「苦しみ」の元になるもの

引き寄せの法則と潜在意識

愛あるみなさま、こんにちは。

サトヒです。

今日も今日とて、ブログのリハビリ中です(3日目)

…なんですが

今日は、前に書いてはいたけど、なぜかアップできずにいたネタを、加筆修正してお届けすることにしました。

これ、私にとってすごい大きな気づきだったんですよね。

毎度長いので、試しにChat GPTで要約してみたんですけど(笑)

この文章は、コントロール欲求と結果への執着について述べています。

著者は過去の経験から、自分の思い通りになることがほとんどないことを指摘し、結果への執着が苦しい原因であると説明しています。また、自分にできるのは自分の内面を整えることであり、結果をコントロールすることはできないと主張しています。

最終的に、プロセスを楽しんで流れに身を任せることが幸せへの道だと提案しています。

だって!優秀すぎない?

(”著者”という響きに痺れたという余談)

私がグダグダ書いたこと、簡潔にまとまりすぎててワロタ。

もう、下の文章読まなくてええやん。つまり、そういうことなので(笑)

今後は毎回、冒頭に要約付けようかしら…真剣に悩む。

一切皆苦

ということで、今日のタイトルは

「苦しみの元になるもの」

という何とも壮大な感じがするわけですが

最近つくづく感じていたのが

「コントロール欲求」

こそが、自分を不幸たらしめる元凶だよな、ということだったのでした。

そう、つまり「苦しみの元」=「コントロール欲求」だと思ったのです。

コントロール欲求というのはつまり、自分の思い通りにしたいという気持ちね。

もちろん、人間誰しも「こうなって欲しい」と思うことが浮かぶものだし

そのために努力したり、念じたりすることもあるだろうけど

それらのどれほどが、本当に自分の力で思い通りになったのか?ということですよ。

仏教の教えに

「一切皆苦」(いっさいかいく)

というものがあるそうです。

これは、「世の中の全ては苦しみである」という

元も子もないような絶望的な意味のお釈迦様の言葉だそうですが(苦笑)

ここで言う「苦しみ」というのは、「思い通りにならないこと」を指すのだそう。

この言葉を見つけた時

なにそれ、お釈迦様と気が合うじゃん!!!と思いましたね。(おこがましすぎて草生えるわ)

何かを思い通りにしたいと思う気持ちが、自分を苦しめるのではないか?

と、私もまさに、ちょうどそんなことを思っていたからです。

引き寄せとコントロール

私は、失恋をきっかけに復縁を目指して、「引き寄せの法則」を知ったのですが

結果的に、全く思う通りにはならなかったんですよね(ここ、笑うところ)

どんなにイメージングを頑張っても、アファメーションを唱えてみても

私の時間軸とは全く違う世界を満喫していたらしい元カレは

私と別れて数か月後には、早々に別の女と結婚しちゃったし

その後、「引き寄せの法則」を応用して、野良猫ハンティングを頑張ってみたものの

どんなにイメージングを頑張っても、アファメーションを唱えてみても

ゲリラ豪雨の高速道路を130㎞でぶっ飛ばしてみても(詳細はこちら

やけくそになって「結婚するなら氏んでやる」と脅してみても

結局、別の女と結婚しちゃったわけですよ。

私の思考領域で「こうなりたい!!」と必死に願っていたことは、全く叶ってないのです。

だけど、願いが叶わなかったから不幸せだったかというと、結果的には全くそんなことは無く。

私は私で、自分の思い通りではない形で

(というよりは、その当時思いもつかなかった形でという方が正しいのかもしれない)

自分にとっての幸せを実現しているんですよね。

それは、当時追いかけていた野良猫とうまくいっていたら、きっと到底たどり着けなかったであろう幸せだとも思います。

つまり、野良猫ハントに失敗する道こそが、私にとっての幸せに通じる道だったという結果なのです。

そう考えると、私が思考領域で願っていたことって、一体なんだったんだ?って感じがするのですが(笑)

私が引き寄せで「こうなりたい」を叶えようとして頑張ってた時って、めちゃくちゃしんどかったんですよね。

「こうなりたい」は願望ではなく、自分の存在価値を賭けた「到達必死の目標」であって

引き寄せの法則の方法論は、目標を達成するための「やらなければいけない行動」になっちゃってたんです。

イメージングもアファメーションも、ビジュアリゼーションもポジティブシンキングも

全部、私が願いを叶えるために「やるべき」ことになってたので、やってて全然楽しくないんですよ。

そして、「やるべき」ことをどんなに頑張っても全く変わらない現実に、絶望感やら無力感やらが出てくる始末。

もう無理かも…

いや、もう少し頑張ろう…

いやいや、もう諦めよう…

いやいやいや、もう少し頑張ろう…

もう無理かも…

というマッシブ・ネガティブ・エンドレスループを繰り返しながら、自分の中だけで疲弊していく。

(引き寄せの本質は、今いい気分でいることが一番の目的だというのに、それが全くわかってなかったとも言える)

そんな経験があったからこそ、「こうなったらいいな」という思いを持つこと自体が嫌になってしまったのですね。(極端)

それが、私がヴィジョン嫌いな一つの理由なのですが(笑)

「こうなったらいいな」と思うと、途端にそれが執着になってしまい

叶えようと頑張りすぎたり、叶わないことに絶望したりするようになる自分が嫌!!!なんですね。

いわば、「こうなったらいいな」という思いは

「今、これがない」という現実を後押しする気がするんです。

よく「~したい」とか「~が欲しい」という気持ちで引き寄せをすると

「したいとか欲しいと思い続ける現実が叶う」

と言われたりするけど、まさにそれです。

自分のこういった経験から

「○○になって欲しい」

という気持ちが生まれると、それは

「○○じゃないとダメ」

という執着になりやすく

それが、自分のコントロール欲求をONにしてしまう気がして、それが苦しいから嫌なのです。

それでも当時は、自分が願うことこそが、自分にとっての幸せだと思い込んでいたから、それを手に入れるために必死になっていたけど

蓋を開けてみれば、自分にとっての幸せはそっちじゃない、別の方向で待っていたって感じなんですよね。

それはつまり、自分にとっての最高最善のプロセスは、私の頭でいくら考えてもわからないことなのかもしれないと思ったのです。

なもんで今は、目の前の現実という結果から逆算して

「あぁ、私はこんな現実を願っていたんだな」

とか

「これは、自分にとって何かしら必要な経験なんだろうな」

と知る日々が続いています。

私が思考で願っているつもりがなくても、現実が自分にとっての最適解というか。

思考よりも、もっと大きな流れだったり、意図のようなものが、私にその経験を「させたい」と思っているんだな、と

そんな解釈をするようになったんですよね。

結果への執着が苦しい

冒頭でもお伝えした通り

「一切皆苦」

なこの世の中に、自分の思い通りになることなんて、実はほぼ無いんです。(残念なお知らせ)

それでも私たちは、自分の望むことを叶えようと手を尽くして生きていくわけです。

でも、ニーバーの祈りにもあるように、私たちには

「変えられるものと、変えられないもの」

がある。

そんな状況の中で、自分でコントロールできない(変えられない)はずのことをコントロールしよう(変えよう)とするのは、すごく苦しいことです。

そもそも、コントロール欲求の大元にあるのは、「結果への執着」だから重苦しいのですよね。

他人の気持ちとか

相手の反応とか

人との出会いとか

宝くじの結果とか

試験の合否とか

結果として現れるものは、コントロールしようがないのです。

自分でコントロールできるのは、自分の範疇のことだけで

それ以外のことは、いくら考えてもわからないし

操作しようとしたって、操作できるものではないんですね。

「引き寄せの法則」も、本来は何かを思い通りにするための方法論ではないのですが

そういう風に捉えられている人が多いから(過去の私もそうだった)

うまくいかないことで、逆に苦しみが増す人がいると思うのです。

「なんで引き寄せで思い通りに行っている人がいるのに、自分はそうじゃないの?」

って、自己否定の要因に使っちゃったりもするし。

もし、この世界で自分の思い通りになったように見えたことがあるならば

それは色んな要素が絡み合って導かれた「偶然」であり「必然」なのです。

それは、”顕在意識”というたかだか3%~10%の領域でコントロールされた結果ではないはずと、そう思うんですよね。

その結果が自分に必要だったから起こっただけなのではないかと。

人間万事塞翁が馬

だからといって、今「こうなって欲しい」と強く願っていることがある人は

一体どないせえちゅーねん!

と怒り心頭になる気持ちも想像できるのですが

>自分にできるのは、自分の範疇のことだけで

と書いた通り、私たちにできるのは、自分でコントロールできる範疇のことを精一杯やることだけだと思うんですね。

つまり、「自分の在り方」を決めることだけなんじゃないかと。

起こる出来事は変えられないけど

それに対する物事の捉え方だったり、自分の視点だったり

自分の機嫌だったりは、ある程度自分で選択できますよね^^

引き寄せでは、「今目の前のことを楽しむ」のが大事なんですけど

それもまた、今自分でコントロールできることの一つです。

心の余裕を持つことで、起こる出来事への耐性は変わるし、見方や捉え方も変わる。

つまり、自分にできるのは、自分の中をクリアに整えておくことだけなんじゃないかと。

「こうなったらいいな」

という思いはそのまま持っているにしても、それを「そうなるようにコントロール」することはできない。

そうなる方向に向けて行動することはできても、実際そうなるようにすることはできない。

それは例えば、相手に好かれようと頑張ることはできても、相手に自分を好きにさせることはできないのと同じ感じ。

頑張った結果、好かれるということはあるにしても、それは相手の心を意図的に操作した結果ではないですよね。

だからそこは、もう流れに身を任せるだけなんじゃないかと。

人事を尽くして天命を待つ

とはよく言ったもので、やれることだけやったら、後の結果はもう神頼みでいいと思うんですよね。

結果に執着してると、正解か不正解かみたいでしんどくなっちゃうじゃないですか。

どうせ、私たちの顕在意識レベルの思考領域で考えたことなんて、本当か嘘かわからんのですから(笑)

自分の(魂レベルの)深い部分が何を求めているかなんて、思考レベルは到底理解できないことなのだと思うんです。

だったら、逆算して起こったことを正解にしていけばいいんじゃないかと。

コントロール欲求に支配されている時って

思い通り=正解

思い通りじゃない=間違ってる

って判断しがちになりますが

私の大好きな人間万事塞翁が馬ってやつで

自分にとって良いのか悪いのかは、その時にはわからないものなのです。

必要なことは必要な時に起こるものだし

必要なものは必要な分だけ必要なタイミングでやってくるようにできているのがこの世の常。

「プロセスは完璧である」ということを信頼して、自分の範囲でできることを精一杯やりつつ

まだ見ぬ自分にとっての幸せに導かれる流れに、楽しんで身を任せてみるのも、乙なものではないでしょうか^^

ではまた!

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