「罪悪感」という鞭:自分を幸せにしない思考を手放すための自己肯定のススメ【ココロノマルシェ】

ココロノマルシェ

【「苦労しなければならない」という強迫的な思考が抜けません】

今回の回答のポイントは…

・自分を「鬼軍曹」という敵にすると、めちゃくちゃしんどいんですよね…。

・罪悪感があると、つい自分に苦労や苦しみを罰として与えようとしてしまうものです。

・「失敗」という言葉で塗りつぶされた過去の中に、確かにあったはずの自分の「価値」や「才能」を探して出してあげてください。

詳細は本文にて!お時間のある時にお読み頂ければ幸いでございます。

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ココロノマルシェにご相談頂いた内容に回答しています!

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心理カウンセラー根本裕幸のお弟子さんがあなたのお悩みにオンラインで答えます。

こんにちは。相談させて下さい。

仕事で「私は甘ったれなので、怒られなければならない」「苦難の中で成長しなければいけない」「苦労を積み重ねて鬱を発症したか、もしくは止むを得ない身体の病気の事情でなら退職しても良い」というよくわからない強迫的思考から逃れられずにおります

怒られる事は怖いのですが、上司から怒られる事で自分の中の経験値が上がった様な錯覚を覚え、良しと感じてしまいます。仕事はかなり激務で、今はだいぶ緩和されましたが去年頃までは完璧主義の傾向が強く、自分の思い通りに仕事が進まないと想像の中で自傷行為をよく繰り返していました。

こうなった原因について色々考えていましたが、幼い頃にちょっとしたミスをして驚いてしまい失神した事、また学生時代は「優等生」で居続け、自傷行為をしながらも無理に中学受験をして失敗した事、張り切ってやってみた事が思った以上に報われなかったなど失敗に関するエピソードに強いトラウマを持っている気がします。

また母が父の事をだらしないと散々言い続けていた事なども影響していそうですが、自分を癒すために過去を振り返ろうともしんどくて何もできず状態でやる気も出ません。

仕事も休めないし、まず何から手をつけた方が良いでしょうか。

(ビーさん)

愛と理屈であなたの心を解きほぐす、ライフワーク研究家サトヒです!

最初にご相談内容を読ませて頂いて、自分の中の「鬼軍曹」が、ビーさんをハードに痛めつけている…というイメージが思い浮かんだのですが

「自分」というのは、一番身近な存在だからこそ、一番の味方にもなり得るし、一番の敵にもなり得るんですよね。

そして、距離が近いからこそ、敵に回すとヤバイ相手でもあります。

めちゃくちゃ辛辣だし、暴言吐きまくるし、他人には絶対に言えないような、耳を疑うような罵詈雑言でも、自分に対しては平気で投げつけまくったりすることもあります。

しかも、一番身近な自分が自分の敵になってしまうと、実際にはどんなに周りに自分の味方がいたとしても、その声を受け取れなくなってしまうので、四面楚歌状態になってしまい、針の筵のようでとても辛いのです。

自分の居場所がないような感覚になることもあるでしょう。

「自己否定」とか「自己嫌悪」が強い人の心の中で起こっているのはそういうことでして、常に鬼軍曹が自分を痛めつけていると言っても過言ではないのですね。

何をしても、何をしなくても自分に怒られる状態。

そりゃー、しんどいわけです。書いてて涙が出そう。(私自身にも、思い当たる節ありまくりーぬでした。泣)

「罪悪感」という名の鞭

>「私は甘ったれなので、怒られなければならない」「苦難の中で成長しなければいけない」「苦労を積み重ねて鬱を発症したか、もしくは止むを得ない身体の病気の事情でなら退職しても良い」

というのも、なかなかハードに自分を追い込む言葉なのですが、この言葉を読んで一番最初に私が感じたのは

「ビーさんは、一体どんな罪を背負って(いると思い込んでいて)、それを償わなければいけないと思っているのだろう?」

ということでした。

どこか「私なんて」という思いがあって、そんな「私」は怒られるべきだし、苦労するべきだし、これ以上頑張れなくて休みたいと思うなら、病気になる以外に方法は無い、と堅く信じていらっしゃるように感じるのですね。

これって、いわゆる「罪悪感」によって自分を罰している状態にも見えるのですが、そう聞いて、ビーさんの中で感じることはあるでしょうか?

”罪悪感で自分を罰する”というのは、「自分は罪深い人間だから、苦しみを感じる事で罰を受け、その罪を償わなければいけない」と感じて、自分を幸せにしない行動を無意識に選ぶということです。

キリストが、自分が磔にされるゴルゴダの丘まで、十字架を背負って登っていくイメージ。

どんなに足の裏が痛くても、十字架を持つ手や背中が痛くても、背負っている十字架の重みこそが自らの罪深さの象徴であり、自分にはそれを嘆いたり、拒否したりする権利は無いと思い込み、贖罪の場所まで休むことなく無心で歩き続ける。

この場合、究極の贖罪というのは「死」なのです。(実際に「死」を選ばなくても、心の中ではそこがゴールな気がしてしまうということです。)

だから、死ぬまで自分に鞭を打ち続け、死ぬまで自分は許されないと感じてしまいます。

それが、想像の中での「自傷行為」に繋がっている部分もあるのかもしれません。

他に、ご相談内容から推察するに

>完璧主義の傾向が強く

>学生時代は「優等生」で居続け

>失敗に関するエピソードに強いトラウマを持っている気がします

とおっしゃっていることから、「完璧にこなせない自分」や「優等生でない自分」「失敗した自分」というのを、どこか強く否定していらっしゃるのかな、と感じました。

そういう負の(と感じている)自分を見たくないがために、「そうでない自分であるべし」と自分に厳しく鞭を振るっているようにも思ったのですね。

「強いトラウマ」という表現もされているので、ダメだと思っている自分を見るのが怖い、という感情もあるのかもしれません。

だからこそ、自分がダメだと思っている自分、自分の否定している自分が出てきそうになる度に、その自分を消してしまいたいと感じて、想像の中で自傷行為をして自分に罰を与えたり

「今度は絶対に失敗してはいけない」という強い思いから、苦労を課してでも成長しなければいけないと考えてしまうのかもしれないなぁと感じました。

そうしないと、自分は許されないと思ってしまっているように見えるのですね。

心と向き合うはパワーがいるもの

そして、その原因として考えられそうなことは

>また母が父の事をだらしないと散々言い続けていた事なども影響していそうですが、自分を癒すために過去を振り返ろうともしんどくて何もできず状態でやる気も出ません。

とのことなので、今はまだ深掘りするタイミングではないのかもしれません。

心と向き合うって、すごくエネルギーを必要とすることだと思うんです。

過去のことを思い出せないのは、思い出したくない何かがあるからだし、そこには自分が隠しておきたい心の痛みや傷があったりするわけです。

もちろん、自分のブレーキになっている思考を変えるには、心の痛みや傷を見て、癒すということも大事なプロセスではあります。

だけど、「自分を癒す」というのは、もちろん自分が楽になりたいという思いがあるからこそだと思うのですが、「今の状況を早く脱して、理想の状態にならなければいけないから」という目的だと、余計自分を追い込んで「癒し」から遠ざかってしまうこともあり得るので注意が必要です。

なので、今の状態で無理をするのは本末転倒になりそうなので、ゆっくり時間をかけて向き合っていくのが良いのではないかなぁと思うのですね^^(それでも頑張り屋さんのビーさんは、きっとどうにかしようと考えてしまうのだと思いますが)

ただ、今思い浮かんだことにも、きっと意味があると思うので

>母が父の事をだらしないと散々言い続けていた

というのは、どこか「だらしない自分」は嫌われるとか否定されるという思い込みを、自分の中に作るきっかけになっているかもしれませんね。

子どもというのは、親のことが大好きだし、親から認めてもらいたいと思う気持ちが強いものなので、母が何かを否定している様子を見て、「私はそんな風になってはいけない」というメッセージを受け取ってしまうこともあるでしょう。

ここでは、ご家族との関係については深く書かれていないのですが、例えば

・親が教育熱心で厳しかった

・過干渉な母(または他の養育者)

・両親の仲が悪かった

・身近に苦労している人がいた

などがあると、どうしても「優等生」や「いい子」であろうと頑張りすぎたり、大事な人を守るために苦労を買って出たり、なんてことがあるようです。

この辺りは、ビーさんの状況をもう少し詳しくお伺いしてみたいところですね^^

自分への誤解を解きましょう

と、ここまでビーさんのご相談内容から、今のビーさんの心の中で起こっているであろうことを、独断と偏見によりアレコレ考えてきたわけですが

>仕事も休めないし、まず何から手をつけた方が良いでしょうか。

への私からの回答は、

「自分への誤解を解いてください」

ということです。

まず、ビーさんは何の罪も背負っておりません。

ダメなことも、悪いことも、なーんにもありません。

例え、ご自分が思う通りに本当に甘ったれていたとしても、一体それの何が悪いのでしょう。

失敗することなんて山ほどあります。

だってこの世は

にんげんだもの by みつを

の世界だからです^^

っていうか、そもそも「失敗」って一体何者でしょうか?

これまで、ビーさんの中では「失敗」と感じることがたくさんあったのかもしれません。

それは、自傷行為をしてまで頑張ったにも関わらず、中学受験で志望校に落ちてしまったことかもしれません。

仕事で張り切って力を入れたにも関わらず、思い通りの結果が出なかったことかもしれません。

頑張るべきところで、うまく頑張れなかったことかもしれません。

お母さんや周囲の人が期待する自分でいられなかったことかもしれません。

それは、「点」で見たら「失敗」という烙印を押されてしまうような事実かもしれませんが

人生を長い目で見たら、大事のは「点」ではなく「線」だということがわかる時がきっときます。

結果よりも、その結果までのプロセスにこそ意味があり、それこそが自分の人生を生きた証となり、死ぬ間際に思い出されるものだと思うのです^^

ビーさん、これまでいっぱい頑張ってきたじゃないですか^^

どんなに激務でも弱音を吐かずに、向き合ってきたこと。

優等生として、自分の高みを目指し続けてきたこと。

自傷行為をしてでも、逃げずに中学受験をやり遂げた事。

結果は報われなかったとしても、自分なりの全力で張り切って挑戦したこと。

怒られることが怖くても、その先の自分の成長を見続けてきたこと。

それを、自分の胸に手を当てて、自分の心に伝えてあげて欲しいのです。

ということで、唐突に【やってみよう】のコーナー!

気持ちが少しだけ休まる場所で、軽く目を閉じて、深く息を吐いて、吸って。

「あなたは、よく頑張ってきたよ。頑張ってきたのを、ずっとそばで見てきたよ。積み重ねてきたプロセスが、あなたにとっての成功だよ。私は、ずっとあなたの味方だよ。」

そう自分に伝えたら、どう感じるでしょうか?

「そんなことないよ、まだまだ全然ダメだよ。私は失敗ばかりで、ダメな人間なんだよ。」

そんな風に、抵抗する気持ちが出てくるかもしれません。

そうしたら、その気持ちをその気持ちのまま受け止めてあげてくださいね。

「そう感じてしまうんだね。まだまだダメだって感じてしまうんだね。それでもいいんだよ。」

ただただ、出てくる気持ちを全部「それでいい」と受け止めてあげて、心のざわざわが静かになるのを待ってあげてください。

そして、何度でも

「私は、あなたの味方だよ」

と伝えてあげて、安心させてあげてくださいね^^

自分には罰すべき罪がある、というのが大きな誤解なのです。

十字架を背負っていたキリストも、本当は無罪でした。

「私はもう、十分に苦しみました。私は無罪です。」

そう、自分に言ってあげてください。

ビーさんは、たくさん頑張って、たくさんのことを与えて、たくさんのことを成し遂げてきました。

「失敗」という色で塗りつぶされてしまった過去の中に、「努力」や「信頼」や「勇気」といった、たくさんの「才能」や「価値」という宝物が隠されているのを、是非ご自分の目で見つけ出してください。

つまるところは「自己肯定感」という耳タコ案件になってしまうわけですが(汗)、ご自分の素晴らしさを受け取って、「罪悪感」という幻想を打ち破って欲しいと切に願っております^^

▼一人で難しい時は、個人セッションもありますぞ!(思いっきりステマ)

▼他にも、優秀な弟子どもが両手を広げて待っていますぞ!

ずーっとずっと一人で頑張ってきたビーさんに、少しでも心が休まる瞬間が訪れることを、心から祈っております。

サトヒより、愛をこめて。

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