愛あるみなさま、こんにちは!
サトヒです~。
先日お願いしていたお師匠様の新刊が届きました!!
ひゃっほ~、これから読むぜ。
「いつも無理するあなた」とは、まさに私のことだぜ!
え?あなたも!?
DA.YO.NE!!!
まさに今、在宅勤務になって仕事中にアレコレできる状況になってしまったがために、仕事と、家事と、ライフワーク(カウンセラー)と、同時多発テロかの如く、いっぺんにアレコレやっています。
自分のマルチタスク状態がヤバイ。笑
Youtube聞きながら仕事をして、途中飽きたら家事をしたり、ブログを書いたり、思いついたことを突然やり出す状態。
こんなに集中力無かったっけ、私…!?(汗)
とりあえず、常に何かしら動き続けている。
まるで、ブレーキが壊れた暴走機関車のようです。
そんなわけで、なかなか無理に気付きにくい私なので、この本読んで勉強します!!
そして、読み終わったアカツキには、人生初の「読書会」を開催する予定ですので、乞うご期待。(と、さりげなく告知を入れてみる上級者な私)
すっぴんで生えるぞ…!?
(生きるぞ!だと思われる。注:悪口ではありません。)
*
さてさて、先日私の体験セッションを受けてくれた、お弟子仲間のAbyカウンセラーが、ステキな感想をブログに書いてくれました。(メールでも感想を頂いているのに、まだ載せられなくてごめんなさい~)
お話を聞いていて、ずっとずっと大きな罪の意識を抱えながら、その罪を償うために、色々なことを犠牲してきたのだろうなと感じていました。
その痛みや、重さを想像するだけで、涙が出てきます…。
(そんな、深い愛にあふれたAbyカウンセラー、近々モニター募集するらしいのでブログをチェキラッチョしておいてね!)
思えば、私の元には、罪悪感を強く感じる人が多く来てくださいます。
カウンセラーの駆け出しの時期は、「自分に似たタイプ」が集まりやすい、とお師匠様も言っていたので
私自身がザ・罪悪感人間だからこそ、共鳴してくださる人が多いのかもしれませんね…。(苦笑)
私のカウンセリングのテーマの一つに、「イイ子の解放」というのがあります。
ついつい人の気持ちを優先して、自分の気持ちが後回しになりがちな人。
いい人の仮面を被って、自己犠牲してしまいがちな人。
自分には何かが欠けている気がして、自分じゃない誰かになろうと頑張りすぎてしまう人。
完璧主義だったり、白黒思考だったり、「こうあるべき」自分に縛られがちな人。
そんな人たちが、少しでも楽に生きられるようにと、ただただお話を聞かせてもらったり、私なりにできることをさせて頂いているのですが
最近特に強く感じるのは、「いい子」なたちの罪悪感の強さ。
みーんな、自分を責めてる。
こんな自分じゃダメだと、もっともっと頑張らなければと、違う自分にならなければと、自分に鞭を打ち続けているんですよね。
その気持ちを素直に感じる人もいれば、その気持ちに付随する辛さを感じたくないがために、怒りで蓋をしている人もいる。
でも、いずれにせよ、自分を責めてるし、今の自分じゃダメだって、心のどこかで思っているんですよね。
だから悩むし、苦しい。(その気持ちは死ぬほどよくわかりますよ!!)
*
先日、お師匠様の「『いい人』をやめて自分らしく生きる方法~いい加減、その生き方変えてみたいと思いませんか?~」というワークショップに(ネタを盗むために)参加したのですが
ワークショップの一番の目的は、自分がダメだと思っている自分…「シャドウ」との統合だったと思っています。
「シャドウ」とは、心理学で「生きられなかった自分」と言われています。
シャドウ、つまり自分自身の影となっている自分、表に出せない自分、抑圧している自分とも言えます。
「いい子ちゃん」っていうのは、このシャドウの部分が、めちゃくちゃ大きいんですよ。
自分の中で見せちゃいけない、隠さなきゃいけないと思っている「ダメな自分」の存在が大きい分、それを隠すために、過剰に「いい人の自分」を見せようとしすぎてしまうわけです。
いい人になること自体が悪いんじゃなくて、自分でコントロール不能なほどに、いい人を演じて疲れてしまったり、しんどくなってしまうことが問題だと思うんです。
だから、その自分が「ダメだと思っている自分」を改めて見直して、「それも私」として受け入れることが”シャドウ”との統合であって
それによって、いい子ではない自分を受け入れ、許すことで、過剰にいい人を演じなくて済むようになることが大事なのだと思うんですね^^
で、なんで「いい子ちゃん」たちの罪悪感が強いのかというと、「ダメだと思っている自分」に対する罪の意識が強すぎるからなんだと思うんです。
優しくない私
だらしない私
人を傷つける私
誰かに迷惑をかける私
そんな自分を、「悪」であり「罪」だと思い込んで、嫌っているんですね。
それはつまり、自分自身の中の光と闇が完全分離を起こしていて、闇の部分を激しく攻撃している状態なのです。
ただ、そう思い込んでしまった理由の多くは、遠い昔の人間関係で抱いた「誤解」がほとんどです。
何らかのきっかけで、自分自身のことを「私は迷惑な存在なんだ」とか、「私のせいで相手が苦しんでいるんだ」と思うようになって、自分自身の存在に対する、深い深い罪の意識を抱くようになってしまったのだと思います。
その原因が、どこにあっても同じ。
「私はとても罪深い人間である」と自分自身を思っているから、そんな自分を隠そうと、アレコレ画策を練って、頑張りすぎてしまうわけです。
しかも、罪悪感と無価値感はとても結びつきが強いので(だって、罪人に価値があると思えないですよね?)
「価値のない自分は、価値を証明しなければいけない」という思いも加わって、自分じゃない自分になろうと頑張ることが辞められなくなってしまうんだと思うのです。
でも、何度も言いますが、それは大いなる「誤解」なのです。
*
人生は、「自分が自分をどう思っているか」によって決まると言われています。
それは、引き寄せの法則的に言えば「思考は現実化する」ということなのですが、人生でただ起こり続ける出来事を、私たちは自分にとって都合の良いように、自分の現実として切り取って見ています。
もし自分が「罪人」だと思い込んでいたとして、そんな自分にふさわしいのは、どんな現実であり、どんな人生でしょうか?
きっと、自分の罪を償うために、自分の幸せを遠ざけ、あえて辛い道を選び続けるのではないでしょうか。
私は罪人なので、幸せや喜びを感じてはいけない。
私は罪人なので、楽をすることは許されない。
私は罪人なので、誰かの救いを受けるようなことがあってはいけない。
私は罪人なので、孤独の中で生きなければいけない。
そんな風に、無意識に深く刻まれた「罪深い自分」としての自己イメージに合った現実を選び、苦しみに耐えさせ、罪を償おうとするものだと思うのです。
だから、なかなか素直に幸せを感じられなくなってしまうんですよね。
それはいわば、「幸せの受け取り拒否」です。
でも、ここで一度立ち止まるべきは、「その罪だと思い込んでるソレは、本当に罪なのか?」ということなのです。
その思い込みを、客観的に見直してみるのです。
罪悪感は愛と表裏一体であり、愛があるからこそ罪悪感を感じるし、罪悪感の裏には必ず愛があります。
今は、罪悪感の方を強く感じすぎて、その裏にある愛に気付けていないだけ。
だから、罪悪感を生み出す元になっている「愛」の方に、もっとちゃんと目を向けてみませんか?
というのが、私のセッションの根っこにある思いです。
なんでそんなにも自分をダメだと思ってしまったのかと言えば、それほどまでに「愛したかった誰か」「幸せにしたかった誰か」がいたからなのではないでしょうか?
だからこそ、それがうまくできなかったことを「罪」のように感じてしまう。
それがうまくできなかった自分を「悪」に仕立ててしまう。
でも、愛したい気持ちも、幸せにしたい気持ちも、それは確実に存在していたあなた自身の「光」の部分であり、才能であり、存在価値そのものなんですよね^^
私たちが人間として生まれてきた以上、完璧な人はいません。
なぜなら、完全な愛としての神が、お互いを体験し合うために分離させて生み出したのが人間だからです。(だから、全ての人は神様の一部だということになります。)
他の人との違いが、神から分離した自分としての「個性」になります。
それは、ただの個性であって、優劣はありません。
そして自分にあるもので、他の人を助け、自分にないもので、他の人に助けてもらいます。
お互いの不完全な部分は、お互いに支え合うための部分なんですね。
(金八先生の「人という字はー」ってのを思い出した!!)
そうやって、お互いを体験するために、私たちは人間をやっているわけです^ ^
だから、完璧になんてそもそもなれないし、ならなくっていいし、不完全さもまた、光の一部なのです。
だから、ある意味闇なんてないんですよ。
闇も罪も無かったら、もう自分を罰する必要なんてないじゃないですか^^
とまぁ、めっちゃスピリチュアルを熱く語ってしまいましたが…
もし生きるのが苦しいのだとしたら、それは自分で自分を許せていないから、なのだと思うのです。
私自身の体験からも、そう思っています。
「赦し」は最強の癒しだと言われています。
この世での一番の学びは、「自分をいかに愛せるか」なのだと思うのです。
もしあなたが、今何かしら苦しい思いを抱えているのなら、まずはその気持ちを感じている自分を赦してあげませんか?
そして
「あなたは、何も悪くない」
そう自分の内側に、伝えてあげて欲しいのです。
もしあなたが、どうしても自分ではそう思えないというのならば、私が代わりに何度でも伝えますよ!
「あなたは、何も悪くない」
あなたには最初から罪なんてないし、既に赦されているのです。
もう、赦されるために何かを頑張る必要なんて無かったんですよ^^
いい子じゃなくても愛される現実を、あなたが堂々と体験できるようになることを、心から祈っています。
P.S. トップ画像は、コレッジョという人が描いた「戴冠の聖母」という私の好きなマリア様の絵です。これを見るといつも、私は赦されているような感覚がするのでおすそ分けしてみました!
ではまた!
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