愛あるみなさま、こんにちは!
サトヒです。
風邪で寝込んでいた真っ只中、たまたま我らが弟子仲間のヤタパイセンのコンサルを受ける機会がありまして。
▼ヤタパイセンとは
これは、弟子向けにカウンセリング活動でのお悩みの相談に乗ってくれるというありがたい企画なのですが、私実はヤタパイセンとじっくりお話するのって、それが初めてだったんですね。
元々は、ヤタパイセンは私が学んでいた根本先生のお弟子講座1期の時のオブザーバーという形で参加されていて
その時は、なんというか時折おっちょこちょいでお茶目な感じの一面しか見てなかったのですが~~~(オブラートでビブラート)
その後の弟子講座で講義を担当していたり、ココロノオフィスの公認講師としてもバリバリと活躍されている様子を見て、なんというか自分の中のヤタパイセンイメージがよくわからなくなっていたんですね。(笑)
しかし、今回1対1でじっくりとカウンセリングしてもらえる機会を頂き、自分のお悩みを話してみたら、感情的な部分も汲み取ってくれた上で理路整然とどうすればいいのかをたくさん教えてもらえて
「ヤタパイセンって…すげーーーーーーー!!!」
と目を輝かせる結果に。
その際、私が相談したことの一つに
「カウンセリングで、もっと心の深い部分を取り扱えるようになるにはどうしたらいいのか」
というのがあったのですが、その質問に対してのヤタパイセンの回答は
「結局は自分が向き合ってきた心の深さしか他人の心も扱えないから、自分の癒しを続けた方がいいよ。」
だったんですね。
しかしその話を聞いて、最初に感じたのは
「結構癒されてきて、これ以上何を癒せばいいのかわからんのだよなぁ」
という感覚。
そうなんです。個人的な感覚としては、闇絶頂期の自分から比べたら、別人のように生きやすくなっていて
色々ネガティブなことが起こっても、「これが自分だからしゃーないよなぁ」と思うのが早くなったし、それなりに自己解決できる知識が身についているので、かなり癒されている自負があり。
だから、これ以上何をどう癒していいのか?これから一体何をすればいいのか?というのが、自分でよくわからなくなっていたんです。
そんなことを考えていると、数日後にヤタパイセンの1dayワークショップがあるので、参加してみては?というお誘いが。
ヤタパイセン曰く、個別にこのイベントのお誘いをしようと思った時に、ふと私のことが思い浮かんだんだそう。
でも、これまであまり絡んだことがないということもあり、声掛けをためらっていたらしく。(あれ?ここまでうまく誘導されているような気がしてきたぞ?笑)
「もしタイミングが合えば来てね」
くらいの軽いお誘いだったのだけど、その後なんだかどうしても気になって。
その当時、まだ風邪の回復途上で体調が気がかりだったのだけど、別に自分が何かしなきゃいけないわけでもないし、最悪横になって聞くだけでもいいかと考え、思い切って申し込んでみたのでした。
自分のことは見えないから、他人を通して自分を見る
ワークショップのテーマは
「慢性的な問題を愛で癒す」
この、”慢性的な問題”っていうのが厄介でして、「慢性的」が故、あまりにも当たり前で自分では気づきにくいのですよね。
「気付けない」ということは、癒しにくい。
何か問題があった時に、「あ、これって私のいつものパターンだ」と思ったりはするのですが、その原因の深いところまでは自己対話だけではなかなか到達できず、目の前の問題をやり過ごしたら、なんとなくそのまま忘れちゃう。
私には、完璧主義と理想主義が暴走して、自分のキャパ以上にやり過ぎて爆発するというパターンがあるのですが、それがまさに私の「慢性的な問題」だったりします。
▼私の慢性的な問題の話
イベントは、4人のフォーカスパーソン(問題をシェアする人)が選ばれて、公開でヤタパイセンのセッションを受けるという形で進んだのですが
もうね、一人目のフォーカスパーソンのセッションから大号泣。
まるで、自分の話かと思う相談内容に、いつの間にか心をがっつり掴まれてしまっていたようです。
私、あまり人前で泣けないタイプなので、オンラインで出たのが功を奏したのか、すごく色んな感情が出てきてビックリしました。
しかも、風邪で頭が朦朧としていたこともあり、思考が働きすぎなかったことも良かったような気もしています。(笑)
ちなみに、この1dayワークショップという名のグループセラピーは「プロセス指向」と言って、シナリオを全く決めず、その場で起こることの必然性を使いながら、セラピーの流れを作っていくという手法だそうなのですが
そもそもグループセッションというのは、参加者同士が似たような課題を抱えていたりして、無意識レベルではお互いにその場での経験に合意している、なんて話があったりします。
なので今回もご多分に漏れず、何かしら共通の問題や癒しのプロセスの途上にあって、お互いに(無意識上で)合意した上でその場を選んだ人たちが集まっていたようで、誰かの癒しが集団全体の癒しにつながるという流れができていました。
とはいえ、その全体性を察知しながらセラピーを組み立てていくヤタパイセンの機転と手法に、ただただ「すげー」と感じていたわけですが。(語彙力)
(この手の流れは、根本シショーのリトリートセミナーでも見たことがあるのですが、ヤタパイセンのそれを初めて見て、とても感動した次第です。)
私が一連のセラピーから感じたテーマは
・”自己犠牲”という「子どもの愛し方」を卒業して、自分が幸せになることで誰かを幸せにするという「大人の愛し方」にシフトすること
・自分の本当の願いに気付き、認めること
でした。
腹から出てきた「本当の願い」
前述の私の「慢性的な問題」というのは、まさに「自己犠牲的な愛し方」故の行動だったのですが
フォーカスパーソンのセッションで、その背景にある思い込みや痛みを乗り越えて、誰かに助けてもらう姿を見せてもらうことで、私の中でも何かが昇華した気がしました。
また、セッションでは「自分は本当はどうしたいの?」ということを聞かれている方が多かったように感じたんですね。
セッションでは、自分が一番欲しいものには手が伸ばせなくて、いつも2番目か3番目を選んでしまう、みたいな話もありました。
これって「犠牲的な愛し方」にもつながる部分なのですが、どうしても自分を抑圧するのが癖になっていると、「自分の本当の願い」というのに気づきにくくなるんですよね。
私の場合は、ビジョンを描くのがとても苦手なのですが、それはきっと「自分の本当の願い」がわからなかったからなのかもしれない、と思いました。
だけど、今回のセッションで、私はようやく自分の「本当の願い」に触れることができたのです。
それは…
「もっとわがままに生きたい。」
ということでした。
「もっとわがままに、自分勝手に、自己中心的に、自分のことだけ考えて生きたい。」
その自分の腹の底の声に気付いた時、なんだかすごく納得してしまいました。
あぁ、私はこの気持ちをずっと抑圧していたよね。と。
わがままは人に迷惑をかけるとか、負担になるとか、人を傷つけるとか。
そういう思い込みをずっと抱えて、私は自分の気持ちを無視していたなぁ、と。
だから、人に頼れない。自分一人で抱え込んでしまう。役割を演じてしまう。
その結果、完璧主義や理想主義に走って、誰にも頼まれていないのに勝手にやり過ぎて、勝手に爆発していたわけです。
そしてそれは、「相手に迷惑をかけたくない、負担になりたくない」という愛からだったんですけどね。
それに加えて、「どうせ助けてもらえない」という諦めの気持ちもあったのかもしれません。
その痛みを乗り越えて、誰かに助けを求めたり、もっと自分勝手に生きて楽しんでいた方が、実はもっと周りとつながって、お互いに幸せを感じられる関係性が築けるってことなのか、ということがすごく腑に落ちた気がしたのでした。
この「もっとワガママに生きたい」という自分の願いに触れて、なんだかすごく肩の荷が下りた気がしたし、ここから自分がどうしたらいいのかという方向性がなんとなくわかりました。
つまり…
もっと自分勝手に好き放題やりたいようにやれよ!!!
ってことですね。(笑)
文字にしちゃうと、なんだそんなこと、とめちゃくちゃ普通のことなんですが、どうも抑圧しすぎて自分にそんな気持ちがあることすら忘れていた感じです。
私って、もっと自分のことだけ考えて生きていたかったんだなぁとやっと認めることができました。
ということで、今年はもっと食う・寝る・遊ぶをたくさんやっていこうと心に決めたサトヒなのでした。(え?そこ!?)
そして、グループセラピーの素晴らしさに改めて気付いた私。
「自分の問題は自分だけでどうにかしなくてもいいんだなぁ」と腹落ちしたので、今後はグループセッションを色々物色しながら(笑)、まだ見ぬ自分にもっと出会っていきたいと思う次第であったのでござったー。おしまい。
ではまた!
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