愛あるみなさま、こんにちは!
サトヒです。
育てていた豆苗が、随分と伸びました。(しかも、発泡トレーで)
基本、豆苗は二回食べるのがサトヒ流ですが、みなさまはいかがでしょうか?
さて、マミコカウンセラー(通称おまみーぬ)とぼちぼち続けている交換日記…「世界の中心で、嫌だとさけぶ」ですが
共感してくれたカウンセラー仲間たちが、1回目のテーマ「嫌いなもの」についてブログを書いてくれています!!
…ってことを、マミコカウンセラーが書いていたので、早速私もTTP(テッテイテキニパクル)しようと思います。(笑)
前回も紹介した、山本春野カウンセラー。自称、感情爆発系!?とのことですが、元気なエネルギーが溢れてる。
心を深く静かに掘り下げていく、その真摯な様子がいつもステキな田村洋子カウンセラー。
実は感情的な部分を隠し持っていそうなところが、密かに似てると思っている間宮悠カウンセラー。
どのブログも、超高速赤べこりながら読むんだけど、似てるところもあれば、全く違うところもある。
悠カウンセラーが、香りの強い香草系は苦手と書いていたけど、私の大好物ばかりだった。(笑)
誰かの嫌いは、誰かの好きで、誰かの好きは、誰かの嫌い。
それは、至極当たり前のことなのだけど、人間誰しも「自分の当たり前」のフィルターを通して世界を見てしまいがちだから、つい自分の好き嫌いを相手の好き嫌いとイコールで想像してしまったりする。
だからこそ、自分が何を嫌なのか、何を好むのかを相手に伝える努力は大切なんだろうなあ、と感じました。
それはいわゆる、「自分の取扱説明書」。
そして、好きと嫌いを、良い・悪いだったり、正しい・間違っているに結び付けないことは大切なのかも。
何度も言うけど、好きと嫌いは、ただの好み。
それは、何か絶対的な基準に従って、正解不正解を探すことでも、良い悪いとジャッジすることでもない。
もしかしたら、そこを混同してしまうと、「嫌い」「嫌だ」「NO」を感じるのがダメなことのような気がしてしまうのかもしれないなぁ。
そうやって、自分で「悪い・間違ってる」のレッテルを貼った「嫌い」の数々は、誰にも知られないように、ひっそりと心の奥底に沈められてしまうのかもしれない。
もしかしたら、普段からイイ子で優しい皆さんは、つい「嫌い」とか「嫌だな」と思ったり、何かを不快に感じたり、何かに腹を立てたりする自分もまた、「嫌い」だと思ってしまっているかもしれない。
そして、そんな自分を、「悪い・間違ったもの」として否定してしまう。
その癖はおそらく、自分自身の内側にも向いて、自分の中の好きな部分、嫌いな部分についても、発揮されてしまってはいないだろうか?
つまり…
自分が好きな部分は「良くて、正しいもの」で
自分が嫌っている部分は、「悪くて、間違ったもの」
そんな風に、自分の要素を分離させて、「良い、悪い」、「正しい、間違ってる」とジャッジして、ダメな部分を封じ込めてしまうのかもしれない。
結局、自分のどんな部分も、自分という人間の性質を築き上げる構成要素でしかないはずなのに
誰かに言われた言葉をうのみにしたり、誰かと比べたりして、自分という存在を「良くて正しい自分」と「悪くて間違っている自分」に分けてしまう。
それって、自己肯定感につながる話だなぁと思っていて。
自己肯定って、良いところだけを認めるわけじゃない。
ダメだなぁと感じるところを、「それも私だし!」と認める(開き直る)ことだ。
ダメなことが、悪いわけじゃない。
ダメなことが、間違っているわけじゃない。
「ダメだと思っている」というのは、自分で自分のある部分を「あまり好きじゃないなぁ」と思っているだけってことなんじゃないだろうか?
大事なことなので何回も言いますが、好きと嫌いは、ただの好み。
まずは、自分の「嫌い」に正直になってみると、自己否定癖が少し減るかもしれない。
「何かを嫌いでもいいじゃない、にんげんだもの」
罵詈雑言をノートに書く(お恨み帳)のが苦手が人も、自分の嫌いなもののリストアップから始めてみてはどうでしょう?
みんなで一緒に、世界の中心で、嫌だとさけんでみたら…
自分を、今より少しだけ肯定できるようになるかもしれません^^
そして、周囲との違いを知ることこそが、自分を知ること。
だから、「好き」も「嫌い」も、みんなと同じじゃなくていいのです^^
堂々と「No」を積み重ねた先にこそ、本当にありたい自分らしさの輪郭が見えてくるはずですよ~!
ではまた!
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