感受性の力:世界をわたしらしく楽しむための神様からの贈り物

男性性と女性性

愛あるみなさま、こんにちは!

サトヒです。

(お知らせ:ブログのリハビリ期間は終了しました)

先日は「電撃!魔女解散ライブ」だったのですが、予想以上にたくさんの方にリアタイしていただき、めっちゃうれしかったです♡

まぁ、最後だから見とくか!的な方もいらっしゃったのかもしれない…

だとしたら、軽く期待を裏切ってしまい、大変申し訳ない(笑)

ライブでもお話した通り、魔女活はこれにて一旦終了しますが、気持ち新たにぬるっとゆるっと宇宙活動を再開予定!

次回ライブは未定ですが、旧魔女っ子のみなさまも懲りずに遊びに来てくださいね~!

ということで、今日のテーマは「感受性」です。

人生で一番欲しいもの?

私は、暇さえあればネットで漫画を読んでいるのですが、最近ハマっているのは「Real Clothes」という作品でして。

(読むのは2回目なのだが、内容すっかり忘れているので2度おいしい)

初版が2007年とかの漫画で、ドラマ化もされたそうで

もうかれこれ15年以上も前の話なんですが、働く女子の悩みや迷いがリアルに感じられて共感しちゃうんですよね。

Amazonレビューを見ると賛否両論ありましたけど、私は読むとやる気が出るので、すごい好きなんです^^

主人公は迷い多き小娘なのですが(そこも共感ポイント)、彼女を取り巻くキャラクターたちがとても魅力的で。

特に、婦人服部門の絶対的女王として君臨する上司である”美姫様”。

この漫画は「日本版プラダを着た悪魔」だと私は思っているのですが、メリルストリープ演じるミランダをイメージしてもらえるとわかりやすい。

揺るぎない審美眼とファッションセンスを持ち、顧客にとって必要なもの、不要なものを瞬時に見抜く感性と判断力。

時に、その審美眼は「超毒舌」という殺傷能力の高い鋭利なナイフになることもあるのだけれど、それはただ相手のために必要な事実を伝えているからこそ。

私には無い強さと潔さが詰まったキャラなので、シンプルにかっこいい。

そのファッションの鬼・美姫様が、とある回で主人公へ投げかけた質問。

「あなたが一番人生で欲しいものはなに?」

これを読んだ私も、ひとつだけ欲しいものを聞かれたら、なんて答えるだろうかと考え込んでしまったのですが

しばし考えてみたら

「世界の美しさや豊かさを感じ取れる心」

という言葉が思い浮かんだんですね。

そして、それってつまり「感受性」のことだな、と思いました。

だとしたら、私は既にそれを持ち合わせてるじゃん、とも思ったのです。

なんという幸せな気づきでしょう。

私が欲しいと思うものは、既にそこにあったんです。まさに青い鳥。

(余談ですが、主人公の答えは「自分のスタイル」と「自信」だった。それも素敵よね!)

世界をわたしらしく眺める

そんな風なことを考えていたら、私の憧れのセレクトショップ「ロンハーマン」の今季ホリデーシーズンのキャッチフレーズが目に入ってきて、心を射抜かれたのです。

You Are Beautiful.

きれいだねって 言ってくれたらそれはうれしい

でも きれいだなって 思える自分であれたらと思う

わたしらしく どう眺めようか

目に映るものを こころでしか見えないものを

似たような言葉に

「美しいものを見て 美しいと思える あなたの心が美しい」

なんて、我らがみつを大先生のありがたきお言葉もあります。

世界をどう見るか、世界から何を感じ取るか。

その視点こそが「わたしらしさ」そのものとも言えるし

感じる私こそが「本当の私」とも言えるのではなかろうか。

だったら、わたしは世界をどう眺めたら幸せなのだろう?

目に見えるもの、目に見えないものをどう捉えるか

世界をどう解釈するのも自由、世界から何を受け取るのも自由

だとしたら、せっかく生まれ持った自分の感受性に素直に従った方がきっと楽しい。

そして、世界の感じ方が「わたしらしさ」であるならば

私たちに与えられた感受性は、世界をわたしらしく楽しむために必要な、とても大事なプレゼントだとも思える

「世界の美しさや豊かさを感じ取れる心」

自然と自分の中に湧き上がったものを、味わい、楽しめるような

思い通りにいかないことも、それはそれでアリにして、面白がれるような

そんな心の余裕を、私はいつでも持ち合わせていたいと願うのでした。

感じ切れないからスカッとしないのかも

感じることが生きることならば、逆も然りで、生きることは感じることでもある。

であれば、感受性の強さは、人生を味わい楽しみ尽くすための大事な能力でもある。

言うなれば、女性性の豊かさは、感受性の強さに近いものがあると私は思っているのだけど

受け取る力

受容する力

感じ取る力

察する力

感性や感覚

そういうものは、全て女性性的側面の要素なのですよね。

だから、本質的に女性性が優位な人というのは、そういう力を強く持っているとも言えるわけです。

ただ時に、感受性が強い人というのは、その刺激の強さに耐えきれなくて、感じる心を思考によって閉ざしてしまうことがあるんですね。

感じるものが多すぎて、大きすぎて受け止めきれず、思考的な解決によってその荷物を軽くしようとして、間違った方向に頑張ってしまう。

でも、結局感じたものは無くならないので、思考の陰でくすぶり続けてしまう。

感情は感じきると消えるということは、逆に言えば「感じきらないと消えない」ということでもあるわけで。

消えるまで感じ切るのがしんどいせいで、頭で考えてしまうのだから

消えない間は、感じることを避けるために考え続けてしまうということになる。

それが、思考が強いと思っている人が、実は感性的である場合が多いということの一つの理由でもあると思うわけです。

特に、人が「感じたくない」と自分の感情に蓋をしがちなのは、ネガティブな感情(怒り、寂しさ、悲しみ、みじめさなど)の場合が多いわけだけど

本来、感情というものの大元は同じエネルギーなのだから、ネガティブを抑圧すればするほど、ポジティブも抑圧されてしまうのですよね。

喜怒哀楽の、喜と楽だけを味わおうとするのは仕組み上無理な話なのです。

それって大雨を避けるがあまり、晴天の日がなくなって、毎日曇り空みたいなパッとしない心境。(サトヒの十八番、わかりにくい例え)

言うなれば、どの気持ちも目いっぱい感じ切れなくて、どうにもスカッとしない生き方になっちゃう。

相対性の世界を楽しもう

だとしたら、せっかく与えられた感受性をフルに活かすなら、ネガティブな感情を怖がっていたらもったいないような気がしてきたのです。

(かくいう私自身も、ネガティブ感情が苦手で感じないようにグルグル考えがちだったのだけど)

宇宙の相対性を考えるならば、何かは何かの裏返しでしかない。

悲しみを知っているからこそ、幸せを感じられる

ない苦しみを味わったからこそ、ある喜びを感じられる

そして、そのどの感情も、生きているからこそ感じられるもの。

もしかしたら子どもの自分には、大きすぎて抱えきれなくて封印してきた感情も

大人になった今なら、自分自身で受け止め、消えるまで感じ切ることができるようになっているかもしれない。

ネガティブな感情を感じている自分を、そのまままるっと受け止めるだけの力が、大人になった今はちゃんと備わっているはずなのです。

だから、恐れずに感じてみてはいかがでしょうか。

本来、痛みも、悲しみも、孤独も、それはその反対の側面を輝かせるために存在しているとも言えるのですよね。

それを感じ切った分だけ、その裏側でセットになっているポジティブな感情を、ご褒美のように受け取れるようになっている。

だから、ネガティブを怖れなくても大丈夫なんです。

怒りは情熱

罪悪感は愛

悲しみは喜び

孤独感はつながり

不安は安心感

本来それらは全部セットで、私たちの目の前に用意されているのですよ。

そして、そのどちらの側面に光を当てるかを選ぶ自由と権利は、いつだって私たちの中にある。

ネガティブな感情を”悪いもの”だと感じてしまうのは、それを感じている自分自身を否定しているからに他ならないのですね。

でも、何事も本質的には正しいも間違ってるもないし、良いも悪いもない。

それを決めているのは、それぞれの主観という不確実なものです。

ここでいう”感じ切る”というのは、ジャッジせずにただ見つめることだと思っています。

自分に、その感情が「ある」ということを、フラットな視線で見つめること。

否定せず、感じるままにしておくこと。

そんな風に、どんな感情も受け取れる心の器、心の土台を作ることができなたら、世界はもっともっと自分らしく美しく輝くはずだと思うのです。

せっかく与えられた感受性を怖れずに、わたしらしい感じ方を磨いていきましょうね♡

ではまた。

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