愛あるみなさま、こんにちは。
サトヒです!
先週末は、初めてお弟子さん講座2期のリアル聴講をしてきたのですが(いつもはZOOMで盗み聞き)、今回はイメージワークを学ぶ回でした。
イメージワークというのは、別名「誘導瞑想」。
ヒプノセラピー(催眠療法)の要領で、クライアントが目をつぶった状態で、カウンセラーの言葉がけに従い、自分の中に浮かぶイメージを使って、感情を開放するというセラピーの一種です。
癒したいことがある人にとっては、感情に直接コンタクトする分、すごく効果的ではあるのですが、それくらい自分の感情と向き合うため疲れるので、練習の一回だけ参加して、あとは外に逃亡しました。(笑)
心を扱う現場というのは、無意識に対する刺激が大きいようで、何もせず、見てるだけでも、ぐったりと疲れるんですね…。
単純に、同じ姿勢が続くから疲れる部分もあると思いますけど。(笑)
これぞ集合無意識の偉大なる力!なんですが、結構体力がいります。カウンセリングって、体力勝負な一面もあるのです。
根本師匠によるデモセッションでも色々と感じることがあったので、その話はまた別記事にしようと企んでおります。
ちなみに、感情をディープに扱った後は、ゆっくりお風呂につかるのが私の鉄則でして。
その夜は、久しぶりに会ったまみこカウンセラーからもらった良い香りの入浴剤を入れて(入れ物がめっちゃかわいい)、頭を空っぽにして温かいお湯に身を委ね、よく寝ましたよ~。
あー、疲れた。
というわけで、前回の続き。
「思考」と「感情」の板挟みになりやすい私がひねり出した5つの理由。
思いついた理由を書き出してみて、客観的に感じたのは、私が板挟みになる状態というのは、「視野は広いが、視点が低い」時なのではないかと。
どういうことかというと…
「視野が広い」というのは、もしかしたら表現が的確ではないかもしれないのですが、「迷っている物事のどちらに対しても、良い面・悪い面、ありとあらゆる要素を持ち出している」ということ。
そして「視点が低い」というのは、「目の前のことしか見えてなくて、問題の全体像を俯瞰できなかったり、本来の目的のようなものを見失っている」状態のこと。
結局は、頭でっかちで思考的になればなるほど、直感的に物事を決めにくくなるんですよね。。。
なぜなら、思考というのは「男性性」の要素であり、問題解決や論理性、合理性、結果重視などの特徴があるので、どうしても白黒つけたがり、合理的なものを好み、損得勘定で判断しがちだから。
半面、根本的に私は感情的で感性的な人間でもあるので、思考で割り切れないことが多すぎるのかもしれません。(ということは、自分が思うよりも、私って女性性が強いのかもしれないなぁ…。)
もちろん、そこにぶれない軸のようなものがあればいいんだと思います。
例えるならば、私にとっての「奥田民生」のように、絶対的な神的指針があれば。
私の全感性が「これを愛している!」と、胸を張って言えるようなものであれば。
逆に、迷っているということは、③で書いた通り「これという決め手がない=実はどっちでもいい」ということでもある可能性があるわけです。
もしくは、考えすぎて、最初のインスピレーションを見逃してしまっている可能性もあります。
だからこそ、基準がないと迷いやすいんですよね。
では、その状態を打破するための鍵が何かというと、いつもの話で恐縮ですが、「自分軸」と「自己肯定感」なんだと思ったんですね。
なんだ~、結局そこだったのかよ!って感じですどね。(笑)
まず、決められない、いちいち思い悩む自分を責めてはなりませぬ。
なぜならば、余計こじれるから。(笑)
「あらぁ、あんたまたあれこれ考えてるわよ~」
「ほんと、あんたって悩むのが好きねぇ~」
と、オネエキャラ(師匠!?)を召喚して、客観的かつマイルドに突っ込んであげてもよいですね。
そして、本来の自分に思いを馳せてみます。
私が好きなことってなんだっけ?
私が大切にしたいことってなんだっけ?
私が居心地が良いものってなんだっけ?
今の自分にフィットするものはどっちだっけ?
そもそも私は、どんな自分でありたいんだっけ?
それを「自分軸」にして、目の前のものを改めて見てみるのです。
すると、前よりは少し物事を決めやすくなっているかもしれません。
私は普段から、自分の素直な感覚を大事にしようなんて言ってますが、なぜかといえば、私が思考に偏りがちだからなのです。(あ、知ってた?)
思考は、常に結論を急がせ、合理的判断を優先し、素直な感覚、感性、感情を置き去りにしてしまいやすいのです。
それは、ある意味「男性性」が強くなりすぎて、「女性性」を抑圧している状態とも言えます。(女性性は感性的な部分の総称でもあるので)
もちろん、思考的に考えることが悪いわけじゃないのです。
何度も言うように、何事も「バランス」が重要なわけで。
ただ、自分の思考(男性性)を、自分の感性(女性性)を否定するためだけに使ってしまうことが問題なんだと思うんです。
実は、私が考えた5つの理由の中で、私が一番ドはまりしやすいと思っているのが②の理由。
「自分の感覚に自信が持てない」
なぜそうなってしまうかというと、他人軸な思考によって、自分の感性が抑圧され続けて、「自分軸」という名の、本来の自分らしさを見失いがちだからなのだと思うのです。
「智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。」
これは、夏目漱石の草枕の一説ですが
漱石は、「この世はそもそも住みにくいものであって、その中でいかに住みやすくするかが重要だ」と書いているんですね。
これって、感性豊かな作家らしい意見だなぁと思います。
現代社会はそもそも「男性性」に傾いているので、その中で適応して生きようとすれば、どうしても感性的な、「女性性」的な部分を抑圧せざるを得ません。
もちろん、一人の人間の中には、男性性も女性性も両方あるものなので、誰しもその割合を場面場面でうまく調整しながら生きています。
ただ、そのバランスが崩れてしまうと、心身ともに支障をきたしてしまいます。
私が板挟みで苦しくなるのは、「こうあるべき」という思考を優先しようとしすぎている時。
他人軸になって、自分の居心地の良さよりも、求められている(ように自分が感じている)あり方を優先しようとしている時。
ということは、私にとって自然なバランスを取り戻すためには、自分の心の声を聞き、「こうしたい」を優先するように心がけることが必要なのでしょう。
そのためには、ひとまず立ち止まってみて、自分の素直な感覚に対する自己攻撃をやめて、自分の心の言い分に寄り添ってあげると良いのかもしれません。
さて、困った時のお師匠さま~!!ってことで、Google先生経由で過去記事を漁ってみたのですが、すごい古い記事に、お師匠さま自身のささやかな葛藤が書いてあって、なんだかほっこり。
パンとスープで頭を悩ませるなんて・・・お師匠さまも人間だったのね。(笑)
じゃぁ、バランスを取るためには一体どうしたらいいの?ということで、勉強になったのはこちらのブログ。
概要を言えば、自分の「思考」を使って選択肢を増やし、自分に自由を与える(許可する)、ということ。
そう、つい感性豊かに生きようとすると、逆に思考が悪者のように感じてしまいがちですが、そうじゃないんですよね。
思考は、自分に「あるべき姿」や「正しさ」を押し付けてくるだけの融通のきかない頑固者なわけじゃないんです。
もし、そうそう感じるのだとしたら、それは思考の力をうまく使いきれてないってことなのかもしれません。
そうじゃなくて、感情が「こうしたい」と思う気持ちを、実現可能な形として創造することができるのが、思考の本来の力でもあるのです。
自分の願いを、自分で叶えてあげるにはどうしたらいいか?という方向に、思考の力を使うのです。
それはつまり、自分の女性性が求めるものを、自分の男性性を使って満たすということでもあるかもしれません。
ダメな理由を考えて、自分を攻撃するためではなく、自分の願いを叶えるためにはどうしたらいいかを考えるために、思考の力を使う。
繊細で柔らかな感性を大切に守るために、その力を使う。
それって、パートナーシップとして考えても、素敵だと思いません?
自分の内面は外側に投影されるものなので、自分の女性性の欲求をうまく満たせる人は、外側でもナイトなメンズに出会えたりするものだと思うんですよね。
結局、自分自身との関わりあいが、そのまま外側に顕れるものだからです。
話がずれましたが…ついつい、他人軸が強い状態だと、自分の気持ちを無視して、自分の本音以外の何かに合わせることを自分で自分に課してしまうものです。
でも、自分の気持ちを大切にしながら、自分の思うベストを叶えていくことができたら、素敵ですよね^^
そのためにも、自分の思考を自分の感情と戦わせない。
いちいち、自分と喧嘩しない。(笑)
まぁ、私の場合は、どうしても「自分の感覚に対する猜疑心」が強いので、自分のやりたいことを妨げる状況を、わざわざ思考的に作り上げる癖があるので、注意ですわね。。。
思考も感情もどちらも大切。
男性性も女性性もどちらも大切。
自分の心地よい、自分らしいバランスを目指して、自分と根気よく向き合い続けていきましょう!
そうしたら、いつしか自分の素直な気持ちに従って、「オムライス!」だろうが、「ハンバーグ!」だろうが、「オムバーグ!」だろうが
さらっとすがすがしい気持ちで、後悔なく堂々と、自分らしい選択ができるようになる日が来ると信じております^^
ではまた!
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