繊細人間が無駄に傷つかないための”鬼畜生的自己防衛論”

自分軸と他人軸

愛あるみなさま、こんにちは!

サトヒです。

今日は、前置きなく本題なんですが、本題の前提が長いです。(笑)

仕事でね、話がやたらと通じにくいおじさんがいるんですけどね。

今、とある研修の取りまとめのようなことをしていて、その研修で宿題が出ているのですが、その宿題のやり方をそのおじさんは私にいちいち聞いてくるのです。

「これで合ってますか?」みたいな。

いやいや、私も取りまとめとはいえ、一受講者なんだから、同じ研修を受けて学んだレベルの内容しかわかっていないのに、教えてと言われても困るというか…。

とはいえ、私もついつい優しさを発揮してしまうので、おじさんを無碍にもできず、先日電話がかかってきたので、宿題の資料を手取り足取り、1時間半もかけて説明したり、方向性を一緒に考えたり、アイディアを出したりとサポートしたんです。

とりあえずの形はまとまって、その場ではとても感謝され、「まぁ、これでとりあえずしのげるレベルにはなったから大丈夫かな?」と思って安心していたんですね。

そしたら、そしたらですよ。

次の日の朝、PCを立ち上げてみたら、そのおっさん(おじさんからおっさんへ降格)から1通のメール。

添付されていたのは、昨日一緒に見直したはずの宿題資料…が全く違う内容になっている。

話してたこと、全然反映されておらーーーーーーん!!!!!!!!!

この宿題はチームでやるものなのですが、私と1時間半話した後、チームメンバーと再度見直しをしたみたいなんです。

そこでの話し合いの結果、全然違う方向性にシフトチェンジされたらしい…。

だったら、最初から好きにやったらいいじゃん。私の1時間半返してよ…。

しかも、その資料を見て、またコメントくれとか言って電話が来たもんだから、私は切れましたよ。ええ、切れました。

「もう、私と話したこと何も反映されていないし、何がしたいのかわからないので、自分たちのチームで好きなように、思うようにやったらいいんじゃないですか?」

と冷たく言い放ったわけです。

そしたら、そのおっさんから

「しょぼーん(´・ω・`)」

という空気感が電話(というかPC)越しに伝わってくるんですね。

なんか、私がいじめてるみたいじゃないかい!!!!

凹みたいのは私の方じゃろが!!!!

そう思ってイライラしていたのですが、今日またメールが来て、すこぶる元気に「やっぱり最初に話した方向で行くことになりました!コメントくださーい!」というようなことが書いてありました。

凹んでたんじゃなかったんか…立ち直り早いな。

思い返せば、よくわからないけど、私の身の回りには時折こういう人が現れるのです。

なぜか話が通じない、気持ちが通じ合わない人が…。(ここでは、誰を投影しているかは置いておく)

そして、大抵そういう人たちは、どちらかと言えば鈍感なタイプで、人の気持ちとか言葉の意味とかを察知する感覚が鈍いように感じます。(個人の感覚です)

だから、こっちが言いたいことがうまく伝わらないし、その分、人の言葉が心にダイレクトに入らないせいなのか、傷つきにくい強さもある。

そう、敏感さも鈍感さも、諸刃の剣です。どちらにしても、メリットデメリットありますよね。

私は割と共感能力が高い方だと自負しておりますので、基本的に何か話を聞くときは、無意識に相手のポジションに入って聞いていることが多いようなのです。(相手と一体となって経験する感覚)

そして、何をしても相手の気持ちをどこかで想像してしまったりしますし、自分が繊細な分、傷つきやすい面があるので、同じ前提で相手を見てしまったりもします。

「こんなこと言ったら傷つくんじゃないか?」

とか

「本当はこうして欲しいんじゃないか?」

とか

「本当は辛いんじゃないか」

とか。

ついつい勝手に考えすぎてしまうわけです。

いわゆるコレなんですけど。

この無意識の癖が、時にお節介だったり、余計なお世話となり、コミュニケーション上の行き違いを生んだり、はたまた自分責めの原因となってしまったりもするのですが

逆に言えば、鈍感な人というのは自分がメンタル的にタフな分、デリカシーに欠けていることが多く、相手がどんなことで傷つくというのが想像しにくいために(自分は傷つかないから)、無意識に人を傷つけることが多いように思います。

まぁ、傷つくのは常に繊細側ですがね。。。

日本人の5人に1人はエンパス(共感力の高い人)だとか、HSP(Highly Sensitive Person)と言われてますし、そもそも日本が「察する」文化で成り立っていますので、他の国の人よりは言葉以上のものを感じ取る力というのが全体的に強いように思います。

ただ、繊細さというのは、弱さと捉えられがちな部分もありますが、私はそれはそれで良い面もいっぱいあると思うようになりました。

カウンセラーなんか特にそうだし、人と関わるサービス業ではすごく役に立つ能力ですよね。

とはいえ、繊細な方が生きにくい世の中だとも思うので、自分の繊細さをきちんと自覚して受け入れて、きちんと自分の心を守る意識を高めておくのはとても大事だなぁと最近つくづく思うんです。

共感力や繊細さは、知らぬ間に他人との心の距離を近づけてしまうので、気づかない間に自分の心の大切な部分を、土足で踏みにじられるということが起こるからです。

だから、ちゃんと自分の心は自分で守れるようにならないといけない。そしてそれが、繊細さを武器として使っていける強さにもなるのです。

また、共感力と繊細さを持ち合わせると、相手の立場を想像しすぎるが故に、無意識に利他的になりすぎてしまうこともあります。

自分の気持ちじゃなくて、(あくまで想像上の)相手の気持ちベースで動いてしまう。一言で言えば、「他人軸」っちゅーやつですが。

だけど、真の意味で誰かを幸せにしたいなら、まずは自分が幸せにならなきゃいかんのです。

私たちにできるのは、自分の中で溢れた分を、お裾分けすることだけだからです。

ということで、自己防衛は回りまわって誰かのためになることでもあるのです。

だから、堂々と鬼畜生になっていーんです!川平慈英風)

堂々と鬼畜生になるために

ついつい自己犠牲的に誰かのために何かをするのが当たり前になっていたり、役に立たないことや誰かを助けられないことに罪悪感を感じやすい人たちにとって、鬼畜生道は茨の道のように思えるかもしれません。

こんなひどいことをしている私…という自分責めや自己否定の声に心がくじけそうになってしまうからです。

私も昨日、おっさんを冷たくあしらった後、怒りと共に自責の念を感じていたことに気付きました。

「もっと優しくしてあげればよかったかな」

とか

「おっさん、一生懸命頑張ってるのに傷ついたかな」

とかね。

でも、私は鬼畜生修行仲間のおまみーぬカウンセラーに愚痴を聞いてもらって、鬼の気持ちを取り戻しましたよ!!!!!

そうです。私は、鬼になると決めたのです!

そもそも、話が通じない相手は、大して傷つきもしないのです。

私たちには想像も及ばないほどのメンタルのタフさがあるからです。

だから、そういう人の心を心配する必要などないのです。

それよりも、自分のメンタルの心配をしろ。

傷ついたなら、自分への優しさが足りていないのだ。

そして、できなかったことではなく、できたこと、やったことを見ろ。

やれるだけのことをしたんだから、堂々と胸を張っていたらいい。

できないことをやれと言われても無理なのだ。

潔く断ってしまえ。

できること、できないことの線引きをしろ。

やりたいことと、やりたくないことをハッキリさせろ。

自分の気持ちにウソをつくな。

自分が苦しくなるまで、誰かに尽くしてはいけない。

どんなに胸が痛くても、見捨てることも必要だ。

自分を守れるのは自分だけだ。

自分を愛せるのも自分だけだ。

さぁ、みんなでお題目を唱えるのです!!

「できないことをできなくて良い」
「無理なものは無理で良い」
「したくないことはしない」
「やりたいことだけをする」
「敢えて見捨てる」
「わがままに振舞う」
「ダメなものはダメだと言う」

自分を大切にすることこそが、本当の意味で誰かのためにもなるということを意識して、この茨の道を共に歩もうではないか!

行け、鬼畜生!

飛べ、鬼畜生!

ちゃんと自分の心を守って、自分を幸せにしてあげようぜ、というお話でした。

世界平和を目指す我々には、どうしたって話が通じないサイ〇パスと接して、傷ついている暇はないのです。

鬼畜生修行僧の皆様の検討を祈る!

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ではまた。

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