愛あるみなさま、こんにちは!
サトヒです。
前回のブログが、仲間内から大変好評(!?)だったのですが、カウンセラーとしてはかなり捨て身の内容で壮大なステマをぶち込んだにも関わらず、こちら全くお申し込みがございませんの。
どうなっとるん。(涙)
みなさん、土曜日の夜はお忙しいのかしらね…。ご予定いかがですか?
▼本が無くてもOKなくらい、わかりやすいレジュメ付きですよ!
それはさておき、前回のあらすじ。
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過酷な夏休みを過ごし、精神の限界を迎えたサトヒ。
爆風が巻き上げる砂煙の中から、無傷でその姿を現した夫。
放たれた正論の刃に、サトヒが求める最後の救いとは。
今回もサービス、サービスゥ!
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意図せずブチ切れてしまった自分を振り返り、敗因(勝ち負けじゃないが)を考えてみると…
・夏休み中、「イライラしない」をモットーに自分の欲求を抑圧しすぎた(自己犠牲のしすぎ)
・下の子がハイハイ~つかまり立ちするようになり、移動範囲が増えて目を離すことができなくなった(精神的疲労困憊)
・男の子のママベッタリ具合を甘く見ていた(予想以上の想定外)
やはり、我慢したり抑圧してきたツケは必ず後でやってくるのだ。
掛けでいくら買っても、いつかは耳を揃えて支払うべき時が来るように。
私は、夏休み中自分のやりたいことを無にして、子どもたちと向き合ってきた(つもり)。
ブログも書かなかったし、ほとんど遊びにも行かなかった。(Cradleには行ったけど)
だから、途中でその気持ちは「物欲」に変換され、大々的に散財して気持ちをごまかそうとしたりもした。
▼かわいいでしょ(自慢)
しかし、それは一時的な高揚しか私に与えてくれなかった。
抑圧された熱量は、地下で圧縮され、虎視眈々と外に出られる機会を狙っていたのだ。
それが、夏休みが終わり、学校が始まったと同時に、ブログ熱という形で噴出した。
…のだが、噴出し切る前に、再びコロ助によるイレギュラーが起こって、蓋をされてしまう。
我らがおシショー様に倣い、下ネタ(エロじゃない方)で例えるならば
それは1ヶ月以上も便意に耐え抜いた末、ようやくトイレに座った矢先に、出すものも出しきらぬまま、無理やりトイレから追い出されたようなものなのである。
つ…辛い!!!
そこで、私は自分の思い通りに行かない状況(う○こが出しきれない状況)の原因を、夫に見出すのである。
「貴様が私を助けないからじゃーーーーー!!!!!!」
そうやってブチ切れた先は、前回と以下同文である。
感情的になった夫がブチ切れて言うには
「(下の子の世話を)やらせずに、やれない状況にさせておいて、やらないと怒り狂うとは何事だ」
心理学を学んでいないはずの夫から、「自作自演」を指摘された自称カウンセラーサトヒ。
私は毛頭そんなつもりは無かったのだが、どうしても下の子はママじゃないとダメ感が強すぎて、ギャン泣きされるのが嫌で、つい私が手を出しすぎてしまったのは事実。
しかし、夫が手を出せるはずの場所は、何も下の子の世話だけではないはず。
私の希望としては、下の子を見ている間に私が手が回らない家事をやって欲しいということだったのだが。
これまで、なるべく私はやって欲しいことを伝えるようにしてきたが、毎回言わなければやらない態度に腹が立っていたのだ。
そもそも、頼ったり甘えたりするのが苦手な私は、やって欲しいと頼むこと自体が心理的にめちゃくちゃ負担なのである。
だから、いちいち頼むくらいなら自分でやるか、と思ってしまうことも多い。
また、夫と私の速度が違いすぎて、「今やって欲しい」ことを頼んでいるのに、「後でやる」つもりの夫は、なかなか動こうとせず。
その「後でやる」を信用できない&待ちきれない私は、つい手を出して片付けてしまい、「やってくれない」とイライラを募らせるのであった。
そして、在宅で仕事をしているのを見ると、つい頼むのが悪いなと思ってしまっていた。
自己弁護的に言うならば、夫には負荷をかけさせないようにしなければと思う「いい妻」ぶる私がいたのも事実なのである。
わかってるさ、自業自得の自作自演だなんてことは。
だけど、やめられないから困ってるんじゃないか!!(やり場のない怒り)
とりあえず、ケンカ収集後の夫が言うには
「頼まれるのは全然嫌じゃないから、気にせず言ってくれていい」
とのこと。
ちなみに
「気付くのは難しい」
のだそうだ。(笑)
そもそも、私がゴムボールに150リットルパンパンになるまで空気を詰めて、与謝野晶子もびっくりするほど髪を振り乱して頑張っていることにも気付いていなかったそうだ。
「大変だろうとは思っていたけれど、器用にこなせているものだと思っていた。」
とのこと。
え!?こんなに毎日慌ただしく、やるべきことに追われて、いっぱいいっぱいになってどうにか一日一日をやり過ごしているというのに??
涼しい顔して、うまくこなしていると思われていたことに衝撃や…。
前回も書いた通り、夫の語る言葉はド正論で図星なのである。
私は甘え下手だし、完璧主義で理想主義なところがあって、つい自分ができる以上のキャパを詰め込んで、できないことに落ち込んだり、爆発して人のせいにしたりする傾向がある。
これでも、昔の私よりは随分マシになってはいるのだが、長年身に付けてきた習慣は、やはりなかなか手放せない。
しかし、ストレングスファインダーで「内省」が2位の私。
このパターンをやめるには、一体どうしたものかと悶々と考えておったー。(日本昔ばなし風にお読みください)
カウンセラー仲間にも相談したし、ネットで検索したりもした。
すると、ふと聞いていた本田健さんのYoutubeで、健さんが相談者さんへの回答で話していた言葉が、突然耳に突き刺さったのだ。
「ほとんどの人は、無意識に自分に過大評価しています。できるはずだと思っても、できないことは多いものです。
例えば、10kgやせられるはずだ、とか、英語がペラペラになるはずだ、とか。だけど、意志が弱かったり、才能がなかったりするんです。
だから、自分に対して過大な評価・過大な期待をすることほど、不幸な一直線ってないんです。
もし、自分に期待していなかったら落ち込むこともないですよね。だけど、幻想の自分という基準に対して満たせてない部分に対して厳しくなってしまうことがあるんですね。
その対処法は2つあって、基準を下げるか、基準を満たせるように頑張ることしかないのだけど、心が疲れてしまっているなら、基準を下げてあげることが大事ですよ。」
タイムリーすぎて、飲んでいたコーヒーを吹いた。
(ちなみに、何かの答えを求めている時に、ふと目や耳に入ってくる言葉というのは、直感が教えてくれている答えなんだそうです。)
この話を聞いて、いつしか聞いた明石家さんまさんの話も思い出した。
「落ち込む人っていうのは、自分のこと過大評価しすぎやねん。過大評価しているから、うまくいかなくて落ち込むのよ。
人間なんて、今日できたこと、やったことがすべてやねん。己を過信しているから落ち込むだけ。
俺とか俺の周り、みんな過信なんかしていないよ。『できたはずなのに』とか。
ストレスとかたまる人もみんな過信している。落ち込む人間やストレス溜まる人間は自分を過信している奴ら。
もっとできたんじゃないのかだとか、もっと笑いが取れたんじゃないのかと言う芸人が多々いるんですけれども、俺は自分を絶対過信していない。
こんなもんだといつも諦めてます。精一杯一生懸命やってます。」
言うなれば、まだまだとかもっと頑張らなくちゃと思う裏には、実は「できるはずだ」という無意識の自分への過大な期待が隠れているというのだ。
だから、やろうと思っていたことができないことで落ち込むし、ストレスが溜まるという話。
ひいいいい、なんちゅう傲慢や…!!!
▼あれ、このパターン前にも見たことあるような…
しかしこれ、前回私が夫から痛恨の一撃をくらった
「150リットル入ると思ってるのが間違いなんじゃないの」
を、相手に最大限気を使って、懇切丁寧に語った言葉じゃないか。(笑)
もちろん、みんながみんなそういうわけじゃないだろうけど、私の場合は一理どころか十理ある気がする。
だから、できない自分が許せないし、助けが求められないのである。
▼この話が突き刺さったあなたにオススメの読書会がありまっせ!(しつこくステマ)
長くなってきたので、続く…。
▼この話の続きはこちら
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