子どもの心を育てるために、私が子育てで大切にしていること

子育て

愛あるみなさま、こんにちは!

サトヒです。

鬼畜生らしく、まずは宣伝から…

本日20日より、「鬼畜生になりきれない私たちのための読書会」おかわり企画の募集が開始しま~す。

おまみ&サトヒコンビと楽しく自分を掘り下げてみたい人、お待ちしています^^

私たちコンビの売りは、なんといってもその「アホさ加減」ですので、一緒に話しているうちに、悩んでいたはずのことがどうでもよくなる特典がついてくるかも…(笑)

さてさて、私は今妊娠6か月なのですが、最近ようやく胎動がハッキリわかるようになってきましたよ!

これまでも、内部で何かがうごめく感覚はしていたのですが、外側から触ってもあまりわからなかったのが、今はちゃんと「ボコッ」となります。

こうなってくると、いよいよ妊娠してる実感が出てきますね~。

妊娠しているというか、自分の中に他の生命体がいる実感…?

自分の意志とは関係なく、ボコッとか、ボフッとかするので、とても不思議で、とても面白く、とても神秘的な感覚でもあります。

私は、子どもの寝顔を見るのが至福の時なのですが、娘の寝かしつけをしながら横で寝転がっていると、2人だけど3人でいるんだなー、不思議だなーと温かい気持ちになります。

私は生粋の寂しがり屋なのですが、長年「寂しさ」を敵とみなして、「寂しくなんかないもんね!」という態度で生きてきました。

一人でも平気な人になろうと思って、孤独に耐える修行をしてきました。(笑)

でも、諦めて自分が寂しがり屋であることを認めた今、逆に寂しくない現実が目の前に広がっているのですよね。

時折、「一人になりたい」なんて贅沢な気持ちを感じるほどに。(結局、人はいつでも無いものねだりよね。笑)

「寂しくならないように」とか「○○しないように」という意識が、余計寂しさや○○を引き寄せてしまうものなのでしょう。

それはもちろん、環境が変わったということもありますが、きっと「寂しくてもいいや」と腹を括って自分の感情を受け入れたことで、あえて「寂しさ」に目を向ける必要がなくなったせいなのかもしれません。

「ない」に目を向ければ向けるほど、「ない」が目に入る。

「ない」を受け入れた方が、逆に「ある」ことが見えるようになる。

不思議だけど、世界とはそんなものなのでしょうね^^

そうそう、私は第一子を妊娠中、「安産灸」というのを受けていたんですね。

元々第一子は助産院で産もうと思っていたのですが、通っていた助産院で紹介してくれた先生でした。(色々あって、産んだのは病院でしたけど)

基本的には、”三陰交”のツボを取ってもらって、毎日自分でお灸をするだけなんですけど、安産灸を受けた人の子どもは、よく寝るし、育てやすいという売り込みもあり、私もその効果を実感したので、もし次があるとしたら受けたいと思っていたのです。

で、久々に連絡したら、今は助産院がコロ助の影響で場所を貸してくれないので、出張してますと言われ、家に来て頂きました~。

6年ぶりにあった先生は、変わりなくお元気そうで!

妊娠出産について色々と情報を頂き、改めて妊娠出産というのは「血」が全てだなぁと思いました。

赤ちゃんに栄養や酸素を送るのも血、胎盤を作るのも血、母乳も血からできている。

血液が人を作っているというのを、まざまざと感じますな。

ということで、三陰交をお灸で温めることにより、母体の血流が改善されることで、赤ちゃんの育成環境が良くなるので、その結果良いことが色々あるよっていうお話でした。(詳しくないのでざっくり。笑)

お灸はこんな感じ。60個入り。初めての時はどんな熱さか恐ろしかったけど、やってみると大したことは無い。ちょっとピリピリするくらい。ドMにはちょうど良い刺激っす…。(笑)

と、ここまで子どもの話を書いたので、ついでに珍しく子育て論でも語ってみようかと。

とはいえ、まだまだ6年目の新米母なので、偉そうなことは何も言えないし、説得力もないんですけどね~。

先日車を運転しながら、ふと「私が子育てで大切にしていること」というテーマが思い浮かんだので、ブログネタにしちゃおうという算段でございます。

ということで、じゃじゃん!

【私が子育てで大切にしていること】

① 子どもが感じていることを、子どもが感じていることとして肯定する。

②にもつながっているのですが、自分の子どもというのは、どうしても心理的距離が近くなりがちだと思っています。だって、自分の中で育って、自分の中から出てきたからね…。

特に母親にとって娘は鬼門!無意識に同一視しがちな危険ゾーンです。

同一視してしまうと、自分の当たり前が相手の当たり前に感じてしまうわけです。

つまり、自分の価値感や当たり前を無意識に押し付けてしまいがちなんですね。

だけど、「私は私、子どもは子ども」。

自分とは違う考えがあり、価値観があり、感じ方がある。

だから、自分は同意できないようなことがあっても、「あなたはそう感じるんだね」という形での共感や肯定は忘れないようにしたいと思っています。

自分の経験からも感じることですが、ただ自分の意見を「そうなんだね」と言ってもらえるだけで、受け止めてもらえたような、認めてもらえたような気がしたりしませんか?

私がのどから手が出るほど欲しかったものが「共感」だったので、ついついそこには力が入ってしまいます。(苦笑)

② 自分と子どもが別の人間であることを忘れない。

①で書いたことと同義ですね。距離が近いが故、無意識に同一視したり、心理的に癒着しがちな親子。

ついつい「自分だったら」という視点で、相手のことを考えてしまいやすいものだと思います。

でも、どんなに良かれと思っていても、それが愛情からだったとしても、「自分だったら」の押し付けは子どもからしたらとても窮屈に感じるものです。

子どもは親を喜ばせたい生き物なので、期待に応えようとして、自分の本当の気持ちを抑えてしまったり…。

なので、子どもの考え、子どもの価値観、子どもの望む生き方を尊重できるよう、自分と子どもの線引きはきちんとしたいと思っています。

③ 愛情を言葉と態度で伝えるようにする。

これは、自分の母親が口下手で、あまり愛情を言葉で伝えてもらえなかったことから、意識していることです。

昔の人(?)って、「言わなくてもわかるだろ」的な考えの人が多かったのかしら?オカンなのに、昭和の男かよ。

意外と、愛情を言葉でちゃんと示されていないって人、多い気がするんですよね。(母親自身がそうされてこなかったから、できなかったというのもあるのかもしれません。)

もちろん、言葉だけではなく、ハグなどのスキンシップも大事だと思っています^^

どんなに愛情があっても、こちらにも感情の波があるし、腹が立つこともあるから、いつだって優しくできるわけじゃないし、ついキツイ言葉で叱ってしまうこともある。

だけど、根本的に「私は愛されている」と感じられていれば、多少叱られるようなことがあっても、自分の存在に対して不安を感じるようなことにはならないのでは?と思っているのです。

ちゃんと、あなたの存在は祝福されているのだということ。

いてもらえるだけで嬉しい存在だということ。

愛されるべき人間なんだということ。

そういうことがちゃんと伝わるように、できる時はなるべくぎゅーっと抱っこして、「大好き」とか「生まれてきてくれてありがとう」という言葉をかけるようにしています。

まぁ、この親の自己満足をいつまで受け入れてくれるのやら…(笑)

④ 心配よりも信頼するよう努力する。

これもまた、自分がしてもらいたかった気持ちから意識していることですが、やっぱりどうしたって大事な子どもですから、心配は尽きません…。

先回りしてアレコレやってあげたくなったり、手を貸したくなったり、口を出したくなったり。

日々、そういう気持ちとの格闘なわけですが、そういう時に思い出すのは、「自分は心配より信頼されたかった」という気持ちなのです。

あなたなら大丈夫って言って欲しかった。

あなたならできるよって言って欲しかった。

どんなことになっても、あなたの味方だから、自信もってチャレンジしておいでって言って欲しかった。

不安なのは、やりたくないからじゃない。やりたいからこそ、不安を感じていたのだ。

だから、その「やりたい」気持ちに寄り添って、応援してもらいたかった。

そう思うからこそ、なるべく心配な気持ちを口に出して、余計に不安を煽るのではなくて、「大丈夫」って思える言葉をかけたいと思っているのです。

⑤ 自分の自己肯定感を高める。

大先生のこちらの本にも書かれている通り…

親の自己肯定感は、子どもの将来に影響を及ぼすほど大事なことなのです!!!!

そもそも、親の価値観って世代間連鎖しやすいもので、自己肯定感もまた例外ではないと感じています。

私が、第一子を妊娠した時はまだまだ自己肯定感が低くて「子どもには自分と同じような生き辛さを感じて欲しくない。だけど、このままじゃ自分の生き辛さを子どもに連鎖させてしまいそうでヤバイ!」と思ったことが、本気で自分をどうにかしようと思うきっかけになったんですよね。

(その意味で、娘は私の自己肯定感を高めるための大きな役割を果たしてくれたのですね~、ありがたや。)

ここまで色々子育ての理想論を書いてきましたけど、もちろん完璧にできているわけじゃありません。意識はしてるけど、すっかり忘れてブチ切れてることも多々ありますよ…。

でも、その自分を責めない、完璧にできてない自分をダメ認定しない。

それって、かなり重要なことじゃないかと思うのです。

愛したいと思うからこそ、できてない自分をダメだと思う。だとしたら、ダメな自分を責めるより、愛したいと思う自分を誇りに思ったらいい。

それすらも「理想論」かもしれないけど、自己否定も自己肯定も、自分の視点の癖の違いだけですから。

なるべく、自分の頑張っている部分、やれてる部分を見てあげて、自分に優しくしてあげるのは大事だよなーと思いながら、どうにかすれすれのところで日々自己肯定に励んでいる私です。(笑)

完璧な母になんて、どうしたってなれないもん。これが自分なんだからしょーがない。それでも、少しでもいいお母さんになりたいと思ってる自分ってサイコー!!ってことにしときましょ。

⑥ 心の余裕を持つ。

これもまた⑤に通じるところがあるのですけど、家族の状況は、何よりオカンの心の余裕にかかっている!と思っています。

自己肯定が大事なのは、心の余裕を感じるためでもあるのです。

お母さんが笑顔でいられるように、手を抜けるところは抜くのは大事だし、誰かに頼るのも大事だし、家族から離れて自分の時間を作るのも大事だと思っています。

きっと、世の女性たちは基本が頑張りすぎなので、「ちょっと楽しすぎかな?」と思うくらいでいいのだと思います。

心理学的には、他人との関わりにはどうしても「投影」ということが起こってしまうので、自分を愛せないと、他人も愛せません。

逆にいえば、自分を愛する分だけ、他人を愛することができるのです。

母という生き物は、子どもへの愛情が深い分、罪悪感も感じやすいもの。だからこそ、ついつい自己犠牲的に家族に尽くし過ぎてしまうこともあるのだと思います。

だけど、無理すればするほど、自分の心はすり減って、小さなことでイライラしてしまったり、家族の言動が許せなくなったりしてしまうものです。

ストレスが溜まったら、なかなか人に優しくすることはできないものです。それは人として、自然なこと。

逆に、自分が元気で、楽しくて、幸せだったら、多少のことは見逃せますし、余った分で家族に惜しみなく愛情を注ぐことができますよね?

子どもが望むのは、お母さんの笑顔って本当だと思います^^

だから、自分で自分のご機嫌を取ること。自分を満たすこと。自分を喜ばせること。

そりゃー、私もまだまだ罪悪感にがんじがらめですが、前よりは自分の気持ちを優先して動けるようになってきましたよん。

自分がやりたいことをやる方が、結果的には家族のためになる!

と自分に言い聞かせながら…。(笑)

以上が、私が日々子育ての中で大切にしていることでした。

もっと他にもあるのかもしれないけど、思いついたらまた別記事にでもしようかな。

偉そうなことを並べ立てたけど、実際には全然できてないこともたーくさんあります!!

理想に縛られすぎると辛くもなるので、「なるべくこういうことができてたらいいなー」というくらいの緩さで、頭の片隅に置いているくらいなので。

誰かの何かの参考になれば、幸いです^^

ではまた!

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