愛あるみなさま、こんにちは!
サトヒです。
先日、こちらのイベントに参加させて頂いたのですが
イベントのベースにあるのが、「陰キャ」あるあるな思考回路を表に出す(闇解禁)というテーマだったと勝手に思っているのだけど
私は、自分が「陰キャ」という自覚も無く参戦したのだが、最終的には
「あ、私って陰キャだったんだな」
ということを受け入れざるを得ない結果になったことを、ここに記したいと思います。(笑)
そもそも「陰キャ」という単語をよくわかっていない昭和脳だったことが、全ての原因だったわけなのですが
「陰キャ」とは何かということを改めて調べてみると、一言で言えば「陰気なキャラクター」。
つまり
非リア充
ネクラ
オタク
コミュニケーション能力低め
的な属性を持つ人を、総称する単語らしい。(ひどい言いようだな)
イベントでは、学生時代の話がよくネタに上がったのだけど
「あー、そういえば私自分の事オタクだと思ってて恥ずかしかったし、基本ネガティブで不安神経症だったし、めちゃくちゃ人見知りですごい頑張ってコミュニケーション取ってたわ~」
ということを、あれこれと思い出していたのでした。
思春期の自分は、とにかく自分の事が恥ずかしくてしょうがなかったんですよね~。
なんとなく華やかな人たちとは違う自分を感じていたし、自分が本当に好きなものってすごく変な気がしてバレたくなかったし
だけど、周りから浮かないように、うまく馴染むために、昆虫が擬態してひっそりと身を隠すかの如く、周りが好きなものを「絶対的な正」として、必死に食らいつこうと頑張っていたなぁ、と。
あ、私ってつまり根が「陰キャ」なんだわ、とそこで気付いたわけです。(笑)
昔から、なんとなく「自分はかわいくない、イケてない、ダサい」っていう思いも強くて(茨城弁で一言で言うと「えしけぇ」)
給食中に、明るくて華やかさのある女子力高そうな女子が
「私、レーズン嫌いなんだよね」
と、レーズンパンのレーズンをキレイに取り除いて食べているのを見て
「レーズンが別に嫌いじゃない私は、女子らしくなくてかわいくない…」
と感じて、レーズンを堂々と食べる自分を恥ずかしがったりしてましたね。
豚の角煮の脂とか鶏皮とかも、「かわいい女子は好まないもの」と思い込んでおりました。(私は焼鳥の鶏皮が好物です。)
今思えば、なんのこっちゃだけど。(笑)
例えば、モデルとか芸能人を代表とするような、「イケてる人」の食生活のイメージってあるじゃないですか。
モーニングルーティンは白湯から始まって、朝食はグリーンスムージーかアサイーボウルみたいな。
夜寝る前2時間は水しか飲みません、みたいな。
そういうのを見ると、朝マックをゴリゴリに食したり、寝る直前にポテチを貪ったりする自分がダメみたいに感じたりするじゃないですか。どっちもうまいのに。
まぁ、思春期の自意識過剰ぶりが見事に表れているエピソードではあるのですが
なんとなく「素敵な人」「イケてる人」と比較して、そんな人たちと違う自分を「イケてない人」認定しちゃうってこと、大人になってもあると思うんですけど、いかがでしょうね?
話が脱線しましたが(笑)
で、イベントの中で「ゆうこりん」という「陰キャ」の象徴と表現されているものを、客観的に眺めていて思ったのは
「陰キャの特性って、まんま女性性じゃん!」
ということだったのでした。
しかも、ゆうこりんのエピソードを聞いていると、日常的にめちゃくちゃ色んなことを感じてるからこそ、アレコレ考えすぎて嫌になる、ということが多そうだなと感じて
つまり、陰キャって感じやすい人なんだ!というのもわかり。(笑)
そもそも、女性性って世の中を陰陽の2極に分類した時の「陰」の側に象徴される性質の一つなわけですが
「陰キャ」の「陰」って、「女性性」の「陰」とも言えるわけです。
だから、陰キャと呼ばれる人は、元来女性性強めな人が多いんだろうなあ、と。
だけどやっぱり、社会生活においては、この「陰」的性質ってのは、なんとなくネガティブに捉えられがちで、自分自身でも自分の強めな「陰」を否定しがちだったりします。
私って暗いし…
とか
私ってコミュニケーション下手だし…
とか
私って自分のことうまく主張できないし…
とか
自分の陰的性質のネガティブな側面にフォーカスして、自分そのものをダメ出ししたりするんですよね。
だから、なかなか自分に自信が持てなくて、心が闇に覆い尽くされたりする。
でも、何事にも良い面悪い面あるわけで、その陰的性質にもネガティブな側面だけでなく、ポジティブな側面があるわけなんです。
女性性は、基本的に内向きのエネルギーなので、対外的な華やかさや派手さのようなものはないけれど
受容的で、柔軟で、落ち着いていて、穏やかで、ゆっくりで
自分の内側だけで静かに体験される、果てしないほどの奥深さ、奥行きがある感覚がするんですね。
外側に向けてわかりやすく表現されるものではない分、自分のそれが他の人と比べてどうなのかがわかりにくいから、なかなか自信を持ちにくいけれど
その感じている世界というのは、外側に見える以上に広く深く大きいものなのだと思うのです。
外側に表現できていないからといって、自分の内側に広がる「感じる世界」がなくなるわけじゃないんですよね。
私は、「生きるということは感じること」だと思っているのだけど
だとしたら、感受性って生きてる実感そのものなのだから
自分の内側に広がる感覚的な世界を、もっと味わって慈しんで、大切にしてみてもいいんじゃないかなーと思ったりしたわけです。
とはいえ、感じやすい「陰キャ」としては感じすぎるのが辛いから、いちいち思考的になって解決しようとしたり、消化しようとするものだけど
別に感じること自体を悪者にしなくてもいいし、それによってアレコレ考えちゃう自分をダメだと思わなくてもいいんだな、とも思ったのでした。
自分の内側に広がる感受性の世界を、もう少し大切にしてみてもいいんだろうな、と。
これまで自立的に頑張ってきて行き詰まってる感がある人にとって、「女性性を高める」ということは、自分の人生を救う救世主のように感じられるかもしれないけど
それって別に特別なことでもなんでもなくて、ただただ、自分の内側に生まれる感覚のありのままを、否定せずに受け入れてあげるだけでいいんだと思います。
もし、それで思考的になるなら、その思考的な自分すら受け入れる。
なんでも飲み込めるのが、女性性の性質でもありますしね^^(女性性はよく海に例えられます)
だから、「陰キャ」な自分万歳!でいいし、そんな自分だからこそ味わえている世界・見える世界を、もっと楽しんでみてもいいのかもしれません。
そうやって、女性性的性質のポジティブな側面に目を向けられるようになって初めて、自分の中の男性性すら育むことができるようになるので
ありのままの自分の良さというものを世界に向けて表現できるようになっていくし
対外的な行動力や表現力を発揮することもできるようになるはずだと思うのです。
女性性は自分でエネルギーを生み出せるけど、男性性って女性性から補給しないといけないなんて話もあります。(いわゆるセッ…の話につながりますが)
だから、自分の生まれ持った女性性的性質をもっと認めて、受け入れてあげることができれば、どんどん自分のエネルギーを循環できるようになると思うわけです。
ということで、タイトル回収。
「女性性と共にあらんことを」
あなたにも、女性性の加護がありますように^^
ではまた!
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