【誰かを助けることで満たされるのは他人軸?】
「他人軸」って、行動の動機となる軸が、自分じゃなくて他人にすり替わってしまっている状態だと、私は思っています。つまり、他人のために何かをすること自体が「他人軸」なわけではないんですね。
ただ、他人のために何かをした時に「喜び」以上に「孤独感や虚しさ」を感じるのであれば、その裏には、”役に立たなければ愛されない”という「無価値感」が潜んでいるのかもしれません。
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ココロノマルシェにご相談頂いた内容に回答しています!
私は昔から誰かを助けたり、誰かの役に立ったりすることで自分が満たされ、幸せな気持ちになってきました。
頼られている幸福感、助けたあとの感謝の言葉でとても充実してきました。
よく根本先生が、自分がしたいこと、幸せなことをすると、他人軸にならず自分の幸せを見つけられるとおっしゃっていますが、私はそれが誰かを助けたりすることなんです。
だから医療関係で働いていたり、子育てをして頼られたり、ペットを飼ってお世話をしたり。
でもそれって他人軸なんでしょうか?誰かのために何かをしてるので。
子育てやペットのお世話は、見返りなどは一切求めないのですが、友人や好きな人などを助けて、その人が幸せになると、たまに孤独感というか虚しさを感じてしまいます。
こんな私の心理は一体どうなっているのでしょうか?
(ジャスミンさん)
「自分らしさ」をとことん追求する、ライフワーク研究家サトヒです!
ま・・・まぶしい。ジャスミンさんの背後に後光が指しているかのようです。
ジャスミンさんは、ナイチンゲールか、はたまたマザーテレサの生まれ変わりか・・・
誰かを助けたり、役に立つことが自分の幸せになるって、とても素敵なことだと思います!!
さて今回も、えつこカウンセラーが動画での回答をしているので、読むより見る派!なあなたは、そちらも参考にしてみてくださいませ♡
そもそも、自分軸が他人軸かって、なにで切り分けるかというと、自分の行動の主語が、「自分」なのか「他人」なのか、どちらになっているかだと個人的には思っているんですね。
他人軸になりやすい人というのは、自分の気持ちを差し置いて、相手を優先してしまったりするものですので、自分の行動の理由を説明しようとした時に
「ジャイアンに怒られるから」とか
「しずかちゃんに嫌われちゃうから」とか
「スネオに悪口言われるから」とか
「ドラえもんが助けてくれないから」とか
とにかく無意識に、主語が自分じゃない誰かになっていたりするものなのです。(この場合の本来の主語は、「僕、のび太」)
つまり、行動の動機となる軸が、自分じゃなくて他人にすり替わってしまっている状態なわけであり、自分の行動の責任を他人に委ねてしまっている状態でもあるのです。
ですので、他人のために何かをすること自体が「他人軸」なわけではないんですね。
…とまぁ、私がいくら言葉を尽くして説明しても、お師匠様の説明の足元にも及びませんので、早々に白旗を揚げたいと思います。さぁ、こちらをご覧ください!!
お師匠様曰く
>他人軸というのは自分以外のものにばかり意識が向いていて、自分のことを見ていない状態です。
であり、
>自分軸ってのは「バランス」なんです。
自分のことも見てるし、相手のことも見てる、という状態。
とのことですので
>頼られている幸福感、助けたあとの感謝の言葉でとても充実してきました。
と、ジャスミンさんが幸福感や充実感を感じられているということは、とてもバランスの良い状態なのではないでしょうか。
相手も自分も、視界に入っている状態ですよね^^
なので、ジャスミンさんは「これって他人軸?」と疑心暗鬼になる必要もなく、堂々と「自分軸」で他人の役に立つ喜びを味わっていたら良いのだと思いますよ!
…ということで、話を終了させても良いのですが
>子育てやペットのお世話は、見返りなどは一切求めないのですが、友人や好きな人などを助けて、その人が幸せになると、たまに孤独感というか虚しさを感じてしまいます。
とのことですので、この部分を意気揚々と深読みしてみようと思います。
考えすぎの癒着体質の変態カウンセラーの名にかけて!
これはジャスミンさんの話ではなく、一般的な、もしくはある一部の人の話ですが
「何かをしなければ、誰かの役に立たなければ、存在価値がない」
という思い込みを持っている人って、結構いると思うんです。…ええ、私のことですけど、何か?(笑)
その感情を、「無価値感」と呼びます。
それは、「ありのままの自分では、愛される価値がない」という強烈な思い込みです。
特に頑張り教徒として、日々誰かのために必死に頑張らなければと自分に鞭を打っている人は、実は根っこに「無価値感」があったりすることが多いですね。(「罪悪感」の場合もありますが。)
この感情があると、自分で自分の存在価値が感じることができないために、必死になって外側に自分の価値を見出そうとします。自分の価値の証明を、他人に求めてしまうのです。
その結果、「誰かの役に立たなければ」とか、「何か成果を残さなければ」とか、「誰かから認められなければ」とか、半ば強迫的に自分を追い込んだりもしてしまいます。
また、「他人の評価=自分の価値」になってしまうので、他人の目を意識した行動を取らざるを得ず、他人軸にもなりやすいんですね。
相談文からは、ジャスミンさんが、強い「無価値感」を持っているようには感じなかったのですが、もしかしたらジャスミンさんにとって「誰かの助けになる」ことや「誰かの役に立つ」ことは、もちろんそれ自体が喜びであるのと同時に、どこかで自分の存在価値を確かめる手段になっている部分もあるのかもしれませんね。
もしそうであれば、ジャスミンさんは”助けた人が幸せになること”自体が虚しいのではなくて、その幸せになった人たちが「自分の助けを必要としなくなる」ことで、自分がもう必要とされないような、自分の存在価値がなくなってしまったような気がして、寂しかったり虚しかったりするのではないかな、と邪推しました。
「もう、あなたの助けはいらないから大丈夫だよ!」
そんな風に言われているような気がして、なんとなく取り残された気分になっちゃうような。
じゃあ、なぜ子どもやペットに対して孤独感を感じずに済むかと言えば、子どもやペットというのは、そもそもが「助けがないと生きられない」存在なので、「もうあなたの助けは不要です」と言われる心配はないからです。
「もう~、あんたたちは私がいないとダメなんだから~。よーし、よしよしよしよしよし。」
と、とある動物王国の某畑氏のごとく、対象に手放しで溢れんばかりの愛を注ぎながら、必要とされている感覚で心を満たすことができる。
反面、友人や好きな人は、「困っている時は頼ってくれたのに、うまく行ったら全然頼ってこない…むしろ連絡来ない。もう私のこと必要なくなったの!?」なんてことにもなりかねません。
”便りがないのは良い知らせ”、なんて話があるくらいですから^^
ということで、ジャスミンさんが孤独感や虚しさを感じるような時は、「自分の価値、見失ってない?」という神様からのメッセージなんだと思うんですよね。
本来、「誰かの役に立たなければ、存在価値がない」という思い込み自体が幻想なのですが、親との関わりを含めた成長の過程で、ほんの些細なきっかけであっても、多かれ少なかれ、人間誰しもそんな思い込みや不安を感じてしまうことはあるのだと思います。
今でこそ多様な在り方が認められ始めてきましたが、社会一般的な価値観としても、未だに「役に立つ=価値がある」という価値観が無いとは言い切れませんし。
でも、本来は「人はその存在自体に価値がある」ものです。
ついつい忘れてしまうけど、本来はそういうものなのです。
だけど、それを忘れちゃうから、「自分の存在価値」に理由を求めたくなるものなんですね。
普段は、相手の喜びが自分の喜びと素直に思えていても、時折自分の存在価値がわからなくなったり、自信が無くなってしまったり、ちょっと気持ちが不安定になった時などに、ふと孤独感や虚しさが降りてくるということもあるのではないでしょうか?
もし、そんな風に「孤独感」や「虚しさ」を感じる時があったら、自分が誰かのためにしてきたこと、与えてきたものを、しっかりと自分で認めてあげることが大事なんですね^^
自分では当たり前にできていることは、当たり前すぎてその価値を忘れてしまいがちですが、実は誰にでもできることではありません。
友人や好きな人が幸せになった時、あなたはどれだけのことをその人たちのためにしてきたのでしょう?
どんな風に、どんな方法で、その大切な人たちを愛そうとしてきたのでしょう?
大切な人たちが辛い時、あなたの存在が、どれほどの救いになっていたのでしょう?
その価値を、ちゃんと自分自身で認められていますか?
自分が与えてきたことに、もっと自信を持つことができれば、友人たちの幸せに貢献したという喜びを、もっと素直に感じられるのかもしれません。
幸せになった友人たちとの心のつながりを、もっと強く感じられるのかもしれません。
先ほども書いた通り、自分軸も他人軸もバランスが大事なので、心が弱った時や、自信がなくなった時などに、他人軸優勢になると、ネガティブな感情を感じやすくなるものです。
もちろん、必要とされたい気持ちは、きっと誰にでもある、自然な気持ちでもあるのだと思います。その気持ちがあるからこそ、人は人とつながりを求めていられるものだし。
ただ、その気持ちに過剰に振り回されそうならば、それは他人に自分の存在価値の判断を委ねてしまっている”他人軸優勢”のサインなのかもしれません。
ですので、そういう時があったなら、「自分が選んでやってきたことの価値」をしっかりと認めることで、他人がどうあっても、自分の存在価値を自分自身で高めることができるようになると思いますよ♪
ジャスミンさんが、ご自身の存在価値を十分に認め、大切な人たちをより深い愛で包み込んでいけることを祈っていますね!
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