【自分のなかが「ない」で占められていることに気づいてハッとしました】
「ない」から自分は「ダメ」なのか、それとも「ダメ」な自分だから「ない」のか。
それはコロンブスの卵的命題だと思います。
「あるものに感謝する」って文字にするのは簡単なので、ついつい安易に語られがちですが、実際には色々な心理が絡んでスムーズにいかないことの方が多いと思うのです。
自分に「ある」ものに意識を向けられるようになるために、まずは自分にとっての「ない」を受け入れてみるのはいかがでしょうか?
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ココロノマルシェにご相談頂いた内容に回答しています!
「ない」前提だと人生がうまくいかない、みたいなことをどこかのサイトで見て、自分のなかが「ない」で占められていることに気づいてハッとしました。
占められているどころか、自分のなか「ない」しかなくないか!?とゾッとしました。
『「ない」と強烈に感じていること』
・結婚していない
・子どもがいない
・新築マイホームに住んでいない
・ミニバンにも乗っていない
・彼氏もいない
・お金もない
・独立したけど、うまくいっていない
・友だちもいない
・セックスもない
・人脈もないしかも、ただ ①「ない」と思っているだけではなく、
②「ない」ことをダメだとジャッジしている
③「ない」に至った経緯も否定している
④「ない」ことは、一般的にも世間的にもダメというダブルパンチならぬ、4パンチの状態なことにも気づいて、さらにゾッとしたところです。
よく「今あるものに感謝しましょう」といいますが、正直そんなことあんまり思えない状態です。
「今あるものに感謝しましょう」という切り口ではない、別な観点からのアドバイスを、どうかよろしくお願いいたします。
(タラ子さん)
愛と理屈であなたの心を解きほぐす、ライフワーク研究家サトヒです!
えー、私もブログでついつい「あるものを見ましょう」とか「感謝しましょう」と言っちゃってるクチなのですが(汗)、これがいかに「言うは易し、行うは難し」の典型であるかということは、自分の体験も踏まえた上で、十分に理解しているつもりではあります。
「言いたいことはなんとなくわかるんだけどさあ…って、そんなんできるかーーーーー!!!」
とちゃぶ台をエアーでひっくり返したくもなるような、もはや耳タコ案件なのも、重々承知なのであります。
しかし、重々承知ながらも書き続けてしまうのは、人生を幸せに生きる方法論として、どうしてもそこに行き着いてしまうからなのですが
その最終結論に辿り着くためには、実際には数々の段階を踏む必要があるのですが、いきなり結論だけを伝えられたところで、「????」と頭の上に大量のクエスチョンマークを召喚する羽目になり、「やっぱり俺にはできねえ…」と落ち込んでしまうことになりかねません。
なので、「あるものに感謝する」というのは一種の理想論であり、言わば世界最高峰の頂上みたいなものでもあり、一瞬で到達できる類のものではないという風に思って頂いた方が気楽かもしれません。
(とはいえ、時折一瞬で悟りの境地に到達しちゃう輩がいたりするから、比べて落ち込んだりするんですが。そういう人は稀です、稀。)
というわけで、それができ「ない」ことで落ち込む必要は全くありません。
「それができたら楽なんだろうな~」と、絵に描いた餅として、茶でもしばきながら今は遠目で眺めておきましょう。なんなら、破り捨てても構いませんので。
「ない」前提だと、なぜうまくいかないのか?
>「ない」前提だと人生がうまくいかない、みたいなことをどこかのサイトで見て
と書いていらっしゃったので、まずなぜ「ない」前提だと人生がうまくいかないか、という話についての、私なりの解釈を簡単に記してみたいと思います。
どうやら、私たちの脳やら心と呼ばれるものは、自分が「そうだと思っていること」の証拠探しをするようにできているみたいなんですね。
実際世の中には、自分がそうだと思っていることも、そうじゃないことも半々で存在しているものなのですが、自分がそうだと思っていることこそが正しいと思いたい(信じたい)という心の仕組みがあるようで、ついつい自分の思い込んでいることにふさわしい出来事の方に注目しがちなのです。
なので、「ない」前提だと、自分に「ない」ものばかりが目に付く(というよりも、無意識に探す)ようになります。
そして、「ない」というのは、例えば誰かは持っているのに自分は持っていないものとか、自分が欲しいのに手に入らないもののことを指すと思うのですが、そういうものに意識を向ければ向けるほど、「不足感」が心を占めていくようになります。
「ない」前提から来る不足感が強いと、欠けているものや足りないものを埋めるために頑張りすぎたり、何かを過剰に欲しがったり、逆に何を手に入れても満たされることがなくなったりして、延々と心が満たされることがなくなってしまいます。
いわゆる「幸せ」とは、心が満たされた状態のことだとも思うので、不足感を感じているとなかなか幸せも感じることができませんよね。
また、先ほど”自分が「そうだと思っていること」の証拠探し”という表現をしましたが、私たちは自分が持っている前提を証明する方向に、無意識に行動してしまうようにできているので、どんどん「ない」と感じられる状況ばかりが集まるようになります。
そして、「やっぱり私には何もない…」と確信を深めて、ますます「ない」前提を強化していくという恐ろしいループにハマりがちです。
そもそも「不足感」というのは苦しい感情ですから、それを感じている状況を「うまくいっている」とはなかなか思いにくいものです。
それが、”「ない」前提だと人生がうまくいかない”と言われている所以だと、私は解釈しております。
逆に言えば、前提を「ある」に変えることができれば、自分の持っているものや自分にあるものに意識が向く、イコール満足感や充足感を感じられるようになるので、結果的に幸せを感じやすくなりますよね。
だから、いわゆる「あるものに感謝しましょう」なんて話が出てくるわけです。
ですが、
>よく「今あるものに感謝しましょう」といいますが、正直そんなことあんまり思えない状態です。
とタラ子さんがおっしゃるように、自分が満たされていない状況で、感謝するって至難の業だと思うのです。
「ない」と感じているものは、大抵喉から手が出るほど欲しいものがほとんどなので、それ以外のものが「ある」と言われたとしても、コレジャナイ感の方を強く感じがちですし。
「あるものに感謝する」って文字にするのは簡単なので、ついつい安易に語られがちですが、実際には色々な心理が絡んでスムーズにいかないことの方が多いと思うのです。
なのに、それを理想の在り方として自分に課してしまうと、できない自分がダメなような気がしたり、そんな自分を責めちゃったりして、感謝でき「ない」自分という、「ない」の上塗りをしてしまうこともあるので注意が必要です。
それが、思考(頭)だけでは太刀打ちできない「無意識の前提」の強さでもあるのですが。
何かを手に入れる事で感じたい気持ちはなんだろう?
私は、感謝というのは手段ではなく結果論だと思うんですね。
最初からいきなり「あるものに感謝する」のではなくて、「あるものが見えるようになる」から「感謝できるようになる」という流れの方が自然なのではないかと。
現状のタラ子さんは、どうしても「ない」方に目が行ってしまうし、「ない」ことで自分を責めている状態なので、なかなか心をオープンにして、「あるもの」に目を向けるということが難しいのではないかな、と感じるのです。
あるものが見えないのに(あると感じられないのに)、感謝しろなんて言われても無理な話ってもんですよね~。
じゃあ、どうしたら「ある」が見えるようになるのか教えろ!!と思われると思うのですが、私は「ある」を見るには、まず「ない」と感じている自分を受け入れる必要があると思っています。
タラ子さんがわかりやすくまとめてくださっていますが
①「ない」と思っているだけではなく、
②「ない」ことをダメだとジャッジしている
③「ない」に至った経緯も否定している
④「ない」ことは、一般的にも世間的にもダメ
今のタラ子さんは「ない」ことはダメだと思っているし、「ない」自分を否定しているし、「ない」自分を受け入れられない状態なわけですよね。
「ない」ことに目が向いてしまうのは、習慣であり、物事の見方の癖のようなものなのですが、ここでちょっと深掘りしてみると、もしかしたらタラ子さんは「ない」から自分をダメだと思っているのではなくて、自分をダメだと思っているからこそ、「ない」ことで自分を責めているのではないかと感じたのですがいかがでしょうか?
つまり、「ない」状態なのは、自分にとって格好の自己否定ネタになっているわけです。
ダメな自分を責めるために、罰するために、「ない」という理由が必要なのだとしたら、そりゃー「ある」方なんて見る気になんてなれませんよね。
これは私の邪推ですが、そういった自己否定の根っこには、無価値感や罪悪感と呼ばれる感情があって、自分に「ある」と感じさせることを妨害している可能性もありそうです。
もしそうだとしたら、なぜそんなにもタラ子さんはご自分を責め続けているのでしょう?
また、タラ子さんが書いてくれた、『「ない」と強烈に感じていること』たちはきっと、タラ子さんが欲しいものたちでもあると思うのですが、実は私たちが本当に欲しいのは、何かを手に入れた時に感じられる感情だと言います。
だとしたら、タラ子さんがそれらを手に入れることで本当に得たいものって一体何なのでしょう?
結婚して、子どもがいて、マイホームに住んでいて、ミニバンに乗っていたら、タラ子さんはどんな気持ちがするのでしょうか?
お金があって、仕事もうまくいって、友達もいて、パートナーとセックスもして、人脈もあったら、どんな気持ちがするのでしょうか?
楽しい?安心する?愛されていると感じられる?自由でいられる?
>④「ない」ことは、一般的にも世間的にもダメ
と書かれていますが、そもそもそれらは本当に、タラ子さんが欲しいものなのでしょうか?
それを手に入れることで安心させたい誰かがいますか?認められたい誰かがいますか?
その辺りを、ご自分を振り返りながら考えてみると、「ない」方ばかりを見てしまう理由が何かわかるかもしれません^^
今の自分をフラットに受け止める
ないことで自分を責めている状態から、あるものに感謝する状態までは、実は結構な隔たりがあると思っています。
数直線上で言うと、自分責めがマイナスの領域だと、感謝できるのはプラスの領域。
マイナスからプラスの領域に移行するためには、まずゼロを通る必要がありますよね。
ゼロというのは、自分をフラットに見れている状態だと思うのです。
色んな長所も短所もあるのが自分で、その自分を自分だと受け入れること。
そうです、いつもの「自己肯定感」ってやつですね!(これも耳タコ案件でしょうか)
今ダメだと感じている要素を、自分の一部として認めること。
欲しいものが「ない」自分を、今の自分として受け止めること。
「ない」ことを受け入れてこそ、その裏側に「ある」はずのものがようやく見えてくるのだと思うのです。
自分を責めている間って、ダメな部分とか、ない部分しか視界に入りませんが、同時にそれを拒絶しています。
なので、長所短所が表裏一体ならば、短所を否定して避けようとすると、その裏にある長所も否定することになります。
だから、どんなに「ある」ものを見ようとしても、目に入らなくなってしまうのですね。
そんな状態で感謝しろって言われても、できるわけないやろー!です。無理なもんは無理なんです。
だから、まずは自分が感じている気持ちを、フラットに、ありのままに受け止めてみませんか?
「ない」と感じている自分。
自分を責めちゃう自分。
「ある」ものに感謝できない自分。
ダメだとジャッジしちゃう自分。
他人の目が気になっちゃう自分。
不安を感じている自分。
寂しさや孤独を感じている自分。
愛を感じられない自分。
頑張っているのに報われなくて、神様を呪いたくなっちゃう自分。
理想通りじゃなくて、カッコ悪い自分。
誰かに認められたい自分。
誰かに甘えたい自分。
そういう自分の声を受け止めて、「そんな風に思ってたんだねえ。」と、ただ寄り添ってあげて欲しいのです。
そうすることで、積み重なった自己否定で頑なに閉じかけた心を、柔らかく、温かくほぐしてあげて欲しいのです。
自分の当たり前に価値を見る
最後に自戒も込めて、ちょっとだけ説法じみた話をさせて頂くと、そもそも感謝ってしようと思ってできるものでもないと思うんですよね。
「ありがとう」って気持ちは、「有難い」と感じる時に、自然と湧き上がるものだと思うからです。
自分の才能や魅力などもそうですが、自分にとって「ある」のが当たり前すぎるものは、その価値になかなか気付けないものです。
そして、自分という存在自体に価値を感じられなければ、それを外側に投影するので、自分に付随するものにも価値を感じられません。その希少さや素晴らしさが見えないんですね。
つまり、価値を感じられない自分にあるものには「有難さ」を感じにくいので、「あるものに感謝する」のが難しいわけです。
だけど、これまでタラ子さんは不足感や欠乏感を感じながらも、それを埋めるために、より良い自分になるために、ずっと頑張り続けてきましたよね?
その頑張るプロセスの中で、手に入れてきたものもきっとたくさん「ある」はずです。
今のタラ子さんは、その結果として手に入れたと感じられるものは少ないのかもしれません。
パートナーシップも、仕事での成功も、人間関係も、金銭的な豊かさも、どれもこれも自分の理想通りでは「ない」かもしれません。
だけど、きっと今のタラ子さんになるまでに、色んな努力を続けて、数々の経験を積み重ねて、得たものって実はたくさん「ある」んじゃないかと思うのです。
そんな自分の努力の結晶としての、今の自分に「ある」ものに、もう少し価値を見てあげてもいいんじゃないかな?と、私は感じましたよ^^
完璧な理想通りではなくとも、自分なりに頑張って手に入れてきた数々の物の価値を認めることは、自分の価値を認める事にもつながりますから。
そもそもですが、「ない」と感じる事自体は、持ち前の向上心の現れでもあると思うので、限りなく上を目指して頑張り続けられる自分に、最大限の賛辞と祝福を送ってあげてくださいね!
大丈夫、あなたはそのままで素敵です^^
タラ子さんが、自分にとっての当たり前の価値に気付き、既にあるはずの豊かさや幸せを堂々と受け取れることを心から祈っています!
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