復縁の深層心理:手放せないのは彼なのか、彼に愛された自分なのか問題【ココロノマルシェ】

ココロノマルシェ

【迷った時の進め方】

今回の回答のポイントは…

・自分に自信がないと、つい相手の愛情を試したくなっちゃうことってあると思うんです

・復縁を願っている時って、相手に執着しているように見せて、実は相手に愛された自分に執着してる場合があります

・自己肯定感向上の道は長く険しいものなので、小さな変化を見逃さずに、自分の成長を喜びながら進みましょう!

詳細は本文にて!お時間のある時にお読み頂ければ幸いでございます。

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ココロノマルシェにご相談頂いた内容に回答しています!

迷った時の進め方
こんにちは。自己肯定感がまだまだ低い位置にいるみとと申します。 私は生まれつき顔に大きなあざがあり、思春期からはずっとメ...


こんにちは。自己肯定感がまだまだ低い位置にいるみとと申します。

私は生まれつき顔に大きなあざがあり、思春期からはずっとメイクをしないと人の前にでられませんでした。

すっぴんだと必ずどうされました?とか可哀想とか、痛々しいとか言われるのです。そんな私ですから、もちろん自己肯定感なんかは昔から低く、常に他人の目を気にして生きてきました。

それでもたった1人、ありのままの自分をさらけ出す事ができたのは元夫でした。

どこにも行かないでほしくて、気づけば束縛や監視、酷いもんだったと思います。元夫の愛情にあぐらをかいて、結局浮気され、離婚しないなら死ぬと言われ離婚に至りました。

それからは必死に子供を育てながらフルタイムで働き、それでもいつかまたやり直したいと希望を持ち続け1年程前から一緒に住むようになりました。

ただこれが、お互いにやり直す前提で同居してる訳ではなく元夫があまり関わりたくない人から逃げる為に引っ越してきたようなもんなんです。

最初の半年程は、信じられないぐらい私の事を気にかけてくれて、仲良い頃の夫婦に戻ったかのように接してくれていました。幸せでした。

が、半年経った頃から毎晩飲み歩くようになり、家にいても退屈そうで、家事も全く手伝ってくれなくなりました。まぁ、正直に言う人もあまりいませんが風俗は嫌いだと言っていたのにソープに行ったり、先輩という名の女性と会っていたり…あまりにもショックでした。

ただまた同じ事を繰り返して、今後二度と会わないとなるような事は子供の為にも私も嫌なので、まずは執着を手放す、自己肯定感をあげる事だと思い、毎日自分自身に自問自答しています。

根本大先生の著書を暇さえあれば読み漁り、やっと最近怒るという感情が戻ってきました。

それまでは苦しくて辛くて怒り方がわからないような状態だったんです。まずは自分の自己肯定感をあげて、それから少しずつ元夫の事を自由にしてあげたいと思っているんです!

ちゃんと思っているんだけど、日によって思う事がバラバラ支えてあげたい!と思う日もあれば、もう自由にしてあげて黙って信じて待ってみようと思ったり。

自分の気持ちなのにあっちこっちに行って、結局どうしたいのかがわからなくなるんです。
イメージワークはどうも苦手なようで、鎖で繋がれた足元とか、新しい扉とかイメージしてもでてこないんです。集中力が足りないのでしょうか。

また焦っているのも事実で、必死に元夫の携帯を見ないように目を逸らしたり疑わないようにって言い聞かせないとまだまだ苦しいです。

まず何からどう手をつけたらいいんでしょうか。頭でっかちになっているような気がします。
長々とまとまらない文になってしまいましたが、よろしくお願いいたします。

(みとさん)

愛と理屈であなたの心を解きほぐす、ライフワーク研究家サトヒです!

人間誰しも、多かれ少なかれ、一つや二つのコンプレックスは持っているものだと思いますが、それが見た目でわかりやすいものほど、気になってしまうのは当然だと思います。

見た目って、そもそもが自己肯定感にすごく影響を与えやすいものだとも思いますし。

だから、みとさんがついつい自分の見た目や人の目が気になってしまって、自己肯定感が上がりにくいというのも仕方のない話だと思います。

そして、「アザがある私」が本当の自分で、それを(メイクで)隠さなければ愛されないと思ってきたのであれば、みとさんは「本当の私は愛されない」という思い込みを持ち続けてきた可能性もありそうです。

そんな思いがある中で、

>それでもたった1人、ありのままの自分をさらけ出す事ができたのは元夫でした。

と、唯一元旦那さんにだけは本当の姿を見せることができる、本当の姿を受け入れてもらえると感じられたのであれば

元旦那さんの存在は、真っ暗だった世界に差し込んだ一筋の光のようにも感じるだろうし、絶望に満ちた世界を救う、たった一人の救世主のようにも見えるはずです。

だとしたら、絶対手を放すわけにはいかないし、逃がすわけにはいかないから檻に閉じ込めておくしかないし、階級をメガトン級にまで引き上げて全力でのしかかり、「ありのままの自分でもOK」だということを証明し続けてもらいたくもなると思うんですよね。

>元夫の愛情にあぐらをかいて

とみとさんは書いていらっしゃいますが、きっと元旦那さんと一緒にいても不安な気持ちはあっただろうし、元旦那さんの愛情を信じ切れずに、その愛を試すようなこともあったかもしれません。

「こんな私でも本当にいいの?いいって言って!」

と言わんばかりに。

▼状況は違いますが、愛情を確かめたくなる心理についての別記事

なので、

>どこにも行かないでほしくて、気づけば束縛や監視、酷いもんだったと思います。元夫の愛情にあぐらをかいて、結局浮気され、離婚しないなら死ぬと言われ離婚に至りました。

というのも、ある意味自然の流れだったと思うのです。

そのくらい、ありのままの自分を受け入れてくれる存在が、みとさんには必要だったのだろうし、その時の自分は、そのくらい切羽詰まっていて必死だった、ということです。

きっとそれくらい寂しくて、何よりも、長い間自分のことが好きになれずに苦しんできたんじゃないかな?と思うんですよね。

自分で受け入れられないから、誰かに受け入れてもらいたい

ちなみにこの現象って、見た目にコンプレックスがある人だけじゃなくても起こり得ることだと思っております。

そんな風に、自分の何かをずっとダメだと思い込んできて、それを必死に隠しながら生きてきた人が、ある時それを受け入れてくれる人と出会って、自分の存在価値をその人に証明してもらいたくなってしまうようなこと。

「この人に愛されていることが、私の生きる価値であり、意味である」

そんな風に思ってしまうようなこと。

自分の何かをダメだと思う理由は、人それぞれ色々あると思うのですが、見た目かもしれないし、性格かもしれないし、能力かもしれませんが、私たちは色々な理由をつけて、ありのままの自分を否定してしまうものです。

だけど、どんなに相手が自分を受け入れてくれたとしても、自分自身が自分を受け入れられない限り、何を言われても、心のどこかで相手の言葉を疑ってしまい、本当に愛されているのかを試したくなってしまうんですよね。

そしてその根っこには、「この自分ではダメだ」という呪いとも言える強い思い込みがあるので、結果的にその自分の思い込みを実現させるべく無意識に動いてしまうような心の仕組みがあるのです。

その結果、「やっぱりこの自分ではダメなんだ」という落胆と、「この自分でも大丈夫であって欲しい」という期待が入り混じって、一度は受け入れてくれた相手に執着してしまう。

そんな自分の中の葛藤が、相手との関係性をずぶずぶの沼に変えてしまうわけですね。(経験あり)

これって、ちょっと耳の痛いことを言うようですが、実は相手に執着しているのではなくて、「価値があると感じられていた自分」に執着していたりするのです。

ある種の「過去の栄光」みたいな。

彼に愛されていた自分、それによって価値を感じられていた自分。

だから、またそれを取り戻したくて、もう一度愛されようと頑張ってしまう。

それが、いわゆる「復縁」を願う時の根本にある動機だったりするんじゃないかと思っています。(経験あり)

そうすると、どうしても「愛されたい」という気持ちが自分の立場を弱くさせてしまい、相手の顔色を窺ったり、言いたいことが言えなかったり、嫌われないように「いい人」であろうと頑張りすぎてしまったりするのです。

そんな状況では、もちろん自分のネガティブな感情なんて出せるわけもないので、寂しいとか、ムカつくとか、嫌だといった気持ちを相手に見せられなくなりますよね。

それが、みとさんの言うところの

>それまでは苦しくて辛くて怒り方がわからないような状態だったんです。

という感覚の理由の一つにもなっているのかもしれないなぁと感じました。

そう考えると、手放すべきは

「彼に愛されることだけが自分の価値である」

という思考なんじゃないかと思うのですよね。

「それって本当にそうなんだっけ?」と、一歩引いて考えてみて欲しいのです。

自己肯定感は大きならせん階段のごとし

おそらくみとさんは、長い間深い孤独の中で生きてこられたのはないでしょうか。だから、その寂しさを癒してくれた彼という存在を手放せないのも当然のことだと思います。

それでも

>まずは自分の自己肯定感をあげて、それから少しずつ元夫の事を自由にしてあげたいと思っているんです!

と思えるってことは、それくらい元旦那さんのことを大切に思っているからなんだろうな、と感じますし

>ただまた同じ事を繰り返して、今後二度と会わないとなるような事は子供の為にも私も嫌なので、まずは執着を手放す、自己肯定感をあげる事だと思い、毎日自分自身に自問自答しています。

と、ちゃんとご自身を振り返って、現状を打破するために自分を変えようと努力してきたことも、すごくパワーが必要だったはずですよね^^

そして結果的には、それを実現できた(正式な復縁ではないとしても)のは、みとさんが本来持っているエネルギーの強さ故なのだろうなぁと思いますが、いかがでしょう?そんな自覚あります?

そもそもが、メガトン級に元旦那さんを求められたのも、深い愛と情熱をお持ちの方だからこそできたことだとも思うのですね^^

いわゆるセクシャリティ強い系に多いと思っているのですが、愛が深すぎるが故、コントロールを見誤ると、勢い余って目の前を焼き野原に変えてしまうという必殺技を、みとさんもお持ちなのかもしれません。

そのくらい、情熱的で愛情深いイイ女(スーパーサイヤ人)ってことですね!!!

それに、みとさんは最近になってようやくご自分の「怒り」がわかるようになってきたわけですが、それってすごく順調な変化だと思うのですよね~。

前述の通り「怒り」って、自分より立場が強い相手には向けにくいものだと思うんです。

ましてや、”ありのままの自分を受け入れてくれるこの世でたった一人の人”だと思うような相手であれば、見捨てられたり、嫌われたりする恐れが強く出すぎて、ついつい心理的に下手に出てしまうものです。

だから、どんなに理不尽な事をされても、大したことないみたいに扱って、どんな相手でも全部受け入れられる自分であろうとしすぎて、自然に湧き上がるネガティブな感情(怒りや悲しみや寂しさなど)を我慢しちゃうものだと思うんです。

なので、今みとさんは「怒り」を感じられるようになったということは、とても健全的なことだし、自己肯定感が上がった立派な証拠なんですよね^^

しかも、その自己肯定感を上げる取り組みというのは、元旦那さんを自由にしてあげたいという大きな愛が故なんですよね。

それって、めちゃくちゃ素晴らしい愛の表現ではないですか!!

>ちゃんと思っているんだけど、日によって思う事がバラバラ支えてあげたい!と思う日もあれば、もう自由にしてあげて黙って信じて待ってみようと思ったり。

>自分の気持ちなのにあっちこっちに行って、結局どうしたいのかがわからなくなるんです。

とおっしゃいますが、少しずつ自己肯定感が上がる過程で、気持ちが揺らぐのは自然なことなんですよね。

自己肯定感って、うなぎ登りで上昇するものでもなく、大きならせん階段を上がるかのように、ゆっくりゆっくりと高まるものだと思っています。

だからこそ、自分の変化を成長という側面で意識的に見てあげる必要があるんですね。

「怒り」を感じられるようになったこととか。

「自由にしてあげたい」と思える時間が増えた事とか。

他には、どんなことがあるでしょう?

笑えることがあったとか、元旦那さんのことを考える時間が5分減ったとか、「まあいいか」とか「どうにかなるかな」と思える時間が30秒増えたとか。

なんでもいいので、すごくすごくささやかな変化を、大げさに喜んであげるのが大事なんですね^^

そうやって、少しずつ自分に意識を向ける時間を増やして、「自分が楽しむこと」「自分が喜びを感じられること」をやっていくうちに、相対的に元旦那さんのことを考える時間が少なくなっていくと思います。

そんな風に自分のペースで、一歩一歩元旦那さんを手放すための心の準備をしていけばいいのです。

元旦那さんに愛されたことは、もちろんみとさんにとって価値あることだったはずですが、その愛された記憶を自分の自信に変えたっていいわけですよね。

元旦那さんは、みとさんにどんな魅力を感じていたのでしょう?

どんな風に愛されて、その愛をどんな風にみとさんは受け取ってきたのでしょう?

みとさんがありのままをさらけ出せたからこそ、旦那さんはみとさんを好きになったのだとしたら、みとさんが見せた自分には、一体どんなステキな部分があったのでしょうね?

みとさんが感じているコンプレックスなんて気にならないほどに、みとさんのステキな部分が元旦那さんにはたくさん見えていたはずなんですよね。

そしてそれは、元旦那さん以外にもちゃんと見えているものなのです。

だから、みとさんがご自分の素敵な部分を受け取って、自信を持つ理由にできたらいいなと思っています。

自己肯定感向上の道のりは長く険しい(?)ものですが、どうぞみとさんがありのままの自分を許し、これまで注がれてきたたくさんの愛情を、改めて受け取れることを祈っております!

サトヒより、愛をこめて。

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