【落胆するのが怖くて期待できない】
心の世界には時間がないと言われます。
どんなに時間が経って平気になったはずと思っていても、心は当時のまま止まっているということが多々あるものなんですね。
心の傷が、二度と傷つかないために予防線を張るのなら、その心の傷に寄り添い癒してあげることが、予防線をとくための一番の近道なのではないかと思うのです^^
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ココロノマルシェにご相談頂いた内容に回答しています!
私は何事も最悪な状況を想定して覚悟をして結果を待つという癖があります。
期待してそれが裏切られた時の落胆が恐いからです。おそらく子供の頃、両親に期待して「◯◯していい?」と聞いたことがことごとく否定され「期待するのはやめよう」と思ったことから続いています。
たしかに大きく落胆することはない一方、
最悪なことを想定している=心のどこかでそうなることを願っているからなのか、
すごくいい結果を招いたこともないし、大抵悪い予想通りになります。できれば明るい考えで生きていきたいと思います。どうしたらこの癖を改善できるのでしょうか。
アドバイスをお願いします。(ゆりさん)
愛と理屈であなたの心を解きほぐす、ライフワーク研究家サトヒです!
最悪なことを想定しておいて、いざ悪い結果になってもガッカリしないように、事前に心の準備をしておく…それって、いわば「心に保険をかける」ということでもあると思うのですが、みなさんにもあるあるなんじゃないかな?と感じます。
私自身も振り返ってみれば、そのようなことを多々やってきました。
例えば、私は誰かを何かに誘うというのがとても苦手で、「私の誘いは断られるんじゃないか」とか「迷惑なんじゃないか」とか思ってしまうので、最初から「ダメ元で」お伺いを立ててみるとか
絶対行きたいイベントやライブなどがあっても、当選しなかったらめちゃくちゃ落ち込むので、最初から「どうせ当たらないだろう…」と思いながら申し込むとか
何かの試験を受けた時なども、「落ちたら落ちたでしょうがない」と最初から諦めて合格発表に臨むとか
好きな人ができて、ちょっとイイ感じになっても、「きっと私の勘違いだろう」とか「どうせ私のことなんて好きになるわけないだろう」とか
「どうしてもこうなって欲しい」という期待が高いことほど、それが叶わなかった時のガッカリさが目に見えているので、「叶わなくてもしょうがない」と事前に諦めて、ダメだった時のことを想像して、精神的に覚悟を決めておくというようなことをしてきました。
やっぱり怖いんですよね。それが大切なものであればあるほど、自分の思い入れが強ければ強いものほど、手に入らないことも、失うことも、思い通りにならないことも、耐え難いほど苦しいし、悲しい。
そんな気持ちを経験で知っているからこそ、もう二度とそれを感じたくなくて、人は心に保険を掛けるようになっていくのだと思います。
某ミスチルの某「しるし」という有名な歌があるのですが(全く隠れてない)、その中で
半信半疑=傷つかないための予防線
という歌詞があるのですが、私たちが自分の望む未来を疑うことは、まさに「傷つかないための予防線」なのですよね。
ここで言う「傷つくこと」というのは、ゆりさんにとっては「落胆すること」、「がっかりすること」なのだと思います。
それは、ご自身で想定している通り、小さい頃の経験が影響しているのかもしれませんね。
ゆりさんが
「〇〇していい?」
と聞いたことが、ことごとく否定されてきたことで、ゆりさんはすごくがっかりしただろうし、悲しい思いを積み重ねてきたのだと思います。
本当はきっと、「好きにしていいよ」と言ってもらったり、自分の「何かをしたい」気持ちを受け入れてくれることを期待していたのかもしれませんが、その期待は受け入れられずに、むしろ目の前で粉々にされたような感覚だったのかもしれません。
子ども心に自分の気持ちを否定されるって、自分の存在自体を否定されたような感覚になるような気がしています。
なぜなら、子どもから見た親という存在は、自分の生死の鍵を握る絶対的な力を持つ存在で、いわば神様のようなもの。
そのくらい尊敬や崇拝や愛着を感じる相手、つまり大好きで自分の事を認めてもらいたい存在であるご両親に何度も否定されるうちに、自分のしたいことが否定されているのではなく、自分自身の存在が否定されているような感覚になって、ゆりさんは心を閉ざしてしまったのかもしれません。
そして、大人になった今も尚、自分が期待した通りにならないことがある度に、「やっぱりダメなんだ」「私の望みは叶わないんだ」と古傷に塩を塗り込まれるように、何度も同じ痛みを感じ続けてきたのでしょう。
もう、あんな思いをするのは嫌だ
気持ちを言っても、どうせ受け入れてもらえない
私のやりたいことは、どうせ否定される
私の望みは認めてもらえない
期待したって、どうせうまくいかない
やっぱり私はダメなんだ
と、深い絶望を感じるようになったのかもしれません。
そして、その経験から、いつしかゆりさんの中で方程式を作ります。
「結果を期待する=落胆する結果になる」
だから、期待しないようにしよう
常に最悪を想定して、心の準備をしておこう
だってもう、傷つくのは嫌だから
あんな思いは、もうしたくないから
そうやって、傷ついた自分の心が、もうこれ以上傷つかないように、自分を守るために「期待しない」という手段を選び、「最悪を想定する」という心の準備をすることに決めたのかもしれません。
「期待に応える」という愛情表現
>おそらく子供の頃、両親に期待して「◯◯していい?」と聞いたことがことごとく否定され「期待するのはやめよう」と思ったことから続いています。
とのことですが、子どもの頃のゆりさんは、ご両親の顔色を見ながら自分の行動を決める「いい子」な一面があったのではないでしょうか?
何かしたいことがあって、ちゃんと「○○していい?」とお伺いを立てて、ダメと言われたらやらない、というのはとてもいい子だなぁと思うんですね^^
我が道を行くマイペースな子だったら、別に聞かないでやるだろうし、ダメと言っても聞かないと思いますもん。どんなに親に怒られても、どこ吹く風で好き放題やるでしょう。
つまり、そのくらいゆりさんはご両親の気持ちを敏感に感じ取って、期待に応えてきたんだと思うんですね。
その気持ちの背景には、先ほども書いた通り「大好きで自分の事を認めてもらいたい存在であるご両親」を喜ばせたい気持ちだったり、そんなご両親の期待に応えて愛されたい、認められたいという思いもあったのだと思います。
つまり、ゆりさんにとって「期待に応える」ということは、自分の愛情を表現する一つの手段なのでしょう。
「期待に応える」のは、相手を大切に思うからこそ。愛しているからこそ。
ガッカリさせないように振舞うのは、相手を大切に思うからこそ。愛しているからこそ。
もしそんな認識があるとしたら、逆に相手に期待に応えてもらえない状況を、「愛されていないのでは?」と感じてしまってもおかしくはないのです。
つまり「期待が叶わない」状況に落胆するのは、結果が思い通りにならないこと自体に落胆しているのではなく、自分自身を「愛されていない」「価値がない」存在のように感じてしまうことが、心を傷つけているせいなのではないかな?と思うのです。
心理学的な「期待」というのは、「~になって欲しい」というよりも、「~になるべき」という強い思いが裏側に隠れているといいます。
私を愛しているなら、「~するべき」。
私に価値があるなら、「~になるべき」。
そんなコントロール欲求が心理学的な「期待」の正体であり、「期待は裏切られる」という言葉の根源にもなっている気持ちです。
なぜなら、他人も状況もコントロールできないものばかりだから。
だけど逆にいえば、ゆりさんの中にはたくさんの「~するべき」「なるべき」があって、それを叶えるために一生懸命頑張ってきたのだと思います。
誰かの期待に応えるために色んなことを我慢してきただろうし、理想の自分になるために力を尽くしてきたのではないでしょうか。
自分がいっぱい期待に応えてきたからこそ、他人や周囲への期待も強くなる。
だけど、がっかりする経験をして心が傷ついているからこそ、その期待したい気持ちを感じることを怖れ、葛藤する。
半信半疑=傷つかないための予防線
という歌詞を引用しましたが、本当はゆりさんの中には信じたい気持ちがあるからこその葛藤なのではないかと思うのです。
「願いが叶う=愛される、価値ある自分であると信じたい」
だけど、そんな自分や自分の未来を信じられない=自己不信の気持ちを感じることが、実は一番辛いことなのかもしれません。
なので、自分が望むものを素直に望めるように、まずは過去の痛みに寄り添ってあげると良いと思います^^
イメージで両親と向き合ってみましょう
あまり慣れないのですが(汗)、ちょっとイメージワーク風に書いてみたいと思います。
目の前に、ご両親がいるのを想像してみましょう。
あなたは、とてもやりたいことがあって、勇気を出してそれを伝えました。
それを聞いたご両親は、どんな表情をしているでしょうか?
やっぱり喜んでくれてるようには見えないかもしれませんね。
嫌そうな、怒っているような、不満そうな顔にも見えるかもしれません。
その表情を見て、やっぱり言わなければ良かったと思うでしょうか。
もしかしたら、はっきりダメって言われることもあるかもしれません。
悲しい気持ちが出てくると思います。
気持ちをわかってもらえないことに寂しさも出てくると思います。
怒りの気持ちも出てくるかもしれません。
「どうしてダメなの?どうして認めてくれないの?どうしてわかってくれないの?」
自分自身を否定されたような悲しさ、気持ちの行き場のなさ、愛されていない不安すらも感じるかもしれません。
まずは、その気持ちを感じてる自分をしっかりと受け止めてあげましょう。
悲しいね
傷つくね
不安だね
腹が立つね
寂しいね
そんな言葉をかけながら、何度も何度も自分が感じている気持ちをただ受け入れてあげます。
頭では、「どうせ」とか「やっぱり」とか「でも」とか色々な思考が浮かんでは消えていくかもしれませんが、無視して大丈夫です。
ただただ、感じている気持ちをそのまま返してあげましょう。
そうだね、そうだよね。そんな風に感じるのは当然だよ。
そう声をかけ続けて、少し気持ちが落ち着いてきたら、本当はどうして欲しかったのかを考えてみましょう。
ただ「いいよ」って言ってほしかった?
頭ごなしにダメというのではなく、気持ちを理解して欲しかった?
喜んで欲しかった?
見守って欲しかった?
信じてほしかった?
そこで出てきた言葉を、イメージの中で目の前の両親に向かって伝えてみます。
「私は、本当はこうして欲しかったんだよ」
って。
それを聞いた両親はどんな顔をしてるのでしょう?
びっくりしてる?
悲しそうにしてる?
やっぱり怒ってる?
もしかしたら、ただゆりさんのことが心配で、ダメって言ったのかもしれません。
家庭の事情で、いいよって言えない理由があったのかもしれません。
たまたま機嫌が悪いタイミングだったのかもしれません。
そこまで深く考えずに、とりあえずダメって言っただけかもしれません。
きっと何かしらの理由があって、その時はダメって言われたけど、それはゆりさんのせいではないのです。
ゆりさんがやりたいことのせいでもないのです。
ゆりさんを愛していないわけでもありません。
むしろ、愛しているからこそ「ダメ」と言ったこともあるかと思います。
ゆりさんがそんなに深く傷ついていることにも、気付いていないかもしれません。
ゆりさんの気持ちを聞いたご両親の表情を見ながら、少しご両親の気持ちを感じてみてください。
逆にゆりさんは、ご両親のことが大好きで大切だからこそ、笑っていて欲しいからこそ、ご両親の望み(ゆりさんの願うことをやらないで欲しいという望み)を叶えるために、自分の望みを我慢してきたんですもんね^^
その自分も、しっかり労ってあげましょうか。
本当はやりたいことがたくさんあったけど、いっぱい我慢してきたんだよね。
両親の気持ちを傷つけたくなくて、先回りして遠慮して諦めてきたんだよね。
そのくらい、お父さんとお母さんが大好きだったんだよね。
怒らせたくないし、悲しませたくないし、嫌な思いをさせたくなくて、自分が我慢すればいいって、自分の本当の気持ちを諦めてきたんだよね。
そのくらい、お父さんとお母さんをたくさん愛してきたんだよね。
そう自分に伝えてあげましょうか^^
だけど、大人になったゆりさんは、もう自分で自分の人生を選んでいけるようになりました。
期待に応えることで愛されようとしなくても、本当は既に愛されているし、自分らしく生きても誰かを傷つけることはないのです。
だから、目の前のお父さんとお母さんに伝えてみましょう。
「私は今までずっと、2人が幸せになって欲しくて、2人の笑顔が見たくて、自分の本当の気持ちを我慢することで2人を愛してきました。
だけど、これからは自分で自分を幸せにするために、自分の願いを大切にして生きていくことにします。
今まで私が傷つかないように守ってくれてありがとう。」
ここで出てきた気持ちを手紙にして、実際に届けてみるのもいいかもしれませんね^^
そう、ゆりさんの中に響く「期待しない」声は、ゆりさんを守るご両親からの「心配」という愛情でもあったのだと思うのです。
傷つくことへの怖れを手放すために
心の世界には時間がないと言われます。
どんなに時間が経って平気になったはずと思っていても、心は当時のまま止まっているということが多々あるものなんですね。
心の傷が、二度と傷つかないために予防線を張るのなら、その心の傷に寄り添い癒してあげることが、予防線をとくための一番の近道なのではないかと思うのです^^
ゆりさんの期待してることがどういうことかというのは、文面からはわからなかったのですが、結局、最悪を想定しようがしまいが、結果はコントロールできなかったりするんですよね。
できるのは、その結果を導くための自分なりの努力だけ。
だとしたら、結果はどうあれ、自分がそのやりたいことに向けて頑張ったことや、力を注いできたことを認めてあげたら良いのだと思います^^
そして、努力ではどうしようもないようなこと…例えば宝くじに当たるとか、コンサートのチケットに当選するとか、そういうことは運を天に任せるしかないわけで。
実際には、やりたいことがやりたいようにやれなかったり、自分にとって大切な願いなはずなのに、どうせダメだと思うことがしんどいのだと思います。
もっと自分の思いを信じて、大切にできるように、何度も落胆して傷ついてきた自分に寄り添い、励まし続けてあげてくださいね^^
自分の味方ができるのは自分なのです。自分を許せるのもまた、自分だけです。
子どもの頃は何でも親の許可が必要だったけど、大人になれば自分で自由に選ぶことができるし、自分を人生は自分にしか歩めないものなんですよね^^
どうぞ、ゆりさんが自分の思いに正直になって、自分の望みを大切に扱えるようになることを心から祈っています!
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