分にとっての大きな成長の機会であり、本質的な幸せを手にするための大切な経験になっていくと思うのです^^

なので、原因探しはやめにして、自分にとっての意味を自分で見つけ出していきましょうか。

それだって、結局何が正解かなんてわからないけれど、そういうのはきっと自分で直感的にわかるようにできているんだと思います。

客観的な正解ではなく、主観的な正解でいいのです。

あなたにとっての出来事の意味は、あなた自身が感じ取るものです。

むしろ、あなた自身にしか感じ取ることができないものです。

今ここで、あなたが気づくべきこと、受け取るべきこと、学ぶべきことはなんでしょうか?

それを受け取った瞬間から、問題のように見えていた出来事が、大きな恩恵へと変わっていくことでしょう♡

ではまた!

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