愛あるみなさま、こんにちは!
サトヒです。
やっと風邪ひいてたのが、完全に抜けてきましたー!
熱はすぐに下がったので、そのままスムーズに回復すると思っていたのですが、やっぱり1週間ほどは引きずりましたね~。私の免疫…がんばれよ!
しばらく鼻が詰まっていたので、頭がぼーっとしてて。普段からやる気がでない仕事ですが、ますますやる気がでませんでした。(これは、もはや風邪とは関係ない)
とはいえ、「考えすぎ」がチャームポイントの私は、その間も冴えない頭でアレコレと思いを巡らせておりました。てへぺろ。
その内容とは、最近目下の悩み…
「私は、なぜ未来のビジョンが思い描けないのか」問題。
▼こちらのブログでちょっとだけぼやいてます。
重箱の隅をつつくかのように、問題のないところにもあえて問題を見つけて悩み苦しむのが
サトヒ・スターーーーーイル!!
ですので(最近ブログで1000記事を達成したらしい、驚異のマミコスタイルの真似)、何かといちいち大げさに考えるのは、”私らしさのご愛敬”ということにしておきましょうか。ね。ね。
そうなんです、私は「未来のビジョンが描けない」ことに非常に悩んでいたのです!!!!
そもそもの発端は、とある師匠の一言…
「欲はモチベーションになる」
自分が手に入れたいもの、経験したいこと、楽しみたいこと、そんな「欲」があるからこそ、仕事も頑張れる。生きるモチベーションが生まれる。夢を叶える力になる。
カウンセラーって職業は、どうも”清貧志向”が強いというか、カウンセリング自体が慈善事業的な視点で捉えられることもあって、お金のブロックが強い人が多かったりするそう。(私もそうだった。)
だけど、カウンセラー問わず、誰かを助けたり、誰かのためになりたい人ほど心がけるべきことは
「まず、自分が幸せになる」
ことなのであーる。URでアール。
だから、自分の自然発生的な「欲望」を悪者にしちゃアカンよね。それも大事なモチベーションだからね。「お金」を稼いで、ちゃんと自分を満たして、溢れた分で誰かのために活動できることが一番だからね。
と、そんなお話だと解釈しているわけですが。
いやしかし、どうしても思いつかない。
何がしたいのか、何が欲しいのか、どんなことを成し遂げたいのか。
クライアントさんに対してだったり、ココロノマルシェの回答だったりでは、「将来自分がどうありたいかっていうビジョンを描くのが、願いを叶えるためには大事なことなんだよ!」と、調子ぶっこいて大旗を振っているというのに?
自分はわかんない~なんて、口が裂けても言えない…。(いやむしろ、公言しとるがな)
とはいえ、昔の自分はもっと「欲望」に満ち溢れていたし、夢や希望を持っていたような??
to doリストを作ったり、欲しいものリストを作ったりして、達成したものを横線で消すのを至上の喜びとしていたような??
それがなぜ、こんなにも腑抜けになってしまったのか…。
わからぬ…。
ということで、私はプロの力に頼ることにしました。
誰に相談しようかなぁと思った時に、ふと思い浮かんだのが「やまだようこ」カウンセラーでした。
▼9月のセッション募集中ですぜ!ほんとオススメだから、とりあえず受けてみて欲しい。
ということで、”仲間のよしみ”の力をフルに使い、ゴリ押しで今日の明日でセッション時間を確保してもらうという鬼の所業。
セッションの中では、とりとめもない私の日々の思考を垂れ流しにさせてもらい、「私がどうしてビジョンがうまく描けないのか」を一緒に考えてもらいました。
その中で、私が「ビジョンを描けない」と感じている理由について、印象に残った話をいくつか。
① そもそものタイプが「天命遂行(追求)型」なのでは?
② 既に過去の自分の”ビジョン”を、今生きているからじゃないか?
③ 想像上の「達成感」や「成功」の感覚と実際の感覚が違うから、受け取り切れてないのでは?
④ 「古い私」と「新しい私」の間で葛藤が起きているのでは?
それぞれ、ちょっとずつ説明。
① そもそものタイプが「天命遂行(追求)型」なのでは?
師匠のこちらのブログによれば…
夢の叶え方には「目標達成型」と「天命追求(遂行)型」という2つのタイプがあるそうで。
「目標達成型」というのは、その名の通り、自分で目標を立てて、自分で叶えていくプロセスを繰り返しながら、自分のゴールに向けて進んでいくタイプ。
一方、「天命追求型」というのは、明確な目標を持つのではなく、目の前にやってきたものを受け取り、ベストを尽くしながら、結果的に何かしらのゴールへと向かっていくタイプ。
私は、長らく自分を「目標達成型」と思って、達成感だけを生きがいにゴリゴリ生きてきたわけだけど、どうやら本質的には違っていたのか、自分に向いていないことにようやく気付いたのか、「目標を立てて、そこに向かってゴリゴリ進めていく」やり方が肌に合わなくなってしまったようなのです。
私はその理由を、自分の「女性性」と向き合いすぎて、そっちに偏りすぎた結果と思ってもいるのだけど(笑)、これが本来の私らしいバランスなのだとしたら、自分には「天命追求型」的な考えの方が向いているのかもしれないなぁ、と素直に感じました。
何か理想や夢を描こうとしたときに、いつも思い浮かぶのが
「自分が頭で考えられる範囲のことが、自分にとっての本当のベストかなんてわかんないじゃん」
という言葉なんですよね。
私は、長らく引き寄せの法則について調べてきたわけだけど、自分の顕在意識(意識の3~10%程度!)で思い描けるレベルなんてたかが知れてて、むしろ目の前に起こる現実こそが、実は「自分の望んでいること」なんて言われていたりします。
だとしたら、目の前に起こることを素直に受け入れて、今の自分でできることを自分なりにやっていく方が、私にとっては”自分らしい生き方”なんじゃないかと思ってしまう。
そう、これが私にとっての「やる気のなさ」の一つなのです。
だけどこれって、つまり「サレンダーできてる」ってことなんじゃない?という気付きもあり。
2018年の秋に師匠のPCC(個人コンサル)を受けた時、私のテーマとして浮上したのが「女性性」と「サレンダー」だったのだけど、「あれ?実は、既に身についてる?」みたいな。
だとしたら、今はこのままでいいのかなぁと思うところもあったりもする。
② 既に過去の自分の”ビジョン”を、今生きているからじゃないか?
これは、今回のセッションで言われて超びっくりしたことの一つ。
「え?今の私がビジョン?」
鳩に豆鉄砲だよね~。全然実感なかったからね~。
だけど、よくよくよくよくよくよくよくよく振り返って考えてみたら、確かに今の私は「昔の私がなりたかった私」を生きているような気もしなくもなくなくなくなくない。
よくないコレ? コレよくなーい?
よくなくなくなくなくなくなーい?
つまり、どっちやねん。(ブギーバックしたかっただけ)
ということで、前述のPCCを受け始めた時点で、目標としていた自分を改めて見返してみました。
・時間に追われない生活
・思いついた時に、やりたいことをやれる
・家族で過ごす時間をたくさん取れる
・一人の時間も持てる
・人の役に立つ充実感を感じられる何かをしている
・やりたいことと子育てのバランスが取れる
・気楽にのんびり生きられる
etc.
あれ?なんか、実は結構叶ってない?と気付く。
相変わらず仕事は辞めてないけど、むしろ辞めないままにも関わらず、このコロ助情勢の後押しで結果的に全部叶ってる生活になっているのでは?
最近は、在宅ワークも板についてきて、かなり自由に時間も使えているし、一時期のような多忙な状況も抜けたし、色々とオンライン上でのコミュニケーションのコツをつかんできたら、随分仕事もやりやすくなったような。
つまり、私が今感じているこの「生ぬるい」感覚は、のんびり生きられているからだったのか!
だったら、願ったり叶ったりじゃないか!つまりこれが、ビジョンを生きているということなのか!
愕然…。
③ 想像上の「達成感」や「成功」の感覚と実際の感覚が違うから、受け取り切れてないのでは?
これは②にもつながるはずなのですが、自分でも実は気付いていたのだけど、私は「感動が薄い」タイプなのであります。
多分完全に癖になっているのだと思うけど、頭でっかちな故、感じたことを最初に思考的な処理プロセスに入れてしまうので、「やっほーい!」とか「うっほほーい!」とか「サイッコー!」とか「人生上等!!」とかみたいに、感情のダイレクトな反応が身体に伝わりにくいのよね。
その反面、私は「喜怒哀楽」を”激しい感情”としてイメージしているのです。
昔、「引き寄せの法則」を必死に研究していた時、メソッドの一つに「感情を先取りする」っていうのがあったんです。
「自分の願いが叶った時の気持ちを、先に感じると願いが叶いやすい」みたいなのがあって、願いが叶ったことを想像して(イメージング)、その時の自分の感覚に浸るみたいなことを、せっせとやり続けるわけです。
その時の私、好きな人と結ばれることを願いまくっておりました。
好きな人と付き合うことになって、「ひゃっほー!」とウハウハで喜んでいる自分を想像していました。
しかし、実際に(願っていた相手とは別の人ではあるけど)好きな人と付き合うことになった時の私の感覚は、「私に彼氏が…できただと?」みたいな感じだったのです。
実感は薄いし、キツネにつままれたような感覚が強いし、目の前の現実への疑心暗鬼感駄々洩れ。
だけど、一方で「じわ~」っと嬉しい気持ちもあるにはあるのです。
「えへ、彼氏ができちゃった…♡」みたいな。
そういえば、その感覚を最近も感じたことを思い出しました。
「キツネにつままれた感」と同時に湧き上がる、「じわ~」っと嬉しい気持ち。
その、自分の中の実際の感覚と想像上の感覚にギャップがあるが故、実際に目の前に「願望」が実現した状況が現れても、気づかずに「受け取り切れない」のではないか?という話になったのです。
その結果、私は既に「ビジョン」を生きていたのだけど、その状況に対して「ひゃっほー!」っていうテンション高い喜びを感じられていなかったために、叶ったことに気付かずにスルーしちゃってる、みたいな。
あ・り・う・る…。
④ 「古い私」と「新しい私」の間で葛藤が起きているのでは?
最後がこれ。私の中で大本命。(いや、全部本命だけど)
「目標達成型」で生きてきた私が「古い私」で、今「天命追求型」として生きようとしている私が「新しい私」ならば、その二つの生き方が葛藤してて、「古い私」がやんやと口出ししてる状況なんでは?ということ。
先日、偉そうにココロノマルシェで回答を書かせて頂いたのですが…
書きながら、「これ自分に言ってるじゃん」!と私の中の全私が総ツッコミしておりました。(笑)
私が、ビジョンを描けない自分に対して感じるのは、「このままでいいんかい?」という不安。
今までずっと「目標達成型」としてぶっちぎって生きてきたのに、全く「目標」や「夢」を持てなくなった自分に、どこか居心地の悪さを感じている。
自分の人生なんだから、もっと自分の力でどうにかしていかないとダメなんじゃないの?
自分で目標設定して、努力して叶えることこそ「生きる」ってことじゃないの?
そんな声がどこからともなく聞こえてくるような。(私の鬼軍曹)
そもそも、私がビジョンを描くことに抵抗があるのは、「ビジョンや夢を描いてしまうと、それがまるで叶えなければいけない目標のように感じるのが嫌」だからなのです。
だから、叶うと確信できることしか、夢にできない。そんな感じ。
そんな話をしたら、「それってコントロールだよね?」とバッサリ。(笑)
そうなんです。自分の人生を自分でコントロールしようと頑張ってきた分、そのコントロールを手放したような生き方に不安を感じて仕方がないのであります。
その心境はまさに、「私、このままどうなっちゃうの!?」だ。
でも、そもそも「サレンダー」という生き方が、そういうもんなのだった。
大海原に身を投げ出し、流れのままに身を任せるだけ。全ての抵抗を捨てて、起こることを起こるままに受け入れ続けるだけ。
それは、自分では全くコントロールできない領域に身を任せる生き方なのである。
「目標達成」こそ「成長」と定義してきた私には、その状況を「成長しない」ように感じて不安だったけど、やまだようこカウンセラー曰く、それは
「自分の100%の枠組を広げるようなもの」
なんだと言ってくれた。
今までの生き方が”縦に伸びる成長”なら、今の成長は”横に広がる成長”みたいなものなのかしら。
そもそも、新しい生き方にチャレンジしてる時点で、自分の枠は広がってるわけだし、それを成長と呼ばずしてなんと呼ぶのだ!!!
「これが私の新しい世界です」
カウンセリングの最後に、そんな言葉をプレゼントしてもらった。
すごくこそばゆくて、嬉しい言葉だった。
【結論】
ということで、私のこの「ビジョンの描けない問題」は、サレンダーの境地に向かっている以上どうしようもない、ということで締めくくろうと思います。
とか言って、「天命追求」してる間に飽きて、やっぱり「目標達成」が一番だぜー!!!って思う時がくるかもしれないし。先のことはわからん。
今は今の私の新しい生き方として、この自分を受けてみようか。
そんな風に思えたので、良かったです。
ではまた!
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